千代里
2025-04-07 13:42:41
10114文字
Public リーブラ14話
 

リーブラの針は問う・14話・その59


 オデットを攫った犯人から連絡があったという知らせが届いたのは、町に日が差し込み、煙突から緩やかに煙が上がり始める時間帯になってからだった。
「奴さんたち、残してきたリンクパールにやっと連絡を入れてきたみたいだ」
 ルグロ家によって別働隊に任じられたメンバ――ー無論、ノエたち五人のことだ――が待機している一室に、朗報と共に足を踏み入れたのはルーシャンだった。
 彼の言葉を聞いて、少し遅い朝食を砂を噛むような思いで食べていたノエは、弾かれたように顔を上げる。
「犯人は、なんと言ってきたのですか」
「予想通りの内容だよ。娘を無事に返して欲しくば、税を下げろだの、税を取り立てない特区を作れだの、そんな話だったそうだ。あの執事の爺さん、全部は話してくれなかったが、どれも似たような陳情だろうな」
「金を用意しろ、の方がわかりやすいだろうに、随分と先を見通した陳情だね」
 重苦しい空気にならないように、ヤルマルが軽やかな声音で片手に持ったパンを口の中に放った。
「それで、ルグロ家の方々はなんと返事したのですかっ」
「今から話すから、お前は少し落ち着けってば」
 食べている最中の器をひっくり返しかねない勢いで、ノエはルーシャンに迫りかけていた。
 だが、今日の朝食当番でもあったオランローに肩を掴まれて、そのまま一度長椅子に座らされる。
 今だけでなく、寝ずに犯人からの連絡を待つとノエは一度強く主張した。だが、いざという時に寝不足で剣を落としでもしたら困るとオランローに叱られ、仮眠をとらされたという場面があったのである。
 目が覚めてからも、連絡は来てないと聞き、居ても立っても居られない気持ちだったが、ようやく事態に動きが見られた結果、再びノエの中で焦燥が再燃してしまっていた。
「連中は、少し時間を欲しいと言っていたな。要するに、当主様に確認するための時間ってことだ」
「ということは、実際に当主に確認をするつもりなのでしょうか」
「確認の予定があるやつは、こんなにも早いうちから騎兵に武装を命じないだろうよ」
「当主様からは、要求があった際は適当な言葉で焦らして時間を稼いでおけと言われておりましたから」
 吐き捨てるような物言いをするルーシャンに続いて言葉を発したのは、彼の後ろからやってきて部屋に足を踏み入れた執事だった。
 夜間に侵入者があった後も、ルグロ家の優秀な執事は、これまでずっと町から離れた場所に控えさせていた騎兵たちの指揮をとっていた。彼こそ睡眠すら碌に取れていないはずなのに、疲労の様子は微塵も見せていない。彼は執事であると同時に、優秀な指揮官でもあるようだ。
「オデットと犯人が向かった場所は、まだ分からないのですか」
 執事の姿を見て開口一番、ノエは最も気になっていたことについて質問する。
 ノエが仮眠を取る前も、まだ追跡を続けている最中であるという連絡はあったものの、彼らの居場所がわかったという知らせは届いていなかった。
「それについてですが、確定した情報は得られていない状況です」
「大言を口にした割には、随分と遅いように見えるけれど」
 辛辣な一言を浴びせたのは、サルヒだ。表向きはノエのように動揺こそ見せていないものの、普段ならまず口にしないような皮肉は、彼女が憤慨していることの表れである。
「足取りはつかめておりますが、とある地点で姿を見失ったと報告がありましてね。まるで竜にでも攫われたかのようでして、今、捜索範囲を広げているところです」
 執事の発言は、実際に竜に攫われたと思ってのことではない。グリダニアでは『精霊に誘われた』などで表現されるような、急に姿を消したことに関するイシュガルド流の言い回しではある。それでも、不吉な単語にノエは顔を曇らせずにはいられなかった。
「しらみつぶしに当たれば、いずれは見つかることでしょう。あの辺りには主だった集落もありませんので」
「その『あの辺り』っていうのは、どの辺りのことだい?」
 ヤルマルの発言を予想していたかのように、執事の傍から騎兵が姿を見せ、地図を広げる。度々神殿騎士団の詰め所でも見せてもらった、シュガーグレイヴ近辺の地形を記したものだ。
「足取りを確実に掴めているのは、このあたりまでですね。この周辺で見失ったと報告を受けています」
 地図には、赤いインクで犯人の足取りと思しき線が引かれている。追跡者がいることを予想しているからか、犯人は複数に分かれて行動していたようだ。中には、あらぬ方向に向かっているものもあるが、こちらは明らかにミスリードだろう。
「素人目でも分かるような動きということは、これは玄人の仕業じゃないな」
「分かっていたことではあるけれどね。一度別れたのに、わざわざ戻っている者までいるじゃないか」
 ルーシャンはヤルマルの指差した線を辿って、肩をすくめてみせる。
 ヤルマルの言う通り、本命と思しき線から一度別れた線も、ぐるりと大回りして合流をしている。追手を意識しての行動ならば、何時間も経たないうちに合流しては意味がないとヤルマルは呟く。
「ですが、本命と思しき一団も、この周辺でぱたりと姿を消してしまいましてね。幸い、我々には十分な捜索用の人員がいます。何らかの仕掛けや目眩しがあったとしても、明日には白日の元に晒せるでしょう」
「それでは遅すぎます!」
 余裕たっぷりに言ってみせる執事に対して、間髪入れず口を挟んだのはノエだ。
 オデットが拉致されたのが真夜中なら、今は既に日が昇って数時間は経過している。連絡があったのはつい先ほどのことだったとしても、気が短い犯人なら半日もしない内に次なる行動に出るかもしれない。
「犯人は、いつまでなら待てると言っているんだ」
「具体的な時間の指定はありませんでしたからね。リンクパールを繋ぎ直しましたが、反応はありませんでした」
「相手も随分と悠長なことをしているな。人質をとるなどという、慣れていないが故の行動ではあるのだろうが」
 オランローの脳裏には、かつて自身が帝国軍に属していたとき、属州民との間に生じた小競り合いの様子が浮かび上がっていた。
 反乱勢力の中には、兵士を捕縛して人質とする者もいたが、如何せんこの手の集団は人質を取って要求を突きつけるということに慣れていない。
 民間人が思い立って行動して、偶然上手くいっただけという状況の場合、大規模な軍事組織より突拍子もない行動をして、敵味方双方に対して混乱を招くことが度々あった。
「人の数を増やして、捜索の範囲を広げてはどうでしょうか。神殿騎士団の方々なら、この辺りの地理にも詳しいはずです。騎兵の方が見落としていることにも、彼らなら気づけるやもしれません」
「旦那様は、神殿騎士団の力を決して借りてはならないと命じております。あの者らは、あくまで教皇猊下の剣。彼らの功績は、ルグロ家の功績となりませぬゆえ」
 自身が出した功績に固執する物言いに、ノエは平然とした面持ちの執事を睨みつける。
「あなたは、もし本物のアガテルさんが誘拐されたとしても、同じようなことを言うのですか」
「ええ。もとより、アガテル様の安全は考慮に入れずとも良いと言われておりましたから」
「だとしたら、アガテルが役割を放棄して逃げ出さなかったことを、君たちは感謝するべきだね」
 その代わりにオデットが犠牲になったわけだが、とヤルマルは内心で付け足す。
 アガテルがもっと安易な逃亡――チョコボ車から飛び出して、雪原を彷徨うような選択をしている可能性は、この様子なら十二分にあった。そして、もしそのような暴挙が出ても軽挙妄動と非難することはできないと、ヤルマルは内心で独りごちる。
 執事に皮肉を言い続けても仕方ないと、ノエは改めて屋敷から本命の線を辿った。
 シュガーグレイヴを経由しながら続く線を指で辿りつつ、騎士団の依頼によって巡回した道と照らし合わせていく。地図という平面的な内容を、自分の目で見た立体的な記憶と重ね、少しでも犯人がどこを通ったかを明らかにしようと頭を働かせる。
(この辺りの丘を経由しているのなら、門から出た場合の景色はこうなるから……
 自分がチョコボを走らせた時の記憶を照合していたノエは、山腹と思しき所で地図を辿っていた指を止める。ちょうどそこは、犯人の足跡が読めなくなったところでもあった。
(もしかして、ここって……
 何度も地図の道筋と実際に見えた記憶の景色を比較した。だが、たどり着く答えは一つだけだった。
(ここは、異端者の集落に続く洞穴のあたりだ。犯人は、集落に逃げ込んだということか……?)
 執事の話によると、今回の侵入者は異端者と彼らに協力する一部の町民であるということだ。ならば、町から遠く離れたところを拠点とはしづらいだろう。
 その上で、異端者たちが比較的安全に隠れ潜める場所と考えたら、あの集落はうってつけだ。入り口は魔法を使って巧妙に隠してあるから、ルーシャンのように勘の鋭い魔道士に念入りに調べられない限りは、そう簡単には見つからない。
 そこまで悟った上で、ノエは思案する。
 気づきを得た瞬間に開きかけた口をすぐさま閉ざしたのは、
……あの集落には、戦えない人もいる)
 異端者たちが身内を別の場所に避難させてくれていることを祈りたいところだが、難しいだろうとも分かっていた。彼らは行き場所がないからこそ、あの集落に住まうことを選んだのだろうから。
 そこまで考えが行き着いたと同時に、もう一つの声がノエの中に生まれる。
(僕は、犯人たちの心配をしているのか? オデットが攫われたのに?)
 それは、あまりにオデットに対して薄情ではないかと自信を攻める声がする。オデットとゲルダは怖い思いをしていることだろう。だというのに、自分は彼女たちを苦しめた者の安否を気にしているというのか。自らを非難する声に、一時的に意識と感情の多くが引っ張られかける。
 とはいえ、あまり長く逡巡していては不自然な挙動を執事に怪しまれると、ノエは大きくかぶりを振った。
 あたかも、悠長なことを言っている執事に対して苛立っているように眉を寄せ、
「神殿騎士団にも手を貸さないというのなら、僕たちも追跡を手伝わせてください。人手は多い方がいいでしょう」
「よろしいのですか。見当違いの方向を探していた場合、皆さんが偵察に向かう前に我々の部隊を動かすことになりかねませんが」
「その時は……僕たちも迅速に行動するだけです。どちらにせよ、あなた方の悠長な捜索をのんびり待っているほど、僕たちも気持ちに余裕がないんです」
 既に異端者が逃げ込んだ先がわかっていると悟られないように、ノエは焦燥に胸を駆られる若者を強調して演じてみせる。
 実際、オデットを今すぐ探しに行きたい気持ちもあるので、全くの嘘というわけでもない。
「皆さんも、それで良いでしょうか」
 口にしたわけではないものの、ノエの意図はオランローたちにも伝わったようだ。
 ヤルマルだけは集落に行ったことがないため、一から十まで理解してはいなさそうだったが、ノエの様子から何か策があるとは読み取ってくれたようで、軽く眉を持ち上げてみせていた。
「貴族の兵隊さんに足並み揃える理由もないわな。俺は賛成だ。飯食ったら、俺たちも犯人さんの足跡探しと行こう」
「だったら尚更、あんたはしっかり腹に物を入れてもう少し体を休めておけ。いくら慣れていても、体力が落ちているときの寒さは魔物より恐ろしいぞ」
「ありがとう、オランロー。では、僕たちはそのように動きます。犯人の潜伏場所見つかったら、僕たちもあなた方に連絡します。それで良いでしょうか」
「ご自由に。前金は既にあなた方に渡していますからね。その分だけ、私たちも相応の情報はお渡ししましょう」
 執事はまるで教本のような優雅な一礼をしてみせたあと、地図をまとめて騎兵と共に部屋を去っていった。
 残ったノエは、オランローに言われたように彼が用意してくれた朝食をまずは体に詰め込む。空腹や寝不足の状態で寒冷地に飛び込めば、強烈な眠気に襲われ、そのまま凍死する例もある。急ぐのならば尚のこと、補給は無視できない。
「ノエ」
 オランローは皿によそった豆のスープを渡しつつ、重苦しい声でノエに呼びかける。
「あんたも、あの村にいると思うのか」
「うん。きっとオデットたちは……あそこにいる」
 扉が完全に締め切られていることを確認してから、ノエは自身の推測を口にした。
 魔法的な細工によって盗み聞きがされていないかどうかは、今の部屋を仮の宿とした時点でルーシャンが調査済みだ。
「それなら、話は早いな」
「うん。……そうだね」
 騎兵たちの目を掻い潜り、異端者の集落に潜り込み、オデットとゲルダを手早く救出する。言葉にしてしまったら随分と簡単な任務だ。
 だが、異端者の目を掻い潜り、二人の少女を連れ出して唯一の出入り口から逃げ出すのが簡単ではないことはノエにも分かっていた。
 だが、その途中で犯人たちや周辺の人間の身を案じている自分に気がつき、再び苦い感情が自らの内に生まれる。
「できるなら、誰も傷つけない終わり方ならいいんだがな」
 そんなノエの迷いを見透かしたかのように、本来なら真っ先にノエが口にしそうなことをオランローが先んじて音にしていた。
……相手はオデットたちを攫ったんだ。オランローは、犯人に慈悲をかけるつもりなのか」
 どのような方針を取るかを定めるためにも、ノエは敢えて突き放すような言葉を選んだ。
「そういうつもりじゃない。あの場所に暮らしている人間の全員が、喜んで令嬢誘拐を考えると思うのか? ただ巻き込まれただけの人間が傷つくような結果になるのは、オレは避けたいと思っているだけだ。それは、あんたも同じじゃないのか」
 オランローが食材をかき集めて作ってくれた豆のスープを、ノエはゆっくりと口に含む。体の芯まで温めてくれそうな温もりは、しかしノエの胸に凝る感情の全てを消し去ってはくれない。
「だけど、彼らは……オデットを攫った」
 集落の人々の安全を憂う気持ちは、ノエにもある。だが、オデットが攫われた状況で、他人の心配をしている場合なのかと問いかける声が、消えてくれない。
(僕は、オデットの隣にいたいとあれほど強く願っていたのに)
 オデットと出会った頃とは、既に事情も状況も違う。幼い頃にオデットの面倒を見ていたミラベルは、ノエがオデットの隣にいる人で良かったと受け入れてくれた。いわば、ミラベルはオデットを守る者としてノエを認め、オデットを託してくれたのだ。
 だというのに、自分は何をしているのか。犯人や周辺の人間の心配をしている場合なのか。
 先ほどとは異なる意味で、強くかぶりを振り、ノエは言う。
「もし犯人が目の前に姿を表したら、僕は彼らのことを……衝動的に殺してしまうかもしれない。できるなら、そんな結末にはしたくないと思っているけれど、でも」
――強がりを言うのはその辺にしておけ」
「強がりのつもりじゃない。僕だって、彼らをすすんで傷つけたいと思っているわけじゃない。だけど、必要なら」
「だからこそだ」
 言葉の意味が読めず、スープを飲んでいたノエの手が、中途半端なところで止まる。
「あんたは、誰かを殺したいと思えるようにならなくてもいい」
……っ、僕はオデットたちを誘拐した犯人を憎んでいないと、オランローはそう言いたいのか。僕は……そんな聖人みたいな人間じゃない」
 実際、こうしている間も、激しい焦りが胸を焼き焦がしそうなほどに燃え上がっている。あまりにその焦燥が強すぎて、わけもなく叫び出してしまいそうになるほどに。その感情もまた、ノエにとっては嘘ではない。
 異端者や彼らの身内の心配をすればするほど、相反するこの感情がより強く燃え盛ってしまう。
「僕は……彼らに対して、本気で怒っているんだ。許せないと思っているんだ」
「オレはその点を否定しているんじゃない。オレ以上に、きっとあんたは怒っているだろうし、腹が立っているだろう。オレたちをはめた貴族の連中も、オデットを攫った連中のことも」
 だが、とオランローはノエの隣に腰を下ろす。
「あんたはその怒りを、一番簡単な形で終わらせるような奴じゃないだろう。それに、誰かを殺すとか殺さないとか、そういう憎悪の形が一番『相手を想っている』証明になるわけでもないってことを、オレはいちいち説明しなければいけないのか」
――――
 自分が触れ合った異端者の人々が関係しているかもしれないと気づいてから、突如暴れ始めた感情の正体を、オランローは見抜いていた。
「たとえ、犯人を目の前にして、そいつを八つ裂きにしないという選択をしたところで、あんたがオデットを蔑ろにしているわけじゃない。あんたは、ミラベルでもなければ、オレでもないんだ」
 オレだったら、必ず一発は殴っていただろうが、とオランローは内心で独りごちる。
 以前、ヤルマルが帝国軍の一派に拉致されたとき、最終的にオランローが主犯であるセルウィを殺さなかったのは、単に彼と個人的な関わりがあったからだ。もし、大した恩もない相手だったなら、オランローは自分が己の怒りと彼女が味わった恐怖を、相手の血で贖っていた可能性があることを自覚していた。
 だが、たとえ似たようなことがあっても、目の前の青年は違う結末を選ぶだろうことも、彼には分かっていた。
「あんたが、集落の連中の平穏を守りたいと思ったとしても、犯人とできれば穏便に話を済ませてオデットを解放したいと願っても、それはオデットを軽んじていることと繋がるわけじゃない」
……僕はミラベルさんにオデットを託された。僕自身、オデットを守り抜くと誓った」
「だったら、お前が犯人を殺した場合、その責任はオデットやミラベルに取らせるのか?」
 すぐさまノエは首を横に振る。彼らのために人を殺したのだから自分は悪くないなどと、そんな言い訳が最も許せないものであることぐらいは、今のノエにもわかる。
「だったら、あんたは必要以上に焦るな。あんたは、あんたのままでいればいい。犯人に対して怒るなとは言わないが、その怒りを『あんた以外の誰か』のために変えなくてもいい」
「もし、犯人を前にして、僕自身が本当に彼らを傷つけたいと思ったら?」
「その時は、あんたの好きにすればいい。それだけだ」
 オランローに目で促され、ノエは残りのスープを全て飲み干す。
 少し冷えていても、先ほどよりも頭を占めていた焦りや自責とも言える感情が緩やかになったように思えた。
……うん。そうだね」
 至極簡単で当たり前のことだ。オデットやゲルダを傷つけた相手に対して、たとえ怒りを覚えても、それはすなわち相手を傷つけなくてはならないという、絶対的な理由になることではない。
「あの人たちが、誰も傷つけたことのない人だとは思ってない。たとえ率先して他人を襲うような真似はしていなくても、どこかで誰かの涙と繋がっているところはあるのだと思う」
 異端者の集落に隠れ潜む子供や老人、不戦を掲げた人たち。しかし彼らを生かしているのもまた、他人を害して利益を得ている異端者だ。
「でも、だからと言って彼らが傷ついてもいい、傷つけてもいいと言う理由になる、とは僕は言いたくない」
 できることなら、誰一人傷つけずに。
 そんな夢みたいな『いつか』を、ノエは諦めたくない。
……その気持ちは、オデットのこととは別として抱えていくよ」
 全てを言葉にして、漸くノエはこれまで身の内に巣食っていた無鉄砲な焦りに手綱をつけられたように思えた。
 最初の衝撃があまりに大きすぎたせいで、一事が万事のように考えすぎていたのだと、オランローの会話を経た今ならそう思える。
「これの片付けが終わったら、出立する」
「ああ。それまでに準備は済ませておく」
 自分が空にした器を他の食器類とまとめて、ノエは部屋を後にする。厨房に向かう道中、そっと通り過ぎていった隙間風すらも、今の彼には前へと進む後押しのように思えた。
 
 ***
 
「若人の理想は眩しいね」
「だけど、嫌いじゃないだろう?」
「ああいうのは、もう俺には縁がないからな。たまに眺めるくらいがちょうど良い」
 少し離れたところで言葉を交わしている若者二人を見守り、ルーシャンは肩をすくめた。
 ノエとオランローが心境の整理をしている間、ルーシャンはヤルマルに集落と隠し通路のことをかいつまんで説明していた。
 さすがと言うべきか、ヤルマルは説明を受ける前からノエたちの微妙な空気の変化から、彼らが犯人である異端者の潜伏地点に当たりをつけていたことを察していた。
「仮にその潜伏先にオデットたちがいたとして、彼女たちを首尾よく連れ戻しておしまい……にはならないだろうね」
「ああ。あの執事の爺さん、それなりに食わせ物だ。たとえ俺たちがいなくとも、何日か時間を掛けりゃ、いずれは気がつくだろうよ」
「だけど、ボクたちが向かうと、ボクたちがいなかった時よりは早く見つかるだろうね」
 ヤルマルはそこで言葉を区切る。
 無論、ルグロ家の騎兵と協力して共に向かうつもりはない。しかし、自分たちのほんのわずかな隙や、そこに人が存在する以上隠しきれない痕跡を元に、彼らは異端者たちの潜伏地点を暴き出すだろう。
 遅かれ早かれの違いはあるだろうが、自分たちが引き金を引く原因になる可能性が高いことは、ヤルマルも察していた。
 オランローに諭されて、ノエはまだ『諦めない』ことを選んでいる。できるだけ誰も傷つけず穏便に事態を解決する方法を探し続けたいと、彼ならばそう言うことは分かっていた。
 オデットを探すための最善の策を取る。それこそが、その他の異端者たちを貴族に差し出すという矛盾に、ノエはすでに気づいているだろう。彼はそこまで愚かではない。
(だけど、あえて口にしていないのだろうね。それを言ったら、自分が抱いた願いを諦めることになってしまうから)
 その結果、現実はノエの夢を裏切るのだろう。だが、最初から諦めるのと、足掻き続けた上でどうしようもならないという事実を叩きつけられるのと、どちらかしか選べないならノエは後者を選ぶ。
 その中に、ほんの少しでも、何かを救えたという奇跡を得る可能性を消さないために。
「聞き分けのいい大人の役回りは、ボクが受け持つよ。君ばかりに押し付けるのも不公平だろうからね」
「いや、いい。俺はお前や若人よりも、異端者って連中に対して情けを持たないように生きてきたからな。俺の方が慣れてるだろ」
 最後のパンのかけらを口の中に放り込み、咀嚼し、飲み込んだ後にルーシャンは続ける。
「騎兵どもが異端者を皆殺しにしようが、それは当然の末路だって俺は言い切れる。これでも、イシュガルドは長いんでね」
「無理して言っているようにも見えるけれど? イシュガルドに長く滞在していたなら、ここは故郷みたいなものなんだろう」
 ヤルマルの質問に、ルーシャンは唇を曲げる。
 彼女はそうと知らないだろうが、実際のところ、ルーシャンにとってこの周辺は故郷とまではいかずとも、若き日の思い出の断片が眠る土地ではある。
「だからこそだよ。奴らにもヒューイが言ったようなのっぴきならない事情があったのは分かっている。だけど、それが誰かを殴っていい理由にはならない。不当だとか何とか言ってきたら、そんな奴から叩きのめしてやる。……そういう考え方は、俺にも染み付いてるんだよ」
 あの集落に暮らしているものは、どこかで誰かの血と涙を踏みつけて生きている者たちだ。
 故に、ノエとは真逆の理由で、ルーシャンは彼らの境遇と此度の犯行を否定する。
「誰にも恨まれず清く正しく生きてる奴なんて、このイシュガルドにはいない。まして、連中はオデットを攫ったんだ。オデットが、奴らに何かしたか?」
 その問いかけには、流石のヤルマルも口を噤むしかなかった。
「だったら、尚更遠慮をしてやる必要はない。そういうもんだろ」
 キッパリと本心からそう言い切ったつもりなのに、ルーシャンの言葉が終わると同時に、ヤルマルは口角を釣り上げ、目を細めて彼を見下ろしていた。
「そういうことを言うやつほど、実は結構イイヤツだってこと、君は知ってるかい?」
……よせよ。そんないいもんじゃない」
 ルーシャンはヤルマルから目を逸らし、鬱陶しげに彼女を手振りで追い払った。
 ノエがいずれ直面する現実を前にして、しかたないと割り切り、悪様に異端者を罵る。そのような損な役回りを自ら引き取る魔道士の背中を、ヤルマルは少し強めに叩いてやった。