もはや説明するのも億劫なくらいだが、今日も第三部隊の執務室は酷い有り様だった。風呂に入る元気さえなくした俺たちは、煙草とフィーカと筆舌に尽くしがたい臭いを発しながら、今日も今日とてデスクワークに勤しんでいた。
このクソ寒いルビコンで、シャワーだけで済ませるのはどう考えても体に悪い。湯船に浸かって、じっくりと体を温めることが出来たなら……。実際、そんなないものねだりをする余裕もないくらいに忙しいのだが、俺の疲れも限界が近づいていたのである。
この案件が片付いたら、せめてシャワーを浴びに部屋に帰ろう……そうぼんやり考えていた時、執務室の扉が開いた。予想していなかった訪問者の手によって。
「オキーフ、少しよろしいですか」
「……なんだ、スネイル閣下」
色濃い隈とギラついた目。オキーフ長官の疲労も限界を三度ほど突破したような具合だ。スネイル閣下はそんな長官の見た目と部屋の臭いに一瞬眉をひそめ、しかし怯むことなく歩み寄る。俺たち隊員ときたら、閣下相手に挨拶をする気力もなく、ただその様子を見守るのみ。
「お疲れのようですね、オキーフ」
「どこかの誰かのおかげでな。で、何の用だ?」
「皮肉を言うだけの元気はあるようで何よりです。今日は、貴方がた第三部隊の皆さんにいい話を持ってきたのですよ」
「いい話……?」
それはジョークとしてのいい話なのか、本当にいい話なのか。閣下が言うと、どちらなのか判断がつきづらい。同僚たちもなんとはなしに耳を澄ませ、閣下と長官の様子を伺っている。厄介な話を持ち込まれては、今の俺たちでは対応しきれる気がしないからだ。
「このところ、第三部隊の負担は増える一方……そこで、貴方がたには慰安旅行に行っていただくことに決定しました」
「「「「「「はあ?」」」」」」
このクソ忙しい中で慰安旅行とは。旅行になんて行ってる暇があるか。旅行から帰ったらデスクがどんな状況になっているか、考えるだに恐ろしい。いや、そもそも行く準備も何もできるような状況にないっていうのに……。
「ご心配なさらず。貴方がたの業務に支障の無いよう、各所に根回しは済んであります。ただ何も考えず指定された場所へ向かうだけでいい」
「待て、スネイル。その口ぶりからして、今から行けってことか?」
「ええ、そうです。なあに、そう遠い場所ではありません。それに、大変申し訳ないのですが、二泊三日などという贅沢な旅行をされてはアーキバスとしても困る……ですから、これから一泊二日の旅行をしていただきます」
「ええ……?」
そんな弾丸旅行で慰安されるか。口に出さなくても、誰もがそう言いたげな顔だ。
「こちらが慰安旅行先のチケットです。移動用の車も用意してありますから、今すぐ出発しますよ」
「お、おい、スネイル……!」
有無を言わせぬスネイル閣下の言いぶりに困惑しつつ、しかし逆らう訳にもいかない。オキーフ長官は巨大なため息を吐き、のそりと立ち上がった。
「仕方ない……お前たち、今日の仕事はすべて中止だ。訳がわからんが……行くぞ」
「はい……」
そうして俺たちはスネイル閣下に先導され、慰安旅行先へと向かうべく、中央玄関へと歩き出したのだった……。
「――って、すぐ隣じゃないですか‼」
玄関前に停まっていた小型バスに乗り込むこと十分。アーキバスルビコン支社本館の隣にある建物が、俺達の慰安旅行先だった。何かの建設中なのは知っていたが、まさか宿泊施設とは。
ツッコミを入れる俺たちを無視して、引率のスネイル閣下は施設の前で説明し始めた。
「ここは、アーキバスの技術の粋をこらして作り上げた超スーパー銭湯です。長期化するルビコンでの作戦により、社員たちの疲れもピークに達しています。何より、この寒さがストレスの一因となっていることは明白……その対策として、体の芯から温まる温浴施設を建設することが効率的と判断しました」
「はあ……」
こう、寒さよりももっと顧みるべきところがあるような気もするが、誰も何も言えなかった。閣下は続ける。
「私自らが設計に携わったスーパー銭湯に不備などあり得ませんが……最後は人の手での検証が必要です。貴方がたには、この〝あ~きばすの湯〟の開館前モニターとして一日羽を伸ばしていただき、利用者アンケートに回答していただきます」
つまりは慰安旅行とは名ばかりという訳である。ツッコミを入れる気も失せてきたし、一泊分温浴施設でゆっくりできるのはなかなか魅力的な話だ。まあええか、それはそれで。
俺たちがそう思い始めた頃、長官は真剣な表情でスネイル閣下に向けて口を開いた。
「……サウナはあるのか?」
「あります」
「食事処は?」
「当然、あるに決まっているでしょう」
「酒は?」
「いくらでも飲んでいただいて結構」
「……貸し切りなのか?」
「そうです。利用者モニターを兼ねているとはいえ、これは貴方がたの慰安旅行ですから」
「……わかった」
「質問は以上でよろしいですか? では、明日の朝十時に迎えをやります。それまで、たっぷりとおくつろぎください。では」
スネイル閣下はそう言って、乗ってきたバスに戻り、さっさと退散していった。
「長官……」
「……あいつがそう言うなら、そうさせてもらうとしよう。行くぞ」
「は、はい! 長官‼」
そうして、俺たち第三部隊は唐突な慰安旅行、もとい、スーパー銭湯のモニターをすることになったのだった……。
「おお……なかなか広いんだな」
清潔感と開放感のあるロビーは、木のぬくもりが感じられる空間になっている。受付はスネイル閣下のおかげで顔パスで、案内されるまま、俺たちはぞろぞろと奥へと入っていった。
一階は食事処と休憩スペース、岩盤浴のフロアになっており、風呂は二階にあるらしい。更衣室も二階にあるとのことで、俺たちはぞろぞろと二階へ続く階段を上っていった。
「すげえ……これ、社員は全部タダなのかよ……」
階段の壁には浴場で受けられるサービスのポスターが貼ってある。アカスリ、オイルマッサージ、散髪まで、様々なサービスが社員は無料で受けられる。福利厚生ってすげえ。
他には岩盤浴の楽しみ方や、しっかり水分補給をしようとか、泥酔状態で風呂に入らないようにしようとか、そういったマナー説明のポスター。アーキバスのロゴをモチーフにしたマスコットキャラクターが表情豊かに説明してくれていて、ちょっとカワイイ。実際にこいつが風呂に入ってたら怖いが。
「アカスリは……して欲しいかもな……」
もう何ヶ月もシャワーで済ませてばかりで、最後に垢擦りをしたのがいつなのか思い出せないくらいだ。
「遠慮せず全部やるといい。モニターと言われているからな。いっそ全部体験したほうがスネイルも喜ぶだろう」
「ま、マジすか……」
「お前らも日頃の疲れが溜まっているだろう。文句は言わせん。存分に楽しめ」
長官のお言葉に、俺たちは顔を見合わせた。モニターとはいえ、あのケチな閣下のこと、後からああだこうだと文句を言ってくるのではという危惧はあった。しかし、長官が味方についたなら、もう迷うことはない。
「長官がそういうなら……なあ?」
「だな……。オイルマッサージってのもやってもらうか!」
「もう半年も髪なんて切ってねえし、俺は床屋に行くぜ」
「長官は? 長官はどこ行きます?」
「……サウナだ。まずはサウナの具合を確かめなければ始まらん」
「⁈」
サウナ。そういえばさっき閣下を質問責めにしていた時も、長官はいの一番にサウナの有無を聞いていたような……。まさか長官、サウナ好きなのか……? もしかしなくてもこの慰安旅行、長官にとってはかなりウキウキのイベントなのでは……。
「よし、行くぞ。午後七時には宴会場で夕飯らしい。それまでは自由時間とする」
「は、はいッ!」
浴場入口で館内着兼岩盤浴用の着替えとタオルを受け取って、俺たちは脱衣所へと足を踏み入れた。湯の匂いと湿度のある温かい風が頬を撫でる。俺たちはめいめい目についたロッカーを決めて服を脱いだ。スネイル閣下が手を回してくれていたのか、着てきた服はその場で洗濯をしてくれるらしく、まとめて回収されてしまった。制服から下着から全て支給品の俺たちからしたら、それは本当にありがたいサービスだった。
「よし、行こうぜ……」
「ああ、どんなもんか確かめねえとな……!」
俺は早脱ぎ自慢の同僚と共に、タオル片手に一足先に浴場へと向かった。湯気で曇ったガラス張りの扉を開けると、そこは。
「お、おお……いいじゃねえか」
入ってすぐは体を洗うブースになっている。ずらりと並んだシャワーブースは、ざっと二十人分はありそうだ。シャワーブースが邪魔になって見えないが、奥の浴槽スペースもかなりの奥行きがある。
「めっちゃ広いな……こんなに人来んのかな」
「さあ……」
第三部隊は確かに激務で忙しいが、程度の差こそあれ、どの部隊もそれなりに忙しく、休みを取れない時期はどの部署にもある。この広さを活かせるほどの集客が見込めるのかどうかは怪しいところだ。いや、そもそも社員あてに無料開放している福利厚生施設な訳だから、繁盛しようがしまいがどうでも良いのかも知れない。
「とりあえず体洗おうぜ! とっとと風呂入りてえしよ」
「ああ、そうだな……そうすっか」
俺たちは各自シャワーブースへ入り、ざっと体を洗うことにした。久しぶりの風呂だ。アカスリも行きたいが、まずは体の汚れを落とさなければ、アカスリ担当の人も嫌だろう。本当は洗わないほうがいいという話もあるらしいが、俺が気になる。すまん。
ボディーソープもシャンプーもさっぱりとした洗い上がりで、高級感のある香りがした。こういう細かいところに金をかけるあたり、流石はスネイル閣下といったところか。どのボトルにも例のマスコットが描かれ、泡にまみれてにこにこしている。これも閣下プロデュースなんだろうか……。
伸びっぱなしのヒゲはきになるが、確か脱衣所にカミソリのベンダーがあった気がするので、後で剃ることにする。とにかく、浴場に来たからには風呂だ。風呂に入ろう。
シャワーブースを出た俺は、同僚と共に浴槽エリアへと向かった……のだが。
「なっ、なんだこりゃ」
「うわ、趣味悪……」
ジャグジー、ジェットバス、電気風呂、水風呂、炭酸風呂……と様々な浴槽があるのはいい。問題なのは、炭酸風呂だった。血のように深い赤色をした湯が、ぱちぱちと炭酸を弾けさせている。風呂の壁には「まるでコーラル! パチパチ弾ける炭酸風呂‼」の看板が掲げられている。これで喜ぶのはドーザーくらいだろう。何考えてんだ閣下は……。
コーラルを手に入れるという大いなる目標を常に忘れずにいて欲しい、とか、そういうやつか。慰安旅行の最中にはあんまり見せられたくないもんである。
「ま、まあ……炭酸風呂は体にいいって話は聞くしな……入ってみるか」
「おう……見た目じゃねえからな、風呂ってのは」
俺は同僚と共に、おそるおそる真っ赤な炭酸風呂へと足を突っ込んだ。ぬるめの温度は冷えた体にはありがたい。俺たちの健康状態は誰も彼も芳しくなく、常にヒートショックの危険と隣合わせだ。ゆっくりと湯船に体を浸し、肩まで浸かる。ぬるいと感じた温度が炭酸のおかげでじわじわと熱く感じるようになり、体がじわりと温まってくる。見た目はともかく、炭酸風呂としては十分以上に気持ちいい。
「やべえ……気持ちいいぞ……」
「だな……閣下もやるじゃん……超スーパー銭湯は伊達じゃねえな……」
まだ浴槽を一つ試しただけでこうなのだから、俺たちも大概チョロいもんである。
風呂で溶けているうち、シャワーで体を洗い終えた連中も浴槽エリアの方にやって来たようだ。その中には当然、長官の姿もあった。
「うおっ、デッカ……⁉」
長官の姿を視界に入れた俺は、思わず声を上げてしまった。いや、本当にデカすぎたのだ。チンポが。最近の疲れと風呂に入れるという喜びですっかり頭から抜け落ちていたが、第三部隊全員が風呂に入るということは、長官の全裸を拝めるということとイコールだ。なんで気付かなかったんだ俺は。絶好のオカズ目に焼き付けチャンスだってのに……!
「……」
どこを見てデカいと声を出されたのかは一目瞭然で、長官は俺にチラリと視線をやり、小さくため息をついた。すみません。だってデカかったんですもん……。マジで……。
長官はのそりとジャグジーのある風呂へと向かい、俺たちに背を向けて湯に浸かった。長官、ケツも引き締まってて最高です……。
「デカかったな……長官のチンポ……」
「ああ……やっぱ長官ってだけあって長いしよ……」
それは多分関係ない。俺と同僚は小声でそんな馬鹿話をしながら、そろそろ別の浴槽も試したくなってきていた。寒くて死ぬような気もするが露天風呂もある。あそこはもっと体を温めてから行った方がいいだろう。では、次は……。
「……行くか? サウナ」
「サウナか……」
ジャグジーから上がった長官は、給水器から水を飲み、真剣な表情でサウナマットを手にサウナ室へ向かっていった。それはほんの二分前のこと。追いかけてサウナに行くのに、これ以上の好機はない。
「行くか……サウナ……!」
「そうこなくっちゃな! 行くぜッ!」
俺と同僚は汗だくの長官を目に焼き付けるべく、赤い湯をかけ湯で洗い流し、しっかりと水分補給をして、サウナ室へと向かった。
「ンお゙ッ……あっつ……」
思わず変な声が出るほど、サウナ室は暑かった。そのど真ん中、三段あるうちの二段目の椅子に腰を下ろしたオキーフ長官は、神妙な顔つきでモニターを眺めている。暇つぶし用に設置されたモニターには、このためにわざわざ用意されたのだろうアーキバスの宣伝映像が流れていた。宣伝されるまでもなく、利用者はアーキバス所属の社員な訳だが。
「長官、失礼します……!」
「おう」
俺はそんなに暑さに強くない。長官の斜め前、一番下の段にサウナマットを敷いて腰掛けた。首にタオルを掛け、全身に汗を浮かべている長官は当然ながら最高にセクシーだ。何か話しかけたい気もしたが、サウナ好きらしいところを見ると、あまり話しかけないでいた方が良いだろう。その辺の分別はある。それに、あまりじろじろ見ては失礼だ。あと普通に勃起しそうでいけない。長官に背を向けた体勢なら万が一の時でもバレづらいから、これが一番良いのだ。うん。
「ふう……あっつ……」
「気持ち良いな……」
寒いルビコンでは、こうして汗をかくということも少ない。執務室は暖房が効いているが、当然汗をかくほど暑くはない。ACに乗っていれば、ピチピチのパイロットスーツと戦闘の緊張感のおかげでぐっしょりと汗をかくが、それは別に気持ちの良い汗ではない。こうした健康的な発汗は一体いつぶりだろう。ハチャメチャにシコった日以来か。それってわりと最近じゃないか? まあいい。
「……」
「あ、長官! 失礼します」
「おう」
そうしているうち、ちらほらと同僚たちがサウナ室にやって来た。どいつもこいつも、きっと長官が目当てだろう。しかし、誰もが空気を読んで、長官のサウナでのひとときを邪魔することなく、黙ってじりじりと汗をかいている。そのうちサウナ室が満員になり、隊員たちでぎゅうぎゅう詰めになったサウナ室は、なんだか温度が一段階上がったような蒸し暑さだ。実際はそんなこともないんだろうけど。しかし、誰も出ていかないな……。
「ふう……」
「はあ、はあ……」
「くっ……うゔっ……」
あちこちから苦しげな呻きが聞こえてくる。わりとみんな限界が近いのではないか。とっとと外に出て涼めばいいものを、何故だか全員が我慢しているらしい。なんでだよ。いや、俺も人のことは言えないのだが……。
「はあっ、はあっ……んゔっ……」
いや、ちょっとした下心のせいだということはわかっている。こう、長官と出来るだけ狭い空間で同じ空気を吸っていたいだとか、暑さでしんどくなった長官を介抱出来たらカッコいいよなとか、そういうやつだ。しかし、自分が倒れてしまっては本末転倒というもの。ぶっ倒れてせっかくの一日を無駄にするのも馬鹿げている。長官の次にサウナ室に入った俺と同僚は汗だくの顔を見合わせて頷いた。出よう。
俺たちはのそりと立ち上がり、出口に向けてよろよろと歩き出し、そして――。
「――おい! しっかりしろ‼」
足に力が入らなくなり、がくりとその場に崩折れて――覚えているのは、そこまでだ。
長官の叫び声が脳内にぐわんぐわん響き、俺は意識を失ってしまった……。
「……ううっ」
「大丈夫か」
「あ……長官……」
目を覚ますと、俺は脱衣所の長椅子に寝かされ、あろうことか長官の膝、もといふともも枕の上だった。一体どれくらい眠っていたのだろう? 長官のせっかくのサウナタイムをとんでもなく邪魔してしまった。腹を切るしかない。いや、そういうことで腹を切られても困るかも。
「まったく、サウナは限界に挑戦するものではない……無理なサウナはやめておけ……」
「はい……」
呆れ顔の長官が言う。全くその通りだ。俺が全面的に悪い。
「長官……すみません……俺のせいで……」
「……気にするな。俺も一度外気浴したいと思っていたところだ。お前が倒れてからまだ十五分も経ってないしな」
本当だろうか。長官は優しいから、そう言ってくれているだけかも知れない。
水の入ったペットボトルを渡され、こくこくと飲んでから、俺はもう一度横になった。水、うますぎる。なんだコレ。喉の乾きは何よりの調味料なのかも知れない。
「具合はどうだ?」
「あ……大丈夫です。ちょっと休んだら、すぐ元気になりますよ」
「そうか。ならいいが、無理はするなよ」
「ありがとうございます……」
もう一人でも大丈夫だ。それは長官もわかっているだろうし、俺もとっとと膝を開放してやればいいものを、この心地よさはなかなか手放し難い。そんな下心を誤魔化したくて、俺の口は勝手に動き出す。
「長官……俺、この惑星での仕事が終わったら……みんなと一緒に、一週間くらいの温泉旅行に行きたいです……長官、連れてってくださいよ……」
「お前な……。ああ、任せておけ。全部俺の奢りで連れて行ってやる」
「へへ……やったあ……」
口にしてから思ったが、これじゃあまるで死亡フラグだ。そこまで重い気持ちで言ってないし、そもそも死にたくねえ。だってのに、長官は困ったように笑いながら、俺の目元に冷たいタオルを置いてくれた。
この任務が終わったら、この仕事が終わったら、そんなことを口にした部下を、この人は何人見送って来たんだろう。この人の過去や、この人が背負ったものの重さなんて、俺みたいな一般社員には知りようもない。その重さを俺にも少しくらい分けて欲しいなんて、そんな傲慢なことも言えない。
けれど、俺にとっては――貴方が俺たちに途方もなく優しくて、光のように穏やかで、ずっと導いていって欲しいと思うほど大切で、かけがえのない人なんです。
だから、俺は死んだりしません。何人もの部下を見送って、その辛さも慣れてしまっているかも知れないけれど、それでも、優しい貴方はきっと傷ついている。
俺はヤンデレじゃないから、貴方の傷になりたいとか、そういう変にカッコつけたことは言いません。元気に仕事を終わらせて、また貴方と一緒に、出来れば今の同僚たちと、次の仕事に文句を言いたい――。ああもう、こんな湿っぽい話、俺には似合わねえ。
とにかく何が言いたいかっていうと……。
「長官……俺、宴会では……ビール……たらふく飲みてえっす……」
「お前……のぼせておいて元気だな……」
貴方と、同僚たちと乾杯をして、明日からもまた頑張りたい。それと、目に焼き付けた長官のチンポで抜きたい。長官のチンポ、長くて太くて立派でかっこよくて、すごかったな……萎えててアレなら、勃ったらどうなっちまうんだろう。見たすぎる。流石に見られないだろうし、あんまり妄想してるとこっちが勃ちそうだ。やめとこう。
「……それだけ元気なら、もう放っておいても大丈夫か。誰かしらは行き来するだろう。何かあったら隊員に声をかけろ」
「はあい……」
長官はそう言って、俺を置いて浴場の方へ戻っていった。貴重な休みを俺のために使わせちまって申し訳ねえ。長官、ごゆっくりおくつろぎください……。俺は……ほんの少しだけ寝たら、追いかけるとしよう。これだけ広い風呂、楽しまなきゃ損だからな。
午後七時。大宴会場に集まった第三部隊のメンバーは、皆一様にほこほこと血色の良い顔になり、うきうきと元気よく用意された豪華絢爛な食事の前に腰を下ろした。あれから少しだけ眠った俺はすっかり具合が良くなって、やや巻きではあったが、穏やかに入浴や岩盤浴、マッサージ等々を楽しみ、体調は今までの人生で一番というくらいに良い。
風呂だけでここまで元気になるとは。流石〝超〟スーパー戦闘というだけのことはある。※実際のスーパー銭湯の効能の感じ方には個人差があります。
ぶっ倒れた時に俺がぼやいたせい……という訳ではないだろうが、テーブルの上には瓶ビールがずらりと並べられ、よりどりみどりの飲み放題だ。ありがたい。ちらりと長官の方を見ると、こっそりと俺に向けて微笑んでくれた……ように見えた。
「皆、飲み物は行き渡ったか」
「はい長官!」
「ばっちりっす!」
めいめいがグラスを掲げ、飲みたくてうずうずした様子だ。やっぱり気持ちよく風呂に入った後はこれだよなあ! 皆が長官の乾杯の音頭を待って、じっと長官を見つめている。
「……急な慰安旅行だったが、皆が楽しめたようで何よりだ。明日には帰ることになるが、明日十時までたっぷり楽しんでくれ」
「はい!」
「ありがとうアーキバス!」
「あ〜きばすの湯、ばんざい!」
なんだか洗脳されかけてるヤツもいる気がするが……まあいい。長官はグラスを高々と掲げ、高らかに挨拶をした。
「では、第三部隊の今後の無事を祈って……乾杯!」
「「「「「乾杯!!」」」」」
隣近所のヤツとグラスを合わせ終わると、全員が長官とも乾杯しようと席を立つ。皆、考えることは一緒なのだ。第三部隊は長官あってこそ。どんなに辛い任務や仕事も、長官がいてくれるから頑張れる。
「クゥ〜〜ッ♡ 効く〜ッ♡♡」
「ア〜〜コレコレッ♡ たまんねえ……♡♡」
「長官♡ 長官ももう一杯イキましょ♡」
「お前ら……相当溜まってたんだな……」
その夜、俺達は日付が変わるまで飲み、食べ、大いに盛り上がり、久しぶりにたっぷりと眠ることが出来たのだった。
「皆さん、あ〜きばすの湯は楽しんでいただけましたか?」
帰りのバスには、ご丁寧にもスネイル閣下がご搭乗なされていた。律儀すぎる。いつもならツッコミを入れているところだが、風呂と食事、そして睡眠によって元気いっぱいになった俺たちは、閣下の問いかけに割れんばかりの拍手で応えた。本当に良い慰安旅行だった。これが二泊三日の旅行だったら俺たちは元気になりすぎていたかも知れない……。いや嘘、やっぱり二泊三日は欲しい。
「ふっ……やはり私の設計に狂いはなかったようですね。ですが、利用者の声は細ければ細かいほど良い……。こちらを後ろまで回してください」
「ん……なんだ?」
スネイル閣下は、先頭の席の隊員に何やら巨大な紙を渡している。皆は怪訝な顔でそれを受け取り、後ろの隊員へと回していく。そして受け取ったそれには――あ~きばすの湯利用者アンケート、と書かれていた。
「ヴッ……なんだこりゃ……」
それは、A3サイズの用紙にびっしりと設問が並ぶ、誰が答えたいんだよこんなもん、と叫びたくなるような代物だった。なんでこういうところはアナログなんだよ。メールでアンケートフォームを送ってくれりゃあ済むだろうに……と思っていると。
「皆さんが執務室に戻り次第、すぐ仕事に移れるよう、バスの中でギリギリ回答しきれる設問量にしてあります。さあ、今のうちに回答のご記入をお願いします」
「くっ……なんて機能的な……」
時にはアナログな手段も効果的ということか。閣下の策略に俺たちも納得せざるを得ず、アンケート用紙と共に回されたペンを手に、俺たちは大慌てで回答を記入していった。
実際、あ〜きばすの湯は素晴らしかったし、大体の設問をすごく良かったと回答するのに全く文句はない。ぶっ倒れたのは俺の不手際だし、それは特にマイナスじゃないしな。ああ、そうだ、強いて言えば……。
俺はその他ご意見欄にカリカリとペンを走らせた。コーラル色の炭酸風呂は、ちょっと気味が悪いからやめてほしい、と。
その後、俺たちはたまりにたまった仕事を片付けるのに必死で、あ〜きばすの湯に行く暇もない日々が続いている。
いつの間にか開業を始めたという噂は聞いたが、あの炭酸風呂がどうなったのか確かめに行くのは一体いつになるのやら。ルビコンでの仕事が終わったら、になるのだろうか。いや、ルビコンでの仕事が終わったら、俺たちもここから撤退することに……? そうだとしたら、あ〜きばすの湯に行く機会は……。
気付いてはいけないことに気付いてしまった気がする。俺は、これ以上考えないことにして、目の前にうず高く積まれた書類の山に向き合うことにしたのだった……。
おしまい
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