遅日

40代雑、20代終わりくらいの高、回復する体の話 雑視点です
火傷後に雑高になった二人についてと、高の涙について考えてみました
⚠︎事後表現があります

遅日ちじつ

 鍛錬場から部屋へ戻り、同じく長屋へ戻る陣左に声をかけた。
「やっと休めるね」
 とぼやくと、陣左は笑って、
「本当ですね」
 と言ってくれる。ここのところ威勢のいい新人や中堅も多く、鍛錬続きの毎日で、上層部はろくに休めないでいた。山本も、尊奈門も、他の隊も、士気が高いのは良いことだが体がもたないと、強制的にそれぞれで少しずつ休みを入れた。
 タソガレドキ忍軍がここまで精力的に動くのは、ひとえにその活躍と働きが知れ渡っているからなのだろうが、忍びが知れ渡ってしまってどうするのかと時折額を押さえる。派手好きの殿は「良いではないか、贅沢な悩みだ」と鼻で笑い、増えていく新人を大いに盛り立ててやっている。
 だから束の間の休息に、陣左と性急に互いを求めたあとの部屋は熱とこもった空気で満ちていて、足りないと足掻あがいた手はまだ彼の腰あたりを撫でて惑わせてしまう。ちらりと覗いた赤い舌を吸い、吸われると、気持ちが良かった。そうして夜明けを迎えると、自分の活力が取り戻せたように思える。いつもなら一度で満足していたのに、柄にもないと己の青さに驚いた。
 ──朝、布団の内側で陣左の体をまた抱いたあと、くったりとした湿り気を惜しみながら私は寝巻きを着直して布団を抜けた。どこへ行こうというわけではなく、障子の外をただぼんやり眺めようと思っただけだ。うしろの布団の中では、陣左が裸のまま眠っている。自分よりもまだはるかに若い、白い肩が見えた。噛みついた痕はしばらく取れないかもしれない。
 花びらが散る庭を見るのが好きで、よくこうして外を見つめる。熱心に見るわけではなく、ただ意識を遠くの方へ置きながら、気だるさと朝焼けの霧の内側に座り、少し肌寒いのも気にせず火傷の肌を浸しているのが好きだ。この感覚は火傷をしてから知ったもので、こういうのも悪くはない、と決して諸泉親子には言えないがそんなことを思う。
 過去に一度、こうしていて、起きてきた陣左に「寒くはないですか」と気遣われたことがあったが、私があまりにもこの姿をよく晒すから、そのうち今のように眠りに落ちてしばらく目覚めないくらいには、細やかな気配りのいらない関係にはなった。それは決して雑になったとか、いい加減な間柄へ落ちたというわけではない。
(単に、付き合いの長さがそうさせた)
 触れれば自分の指に合わせて皮膚が吸い付くような、息をすれば吐くのはあちらであるような、救いを求めれば差し出すような。もう十三の折から共にいて、まもなく十五年が経つ。
 煩悩が消えてくれない。私は自分をわらった。どうやら昨日まで蓄積した疲労は、体によほどの休みを欲しているようで、また布団に戻って陣左にねだってみようかと甘えたくなる。きっと受け入れてくれるだろう、しかし無理はさせたくない。
 ──そのとき、ちくりと焦がすようなわずかな痛みが、私の目のあたりを少し焼いた。水平線から太陽が昇り、タソガレドキにも日の光を注げるほど明るくなったのだろう。だからまぶしさで眩んだかと最初は思ったが、どうやら違う。そよいだ風に運ばれた春のちりが目に入ったようだ。目をこすり、取り出してみようにもうまくいかない。諦めて鏡台へ移り、映し出された自分を見る。
 改めて見る皮膚の異形さの中に、変化がある。
「まつ毛か」
 思わず声に出してしまうほど、久しく見なかったものだ。些細な物音ですら起きる陣左の耳にも当然聞こえただろう。休みの気の緩みがありながらも身を起こした陣左が、長い髪を揺らしてこちらを見た。
「陣左、私の目にまつ毛なんて生えているよ」
 私の目をちくりと刺した主張は、短いながら毛の流れを作っていて、毛根など死に絶えたであろうと思っていた組織が蘇っているのがしっかりと受け止められる。私はもう一度鏡を覗き、はは、と小さく笑った。
「四十にして惑わず、と言われるが……こんな体でも生えると決めたなら生えるのだねぇ」
 孔子の言葉を借りてみても、今いち体の他の部位が同じく変化の兆しがあるかと言われればわからない。病は気からと言うように、精神を保てば身体にも影響があるのだろうか。本当に人体というのはわからないものだと自分の変化をなかなかに楽しんで、陣左へ向き直る。
 彼は寝巻きを羽織って近づき、立ち膝で私の顔をまじまじと覗き込んだ。普段なら「失礼します」と言いつつ手を添えることさえ遠慮がちなのに、黒い目を見開いて私を見下ろし、両頬にかけた手を震わせ、生え揃い始めたまつ毛の一つ一つを凝視している。
 その目に初めて、彼は涙を浮かべた。
 ──私の知る限り、陣左は滅多に泣かない。
 初めて出会ったとき、狼隊への入隊を強く希望したとき、厳しい鍛錬に耐え抜いたときも、誰かの死に直面したときでさえ、陣左は歯を食いしばって耐えていた。
 目尻に一遍いっぺんでも水滴を浮かべることだってあるだろう、とも思うのだが、彼は泣かずにじっと堪える。岩のような意志で、炎のような強さで、彼は何事にも冷静であろうとしていた。
 良い忍びなのだ。私はそう思うし、きっと他もそう思っているだろう。誰にも引けを取らない。陣左は自慢の部下だ。
 その男が──その、強くしなやかな部下が、涙腺で涙を作り、目の奥をじんとさせ、目頭から目尻にかけて薄く水滴を溜めた。あ、流れる、と私が思ったときには静かに落ち、私の頬骨に染み込んだ。
「陣左」
 呼び声に、はい、と応じる涙の主は、たった一滴の温かい水を親指で拭った。「すみません、こんな」と言いながら、私の頬を掠めていく親指は、まだ震えを保っている。
「初めて、見たのです。ちゃんとあなたが回復したところを」
 大火傷を負い、帰還して、天井を向いたまま動けずにいたあのころ、私を看病していたのはもっぱら尊奈門で、陣左を抱いた折も、きちんと体力が元に戻ってからだったような気がする。
……そういえば、そうだったね」
 それに抱くことも、体を寄せ合うことも、気持ちを確かめたのも実は火傷を負ったあとからなのだ。あの火傷の功名はもう一つ、私たちのこれからを見定めるための大事なものでもあった。
 だから陣左も私も、こうして近い距離で互いをじっくりと検分することなど、実はあまりなかった。なかったから、私も陣左の瞳の揺れや、涙の数、眼窩がんかの造り、額の様子などをこうして、薄暗い寝床ではない明るい空間で確認してこなかった。ひどく、もったいないことをしてきた。
 もしもこのまま、私の目の回復が進んだら、この絞り出すようにこぼれた涙と同じ成分のものを、まつ毛を濡らして流せるようになれるのかもしれない。そうすれば、陣左と共に、なにかに共感をし、感動をし、また生きる息吹を日光のように浴びることができるのだろう。
 まぶたを閉じ、互いに額を合わせる。とくとくと、血の流れを感じた。煩悩の熱などすっかり消え失せ、ただ清らかな命の火が、陣左の涙を燃料に静かに私を焼いている。