みずあめ
2025-04-08 23:09:23
3725文字
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ブラネロ

アクスイ世界線の付き合ってるブラネロです。

一ヶ月まるまる使っての地方ロケは美味いもんがたくさん食えたし、撮影自体も順調に進んで悪くない仕事だった。帰りの飛行機でぐっすりと眠り、すっきりした体でひと月ぶりの自宅へ向かう。大きな荷物は配達を頼んだから鞄一つで身軽だった。
セキュリティのしっかりしたエントランスを抜け、ほとんど稼働音のしないエレベーターで上層階へ上り、鍵を開けてドアノブを回す。人感センサーで明るくなった玄関以外、部屋の中はしんと静かで薄暗かった。
……
玄関の扉が閉まるとオートロックの鍵がガチャッとかかる。足を止めて気配を探ったが部屋の中は物音ひとつしない。
チッと舌打ちをして靴を脱ぎ、リビングに向かって一ヶ月前と何も変わらない様子の部屋の中に視線を走らせてからスマホを取り出した。いくつか来ている連絡に素早く目を通したが、求めていた連絡はスタンプひとつだってありはしない。
電気もつけないまま突っ立って数秒、空腹を覚えて顔を上げた。上着を脱いでソファーに放り、鞄も適当に床に置いてキッチンへ向かう。一ヶ月空けるから生ものは残していかなかったが酒と冷凍のものなら何かしらあるはずだった。無防備に冷蔵庫を開けた俺は、空っぽだと思っていたそこに所狭しと詰められたタッパーに意識せず息を呑んだ。
中身が茶色いものが一番多く、それに添えられるように黄色やら緑やらのタッパーも入っている。少し視線を上げれば皿に盛られた刺身と生ハムも。冷蔵庫の一番上の段では買った覚えのない白ワインが冷えていた。
冷蔵庫がピーピーと庫内の温度上昇を訴えるまでじっくりと中身を検め、カメラの前では出さない緩んだ表情になってしまっているのを自覚してハッとため息のように笑いを溢した。なんだよ、来てんじゃねーか。
今日帰るから俺の部屋でメシ作って待ってろ、と返事を聞かないまま電話を切ったのは今朝早くのことだった。そっから連絡のひとつも寄越さないくせに、料理だけ作って帰っていく。従順で、だけど思い通りにならないところが、昔から変わらず好きだった。
とりあえず肉。と、一番上にあった茶色い中身のタッパーを手に取って冷蔵庫を閉める。蓋を開ければ期待通りフライドチキンがいっぱいに入っていて、しかもまだ冷め切っていない。アイツが帰ってからまだ時間が経っていないのだと気がつき奥歯をギリッと噛んだ。帰りのタクシーの運転手がもうちょい飛ばしてたら出て行くのを止められたかもしれないと思うと悔しかったが、過去のことはどうしようもない。冷めてはいないが温かくもないフライドチキンをひとつ摘まんでかぶりつけば、慣れ親しんだ味に舌が喜ぶ。ビールを求めて冷蔵庫をもう一度開けた俺は、その音に被って鳴った玄関の扉が開く音に気が付かなかった。
取り出したビールを開けてキッチンで立ったまま飲み始めた俺の耳に、ようやく自分以外の立てる物音が聞こえてぴたりと動きを止めた。床を踏む足音は聞き逃してしまいそうなほど小さく、だけど気配を殺してはいない侵入者に気が付かないほど間抜けではない。武器になりそうなものはないけれど警戒していない相手ならば拳ひとつでどうにかなる。
油のついた指を舐めて玄関の方に体を向けた俺は、壁の向こうから現れたネロに、声もなく目を見開くことしかできなかった。同じように目を丸くして、だけど俺より先にほっと力を抜いたネロが小首を傾げて柔らかく笑った。
「おかえり。帰ってくんの早いな。もうちょい夜遅くになるかと思ってたから買い出し行ってた」
……ただいま」
「あ、おまえつまみ食いしやがって! はぁ? なんであっためねーで食ってんの? どんだけ腹減ってんだよ、ったく……
だらしない子どもを叱るような口調でそう言い、ネロは買い物袋を置いて俺の前にあるフライドチキンのタッパーを持ち上げた。どうするのかと見ていれば電子レンジに突っ込み、当然のように温め始める。振り向いたネロは俺と目が合うと不思議そうに首を傾げた。
「なに?」
……揚げたて食いたかった」
「もう一回揚げんだよ。でもどうせ待てねえだろ? そのままでも食えるから、何個か食ってろ。その間に二度揚げすっから。冷蔵庫ん中見た? 他に食いたいもんは?」
「ネロ」
…………唐揚げにすっか。ついでに軽く表面揚げてやるよ」
「ネロ、こっち向け」
俺に背を向けて冷蔵庫を開けたネロに言葉だけでそう指示を出す。指一本触れなくたって十分だ、コイツは俺に甘いから。そろそろと振り向いたネロの表情に、今は顔出しをせずに活動していることを心から惜しく思った。欲目じゃなく整った顔は俺が手を触れさせるだけで色香が滲み、瞳がはちみつのように甘くとろける。もっと人目に触れ、愛されるべきなのに、コイツ自身がそれを望まない。いくら言ったってこの件に関しては俺が先に諦めてしまうくらいに意固地だった。
「ブラッド……?」
……なんでもねぇよ」
……なんでもないなら、さっさと離せ……
口ではそう言うくせに、簡単に振り払える俺の手をそのままにしてただ俺を見つめるだけだ。どこからどこまで本心なのか測りかねて最初は間違えることも多かったけれど、もう、間違えない。奪い取るように強引に唇を重ねると、ネロはビクッと肩を震わせて、それからそっと俺の服を掴んだ。それが制止ではなく懇願だということは誰の目から見ても明らかだろう。
一ヶ月分の距離を埋めるように深く、長いキスは、電子レンジの音で時間の感覚を取り戻したネロが慌てて俺を叩いたところであっけなく離れた。唾液で濡れた唇を服の袖で拭うネロは耳まで赤く、俺は満たされた気持ちでその横顔見つめた。
……なに」
「なんも言ってねえだろ」
「視線がうるさい」
「視線だけで収めてやってんだよ。晩飯作ってくれんだろ?」
……
「腹減った。むこうのメシも美味かったけど、やっぱりおまえが作るもんが一番美味い」
……あっそ」
「ネロ、言わねえと分かんねえぞ」
電子レンジから出した湯気の立つフライドチキンを、ネロは皿に盛ることも再度揚げることもせずただじっと見下ろしていた。料理の邪魔をするとすぐにキレるから手を出さずいい子にしているというのに、ネロの手は止まったままだ。
本当は俯くその横顔だけでも、ネロが何を求めているか手に取るように分かる。もちろん甘やかしてやったっていいが、久しぶりの逢瀬だ。優しく虐めて、真っ赤に照れながら俺を欲しがるネロが見たい。おまえだって、我が儘で意地の悪い俺にどろどろにされるのが好きだろう。
……腹、どんくらい減ってんの」
「このフライドチキン一瞬で食い尽くせるくらいだな。つまみ食い一個じゃ足んねえよ」
…………じゃ、メシ、作る」
……バカだなぁ、おまえは。メシなんか後回しで俺のことを構えって言やいいのに」
「は!? な、なに、んなこと、思ってねえし」
「ネロ、言ってみ。『メシなんか食ってねえで俺のことを食え』って」
「〜っ!? 言うわけねえだろ! テメェのがよっぽどバカだ!」
「こんなに俺に食われたいって顔してんのに?」
こっち向かねえかなって思って煽れば、ネロは期待通りに怒った顔で俺の方を向く。俺は弧を描く唇を誤魔化すことなくネロを見下ろし、人差し指だけで顎を掬い上げてやった。ぎゃあぎゃあ騒いでいたネロが途端に口を閉じたから、いい子だと褒めるように唇を重ね、ぎゅっと目をつむるネロに「見なくていいのか?」と囁いた。
「なにを……?」
「おまえの好きなやつの顔」
……そこらじゅうに溢れてて見飽きた」
「素直じゃねえの。ま、いいけど。俺は全然見足りねえから、もっといい顔見せてくれよ」
「っ、ブラッド!」
すぐに俯いて顔を隠すから、そうできないようにひょいと抱え上げてキッチンカウンターへネロを座らせた。下から見上げることはあまりなく、同じようにネロも俺を見下ろすことは新鮮だろう。丸く見開かれた目が、隠しきれずにきらきら輝くように俺を見ていた。
「メシなんか作ってねえで、俺に食われろよ、ネロ」
……キザなセリフ言ってんなよ、バーカ。……腹減ってるおまえ、ちょっと、こわいから」
「激しくて良すぎるって?」
「っ、言ってねえだろ!」
「顔見りゃ分かる。ほら、ネロ、キス」
……途中で止めたら殺す」
「腹減ってることなんか忘れさせてくれんだろ?」
顎を上げて片目をつむってやれば、ネロは俺の頬を両手で挟み、ちゅっとガキみたいに可愛いキスをした。煽ってんのか?と両目を開けて視線がしっかり絡んだ瞬間、唇は割り開かれネロの舌が潜り込んでくる。温めたフライドチキンが冷めていくことも構わずキスを貪り、俺たちはお互いの服へ手を伸ばした。
久しぶりだしちゃんとベッドでしたかったけれど、こういうことはシナリオ通りにはいかないもんだ。ネロとの即興劇は刺激的で演じててめちゃくちゃ楽しかったことを思い出していると、他のことを考えるなとでも言うように絡めた舌に歯を立てられた。はいはい、何も演じていない俺自身でちゃんと抱いてやるから、おまえも隠さずに全部見せろよ、ネロ。