みずあめ
2025-04-05 02:00:32
3332文字
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明揺


髪の毛の先からぽたぽたと雫が落ちて玄関のタイルの色を変えていた。このまま部屋の中に進んだら掃除が面倒だと思って、その場から動かずに「明星、タオル」と声を上げる。あまり大きくはない俺の声が、窓を叩く雨の音にかき消されていないといいけど。
「ゆら〜? 今なんか、……え、びちょびちょやん」
「傘忘れた。タオル持ってきて」
「電話くれたら迎え行ったのに。荷物へーき?」
部屋から出てきた明星はすぐに玄関まで来て、首からかけていたタオルを俺に被せた。わしわしと髪を拭かれて頭が揺れる。ある程度拭いて満足した明星が手を離したから、俺はほっと息を吐いて顔を上げた。
明星のいつもふわふわにセットされている髪がボリュームを減らしてぺたんとしている。たぶんもうお風呂に入った後で、やっぱり電話しなくてよかった、とこっそり心の中で思った。
「そのままお風呂入ったら?」
……ん、そうする」
「お湯まだ溜まったまんまであったかいと思うよ。今日くらいゆっくり湯船浸かってあったまらんと風邪引いてまうから」
「ええ……めんどくさい……お風呂あっついし」
「ちょっとお水入れてぬるくしたら?」
「んん〜……
話をしながら水が滴り落ちるほど濡れている箇所を応急処置的に拭い、ようやく部屋の中に上がる。「ただいま」と小さく呟くと、明星はくすくす笑って「おかえり」と言い、俺の頬にキスをした。
「もし一人で入ってるんが飽きるんやったら、俺も一緒に入るし」
「え。一緒に……?」
「知らん? お風呂ん中でぎゅーってするん気持ちいいんやで」
…………一人で入る」
「ええー、乱入禁止?」
「だめ」
「ふふ。ほんならちゃんと一人でも湯船浸かってあったまってから出ておいで。シャワーだけですぐ出てきたら俺がもっかいお風呂連れて行くからな」
明星の温かい手のひらが冷えた俺の頬に触れて、優しく体温を教えてくれる。わかった、と頷けば、明星はよしよしと俺の頭を撫でた。
脱衣所でぐっちょりと濡れた服を脱ぎ、浴室に入ってすぐにシャワーをつけた。明星が入った後は温度が高めだから、それを少し下げて熱いというより温かいお湯を体に当てる。いつも通りに頭と体を洗うのは数分で終わり、いまだめんどくさいという気持ちのまま湯船の蓋を開けた。もくもくと湯気が立つどう見ても熱そうなそれに思わず顔を顰める。
蛇口を捻って水を追加しながら、足先をゆっくり湯船に入れた。痺れるほどの熱さを少しの間我慢すれば、冷えた足先がじんわりと温められていくのを感じる。でも、やっぱり熱いって。ちょうどいい温度になるまで湯船のフチに座って水を入れ続け、足でぐるぐるとお湯をかき混ぜる。湯船いっぱいにお湯が溜まって溢れたところで俺は水を止めた。全身を沈めるとざばーっと大量のお湯が流れ出た。
「ゆら、溺れとる?」
「わ。……溺れてない。お水足したら量多くなっちゃっただけ」
「なるほど。ぬるすぎたら逆に冷えるよ。ちゃんとあったかい?」
「あったかい。大丈夫。覗くなヘンタイ」
「あはは、失礼しました〜」
薄く開いた扉から覗いてきた明星は俺が睨みつけるとすぐに扉を閉めた。そのまま脱衣所も出ていくかと思ったのに、半透明の扉の向こうで明星のシルエットがせかせかと動いている。何をしているんだろうと様子を見ていて気がついたけど、もしかしたらカゴに放り投げた俺の服を分けて洗濯機に入れてくれてるのかも。
まだ温まり切っていない体は湯船に膝立ちになって上半身をお湯から出すとひやりと冷えた。腕を伸ばして扉を開ければ一気に冷たい空気が入ってきて余計に寒い。扉の開く音に気がついて振り向いた明星はキョトンと首を傾げた。
「ん? どうした? あ、やっぱり俺と一緒に入りたくなってもうた?」
「うん」
「なんて〜……え?」
「寒いから、明星も入って」
……お水、入れすぎたんとちゃう?」
「そうかも」
……ほんまに入ってええの?」
「嫌ならいいけど」
「入ります」
言い終わる前にジャージを脱ぎ始めた明星を扉を閉めて隠し、もう一度肩まで湯船に浸かる。あったかい、けど、もうちょっと熱くてもよかったな。いつもシャワーで済ませてしまうからよく知らない適温を通り過ぎてしまったみたいだった。
「お邪魔しまぁす。わあ、久しぶりにちょっと恥ずいって思ってるかも」
「明星にも恥ずかしいって感情あったんだね」
「あったみたいやねぇ」
笑い声混じりの言葉とは裏腹に明星は感情の読めない瞳で俺のことをじっと見つめていた。膝を抱えて湯船の中で小さくなるとその目がにこっと細められる。
シャワーを軽く浴びてから、明星は湯船の空いているところへ足を入れた。避けるように端に寄ると水面が大きく波打った。
「後ろからぎゅってするのと、向かい合わせと、どっちがええ?」
…………見えないほう」
「ほんなら背中こっちにして。なぁ、やっぱりお水入れすぎやない? 俺ん時は熱々やったんやけどなぁ」
「あれは熱すぎ。やけどする」
「いやいや、やけどするほど熱くはならんて。んー、ゆらまだ冷たいなぁ。駅からずっと雨に濡れてきたん? タクシー乗るか、コンビニで傘買ってまえば良かったのに」
……ん」
「それよりあれやね、やっぱり俺に電話くれたら良かったわ。次こういうことあったら電話。な?」
……おなか、さわんないで」
「あは。むしろおなか以外触らんように気をつけてるんやけど」
後ろから明星に抱きしめられるような体勢で、確かに明星の手は俺のおなか以外には触れていなかった。だけどお湯の中でお湯よりも熱い明星の手に触れられると、体の奥で鳥肌が立つ感じがする。いやじゃないけど、いやじゃないって言えない感覚にじわりと涙が浮かぶ。
「ほんまにただの湯たんぽ要員で呼んだんやったらいい子にしとるよ。ゆらは、どうしたい?」
……
「決まったら教えて。それまで俺の好きにしとるから」
ちゅっと唇がうなじに押し付けられて、そのまま背骨を辿るように背中へ落ちていく。いつも服の中に隠れている肌は驚くほど敏感で、俺は慌てて自分の手で口を塞いだ。隙をつくように明星の手がおなかから上にズレて、お湯の中で俺の肌を余すとこなく撫でていく。声を抑えても「んっ」と溢れる吐息は閉じ込めきれず、浴室の壁に反射していつもより大きく響いた。明星が入ってきてから数分しか経っていないのに体の芯から溶けるように熱くて、ぬるいお湯が心地良いくらいだった。
「ゆら、声聞きたいんやけど」
「〜っ」
「ピクピク震えるたびにお湯が揺れるからちゃんと気持ちええんは分かるけど……あらら、もう顔真っ赤やん。寒いんやなかった?」
「も、あつい……
「こっち向ける? ……あー、ほんまにのぼせてそう」
「なんか、ぐるぐる、するかも」
……ゆらは彼氏が優しい優しい明星くんなことに感謝してや……。ほら、もう出よ。ここ座ってて、タオルこれな。お水持ってくるから待っとって」
「ん……
甲斐甲斐しく抱き起こされて、湯船のフチに座らされる。ほんの少ししか一緒に入れなかったのに明星は文句を言うこともなく、裸のままキッチンの方へ出て行きすぐに水を持って戻ってきてくれた。こくっと飲んだ冷たい水が体の内側を流れていく。
「大丈夫?」
……ごめんね」
「え。……謝るの俺やない?」
「でも、俺が誘ったし」
……誘われてたんは合ってたんや。よかった」
へらっと笑う明星から、俺を攻める気配はみじんも感じない。明星って何したら怒るのかな。怒らせたいわけじゃないけど。
帰ってきた時のように明星が俺の頭をタオルで包んでわしゃわしゃと拭き、俺はされるがままで明星の手を受け入れた。何されてもいい、とまでは言わないけど、明星の手はいつも優しいから任せられる。俺だって、のぼせなかったらもっと明星とお風呂に入っていたかった。
ありがと、といろんなお礼を込めて言うと、明星はどーいたしまして、と明るく言って俺にキスをした。まだ体がぽかぽかしてるうちに、明星のベッドに寝転がりたい。ねえ、お風呂より、布団の中の方がずっと一緒にくっついていられるよ。