望月 鏡翠
2025-04-08 00:01:20
875文字
Public 日課
 

#1674 「雁の子」「石細工」「足拭き」

#毎日最低800文字のSSを書く/三題話


 男の家は神殿の成れの果てである。
 昔、この辺りで大きな地殻変動があったのだろう。床としているのはかつての壁だったところである。大きく傾いた建物の半分は湖に沈み込んでいる。その傾斜からちょうどよく船を出すことができるのである。石細工は滑り止めにちょうどいい。漁が終わると、その凹凸を足の裏に感じながら船を湖から引き上げ、家の中にしまうのである。
 神殿がどれくらい古いのかわからない。少なくとも、建てた人の名前も祀っている神の名前も残っていなかった。
 だから男にとってそこは石造りの頑丈な、少しばかり冷え込む家でしかなかった。
 湖の底には、もっと多くの建物が青く沈んでいる。それらは船の上から眺めることができた。この神殿は、都市の一番端のところにあったから、半分とはいえ水没を免れたのだ。
 男は湖から上がる口のところに、足拭きを置いてある。それがなければ家中水浸しになるし、ただでさえ石でひんやりとしている家の中が余計に冷たくなるからだ。
 ある日、丸めて置いてある足拭きの間に何かが入っていた。
 やけにふわふわとした、持ち込んだ覚えのない上等な毛皮がある。みていると蠢いて、毛皮ではなく生き物だとわかった。まだ産毛も生え替わらない雁の子だった。
 巣と間違えたのかもしれない。
 確かに、人間が生活している場所に、他の危険な肉食獣は入り込んでこない。弱い生き物が逃げ込む場所にちょうどよかったのかもしれない。
 男はその無防備な鳥を端から捕まえて、焼いて食べてしまうことだってできた。だがそれでは獣と同じということで、あまりにもつまらない。それに食べるにしたってもう少し大きくなってから出ないと食べるところがほとんどない。
 穀物を啄みにくる小鳥を捕まえて丸焼きにするのと変わらないくらいの食料しかない。だから男は、その雁の子をそのまま家に住まわせることにした。
 半年もすれば鳥は大きくなった。鳥の成長は早い。しかしその半年の間に、男はその水鳥に思い入れるようになっていた。
 結果、神殿の跡地には一人と一匹が長く暮らしている。