らい
2025-04-06 21:00:30
4908文字
Public レオいず
 

レオいず30days⑥「白紙」

学院編⑥ お題「宿題」 ※高2


 今年の夏は、どうやら蒸し暑いらしい。日が暮れても、エアコンを稼働させたままの部屋。冷風に乗って、時計の秒針がチクタクと鳴り響いている。
 夕方の六時を指したとき、レオは巣から羽ばたく鳥のように両手を広げた。当然ながら翼はないので、優雅に滑空することなくベッドに倒れ込む。不満が爆発しそうになると寝転がるのは、レオの悪いくせだった。両脚をじったんばったんと揺らしはじめたら、文句のミサイルを発射する合図である。
 泉は課題の提出用紙に走らせていたペンを止めて、数字をカウントする。三・二・一───ほら、始まった。
 
「ああ~っ、言語化は得意じゃない! 秘めた想いを大衆向けに出力しようだなんて無理! う~っ、どいつもこいつも陳腐な言葉に見えてくる~、つまらん表現すぎて舌嚙み切って死にそう! というか死ぬ! 天才作曲家月永レオ、ヴェニスに死す! これが曲なら、いくらでも愛しのメロディーを綴れるのに! ルカた~ん、お兄ちゃんはもう限界だ~っ!」

 レオは、握り締めていたプリントを放り投げた。白紙の束はゲリラ豪雨のように降り注ぎ、泉のつむじに落ちる。頭上に乗っかったそれを退けると、泉は訝しげに頬杖をついた。
 ただでさえ座学の授業を嫌っている男だ。黙って宿題をこなす集中力には最初から期待していなかったが、いくらなんでも忍耐力がなさすぎる。泉がボールペンの先端でテーブルを叩きながら「ねえ。俺のベッドで勝手にくつろがないでよ」と注意しても、大の字で横たわるレオは寝返りを打つだけだ。
 他人の布団を、我が物顔で使いやがって。泉は仏頂面で短い息を吐く。

「寝るなってば」
「セナのベッド、ふかふかで居心地がいいんだよ~」
「そういうこと言ってるんじゃなくて。文句ばっかり並べてないでさあ、ちゃんと書いたらどうなの?」

 月に数回、ふたりは『ミーティング』という名目で、どちらかの家に集まるようにしている。ちなみに本日は両親ともに夕方まで不在なので、泉の部屋で会合が開かれることになっていた。ライブの打ち合わせ、スケジュールの確認、方針のすりあわせ───ついでに、学院から出された課題もこなすのもタスクのひとつである。実績重視のアイドル科といえども、内申点が悪ければ留年の危険性がある。ユニットの活動にも影響を及ぼしかねないので、泉はしょっちゅう監視の目を光らせているのだ。
 今回、学院側から課されたのは作詞であった。テーマは恋。ありがちだが万人受けする、アイドルとしては基本のテーマといえる。ところがレオは、泉のベッドに寝そべりながら、「書けない~!」と根を上げている。
 投げ捨てられたレオのプリントには、消しゴムの跡がいくつも残されていた。記入欄の枠外に『やかんがシューシュー!』だの『胸のタンバリンがシャンシャン!』だの、難産なりに足掻いたあとが連なっている。
 泉は提出用紙をテーブルに戻すと、麦茶をこくりと飲んだ。

……別に正解なんてないんだからさあ」
「なんだよ。だったらセナは好きなやつに、『おまえに見つめられると、やかんみたいにお顔がシューシューしちゃう! 胸のタンバリンがシャンシャンときめく~!』って告白できるのか? ええ?」
「個性的で、いいんじゃないの。……まぁ、俺が女の子だったら、ビンタして帰るかな」
「ほら~っ!」

 鼻とくちびるのあいだにペンを挟みながら、レオは天井を仰ぐ。やや間を置いて、素早い動きで「瞬間移動!」とおどけながら泉の隣に滑りこんだ。前のめりになったレオは、半袖からのぞく腕を泉のプリントに伸ばす。

「セナはどうなんだよ~。見せてっ」
「嫌」
「あっ! エビグラタン! エビのおすし! エビとアボカドのサラダ!」
「小学生のガキじゃないんだから、エビに釣られるわけないでしょ」
「なんだよ~、けちっ!」

 あ~あ、恋の曲ならいくらでも作れるのにな。
 レオはそう呟いて、ベッドの片隅にもういちど寝そべった。むう、と不満げなレオを眺めながら、泉は壁掛けの時計を見やる。
 時刻は、十八時十分を過ぎている。もうすぐ母親が帰ってくる時間だ。息子の友人をより好みしがちな彼女は、レオが長居することを嫌う。一文字でも多く課題を書かせなくてはならなかった。

「っていうか、あんたの口ぶりだと『恋』をテーマに、作曲そのものはできるわけでしょ。だったら、少なくとも『好き』のなんたるかは理解してるってことだよねえ?」
……おれの好きなひとはねえ~」
「セナ、じゃなくて」
「え~?」

 続きを阻止すると、レオが唇を尖らせながら抗議する。泉は構わず続けた。

「あんたが俺に言う『好き』と、課題で求められてる『好き』は違うんだからさあ。ほら、例えば子どものころを思い出してみなよ。優しくしてくれる幼稚園の先生とか、おはようって挨拶してくれる近所のお姉さんとか……隣の席でペンを貸してくれた女の子でもいい。あっ、いいな~ってドキドキするような子と出会ったときのこと、改めて言葉にしてみたら? やかんとかタンバリンより、しっくりくるかもよ」

 無邪気に笑っていたレオが急に黙りこくる。最近、こんな顔をすることが増えた。夢ノ咲学院の抗争もだんだん激しくなってきたせいか、どこか大人びた表情を垣間見せるようになってきた。ばかのひとつ覚えみたいにぶつけていた『セナのうんこ!』も、最近では控えめになっているし。
 泉が小首を傾げると、レオの身体が勢いよく近づいた。

「でもおまえは、ビンタして帰るんだろ?」
「なに怒ってんの。もしかして、根に持ってる?」
「言語化するのが苦手だって自覚はあるから、それは別にいいよ。……ただ、おれの気持ちは紛れもなくおれだけが理解してるのに、おれ自身がちゃんと……ちゃんと言葉にできないことに、怒ってる」
「はあ?」
「だって、伝わらないもん。……おれの稚拙な表現じゃ」
「なにそれ」
「っつーか逆に聞くけどさ、だったらセナの初恋は? どういう気持ち?」
「ええ……?」

 逆に質問されるとは思っていなかったから、泉はしばし考えあぐねた。特製のパイを焼いてくれた美しい母親、バレエ教室に通っていた大きいリボンの女の子、事務所の受付をしていたロングヘアーの女性───懐かしい香りをあれこれ辿ってみるけれど、あれが本当に恋だったかどうかはわからない。

……あったかもしれないけど、もう忘れたよ」

 ぼやけた記憶にふたをして、泉はレオを振り返る。想像していた以上に顔が近かったので、すこしだけ驚いた。

「それじゃあ、セナの考える『好き』って、具体的に……なに?」

 泉の肩を力強く押さえて、レオは真剣に問い詰めた。黙っていれば、気品に溢れた王さまの顔立ちをしている。月永レオが初恋、とハートの瞳でうっとりするファンの女の子は星の数ほど居そうなものなのに、そんな顔を今この瞬間、独占しているのは男の自分なのだから気の毒だ。ところが泉が見つめ返すと、レオは物静かに俯いてしまった。泉はきょとんと首を傾げながら、明確な答えを考える。
 どうやら真面目に尋ねているようなので、真摯に応じてやりたい。だが、模範回答に迷ってしまう。生意気を垂れる後輩が、しょっちゅう「あたし、ユニット活動にはちっとも興味ないのよね。そんなことより泉ちゃんには好きなコ、いないの?」と振ってくる話題を思い返しながら、泉は理想の選択肢をたぐり寄せる。

…………一緒にいたい……とか」
「セナの定義もそうなの? おれと同じだっ、おれもセナと一緒にいたいっ!」

 カーテンから差し込む朝の陽ざしのように、レオがにこりと八重歯をのぞかせる。大人になったり子どもになったり、騒がしいやつだ。間近に迫る無邪気な顔にそっぽを向きながら、泉は突っぱねた。

「だから、あんたの考える『好き』は、課題で求められてる『好き』とは違うんだってば」

 淡々と返せば、レオの表情が再び曇った。なぜだか理由がわからなくて、答えの続きに詰まってしまう。
 沈黙の隙間を縫うように、レオは腕を掴んで畳みかけた。

「どう違うんだ? 教えて……セナ」

 説明しろと迫られても、そんなの感覚だからわからない。だが、意固地になったレオがそう簡単には引き下がらないことを、泉は知っている。納得のいく例えはないかと考えて、大胆不敵な後輩が再度よぎった。
 あたしも、いつかは椚センセェと……
 夢見る乙女を追想しながら、泉は静かに告げた。

「キスしたい…………とか」

 ふたりの隙間に、重たい沈黙が横たわる。いまどきの同級生たちが揶揄する童貞のようで、泉は妙に照れ臭くなる。急速に乾きはじめた唇を手の甲で拭いながら、空気の流れを変えようと麦茶のグラスに手を添えた。
 だが、レオの角ばった指が伸びてくる。女の子が放っておかないような、雄々しいまなざしが泉を射抜いた。

「セナは、好きなやつと……キスしたいの?」

 泉のくちびるを観察しながら、レオが迫り寄ってきた。セナセナとじゃれついてくる無邪気な笑みは消えて、虎視眈々と獲物を狙っている肉食動物のような静寂が、張り詰める。
 どうして笑わないの。いっそのこと、ピュアピュア星人だって馬鹿にしてよ。
 五本指のすきまに侵入するレオの感触に身震いして、泉はかぶりを振った。

「あ……あくまで例えに決まってるでしょ。だいいち……俺はアイドルなんだから、恋人なんて作ったことないし」
「知ってる」
……もちろん、世の中の全員が全員……キスしたいとか、そういうこと考えてるわけでもないからねえ。勘違いしちゃ駄目。こころの繋がりを求めてる人もいるわけだし。だから、俺の意見は参考程度にとどめて……
「おれ、したい」
「え?」

 ぎゅっと手を握り締めて、レオの顔が接近する。澄んだ翠が、肉食動物のごとく泉を狙っている。
 もう逃げられなかった。

「おれ……セナと、キスしたい」
「何……言ってるの」
「薄々気づいていたけど、やっとわかった」
「れおくん」
「おれ……セナのこと、好きなんだ」
「ねえ、例えだってば」
「なあ。セナのくちびるって、どうなってるの?」
「れおくんってば」
「きになる」
「れおくん!」
「しりたい」
「ママが、帰ってきちゃう!」

 テーブルの上に置いていた麦茶のグラスが、ごとんと倒れた。勢いよく零れた液体はみるみる広がって、レオの課題用紙が茶色に染まっていく。自身のプリントをベッドに避難させると、泉は「れおくん!」と語気を強めた。
 部屋じゅうのティッシュをかき集めて、レオが慌てふためいている。

「わ~っ、未曾有の大洪水だ~っ! セナぁ~、ごめん~っ!」
「もう、馬鹿じゃないの!? チョ~最悪!」
「おれのプリント、びしょ濡れになっちゃった!」
「拭くもの持ってくるから、れおくんは拭けるとこまで拭いてて!」

 大量のティッシュで麦茶を処理するレオを背にして、泉は部屋を飛び出した。台所の棚からふきんを探しているうちに、うねる前髪に隠れた額から汗の粒が滲んでくる。エアコンが効いているはずなのに、ひどく熱かった。夕方になっても冷えない夏の暑さのせいにするには、難しいほどに。
 レオの課題用紙は麦茶まみれで、きっと提出できないだろう。幸いにも泉のプリントはまだ白紙だったから、コピーして渡すことができるけれど───レオに手厳しく指摘しておいて、本当はなにも書いていないことが知られてしまう。いっそのこと液体に汚染されていたほうが、幾分ましなのかもしれなかった。
 セナ、見せて。
 奪われそうになったプリント。見せたくないんじゃなくて、見せられるものがなかった。泉だって、恋の定義があいまいだったから。
 しかしながら、まっしろだったはずの宿題。最初の一文字めが脳裏に浮かびはじめていることに気がついて、泉は動揺した。
 続きが気になる。
 好きって、多分そういうことだ。