みずあめ
2025-04-05 21:04:59
2549文字
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久々綾


「あ」と声を上げると本を読んでいた久々知先輩が顔を上げて僕のことを見た。それを視界の隅で捉えながら、僕は手の中にあるスマホ画面に目を走らせた。内容を確認してから、再び本を読み始めている久々知先輩の方へソファーの上をずりずりと移動する。先輩、と声をかける前に、久々知先輩は本から顔を上げて僕のことを見た。
「どうした?」
「これ、見てください」
「ん?」
自分のスマホを久々知先輩に差し出して画面を見せると、先輩は読んでいた本を栞も挟まずにパタンと閉じてテーブルに置き僕のスマホを受け取った。さらっと目を通して「あぁ」と納得したように声を漏らし、なぜか気恥ずかしそうな可愛らしい表情で顔を上げる。
「喜八郎と見に行った映画の続編やるんだね。あれ、見に行ったのいつだったっけ?」
「付き合い始めてすぐだった気がします」
「あぁ、うん、そうだね。……ていうか、初めてのデートだったかも」
「そうでしたっけ? でもこれ、初めてのデートで選ぶような映画じゃなくないですか?」
「うん、だけど、ちょうど二人ともそれを見たいって話してたんだよ。おもしろかった、……よね? たしか」
「面白かったです。犯人が結構予想外で」
……あー、うん、……そうだったかも……
……覚えてないの?」
……
久々知先輩は黙り込み、僕にスマホを返して目を逸らした。初めてのデートで行ったことは覚えてるのに、内容は覚えてないの? むぅっと拗ねた顔をして見せると、先輩はこっちを見てもいなかったのにすぐに「ちがくて」と言い訳を始めた。
「なんにも覚えてないってわけじゃなくて」
「こっち向いてください」
……あの、ね、……笑わない?」
「面白いことなら笑ってあげます」
……さっきは覚えてないみたいに言ったけど、これを見に行ったのは初めてのデートだったんだよ。もちろん無理に喜八郎に合わせたわけじゃなくて俺だってこの映画を見たかったのは本当なんだけど、……隣に喜八郎がいることに慣れなくて、全然集中して見られなかったんだ」
付き合いたての頃のような初心な顔をして久々知先輩はそう言い、目元を赤くしたまま僕を見て「笑えよ……」と悔しそうに呟いた。ふっと笑ってしまったのは面白かったからじゃなく、先輩が可愛かったからだ。
「じゃあもう一回、一緒に見ましょうか」
……え?」
「前のやつ配信してるみたいなんで。もう僕が隣にいたってちゃんと集中して見られるでしょう?」
……どう、だろう」
「まさかまだ僕に慣れてないんですか?」
「そうじゃないけど、……この映画は、あの時のこと思い出しちゃって。一人で見直そうと思ったこともあったんだけど、結局ちゃんと見られてないんだ」
……もしかして先輩って僕のことすごく好きですか?」
……ものすごく大好きですが。うそだろ。好きじゃないと思ってた?」
「いえいえ、そういうわけではなく、……でも、……うん。……そっか、ふふ、先輩、僕のこと大好きなんですね」
他の人と比べる必要もないくらい好かれていることも、先輩が僕のことを大切にしてくれていることも分かっていたけれど、初めてのデートのことすらまだ色褪せずに胸に留めてくれているなんて、先輩って本当に僕のことが大好きなんだ。
くすくす笑うと先輩は照れたのを誤魔化すみたいに拗ねた顔を作り「笑うなよ」と言って僕の頬をつねった。じわっと熱の滲む瞳が僕を見つめてそのまま近づいてきたから、僕は唇を緩めたまま目をつむった。一緒に見た映画の続編が作られるくらい一緒にいるのに、僕だってキスひとつでまだこんなにドキドキする。
「映画、一緒に見てくれる?」
「うん、いいですよ。ポップコーンとジュース買ってきて家を映画館にしましょう」
「楽しそうだね。今度は喜八郎の横顔ばっかりじゃなくてちゃんと画面を見るようにするよ」
……僕のこと見てたの?」
「そうだよ。映画館って真っ暗だろう? 見終わって隣を向いたら喜八郎がいなくなってて、付き合えたことも全部夢になっちゃうんじゃないかって、そんなくだらないこと考えてた」
……ん」
「うん?」
「次は手繋いでてあげますね。どこにもいなくならないように」
僕が差し出した手を優しく握り、久々知先輩は困ったように笑った。
「ドキドキして結局集中できない気がする」
……ただ手を繋いでるだけなのに?」
「うん。たぶん喜八郎が思ってるより、俺はおまえのことがとても好きなんだ。初めてのデートだけじゃなくて、今までの喜八郎とのことはわりとなんでも思い出せるくらいに」
……クリスマスイブに酔っ払って帰ってきたことは?」
「うわ……あれは忘れて……
「残念、絶対忘れないです。僕だって先輩との思い出いっぱい覚えてるもん」
……でも、忘れても怒らないよ。これからもずっと一緒にいたらきっと多すぎて覚えていられないから」
「忘れちゃうくらいずーっと一緒にいてくれるんですか? それってプロポーズ?」
「えっ。……たしかに……
「ふふ、先輩、いいの? 何年後かにプロポーズのことを思い出す時、こんないつも通りにだらだらしてるだけの日だったってこと、僕忘れてあげないですよ」
……覚えててくれるならそれもいいかも」
ちゅっと重なった唇が離れてから目を開けると、先輩は幸せそうに笑ってた。首を傾げると笑ったまま頭を軽く左右に振る。
「なんでもない。喜八郎のこと、きっとずっと大好きなんだろうなって思ってただけ」
……久々知先輩は好きなものに一直線な人ですからね」
「そうかも」
「実は僕も好きなものに夢中になるタイプですよ」
「そうなの? たとえば?」
「久々知先輩とか」
……キュンとした」
「お手軽だなぁ」
もちろん冗談じゃなく本心だけど。僕が笑うと久々知先輩も笑い声を上げた。ただ一緒にいるだけで落ち着いて、話をするとくだらないことが楽しくて、どれだけ経ってもくっつくとドキドキする。そんな特別な人に、夢中にならないわけがないでしょう。
本当は初めてのデートの時、僕も緊張していてあんまり映画に集中できていなかったから一人で映画を見返したこと、いつかまた思い出した時に話したら笑ってくれるかな。