ベッドの上でレイシオのパジャマのボタンを外して開き、左腕を抜く。ふむ。ちょっと離れて顎に手を当て、逞しい上半身を上から下まで眺めたアベンチュリンは、右も脱ごうとするレイシオを止めた。
「待って、もったいない」
「なんだと?」
「脱げかけっていい眺めだよね」
「同意を求めるな」
そのまま来て、と枕を叩いて呼んだのに、レイシオは無情にもパジャマの上を脱いでベッドの端に放ってしまった。寒くないように空調を設定しているし、肩まで出るアンダーシャツを着ている。上を着ても着ていなくてもいいなら、希望を聞いてくれたっていいじゃないか。口を尖らせてブーイングするアベンチュリンを無視して、レイシオは右を下にして横向きに寝そべった。
差し出された左腕が、胡座をかくアベンチュリンの膝の上にずしりと乗る。力が抜けた筋肉質な塊はなかなか重い。こんなものを二本もぶら下げていたら、自重でいいトレーニングになりそう。ふと、これが寝ているときにアベンチュリンを胸の中に囲う拘束具であることを思い出した。お腹がムズムズする。
さて今から、レイシオの左肩から肘の下まで、普段むき出しの部分に刺青を施していく。といっても、塗って染めるだけの二週間ほどで消えるものだ。
「許してくれてよかったよ。刺青は抵抗があるんじゃないかと思ってた」
「抵抗はないが、趣味ではない。今回は必要なんだろう?」
「そう、絶対に必要なんだ」
バーチャルスクリーンに映した図案カタログをペラペラとめくり、選んだものにブックマークを付ける。さすがカンパニー製の刺青キット、付録だというのに内容がそこそこ充実している。
今から入れる刺青は、簡単に言うと虫除けである。明日からの出張で滞在する星は、事情があって性に奔放な土地柄だ。とびきりの美丈夫であるレイシオがモテないはずがない。現地人の関心は顔よりも首から下、石膏頭では隠れない。行く先々で声をかけられては仕事にならないから対策が必要だ。
そこで、事前調査を担当した部下から進言があった。体に刺青を描いておくのが有効だと。
「調べてきた部下が見本を自分の体に描いてたんだけど、すごく上手でさ。コツを聞いたら、根性です、だって」
アベンチュリンは染料が入ったペンが思いの外描きやすくて感心した。図案カタログを見ながらチマチマコツコツとペンを動かす。体が温かい方が染料がよく浸透するからと湯船に長めに浸かったおかげで、ほどよい疲労に包まれたレイシオは眠そうだ。温まりながらアベンチュリンの体で遊んでいたせいでもある。
「少し寝るかい? 描き終わったら起こすよ」
「寝返りを打ったら台無しだろう。眠気を飛ばしたいから何か話してくれ」
「じゃあ、この刺青がどうして君を守る盾になるのか、簡単に経緯を話そう」
枕に頭を預けたレイシオは、重そうな瞼を持ち上げて、目だけでアベンチュリンを見上げた。
「僕らが明日から滞在する星は、百年ほど前に質の悪い感染症が大流行して人口が激減してしまった。のみならず、生存者に深刻な後遺症を残した。生殖器に問題ができて、子孫を残す確率が大幅に下がったんだ。約二十年おきに三度の流行を経験して、やっとワクチンで押さえ込むことに成功した」
「耳にしたことがある。根絶宣言が出されていたな」
「小さな星の話なのによく知ってたね。ここ五十年ほど、患者が発生した報告はない」
気まぐれに這う曲線、そこから広がるまばらな大小の葉。細かくペンを動かしながら、腕に絡まっているかのように緑の蔦を描く。慣れてペースが上がってきたとはいえ、相当の根気に加えて執念でもなければ描ききれるものじゃない。アベンチュリンは時々手を止めて、凝る前に肩を回した。レイシオの立派な太い腕は広大なキャンバスだ。まったく、征服し甲斐がある。
「先細りの人口を元に戻すには、外から人を入れるか、病にかかったことがない世代が頑張って子どもを増やすかだ。住民投票の結果なるべく外の血を入れないことに決まって、なんやかや頑張って現在の出生率は十分に回復した。そして、貞操観念を軽視する風潮が残った」
「なんやかやとはなんだ」
「胸糞悪いから省略。まともな倫理観では許しがたいことも起こった」
どうしても気になるなら自分で調べるだろう。レイシオの権限なら、公には曖昧にされている真実だって知れる。おすすめはしないけど。
「カンパニーが関わっているのか」
「その通り。人口激減で壊滅的なダメージを負った星に自力で建て直す体力はなかった。感染症の根絶から全部カンパニーの主導さ」
成功か失敗かの議論は、後年の研究者が勝手に楽しめばいい。現地は今も復興の途上だ。カンパニーは数字を戻して終わりとは考えていない。まだ投資のフェーズで、回収はこれから。
「道徳なんて、ころころ基準が変わる曖昧なものだよね」
「君は教師には向かないな」
「僕はしがない会社員だよ。それは君の仕事」
時にモラルを隅にやって利益を追求する組織の手先であるアベンチュリンに、人の道を説く資格はない。レイシオの名誉を汚さないように回す仕事を選別しているのは、そんなアベンチュリンに残るおおいに私情を含んだささやかな良心の表れだ。レイシオは物言いたげにふん、と鼻を鳴らした。
「この刺青もカンパニーが投入したんだ。短期間で消える染料を初心者でも扱いやすいキットにして、若者にばらまいた。見えるところに刺青があればお相手募集中。それ以外は手出し無用。つまり性的同意の第一段階を可視化した」
この星では、未成年者への刺青の施術が法律で禁止されている。道具を販売・譲渡するのも同罪だ。また、刺青は意思表示ではあるものの、性犯罪の裁判において考慮される。お守りになることを期待して、こつこつと判例が積まれてきた。
レイシオは眉を動かした。それじゃあ今描いてるのはなんなのだと、細く開いた目は怪訝そうだ。アベンチュリンは口を動かしながら手も動かし続け、肩から伸びた蔦は肘までたどり着いた。あともう少しで作業は折り返し。
「せっせと宣伝したのが実を結んで、刺青は受け入れられてまずまず機能した。まもなく、いち早くファッションに取り入れ始めた若者たちの間でルールが生まれた。蔦の柄だけは、特定の相手がいるという意味にしたんだ」
有名監督の泣けると評判の映画でこの設定が使われ、美人俳優の体を飾ったデザインは一時期爆発的に流行った。当然、映画はカンパニー仕込み。やがて流行が収まっても意味は残った。
普通なら、パートナーができたら刺青は消えるまで隠す。それをあえてはっきりとマーキングして見せつける。嫉妬深さを知らしめるのにも、独占欲を満たすのにもうってつけだ。
アベンチュリンは最後の葉を描き終えて、ペンに蓋をした。別の色のペンに持ち替えて、今度は蔦の葉の影に白い小さな花を散らしていく。
「もう十分では?」
「まあだだよ」
レイシオは待つのに飽きてきたご様子だ。それに、この後交代して彼がアベンチュリンの肌に描くから、凝ったものは面倒だと思っているんだろう。安心してくれ、大作は期待しちゃいないし、こんなことで気持ちを量ったりもしない。
早く切り上げたいのはわかるけど、考えてみてほしい。刺青は意思表示にすぎない。これほどの色男の虫除けなら、パッと見て引くくらいのインパクトがなけりゃ足りないと思わないか。ダメ元で、なんて考えも浮かばないほどに防御を固めたい。自分の男を守る盾を鉄壁にできないなんて、アベンチュリンの存護の運命が廃る。
ランダムに小花を散らした後、またペンを持ち替え、五枚の花弁の真ん中に黄色で点を打っていく。最後にまた緑のペンに持ち替えて、さりげなく四つ葉のクローバーをひとつ描き入れた。
「はい、完成!」
ドライヤーで染料を乾かし、キットに付属している保護シートを巻きつけたらおしまい。これで明日の朝には肌が染まっている。一眠りしたら染料を剥がして、仕上げに付属の保護クリームを塗ればいい。
レイシオはいよいよ眠気にやられてきたのか、ぼんやりと半分閉じた目が虚ろだ。もう、我慢してないで寝ちゃえよ。毎日短時間しか眠らないアベンチュリンとは違い、至ってまともに睡眠を取るレイシオは、こんな深夜まで起きていると辛いだろう。
アベンチュリンに刺青は要らない。そんなものがなくても誘いをかわすのは得意だ。レイシオが知ったら渋ーい顔になるような歳から、数えきれないほどこの体をベットしてきたもので。
とん、とん、とゆっくり背中を叩いて眠りに誘おうとしたら、レイシオは眉間に皺を寄せて瞼を持ち上げた。
「……寝かしつけるな」
「寝ていいよ」
「次は僕の番だ」
言うなり起き上がって胡座をかき、頭を振って眠気を振り払うと、手の届くところに道具を引き寄せた。片手でざくりと髪をかきあげ、サイドボードに置いてあった眼鏡をかける。スイッチオン、一気に仕事をする顔になった。アベンチュリンの心臓はぴょんぴょん跳びあがって万歳三唱だ。この男は自分の顔面の力を知っていて、ちらりとアベンチュリンの目を覗き込んで口の端を上げてみせる。かきあげた前髪がはらりと落ちてくるのも狡い。ときめきすぎて腹が立つ。
レイシオは患者を看るようにアベンチュリンの腕を取った。隠れて仕事をする左ではなく、目線を集める役割の右を。捲りあげた袖が落ちてこないようにマジックバンドで留め、あらわになった素肌を指の背で撫で下ろす。
「冷えたな」
「お風呂を出てから時間が経っちゃったもんね」
ちょっと色が乗りにくいだけで支障はないよ。そう言う前に、温かい手のひらで腕の表面を包まれた。なにこれ、ほっかほか。アンダーシャツ姿のレイシオの方が見た目は寒そうなのに、アベンチュリンよりよっぽど体温が高い。移した熱を揉み込むように腕を握り、擦る。入念な下準備は、触れられていない体の奥にまで火を灯す。
アベンチュリンが仕事着でいるとき表に出るのは、肘の下から手首までのわずかなスペースだ。小さな図案で十分だけれど、しっかり描き込むとしても、この細腕だからさほど大変じゃないはず。レイシオは十分にぬくもりを馴染ませた腕から手を離し、緑のペンを取った。無言でじっと肌を見つめる。
「図案カタログは?」
「不要だ。ここにある」
ペンの背でコツコツと己のこめかみを叩いたと思ったら、おもむろに肌の上にペン先を落とし、大胆な線を引いた。アベンチュリンが描いた気まぐれで少しいびつな曲線とはまるで違い、大きくうねるグラフのカーブみたいだ。太く、均一で、強い。躊躇いなくおおまかな形を描き終えると、細部を描き始めた。シンプルな蔦の枝にのっぺりとした不思議な形の葉が足されていく。
なんと、キュビズムである。アベンチュリンはこみあげる笑いを堪えきれずにくつくつと体を震わせた。
「動くな」
「完成したら写真を撮って自慢してもいいかい?」
「好きにしろ」
迷いのない筆捌きでさほど時間をかけずに全て描き終えると、最後に著書にするようにサインを入れた。ベリタス・レイシオと、人の体に。
「ふはっ! 君、最高だ!」
これを見たら、パートナーがいないと勘違いするなんて絶対に無理だ。少ない手数で効率的に所有権の主張をやってのけたレイシオは、笑いの発作が収まらないアベンチュリンをもう一度動くなと叱りつけ、手際よくドライヤーで乾かして保護シートを巻いた。さすがお医者さま、包帯を巻くように鮮やかだ。捲っていた袖も下ろしてくれた。
「こんなに楽しいことになるなんて思ってなかったよ。傑作をありがとう」
「腹を立てないのか?」
「何に?」
大喜びのアベンチュリンとは逆に、レイシオは難しい顔をしている。顔ではなく少し下、首の刻印を見つめて、忌々しそうに目を細めた。
「僕に名前を書いたこと、もう後悔してる?」
あのサインは思いつきで軽々しく書いたのだろうか。いいや、レイシオに限ってそんなはずはない。アベンチュリンの作業中からずっと書くか否か考えていたに違いない。ペンを握って黙り込んだわずかな時間に最後の躊躇いを振り切って、一番単純で効果的な方法を実行した。
「許すのは君の名前だけだよ。消えちゃうのが惜しいくらいだ」
レイシオの左腕を取って、染料を塗っていない内側に左手の人差し指を滑らせた。すいすいと自分のサインを書いて、レイシオの表情を窺う。
「どうだい、嫌な気持ちになった?」
「ならないな」
「そうだろ。事実だからね」
胸を張って言い切った。サインこそ書かなかったものの、アベンチュリンがレイシオの腕に散らした白い花は同じことを意味している。
君は僕のもの。
レイシオは気にするのが馬鹿らしくなったのか、苦笑してアベンチュリンの頬に指を滑らせた。使い終わった道具をまとめて壁際に押しやり、アベンチュリンにのしかかって軽いキスを繰り返す。ゆっくりとシーツに沈めて、首筋に顔を埋めた。アベンチュリンは、ちくり、ちくりと肌を啄むレイシオの髪に指を通して、くるり、くるりと一房巻いて遊ぶ。
気まぐれに捺される所有印も、皮膚の下に刻まれて一生消えなければいいのに。残念ながら、描いただけの刺青と同じですぐに消えてしまう。残したいものほど手元に残らない。
「左腕は曲げないで」
レイシオは返事の代わりに、伸ばして投げ出しているアベンチュリンの右手に指を絡めて握った。
「汗もかかないで」
ぴたりと動きが止まった。が、再開した。数秒の停止時間に優秀な頭で何をシミュレートしたのやら。
明日から、アベンチュリンの存護の力をおおいに見せつけてやろう。まずは部下たちの反応が楽しみだ。それに、向こうに着いてからレイシオの顔を見るのも。
アベンチュリンは調べたから知っている。現地では小ぶりなワンポイントが主流で、こんなに大きな刺青を入れる人間はごく少数だと。個性的なデザインも今の流行から外れている。ましてや、でかでかと名前を書く奴なんかいない。現地人から見たら、頭のおかしい偏執狂か、控えめに言ってもバカップルのおふざけである。近寄ってくるのは、面白がって写真を撮りたがる輩くらいのものだろう。他はたぶん遠巻きにする。
人が頭の中で何をしようと犯罪ではない。そうであっても、レイシオをどうこうされるのは気にくわない。だから、しつこく這う蔦と彼のイメージではない小花のベールで覆い、隣に立って腕を絡め、全身で威嚇しよう。「僕のだ、見るな!」と。
片手で器用にパジャマの前を開かれ、浮き出た骨の上に歯を立てられた。
「どこに意識を飛ばしている、今集中すべきことに帰ってこい」
「はいはい。いたずらは終わりにしてもう寝ようね、レイシオくん」
ぽんぽんと襟足を叩いて自分の胸に押し付けるように頭を抱くと、不満そうな唸り声が骨を伝って心臓に届いた。
「君は、僕をどうしたいんだ」
「少しでも寝かせてあげたい」
「この態勢で、眠気を呼ぶ話でもしてみるか?」
「じゃあ、マウントポジションから逃げる方法をレクチャーしようかな」
「わかった、もういい」
アベンチュリンの上から降りて仰向けに転がったレイシオは、これ見よがしに深く溜め息をついた。
「一眠りした後なら腕を動かしても構わないな?」
「いいよ。汗をかいてもいい。どのみちシャワーを浴びなきゃいけないからね」
寝る態勢になっても離されなかった手をぎゅっと握り、握り返される。
「おやすみ、レイシオ」
あんな予告をしておいてしっかり寝つくのだから、レイシオは罪深い。乱されたパジャマと心でアベンチュリンはとても寝られたものじゃないというのに。もともとレイシオの寝返り防止に朝まで起きているつもりだったから、予定通りではあるけれど。
可愛い寝息が安定したのを確かめて、足元の上掛けを爪先を使って引き上げた。体温を共有する心地よさが、頭が痺れるほど幸せだ。
仕事のためという建前を得ても正当化しきれないアベンチュリンの独占欲は、今粛々とレイシオに染み込んでいる。
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