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逆髪
2025-04-07 19:08:09
2045文字
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On the Lethe
SAITAMAの武市と田中の話 先生が三途の川を渡るときの船頭を田中くんにしてほしいという欲がある
ふと気がつけば武市は川のほとりに立っていた。
足元には砂利が転がり、目の前には暗い川が流れている。その川幅は広く、向こう岸は闇が深くよく見えない。
ここは一体どこなのか。
まず、己は先刻特異点において消滅したことを思い出した。もはや座に還るしかない身なのだ。たとえばこれは死の間際に見る走馬灯のようなものか、それとも散り際の粋なはからいで聖杯が見せてくれた夢か、はたまた現実に起こっていることかすらわからない。
ただ、何とはなしにここはいわゆる三途の川ではないかという認識が武市にはあった。辺りを見渡せば、少し離れた下流側に木製の小舟が一艘とまっていた。お誂向きに船頭も一人。こちらの姿を見て会釈した。
「困った、渡し賃がない」
どこかに六文でも入ってやしないかと体をまさぐったが、残念ながら何も見つからない。後ろ姿をこちらへ向けている船頭に声かけると、ふるふると首を横に振った。どうやら運賃は要らないようで安心した。
そろりと舟に乗り込む。小さなそれはきしりと揺れた。武市は縁に渡された木板に腰掛けた。
舟は岸を離れ、静かに進み始めた。てっきり向こう岸へまっすぐに横断するのかと思いきや、流れに乗って下流へと下っていく。
波を蹴立てて舟は征く。川の中も暗く水中には何が潜んでいるのかまるでわからない。両岸には何もなく、ただ黒黒とした虚無だけが広がっているように見えた。
舟の縁から覗き込むのはやめにして、見覚えのある姿の船頭に声をかけた。
「田中君」
呼びかけられてその肩がぴくりと震えた。広い背中も、蘇芳色したその髪も、まさしく彼に違いなく、返事はないが武市はそのまま話し続けることにした。
新兵衛に庇われ別れてからここに来るまでのことを語る。
カルデアの者たちと手を組み、高杉の操るキ神を破ったこと。歴史上の英雄のみならずあの新選組とも共闘したこと。そしてアマノサカガミをこの身に封じて戒め身体を傷つけたこと。
最後の話題に触れたときは、新兵衛が小さな声で「ご立派な最期でした」と呟くのが聞こえた。彼は全てを見ていたのかもしれなかった。
話したいことなどいくらでもあった。時間が許せば今までの蟠りを解くような、そんな会話ができたかもしれない。少なくとも、今の自分はその選択ができる。話さなければ何も伝わらないことを教えてくれた者がいる。
自分たちの間には惰性と思い込みと理想の投影があった。お互いにあるべき姿であろうと、本心を隠すような真似をした。相手を理解したものと、理解されているものと誤解をしていた。絶妙に噛み合って噛み合わない歯車が、軋みながら無理やり駆動しているようなものだった。
ただ対話だけが欠けていたのだ。
これはただの夢なのかもしれない。自分の見たい都合の良い夢幻。たとえそうであっても、今この好機を逃したくなかった。自己満足、大いに結構だ。
だが、如何せん話したいことが多すぎた。時間は刻一刻と過ぎていく。せめて何かを話したいと考えあぐねている間に、川は流れ、舟は進む。
「先程は立派な最期だと言ってくれたが、あれは本心か?」
ようやく武市は口を開き、新兵衛の真意を尋ねた。永らえてほしいと言った彼の望みを、自分は反故にしたのだ。そうせざるを得ないと思った選択だが、彼はそれを理解しむしろ称えてくれた。先刻のやり取りが心に引っかかっていた。
「
……
」
しばらく沈黙が続く。さらさらと川の流れる音だけが耳を満たす。ややあって、前方から小さなため息が聞こえた。
「
……
本音を言えば、貴方にはあんな手段をとってほしくなかった。何があっても生き延びてほしいと思っていました」
「田中、君
……
」
「ですが、あれは私の我儘です。そして貴方も自分の我儘を通した。それだけのことです」
「そう、なのか」
「はい」
「そうか
……
。君の気持ちに少しでも触れられたのなら、それで良かった。そして、我儘ですまない」
「
……
そろそろお時間です」
無情にも別れのときが迫っていることを告げられる。ほどなくして、舟は来たときと反対の岸へとゆっくりと到着した。
地面に足を下ろす。やはり灰色の砂利ばかりの川辺と闇が広がっていた。
「君はこちらへは来ないのか」
「後ほど向かいます」
「そうか」
見送る新兵衛に背中を向け、一歩踏み出そうとしたところで、耐えきれず振り返って武市は舟へと上った。衝撃で舟が揺れる。体勢を崩しかけたところを新兵衛に抱き留められた。その勢いに任せ腕を回し、こちらも彼を抱擁する。
柔らかで、武市のよく知る温もりがそこにあった。感情のままに言葉を口にする。覆い隠さず、ありのままを。
「また会おう」
「
……
はい」
この記憶は、言葉は、体温は、座に戻れば単なる記録と化すだろう。英霊とはそういう仕組みだ。それでもなお、確かに今刻み込んでおきたかった。そうせずにはいられなかった。
体が粒子となり崩れていくのを感じながらも、より一層腕に力を込め、武市は新兵衛を抱き締めた。
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