非番、というと、まあ休みの日である。もちろん正式には有事の際に出動が要請されるので公休ではないが、幸いにも人員に恵まれており戦争中でもない今、一彩たちの部隊にも非番は回ってくる。もちろん、隊全員一気になんてことはなく、一人一人順番に、なのだが。
そして、そんな日には街に出て買い物や食事を楽しむことも多い。
(パンと肉と……あとは)
買い物メモを見ながら馴染みの店を梯子して、何軒目か。巽の依頼の茶葉を無事に手に入れた一彩は、いっぱいに膨らんだ紙袋を両手で抱え直して、小さな紅茶の専門店を後にした。袋の中には日用品やら嗜好品やら、細々と頼まれたものや自分の食料などが入っている。
切った張った、大立ち回りも命のやり取りも無いわけじゃない身分。この国の外部防衛戦はまだ負傷者のみにとどまっているが、危険には変わりなく。
つまりなんだというと、こうして呑気に買い物をするのは珍しく、一彩は用もなく店先を覗いたりふらふら路地を歩いたりして見ていた。洒落たアンティークが並ぶ窓辺の雑貨屋が佇む隣には、目が覚めるような青の軒を掲げるベーカリー。マヨイや藍良の気に入りそうな並びだ。
そんなことを考えながら、しばらく歩いたところの、もはや顔馴染みとなった店で保存食やらを買い漁っていく。基本は軍寮食で済ますことが多く、ときには、と外食することあるが、夜番や有事などの際のため、ある程度は備えておきたい。惨状ではないものの平和とは口が裂けても言えない対外情勢の中、後方支援に回り、夜を徹することも少なくないのだ。特に藍良や巽などの治癒を行える人員は駆り出されやすい。クタクタに酷使される二人を支えられるのは、マヨイと一彩だ。それぞれが干し肉や焼き締められたパンを齧りつつ、長期戦に当たる。そんな持久力の源も、無限に出てくるわけではない。こういう非番の時なんかに補充しておかなければならない。
別個隊としての活動が多い一彩たちは自由ととももに責任も伴う。好きにして構わないが、その代わり十全な備えは自分たちでやれ。それが、軍部及び直属長の天祥院の意向だ。もちろん、必要最低限の費用は軍部持ちだが。
そんなことを思いながら路地を歩いていると、表通りに近づくにつれてふんわりと芳ばしい香りが漂ってきた。表通りの菓子店の裏手では、バターと小麦粉が焼き上がり、砂糖と果実の混ざり合った甘い匂い。藍良とマヨイのお気に入りの店は、生菓子から焼き菓子まで、幅広く見た目も可愛らしいものが多い人気店だ。クッキーくらいならしばらく保つ。保存食の一つとして購入しよう。限界の状況では、好きなものを食べるとか、甘いものとか、そんな心の支えも大切だ。ついでにケーキなどを買って帰ろう。今日のお土産だ。
そして裏路地から大通りへと抜ける道に曲がり込んだ時だった。
「うわっ」
ばんっ、と一彩より少し背の高い男と激しく衝突する。思わず買い物袋を取り落としそうになり咄嗟に抱え直したが、一番上に乗っていたレモンのジャムの瓶が転がり落ちる。割れはしなかったようだが、重いガラスが石畳にぶつかる鈍い音が、石壁に挟まれた路地裏に響いた。
男は肩を強かに一彩に打ちつけたあと、まるで何かから逃げるかのようにそそくさと走り去る。その後ろ姿は、一彩とぶつかった事にも構っていられないと、一瞥もせずに路地の暗闇へと消える。
なんだったのか、と怪訝に思いつつ、ジャムを拾い上げると、視界の端に小さな紙片が映り込んだ。自分の買い物メモかと拾い上げるが、どうにも違う。入り組んでいる複雑な線や図形が複数描かれ、だが落書きにしてはなんとも規則性を読み取れそうなパターン。
さっきの青年が落としたのかと追いかけようとしたが、その足は襟首を掴まれて阻まれる。
「ハーイ、ストップ〜」
「う、わ!誰だっ」
「誰とは失礼だな、俺っちのこと忘れちゃった?」
低い、揶揄うような話し方。忘れやしない、この声の主は。
「っ、兄、んむっ!!」
「こんなとこで会うなんて奇遇だねェ〜?」
少し乱暴に口を塞がれて、黙れというような強引さで声を封じられる。姿を見ることなどほとんどない、自分の兄。昼間の街中でこんな出会い方をするなど、偶然だろうが理由は一つしかない。兄は仕事中だ。ならば身元が知れるような発言は御法度だろう。迂闊だった。
全部理解したと瞬きで訴えると、押さえつけられていた口はいとも容易く解放される。
「邪魔してしまったかな」
「要件は終わってる。っつーわけで、コイツは没収〜」
「あっ」
小さな声での会話の後、手に持っていた小さなメモを流れるように掠め取って一瞥した兄は、その紙片を懐にしまった。そんな簡単に盗られそうなところで大丈夫かとも思ったが、およそ大丈夫なのだろう。隠す、という面においては、兄の方が優れていることなど明らかだ。
僅かに張り詰めていた空気は、偶然居合わせた何気ない声音に変わった燐音の一声でゆるむ。
「非番?」
「うむ、買い物していた」
「ふーん……だったらさ、飯食いに行かね?」
「えっ、仕事は?」
「終わったっつったろ。それとも予定あったか?」
「いやないけど……」
「んじゃ着いてこいよ」
そう言ってひらりと身を翻して、表通りへと歩を進める兄。つい先程までは確かに何らかの任務途中だったはずだが、何気ないにも程がある。だが、伝達以外で兄といられるなんて殆どなく、困惑と喜びで戸惑う中、一彩はその背を追う。
一足早く路地から出た燐音は、少し広い歩道の脇でぐーっと伸びをして、陽の光に目を細めていた。
「っあ〜、いー天気だなァ」
「ウム!お出かけ日和で助かるよ、色々と尽き掛けていたから」
「買い物してたんだっけ。そういや、お前さっきなんか落としてなかったか?」
「え、あ、あぁ。レモンのジャムを……」
そういえば、あれは割れていなかったが無事だろうか。少し心配になって紙袋を漁る。すぐに手に触れた瓶を取り出すと、割れてはいないが底の外側にヒビが薄く入っていた。手元を覗き込んだ燐音も口をへの字に曲げる。
「ありゃ、ヒビ入っちゃってんじゃん」
「……仕方ないね、石畳に落として割れてないのが幸運だよ。中身は無事だ」
それにこれは一彩が自分で買ったもので、誰かに頼まれたものじゃない。だから多少のひび割れくらい構わないのだ、と瓶が落ちないよう買った物の中へ深く潜り込ませる。パンや食材で揉まれるが、これで割れることはないだろう。
しかし燐音はわずかに不機嫌を滲ませる。
「……買い直してやろっか」
「いや、そこまでではないよ。それよりご飯食べにいくんだろう?どこに行くんだい?」
「そうだなァ、ニキんとこでもいいし……お前は何食いたい?」
「うーん、あまり考えていなくて……路面店で何か買って食べ歩こうと思っていたくらいだ」
表通りは賑やかで、レストランからその場ですぐ食べられるパイなどを売る店、昼過ぎから開き出すバールなど、商魂逞しくさまざまな店が軒を連ねる。そこかしこから漂う食べ物の匂いに食欲の矛先は目まぐるしく移り変わり、きゅうっと鳴る腹は食べられたらなんでもいいと訴えた。
兄と連れ立ってしばらく大通りを歩く。まさかこんなことになるとは思っておらず、浮かれて口数が増える一彩の話へ燐音は楽しそうに耳を傾ける。
何を食べようかとあれこれ話しながら、そろそろ中央広場に出ようかというくらいで、一彩は見覚えのある看板を見かけた。
「あ、あれは?藍良が美味しいと教えてくれたお店だよ」
「へー、んじゃハズレねぇな」
藍ちゃんの情報なら信頼おける、と燐音の同意を得て近寄ったのは軽食が充実したオープンカフェ。まだ開店したばかりなのか、看板を出した店員がテキパキと席の用意をしている。席の空きはあるかと尋ねると、快くテラス席のパラソルを広げてくれた。
「結構色々あんだな……」
「ウム、美味しそうだね!」
店内やカウンターにはちらほら常連と思しき客がいる。カウンターに並んで何を食べようか迷って穏やかな日常に溶け込めば、誰も一彩たちが軍部の人間とは思わない。
一彩は明るい店員におすすめを聞いて、この店の名物と有名な、薄焼きのパンに焼いた肉と葉野菜を挟み、甘酸っぱい果実のソースをかけたものと、レモネードを頼んだ。少し遅れて、燐音も注文を済ませ、商品を受け取ってテラスに座る。
「おっ、うまそうじゃん」
「何にしたの?」
「多分一緒のやつ、の辛いやつ」
「あぁ、そういえばあったね」
スパイスに漬け込んだ肉を巻いた、刺激の強そうな美味しそうな香りが燐音の手元から漂う。
負けじと香りたつ自分のものを落とさないようにとしっかりパンで挟んで、大きくかぶりついた。肉汁と野菜、甘酸っぱいがさっぱりとしたソースが美味しい。頬を膨らませたまま目を輝かせる一彩を微笑ましく見守り、燐音も同じように齧り付く。
「美味しい!」
「ん、美味いな」
燐音も満足げに目を見開いて、一緒に頼んだのであろうライムエードの瓶を傾け、心底気持ちよさそうに喉を鳴らす。
「っあ〜いいねェ、休みの日!って感じ」
「貴方は休みじゃないだろう」
「こまけぇこた良いんだよ、俺っちはいつでも休みだしいつでも仕事なんだよ」
またも大口で噛み付く。いつだって仕事で休みで、気の休まる時なんてないのだろう。だからこそ、上手く息抜きを入れながらやらねばならない。
仕事柄、分かってはいてもやっぱり心配は尽きず、飲もうとしていたグラスに口をつけるのを躊躇った。
「ンな顔すんな、こういうのは得意なの。知ってんだろ?」
「……ウム」
自身ありげに笑って瓶を揺らす兄はご機嫌に食事を楽しんでいる。これまでの会話に裏は無さそうで、多分本当に久々に会った弟に気を利かせて誘ってくれたのだろう。だったら、こっちも仕事の話をしてないで、談笑に興じたほうが楽しい。
「これ、美味しいよ!一口飲んでみて」
「おっ、じゃー遠慮なく」
グラスに入ったレモネードを一口分けると、酸味が強かったのかきゅっと顔を窄める兄。
「すっぱ!」
「あはは!苦手だっけ?」
「思ったより酸っぱかっただけだし」
「ふふふっ、僕には丁度いいけどね」
兄のかわいげのある反応が珍しくて笑ってしまう。笑うなよ、と唇を尖らせる兄の親愛の滲む目線がくすぐったい。穏やかな日差しがぽかぽか空気をあたためて、増えてきた人の声がにぎやかに重なって聞こえる。シンプルなパラソルの下、テラス席から見える光景は平和そのもので、しかもすぐ近くには兄がいる。思わず緩む頬を抑えられず、一彩はちょっと気恥ずかしくなって手に持ったご飯にかぶりついた。
「美味そうに食うよなァ……おっ」
「む?」
通りの向こう側を見通し、兄は何かを発見したように片手をあげた。もぐもぐと頬張ったままそちらに目を遣ると、同じようにこちらに気付いた人影がひらひらと手を振った。つい数十分前の一彩のように紙袋を抱え、人波を横切って近づく彼は、見覚えのある長い髪を揺らして陽気にやってきた。気楽な格好をした男はパラソルの影に足を踏み入れる。
「久しぶりっす~弟さん!美味しそうなもん食べてますね!」
「ここのお店のおすすめなんだって」
「奢ってくれてもいいぜ」
「弟さんの分はいいけど、燐音くんのは絶対いやっす!」
「買い物していたの?」
「うん、ちょっとお店閉めてね、新メニューの開発しようと思って。弟さんもお買い物?」
ニキは食材が山ほど入った袋を揺らして気さくに笑った。いつでも元気そうな料理人は屈託なく一彩に話しかける。そして、傍らに置いていた一彩の買い物袋のなかを覗いた。見られて困るものでもないからとガサッと抱き上げニキに見せる。
「んーと……保存食?」
「よく分かったね。大体は常備食で、あとはおつかいだよ」
「えー、なんか弟さんの好きなもんとか買ってないんすか?つまんない」
「つまんねぇってお前な……人の買ったもんジロジロ見てんじゃねえよ」
「あでっ」
苦々しい顔でニキを小突く兄と小突かれた脇腹を庇うニキは、付き合いが長いこともあり気の置けない仲だ。最初こそ二人だけの距離感を寂しく思ったりもしたが、その遠慮のない掛け合いは見ていて小気味よい。燐音くん手加減してだの、お前こそ遠慮しろバカだの、決して一彩には向けられないような物言いが見られるのも、表面上の平和が保てている証だ。一彩は言わずもがな、ニキも燐音もそこに深く関わっている立場だから特に。
「あれっ、これもおつかいのやつ?これ苦み強めっすけど、マヨちゃんとか大丈夫なんでしたっけ」
袋の隙間から見えたのか、レモンのジャムの瓶を指される。一彩たち常連客の味の好みなど全て覚えているニキには、そこが引っかかるポイントだったらしい。袋のなかから瓶を引っ張り出し、目聡さに舌を巻きつつ、マヨイ先輩は平気だけど、と答える。
「これは僕の好みで買ったものだよ。話題になっているって聞いたからね、一回食べてみたくて」
「ほえ~……ん、割れてるじゃん」
「ウム、落としてしまってね」
「俺っちのせいなんだけどさァ、買い直させてくんねェの」
「ええっ!駄目っすよ弟さん、燐音くんが自分の非を認めてんすから、買い直させなきゃ!」
「てめぇが言うな!」
「別に構わないよ。ちょっとヒビが入っているだけだし、お金を払わせるのも申し訳ないから」
「めっちゃいい子っすよねほんと……兄とは違って!そんな弟さんにはご褒美っす」
兄とも繰り広げた会話をもう一度繰り返すと、ニキはおもむろに自分が抱えていた紙袋内を探り始めた。しばらくガサガサ漁った後ずぼっと引き抜いた手には、一彩が持つのと同じ瓶が。どうしたんだろうと思っていると、一彩の手の中のジャムが取られ、ニキの持つものを握らされた。
「はい、こうか~ん」
「へっ、え?」
「おんなじやつ買ってたんすよね。僕ぁすぐ使いきっちゃうから瓶割れててもいいけど、弟さんはしばらく使うでしょ?こっち使ったらいいっすよ。中身一緒だし」
「そんな、悪いよ」
「いいから受け取っとけ。ニキきゅーん、俺っちには?」
「なんもないっすよ、欲しけりゃツケ払ってくださいね」
「チッ」
全く同じ、割れていないガラスに詰まった明るい黄色。申し訳なく思いつつも、甘やかされているなぁと苦笑してその厚意を受け取る。
「ありがとう!新メニュー、楽しみにしているね」
素直な一彩の謝辞に、お兄さん二人は機嫌よく笑った。
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「あれでよかったっすか?」
「ん。にしてもレモンのジャムだけでよく分かったな」
「当然っすよ、レモンジャム売ってるとこ少ないし」
一彩とは別れ、ニキと燐音が路地を歩く。ターゲットを追っていたはずの燐音からジャム買ってこいなんて連絡が入り、ニキは疑問符まみれのまま当初は予定の無かったレモンジャムを買いに走ったのだ。
「てか、弟さんいるなら言ってよ。お菓子くらい買っていったのに」
「バーカ、たまたま 会ったんだよ」
「ふーん。まあいいけど。燐音くん、全体回線使ったからこはくちゃんキレてましたよ」
「うっせぇなあ、ちゃんと仕事ンことも言ったろ」
燐音は懐から一彩から取り上げた紙片を取り出した。メッセージも無い落書きのようなそれは、HiMERUに渡せば恐らく芋づる式に現在追跡中の相手方の全貌が割れるだろう。
「まさか一彩がいるとは思わなかったけど、ま、僥倖っしょ。もうちょい泳がせないと無理かと思ってたけど、予想より早くカタがつきそうだ」
「んじゃあ、僕はお役御免すか。メニュー開発に集中していい?」
「ダメに決まってんだろ。今回は蛇ちゃんの目付きだし、こはくちゃんは出れねえから。お前も出ろよ」
「うぇ~……」
今回の相手には、こはくの面が割れてしまっている。それに七種直々の案件ということは、表沙汰にするということだ。もうしばらくは情報収集が必要になるだろう。ニキはまだ案件が終わらないことにぶーたれて、一彩と交換した瓶を手遊ぶ。レモンのジャムはタルトにでもしてみようかと考えながら、ニキは底に入ったヒビを撫でる。
「まあマヨちゃんたちも頑張ってるし、僕らも頑張んなきゃっすね」
「蛇ちゃん絡んでんのはめんどくせぇけど……俺らも仕事するかねェ」
およそ真面目とは思えないようなだらしない言葉遣い。指先の紙片をはじいて、今後の戦略を巡らせる燐音は、狂い蜂のリーダー。気まぐれを装って飛び回って、その軌跡で危険分子を炙り出す公安の汚れ役。それが彼ら、Crazy:Bだ。
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