饂飩粉
2025-04-07 09:49:00
6197文字
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左上半分の"ともだち"

ブルーロック
蜂楽夢
蜂楽廻が美術部のデッサンモデルになってくれたら……?という妄想の話です。
ブルーロック入寮前の時間軸です。
夢主は名前を呼ばれません。
会話はほぼありません。
人生のどこかで蜂楽廻と一瞬すれ違って、恋しちゃったかもしれねえという、そんな感じの話です。

 蜂楽君は、色んな意味で一年生の頃から有名だった。彼と同じクラスの同級生が言うには「変人」「でも変人呼ばわりすると怒る」「服脱ぎたがり」「お花畑」「超天然」「サッカーバカ」色々あるけど、とにかくクラスでは浮いていたらしい。
 でも、有名だった理由はそれだけじゃなかった。蜂楽君は、サッカーバカなだけじゃなくて、とにかくサッカーが上手い。らしい。というのも、私は彼のサッカーを見たことがない。他のクラスメイトがそう話しているのを小耳に挟んだだけ。進級して彼と同じクラスになったわけでもない。

 蜂楽君がクラスで浮いていたとすれば、私は沈んでいた側だ。クラスに上手く馴染めず、人に話しかけたり挙手したり、自分に視線が集まるようなことを避けてきた。二人一組を作ることが多い体育の授業は休みがちになった。クラスの女子生徒の数は幸いにも奇数だったから、私が参加しない方が都合が良かった。
 そんな私の居場所は、教室ではなく美術室にあった。美術部の部員と好きなアニメや漫画の話をしたり、キャラクターを模写したりしている時間が、私にとってはかけがえのない時間だった。
 文化祭を最後に、美術部の三年生は引退する。残された二年生の中から部長と副部長が選任されたが、私は立候補しなかった。
 文化祭が明けた最初の放課後、いつものように私が美術室に向かうと、顧問の先生がいて、その隣に何故か蜂楽君がいた。
「やっほー」
 蜂楽君が手をひらひらと振っている。もしかして私に? 思わず振り返るが、美術室前の廊下には私以外誰もいなかった。
 蜂楽君に向き直る。無邪気に微笑む彼は、背が低いわけでもないのに他の男子生徒よりも幼い気がした。

 美術部には、大きく分けて二種類の部員がいる。本気で絵画コンクールの入賞を目指すガチ勢と、漫画やアニメのキャラを描きたいように描くエンジョイ勢だ。ガチ勢は非常勤の美術講師が授業よりずっと専門的な話をしたりデッサンの勉強をしたりしているな、エンジョイ勢は顧問の先生と雑談しながらお絵描き遊びに興じている。私はもちろん後者で、絵の勉強はからっきしだ。どちらかといえば絵を描きに来ているのではなく、友達とお喋りするために足を運んでいる感覚だ。
 しかし、不思議とガチ勢とエンジョイ勢の仲は悪くない。コンクール入賞を目指す部員も、エンジョイ勢の雑談の輪に入ったりするし、非常勤講師の方もエンジョイ勢が絵筆を取れば丁寧に使い方を教えてくれる。本当はガチとかエンジョイとか、私達が勝手に隔たりを見出しているだけなのかもしれない。
 そんな風にして普段は部員達に好きなように絵を描かせている美術部だが、たまに顧問の先生は思いつきで美術部らしいことを決行する。部員全員にいきなり油絵を描かせたり、有名な画家の模写をさせたり、近所の公園で写生大会をしたり、なんの予告も無しにそれは始まるのだ。
 そして今回はモデルを被写体に人物画を描こうと画策し募集をかけたのだという(先生自身がモデルになるつもりは毛頭なかったようだ)。それに立候補してくれたのが蜂楽君だったというわけだ。
 蜂楽君は体操着とハーフパンツ姿だった。美術室は暖房がないため、薄着で心配になったが、当の本人は肌寒さをまるで感じていないようだった。少し幼い印象もある顔つきに比較して、露出した腕や脚の筋肉は引き締まっている。特に脚はファッションモデルの細長い脚とは違った美しさがあり、鎧のような力強さと、樹木のようなしなやかが共存していた。
 そして今まで彼のことをまじまじと見つめたことはなかったので、インナーカラーのように髪の毛の内側だけが黄色いことに気づいた。過度な染髪は校則で禁止されていた気がするので、地毛なのだろう。
 そこでまた、蜂楽君と目が合ってしまった。しまった、あまりにも不躾に眺め過ぎた。
 蜂楽君は子供のように大袈裟に口をにっこりさせる。男子生徒にそんな風な表情を向けられたことがなさ過ぎて、どうしたらいいかわからない。体は強張りその場から動けず、耳が赤くなっているんだろうなという感覚が支配していく。どうにか自分を落ち着かせようと、他のことを考える。蜂楽君の顔と体ってギャップがあるなあ。違う。蜂楽君のことを考えたら余計に緊張するじゃないか。
 結局後から他の部員がやってくるまで、私は美術室に足を踏み入れることすらできなかった。

「先生知らなかったんだけど、蜂楽君のお母さんってかなり有名な芸術家なんですって」
 顧問の先生は美術に疎い。私もそこまで詳しくはないが、さすがに蜂楽優という名前は存じている。でも、苗字は同じだけど、いやまさか、本当に蜂楽君が蜂楽優の息子だったとは、私もこの時初めて知った。ちなみにその事実に一番興奮していたのは美術講師だ。
 問題はそこじゃなくて、なぜ蜂楽君がモデルに立候補したのかということではないか?
 それを質問したのは勿論私ではなく、別の部員だった。
「なんとなくかな♪」
 蜂楽君は頭上を蝶が飛んでいるかのように視線をゆらゆらさせながら言った。
 他の部員達はそれで納得していた。私も同じように納得しかけた。お母さんが有名な芸術家だし、その影響で美術にも興味があるのだろうと。
 でも、蜂楽君の視線ははっきりと何かを追いかけていた気がする。

 ——蜂楽ってさ、たまに誰も届かないところにパス出すんだよ。

 クラスのサッカー部の男子が、そんな話をしていたことを、何故かその時急に思い出した。

———

 もうすぐ一時間が経とうとしている。
 蜂楽君は背もたれのない四角い工作椅子に深く腰掛け、片方の脚の膝を抱えている。もう片方の脚は自然に伸ばした体勢で、顔は体や足に対して正面に向けた状態で、デッサンモデルとしての仕事を完璧にこなしていた。二〇分置きに休憩を挟んでいるとはいえ、始まる前までの落ち着きのなさが嘘のようだった。皆が蜂楽君に抱いているイメージとはかけ離れたその佇まいに、私だけでなく他の部員達も息を呑んでいた。ちなみに波風高校の美術部は女子しかいない。男子禁制というわけではないが、絵を描きたい男子は「アニメ・漫画研究部」に所属するのが通例となっている。
 美術室の中心で蜂楽君がポーズを取り、部員である私達が好きなアングルを選んでディーゼルを立てる。画材は自由だったので、私は画用紙と鉛筆を選んだ。両手の人差し指と親指で画用紙と同じ長方形を作り、カメラを構えるようにしてそのフレームに蜂楽君を収める。画用紙の大体どのあたりに、どのように描くかを決めるためだ。
 決まったらデッサン用に削った鉛筆をドラムスティックのように持ち、手首ではなく肘から動かすようにして線を引いていく。
 画用紙全体にどのように収めるかを決める補助線を引き、次に全体のシルエットだ。まるで彫刻のように微動だにしない蜂楽君の輪郭を、まずは大雑把に捉えて形にしていく。しかし、これが上手くいかず、先ほどから何度も何度も描き直している。まだ消しゴムでどうにかなる段階なので紙は無駄にならないが、手前に座っている他の部員達と比べて圧倒的に遅れているのは確かだ。デッサンに関しては素人同然だし、たまに真面目に取り組む時も大まかなシルエットなんてほとんど手直しせずに次の段階に進んでいるのに。例えば、蜂楽君の伸ばした方の脚の脛に沿って線を引く。足首から膝にかけては、人体の中でも限りなく直線に近いラインだ。私のアングルからは、蜂楽君の伸ばした脚は縦長の画用紙の左下半分を横断するように伸びる想定だ。脚をほぼ真横から捉えた構図で、極端にいえば、斜めに倒した直方体を置いてディテールは後から付け足したっていい。
 でも、ここの線は真っ直ぐじゃない気がする。直線と見紛うほどの緩やかな弧を描くのも違う。
 何かもっと、足りない。
 画用紙の左下半分は蜂楽君の伸ばした脚。
 画用紙の右下半分は蜂楽君が腰掛けている工作椅子。
 画用紙の右上半分は蜂楽君の顔や上半身。
 画用紙の左上半分は——ほとんど空白になる。はずだ。
 なのに、ここに描くべきものがある気がする。ここに描かねばいけないものが。
 ディーゼルの陰から覗き見るように、被写体となっている蜂楽君を観察する。
 蜂楽君の横顔。意外としっかりした首、切り揃えられた前髪、無造作に跳ねた後ろ髪、その隙間から覗く黄色い地毛、真っ直ぐに向けられた視線。その先は、何もない。美術室と外とを隔てる窓にはカーテンがかかっている。部員のみんなは、蜂楽君の顔を正面から見据えるのが恥ずかしかったらしい(無論私だって恥ずかしい)。
 でも蜂楽君は、何かを見つめている気がする。
 画用紙で言うと、空白になる予定の左上半分。
 ここに、何かがいる。
 気がつくと私は、思うままに鉛筆を走らせていた。下書きなしの、ぶっつけ本番。主線は引かず、短い線を重ねていく。やがて、ぼんやりとした不定形の"何か"が浮かび上がるようにして画用紙の中に姿を表していく。
 その時、私の心は遠い記憶の彼方を旅行していた。
 幼い頃、私には"ともだち"がいた。それがいわゆる"イマジナリーフレンド"という、自分の空想の中にしか存在しないものだったと知ったのは、すっかりその"ともだち"が見えなくなってしまった頃だ。
 その"ともだち"は、私がクレヨンで描いた絵を褒めてくれた。私はそれが嬉しくて、幼稚園で家族の絵を描こうとなった時にその"ともだち"も描き足した。パパとママにもその"ともだち"の話をしたけど、二人が"ともだち"についてどう思っていたかはわからない。
 その時のことを、思い出していた。
 絵を描くことの楽しさを、ただ純粋に信じていた頃のことを——

———

「はい、そこまで! 蜂楽君お疲れ様!」
 顧問の先生の一言で、私はようやく我に帰った。途中で蜂楽君が小休憩を挟んでいたことにも気づかず、一心不乱に鉛筆を動かしていたらしい。
 そして、確かに自分が描いたはずの鉛筆画を改めて目の当たりにして、私は血の気が消え失せた。悪魔が指でなぞってきたかのように、背筋を冷や汗が伝っていく。
 だめだ、こんな絵は誰にも見せられない。早く捨てないと。
 気持ちは逸っているのに、何故か体は動かない。まるでついさっきまで持久走の授業でも受けさせられていたかのように、動悸が激しい。息を整えるだけで、精一杯だ。
 幸い、私よりも後方に陣取った部員はおらず、顧問の先生や美術講師の方も蜂楽君の近くにいた部員の絵から見始めている。他の部員達もそれに倣って一枚ずつ見ていくつもりらしい。
 大丈夫、まずは深呼吸して、落ち着いたら誰かにこの絵を見られる前にディーゼルから引っ剥がす。そしてくしゃくしゃに丸めてカバンに突っ込んで、それで——

「君はどんなの描いてくれたの?」

 ディーゼルの陰から蜂楽君が顔を覗かせてきて、心臓が止まりそうになった。
 手遅れだった。蜂楽君はさっと私の側に回り込んで、しげしげと私が描いた——描いてしまった絵を見つめている。
 そして他の部員達の絵にも目を通して、また私の絵を覗き込む。
 終わった。こんな絵を描いてしまったら、蜂楽君には絶対嫌がられる。先生や部員達からも顰蹙を買うに違いない。
「あの、これ、違くて……本当に、その……
 言葉が詰まる。授業中に先生に指名された時だって、こんなにしどろもどろになったりはしない。
 目頭が熱くなるのを感じた。私、泣いてる? どうして? 部員達と築き上げた関係が崩れてしまうから? これからどんな顔して学校に通えばいいかわからないから? この後絶対先生に怒られるから? 蜂楽君に絵を見られたから?
——好き」
……?」
 今、蜂楽君はなんと言った? 私がわけもわからず泣きそうになっているこの瞬間に、好きと言った?
「俺、この絵が一番好き」
 蜂楽君の顔を見て、それが嘘をついているものだとは思えなかった。
 私の描いた絵——元々予定した通りの構図に収まっている蜂楽君の拙いデッサンは、私の画力の限界を物語っている。
 画用紙の左下半分は蜂楽君の伸ばした脚。
 画用紙の右下半分は蜂楽君が腰掛けている工作椅子。
 画用紙の右上半分は蜂楽君の顔や上半身。
 画用紙の左上半分には——"ともだち"が描かれている。
 それは輪郭の定まらない、影とも靄ともつかない姿をしている。人間と同じように顔や手があるように見えるが、下半身から先は尻すぼみで、デッサンとしては完全に崩れている。ホラー映画に出てくる幽霊か何かのようにも見える。顔と思しきものはどうやら横向きで、私が描いた蜂楽君と見つめ合っている。口のように見える陰影は、笑っているように見える。
 それらは全て私が描いたはずなのに、自分でも初めて見たかのような気分だった。
 極め付けは、その"ともだち"の尻すぼみになっている下半身が途切れることなく私の描いた蜂楽君の輪郭をも歪ませていることだ。
 見ようによっては、それが蜂楽君の体から生まれてきたもののように受け取る人だっているだろう。描いた本人である私自身、この絵を見て解釈するのが正しいような気がしている。

 そんな絵を、蜂楽君は好きだと言った。

「この絵、もらっていい?」
 まるでデパートでオモチャを欲しがる子供のような瞳で、蜂楽君は訴えかけてくる。
 私はただ頷くことしかできなかった。
 それでも、蜂楽君が小さくガッツポーズして喜んでくれているのを見ていたら、なんだか救われたような気分になった。
 蜂楽君は「やりぃー!」と私がディーゼルから画用紙を外して、素早く、しかし丁寧に筒状に丸めていく。
「じゃ、ありがとね——
 と風のように消えていくかと思いきや、蜂楽君は最後に振り返った。
「そういえばさ、君にもいるの? "かいぶつ"が」
 そう言われた時、本当の蜂楽君の姿を、私は初めて見た気がした。楽しんでいるような、それでいて恐ろしいような、まだ誰にも曝け出したことのない胸の奥に燻る炎のような、蜂楽君の正体を——
 蜂楽君の言う"かいぶつ"の意味を、既に私は知っている。
「ううん、私にいたのは、"ともだち"」
 蜂楽君はきょとんとして少し考えるような素振りをしてから、思い当たったように笑顔になった。
「そっか! 君に会えて良かった!」

 その後しばらくして、蜂楽君は高校サッカーの強化選手に選ばれたとかで、学校には来なくなってしまった。

 蜂楽君が自分の正体を曝け出す相手は、私じゃない。美術の世界じゃない。

 それはきっと、サッカーの世界だ。

 誰も届かないところ——"かいぶつ"が望んだところに出したパスを受け止めてくれる人に、蜂楽君が出逢えるといいな。