racmon
2025-04-04 23:15:02
3921文字
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幸せ近況報告

めっちゃ初期に書いたモブ視点ささろ
支部から移しました

 連日の悪天候のせいで元々シックな内装の店内がいつもより薄暗い。けれど悪いことばかりではなく、不揃いなリズムを刻む雨音は意外にも集中力を高めてくれる。オレンジ色の照明の下で預かり品の靴にブラシをかけると、しゃかしゃかと毛が甲革に擦れる音と、雨が地面を叩く音とが合わさり心地よいBGMになった。
 独立してしばらく経ちようやく安定はしてきたが、それでも山のように客が来るわけではなく。この時期は特に仕方ないな。けど今日は特別VIPなお客様が来る予定なのだ。

 あ、きたきた。さすがこういうところは本当に真面目だ。約束の時間から早過ぎず、遅過ぎず。マスクのせいで眼鏡が曇ってしまっている。視界も足元も悪い中、ようこそお越しくださいました。作業の手を止め、ドアを開けてその人を出迎える。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました、躑躅森様」
 僕が少しおどけてみせると、彼は曇ったレンズの向こうで目尻を下げた。
「おう、久しぶり」
「久しぶりやね」

 同じクラスのいわゆるヤンキーの躑躅森くんと、隅っこの僕。きっかけは苦い思い出とセットだけど、確かにあの頃僕たちは友達だった。卒業してからは彼も忙しくしてたみたいだし、僕も自分のやりたい事を見つけて初めて苦労というものを味わった。
 年に一度近況報告をする程度で、こうやって会うのは十年以上経つかもしれない。いまや有名人の仲間入りをした彼に会うのは少し緊張していたけど、いざ顔を合わせてみればなんのことはない。彼は変わらず、この綺麗な瞳で僕を見返すだけだった。

 靴の入った箱を二箱受け取る。一つめの箱を開けると、ロングノーズで黒のコインローファーが綺麗に仕舞われていた。状態も比較的よくヒールの削れもほとんどないが、ある程度履き込まれた様子。ちなみにこれはそこそこのハイブランドだ。
「乾燥はしてるけど、目立つ汚れとかもないしクイックやったら今ここですぐ出来るけど」
「いや、ピカピカにして欲しいねん」
「鏡面仕上げでええんかな?」
「うん、それで」
「じゃあちょっと預からせてもらうな」
 改めて左右を手に取る。念のため、元々付いている傷などがあれば確認しておく必要がある。けど本当に綺麗だ。彼はわりと一つ一つの振る舞いが大きいというか、力強いというか、そういった印象があったので意外だった。よほど大切に履いているんだろう。
「普段からこんなええのん履いてるん?」
「そんなわけないやん。後にも先にもこれだけやで」
「まあこんな靴履いてる先生あんまりおらへんかあ。シュッとしすぎやもんなあ」
「生徒にいじられて終いやわ」
「躑躅森くんいじられてんの? 昔のことおもたら考えられへんなあ。だいぶん丸なったみたいやね」
「まあなあ」
 彼は照れたように眼鏡の右端を小突いた。今更だけども、その眼鏡は一体なんなのか。
「うちの姪っ子もなあ、どついたれ本舗の中やったらろしょーセンセがいい!て言うてるで。一丁前にませてるみたいやわ」
「それは嬉しいな。ありがとうて言うといて」
「うん、言うとくよ。あの子も喜ぶわー」
 靴を一度元の箱に戻し、少し端に寄せる。二個目の箱にはどんないい靴が入っているのだろう、同じブランドのようだけど、とわくわくしながら開けてみるとその期待は意外な形で裏切られた。
「ん? 品番まったく一緒? サイズは全然ちゃうけど
「ああ、これは預かったやつやねん」
「え? お揃いで?」
 こんないい靴を揃いで履くってどんな関係だろう。お父さん? いや彼はそういうタイプではないか。兄弟は、いなかった気がする。となるとあ、分かった。そうか。
「これもしかして、白膠木簓のやつ?」
「ははは! そうそう、よう分かったな」
 当たってしまった! いや躑躅森くん! 笑ってるけど君ねえ!
「うわー! 芸能人の靴はさすがにまだやったことないなあ!」
 お客様の靴に優劣を付けてはいけないことは分かっていながらも、思わず慎重な手付きになってしまう。なんせテレビで見ない日ないくらいの売れっ子なのだから。
 ミーハー心を落ち着けて、職人としての自分を呼び戻す。こちらも先ほどの彼のものと同じく、とても綺麗な状態だ。そしてどちらも、長く仕舞われていた様子だった。
「そっかあ。それでそんな傷んでへんのに乾燥してんねんなあ」
 そこまで言って、しまった、と思う。そろりと躑躅森くんの表情をうかがう。
「あー今のあかんやつやったよね?」
「大丈夫やで、すまんな気遣わせて」
 冷や汗をかきながら恐る恐る尋ねたが、本人はいたって平気そうで、むしろ笑顔で答えてくれた。安心したら次は、ひとつの疑問が降って湧いた。この靴の出番について。
「え、もしかして再結成するん?」
「んなわけないやろ。今は本業とラップで精一杯やわ」
 やれやれと、彼は余裕を含ませたため息をついた。じゃあなんで? と僕が訊ねる前に彼が口ごもりながら言葉を続けた。
「まあ、またこれを、あいつと一緒に履けるとは思わんかったけどな
 おや、これは思わぬ展開かもしれない。正直僕の好奇心はむくむくと湧いてきたが、ここは我慢。躑躅森くんも嬉しそうにしてるし、これ以上は野暮だろう。
 僕も詮索されるのは好きではない。

「はい、どうぞ」
「ありがとう」
 丁寧にお礼を言った彼は、温かい紅茶をいれたマグカップを受け取り、ふぅふぅと息を吹きかけて冷ましている。また眼鏡が曇ってるよ。
 ひと通り二足の状態を確認して、伝票お渡しも会計も済ませた。注文を受けた仕上げ方法は即日返却が出来ないものなので彼はあと帰るだけだったのだが、お茶でもいかがと言うと彼は喜んでくれた。
「ごめんなあ、なんか引き止めたみたいになってもうて」
「ううん、そんなん。むしろご馳走になってるし」
 ズズズッとすすりながら紅茶を飲む姿は、肩で風を切って歩いていたあの頃の彼からは想像もつかないくらい老成している。
「殿外くんは、これ自分の店なんやんな?」
「そうやで。もう一人パートナーがおんねんけどな、その人と出し合ってやっとこさ開けれてん」
「すごいなあ。知識もないし失礼な言い方かもわからんけど、靴磨きで食っていけるてよっぽどええ腕なんやろ」
「まあぼちぼちかなあ」
「昔から靴好きやったもんな」
「あ、覚えてくれてたんや」
「そらそうやろぉ! 一回一緒に靴屋行ったことあったよなあ」
「あったあった! 躑躅森くん、スニーカーしか履かへんかったからめっちゃ退屈そうやったけどなあ」
「覚えてんのかいな
「そらそうやろぉ?」
 会話のテンポも当時のまま。本当に懐かしい気持ちになる。
「いやでもほんま、夢叶えてすごい思うで」
 そう言って彼はまた一口紅茶を飲んだ。可愛い姪っ子に聞かせてやりたい台詞だった。君の憧れてる盧笙先生は、本当に心からみんなの夢を応援してるよ。
「あ、そうや。悪いんやけど
 立ち上がって作業台の下に置いた鞄を引っ張り出す。
「サイン貰えへんかな? その、姪っ子に
「サイン? サインなんか長いこと書いてへんなあ。普通に名前書くだけでええ?」
「うん! 充分やで! 漢字でフルネーム書いた時の圧すごいから!」
「ははは、そうか」
「しかも躑躅森くん筆圧っちゅうか、書くときの音もすごかったやん。僕それに気付いてからテスト集中でけへんかってんで! めっちゃガリガリいうやーんおもて!」
 鞄から色紙を取り出してペンと一緒に彼に差し出す。
「ちゃっかり用意しとるなー」
「すいません
 じと目で見られたが、ペコペコと軽く頭を下げると彼はええよと笑った。
「姪っ子ちゃんは近所なん?」
「まあそやなあ。週末たまぁに公園で遊んだりするで。あの子も僕に懐いてくれてるみたいやし」
「デレデレやなあ」
「自分の子供のように可愛いで」
 僕がそう言うと、色紙から顔を上げて優しげに笑いかけてくれた。
 うん、僕いま幸せに過ごしてます。
 気持ちの込められた『躑躅森盧笙』の字は生気に満ちていて、彼もまた、幸せなのだろうと思った。

「ほなぼちぼちお暇しよかな」
 そういって立ち上がった彼を見送るため、僕は先回りしてドアを開ける。相変わらず雨は降り続けていた。
「そんなされたら気ぃ遣うわ!」
「いや今日はお客さんやから」
「いつもそんなんしてんのか?」
「ううん、僕はここまでせえへんで。相方がようしてるから真似してみてん」
「そうか、えらい紳士的な人なんやな」
 彼は立てかけていた傘を手に取ったけれど、開かずにこちらを振り返った。
「まあ、よかったわ。ええ人も見つけて夢も叶えれて、幸せそうで」
 本当に綺麗に笑うようになったね君は。帰ってしまう前に、ちょっといたずらしてもいいかな。
「そのセリフ、そのままお返しさせてもらおかな?」
 言い終わるのと同時にポンッと傘が開く音がした。僕の予想は見事的中したようだった。ぎょっとした顔で僕を見る彼の耳が、みるみる赤くなっていく。
「なんで
 戸惑いを隠し切れていない彼のハテナにはあえて答えず、大袈裟にハツラツと声を出してみる。
「じゃ、お預かりしたお靴二足とも、キレーイに仕上げさせていただきます!」
 口をパクパクと、言葉を発せずにいる彼の反応が面白い。仏頂面が常だった彼の表情を豊かにしたのが自分でないことには、少し嫉妬するけれど。相手があの話術の天才であれば、これはもうお手上げである。
「当日はよいお式になることをお祈りしております!」