千代里
2025-04-04 12:45:52
14063文字
Public リーブラ14話
 

リーブラの針は問う・14話・その58


「ゲルダが竜になる夢……?」
「うん。お母さんみたいな大きな竜になって、空を飛んだり、お母さんに会ったり、それからね」
 オデットが現状を説明した、そのあとのことだ。
 さっさと寝直すほどの図太さも持っていなかったオデットは、気を紛らわせるためにも、ゲルダに彼女が見たという夢について教えてほしいと頼んだ。
 ゲルダは、自分が誰とも知らない悪漢に拉致されたなどということはまるで意に介さず、自分が見たという夢について教えてくれた。それは、確かに夢のような荒唐無稽さはあるものの、妙に真に迫ったものでもあり、実際にゲルダの意識がどこか別の竜に入り込んだのではないかと思えるほど克明な内容でもあった。
「私って、昔は竜の仲間だったのかな。だから、お母さんが助けてくれたのかも」
「人もどんな生き物も、命を落としたら全ての記憶を忘れて別の命の元として再び生まれ変わる、という話もあるそうですけれど……
 それは以前、魔法の講義を受けている間にルーシャンが蘊蓄として語ったものだ。
 たとえ生まれ変わるとしても、全ての記憶を忘れてしまうのなら、それは命の大元が一緒であっても別人ではないか。オデットのその質問に、ルーシャンも「あくまで雑学の一つであり、次の人生なんて考えながら生きるものじゃない」と言ったのを覚えている。
(でも、ゲルダの話し方だと、一つ前の命の記憶……というより、まるでちょっと前の自分が本当にそこにいたような口ぶりなのですよね)
 これでもし、ゲルダが人から竜に変じていたのなら、オデットも納得できた。竜の血を飲めば、人間が竜になるという事例は、オデットも実際に目にしたことがある。
 だが、竜が人になったという話は聞いたことがない。もし、そんなことが実際に起これば、イシュガルドの人々はたちまち疑心暗鬼に襲われてしまうだろう。
「私が本当に竜だったら、オデットをここから出してあげられるのに」
「気持ちだけで十分嬉しいですよ。それより、わたしが連れていかれる前の時のように、危ないことはしないでくださいね」
……?」
 首を傾げるゲルダの様子からも、彼女は自分が悪漢に飛びついたことを覚えていないようだと、オデットは確信する。
 それどころか、自分が殴られたことすら覚えていないようで、最初に「頭の怪我は大丈夫ですか」と尋ねても、ゲルダはきょとんとしていた。
「ゲルダがわたしのことを守りたいって思ってくれるのと同じくらい、わたしもゲルダが大事なんです。だから、ゲルダがわたしのせいで怪我をするようなことがあったら嫌なんです」
「うん。オデットが心配な顔になるなら、気をつける。でも、本当に私はそんなことをしたの?」
「ゲルダは寝起きでしたから、忘れてしまったのかもしれませんね。全く記憶にないんですよね?」
「私の大事な誰かが怖がっている感じがして、守らなきゃって思って、暴れたような気もするような、しないような……?」
 ゲルダ曰く、自分が暴れた記憶すらも、まるで夢の中のことのように感じていたのだそうだ。
「夢の中の私もそうだったんだけど……私は、私の知っている誰かが怪我をするのを見ていたくないの。竜も人も、みんなが楽しく過ごしているところが見ていたいな」
 まるで子供の夢のような言葉だったが、同時にどれほどゲルダが真剣にこの願いを抱いたかもオデットには伝わってきた。
 イシュガルドならば、子供ですらこのような夢は抱かないだろう。人だけでなく竜にも楽しく過ごしてほしいと言えるのは、ゲルダが母親である竜と長く行動を共にしていたからこそだ。
……それとも、まさか本当にゲルダは竜だったことがあるのでしょうか)
 それこそ、荒唐無稽な御伽噺だと、オデットはゆるゆると首を横に振る。
 同時に、体の表面を撫でる寒気に、思わず彼女は体を震わせ、なけなしの暖をかき集めようとした。
「オデット、寒いの?」
……少し。この部屋、暖炉もなさそうですから」
 オデットとゲルダが閉じ込められている部屋には、申し訳程度に防寒具としての薄い毛布が置かれていただけだった。
 だが、暖炉のない部屋に薄くなった毛布では役に立っているとは言い難い。オデットたちを捕まえた者は、防寒には心許ないことに気がついていないのか、追加で毛布を持ってきてくれる気配はなかった。
 幸い、オデットはゲルダを追いかけるときに防寒具を持ってきていたので、すぐさま凍えることはなかった。有事を考慮して寝巻きの上に普段着のローブを羽織っていたのは、結果的に功を奏したというわけだ。
 だが、それでも寒いものは寒い。いつものように動き回っているわけでもないので、体の熱は失われるばかりだ。かといって、部屋の中で運動などできるわけもない。物音を立てれば、自分たちを攫ってきた者が何事かと顔を出してくるだろう。
 暖炉で赤々と燃え盛る炎のおかげで、これまでは部屋着でのんびり寛げたのだなと、オデットは宿で過ごした日々を懐かしく思い返していた。
「じゃあ、オデットには私の上着もあげるね」
「それでは、ゲルダが寒いじゃないですか」
「大丈夫。私、寒いのがわからないみたいだから」
 有言実行と、ゲルダは早速上着を脱いで、オデットに被せるようとする。だが、オデットは流石にそのまま厚意を受け取るわけにはいかないと、やんわりと上着を押し返した。
「ありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですから」
 ゲルダは、療養のために薄地の寝巻きしか着ていない。いくら寒さに強いといえども、そのような薄着では再び体調を崩しかねない。
 ゲルダの腕に上着の袖を通してあげながら、まるで子供の面倒を見ているみたいだと、束の間頬を緩めている。すると、今度はオデットの腹からぐうぐうと大きな音が響いた。
「オデット、お腹空いてる?」
……少し」
 攫われてきたのが夜なら、今は夜明けの時刻だろうか。
 具体的な時間帯はわからない上に、二人が監禁されている部屋には窓がほとんどない。最初は密室なのかと思ったほどだ。
 だが、暗闇に目が慣れていくうちに小さな灯り取りの窓らしきものを、天井近くに見つけることができた。手は届かない上に窓としての大きさもかなり小さいものなので、脱出には使えないが時間を知るだけならば十分だ。
 どうやら、今いる空間は半分地下に埋もれるように作ったらしく、窓の外は雪に埋もれているたたが、光が通ったかどうかぐらいは分かる。
 目が覚めたときよりは薄らと部屋全体が明るく感じるので、今は夜明けか、ひょっとしたらすでに日が昇り切った後だろうとオデットは予想していた。
「お腹が空く時間ってことは、もう朝なんだね」
「私のお腹を時計がわりにしないでください……
 実際、鼓動の数で時間を測るという逸話があるくらい、体の機能を時計がわりにすることは珍しくない。とはいえ、年頃の娘として自身の空腹で時間を測られるのはあまり嬉しくはなかった。
「私はお腹空いたって感覚がよくわからないから」
「そういえば、ゲルダがお腹を鳴らしたところを聞いたことがありません」
「オデットはよく鳴らしてるよね」
「兄さんには内緒にしておいてくださいね」
 他愛のない話をしていると、少しは気分が紛れてくれた。ゲルダを巻き込んだことは申し訳なさがあったが、彼女が取り乱さずにいてくれたおかげで、オデットは緊張と不安に押し潰されずに済んでいた。
(きっと、兄さんがわたしがいなくなったことに気がついてくれます)
 他にも、オデットには自分たちの身を案じてくれる仲間たちの顔がいくつも浮かんでいた。彼らなら、間違いなくオデットを探して奔走してくれるだろう。
 それに、オデットとて、このままおとなしく虜囚の身に甘んじているつもりはない。アガテルと勘違いされて誘拐されたらしいことはわかるが、犯人の思惑やこれから何をするかを探っていくことは、この場にいてもできることだ。
「もう一度あの人たちに会うのは怖いですけれど……
 寒さを遠ざけるために防寒具は必要であるし、空腹を満たすために食料は欠かせない。たとえそれらが望めなくても、せめて水はもらわなければ早晩干からびてしまう。
 意を決して、オデットは立ち上がり、扉へと近づいた。この瞬間までずっと座り込んでいたため、足はまるで生まれたての子鹿のように震えていた。それはずっと座っていたからか、それとも不安からそうなっているのかは自分でもよくわからない。
 扉の前に立ち、呼吸を整える。ゲルダを危険な人物の矢面に立たせるわけにはいかない。戦う術を持たない彼女がまた殴られるようなことがあったら、オデットは自分で自分を許せなくなる。
……大丈夫。魔法の壁を作る準備もしておきましたから)
 いきなり掴み掛かられても、一呼吸で展開できるように体内のエーテルを整えてから、オデットは扉を軽くノックした。無反応だったのでもう一度。さらにもう一度と繰り返していると、苛立たしげな声が向こう側から響いた。
「何度もうるせえな。何だよ!」
「すみません。食べ物と毛布をいただけませんか。あなた方が何をしているかは問いませんが、せめて食事と防寒具をいただけないと、空腹で倒れてしまいます。それに、風邪をひいてしまうかもしれません」
「飯に毛布だぁ? はんっ、貴族様は要求だけは図々しいな。そんなもん、お前らに渡す分があるわけがないだろ!」
 扉越しに聞こえた声は、自分が憎む相手を甚振る悦びに満ちているように聞こえた。たとえ、彼が有り余るほどの食べ物を持っていたとしても、オデットたちに哀れな声をあげさせるためならば一欠片だって渡すまいと決めたかのようだ。
「水だけなら、後で渡してやるよ。一日も経ってねえのに、図々しいことを言いやがって――
「ちょっとあんた、何をガタガタ朝から騒いでるんだい!」
 扉から少し離れた所から、いくらか年嵩と思しき女性の声が響く。彼女に呼ばれたからか、男が扉の前から離れていく気配がわかる。
(この間に脱出する……のは流石に危険ですよね)
 試しに扉を押してみるも、何か大きなものをつっかえとして扉の前に置いているのか、簡単に開きそうにない。力一杯押せばその限りではないのだろうが、そのようなことをしている間に男が戻ってきてしまうだろう。
 だが、扉が少し開いたおかげで、遠くから響く声は先ほどより聞こえやすくなった。
「あんたたち若いもんが何をしようが、それはあんたたちの勝手だけどね。ここを使うなら、あたしのルールには従ってもらいますからね」
「わーってるよ。いちいちうるせえな」
「自分の母親にそんな口がきけるほど偉くなったなんて、あたしゃ知らなかったね。ついこの間、盗み食いをして尻を叩かれてたのはどこの誰だったかねえ!」
「そんな古い話を持ち出すんじゃねえよ! いいか、あっちにいるのは俺たちの作戦には欠かせない、人質にさらってきた貴族の姫さんなんだよ! 普段から美味い飯をたらふく食っているやつに、俺たちの食い分を分けてやる必要なんかねえって言ってんだよ!」
 男と、恐らくは母親と思しき女性が口論をしているようだ。そんなことを考えている場合ではないと思いつつ、自分のせいで親子の関係が険悪になるのは何だか申し訳なく思えてしまう。
「あんたらが連れてきた人質とかいうのは、あの小さい女の子たちのことだろう? あんな小さな子を虐めるのがあんたたちの作戦だというなら、どうせ大したことなんかできやしないだろうさ! あたしは、あんたを子供をいじめるろくでなしに育てるために、これまでの二十年ばかしを過ごしてきたわけじゃないんだよ!」
「なんだよ、俺たちが持ってきた食料がなければ、大した飯も作れねえくせに偉そうに……
「そうさ。その代わり、あんたたちが持ってきた食材を食えるものにしてるのはあたしたちだ。分量を把握しているのもあたしたちだ。そのあたしが、子供に少しばかりくれてやるぐらいの量はあるって言ってんだよ! 大体、小さな子供に食事も毛布も与えず倉庫に閉じ込めるなんて、やっていることが陰湿なんだよ、あんた達は!」
「だけど、貴族のガキにだぞ。俺たちを散々虐げてきたっていうのに!」
「あの子供が、あたしたちに直接石を投げたわけじゃないだろうさ。ねえ、先生。あなたからも何か言ってやってくれませんか」
 親子喧嘩の風向きが変わり、オデットはますます耳に全神経を集中させる。
 母親の方は、たとえ人質であろうと、子供に食事も与えず寒い場所に閉じ込めておくのはよくないと考えてくれているようだ。
 一方で、息子でもある男の方は、貴族憎しの感情が先走り、オデットたちには最低限の世話しかしたくないと考えているらしい。
 ならば、女性が話を向けた先生はどう考えているのんだろうか。
 声を荒らげている二人とは対照的に、先生と言われている人物は落ち着いて話をしているためか、声はほとんど聞こえない。だが、理性的であるというのは、期待を感じさせることでもある。
(せめて、防寒具と水だけでももらえないでしょうか……
 最悪、食事はなかったとしても数日は持ち堪えることができる。だが、イシュガルドの寒さは直接命の危険をもたらすものになりかねない。
 昨日はさほど気温が下がらずに済んだようだが、ひょっとしたらぐっと気温が下がる日が訪れるかもしれない。今の防寒具だけでは足りない気温になった場合、オデットもゲルダも凍えたまま命を落としかねない。
 加熱していた親子喧嘩は、先生という第三者が挟まったことで幾らか鎮火したようだ。幾つか言葉を交わす気配が続き、やがて足音がこちらに近づいてくるのを察して、オデットはすぐさま薄く開いていた扉を閉じた。
「オデット、どうだったの?」
「ご飯を渡すか渡さないか、相談していたみたいです。少しだけでもいただけると良いのですが」
 ゲルダの元に戻り、悄然とした令嬢の様子を装いながら、オデットはそーっと扉の向こうの気配を探る。
 数十分後、やはり食べ物は諦めるべきかと思った頃に、足音がもう一つ近づくのが聞こえた。その足音の主は、見張りをしている者――話し声からして、先ほどの息子だろう――といくつかの言葉を交わした後、
「入ってもいいでしょうか」
 ノックの音と共に、声が響く。その声に、オデットは何度か瞬きを繰り返す。
(あれ、どこかで聞いたことがあるような……
 返事をしながらも首を傾げるオデット。その答えは、すぐにわかった。
 扉を開いて姿を見せた人物に、オデットは目を丸くして、
「ヒューイさん……?」
 大きな声を出さなかったのは、咄嗟に自分で自分の口を塞いだからだ。誘拐された貴族の娘が嬉しそうな声をあげていては、見張りをしていた男が疑心を抱くだろう。
 ヒューイは後ろ手で扉を閉め、驚いたように何度か瞬きをして、部屋の隅に身を寄せている少女たちを見つめていた。
「誘拐されたのは、ルグロ家の御令嬢と伺っていましたが……
「えっと……それは、少し込み入った事情があるんです」
 話しながらも、オデットは内心で冷や汗をかいていた。
 ヒューイは、オデットがルグロ家の娘ではないことを知っている。もし、彼がならず者たちにオデットの正体をバラしてしまったら、オデットは窮地に立たされることになる。
 ヒューイは、しばらく考え込むように軽く目を伏せていたが、
「それは、ぜひ話を聞かせてもらいたいものですね。ですが、その前にまずはこちらを」
 彼は部屋に放り出されていた木箱の上に、手に持っていたお盆を乗せる。お盆の上には、スープが入った小さなお椀が二つ並んでいた。
「それと、こちらが外套です。大したものではありませんが、そちらの防寒具と合わせれば暖炉で温まっているのと同等の温もりは得られるでしょう。水については、こちらを使ってください」
 テキパキとヒューイが渡してきた品のうち、最後に渡されたお湯の入ったボウルを前にして、オデットは目を白黒とさせていた。まさか虜囚の身である自分達に、ここまで用意してくれるとは予想していなかったからだ。
「あの、これはヒューイさんが頼んでくれたのですか? でも、ヒューイさんは先ほどまでわたしたちがここにいるとは知らなかったのですよね。それに、どうしてヒューイさんがここに」
 聞きたいことはオデットにも山ほどあったが、ヒューイはまず人差し指を口元に当てて、沈黙を促した。
「近くに先ほどの息子さんがいますので、あまり大きな声をあげないように。お母様がかなり厳しく叱っていましたが、それでも彼からあなた方への悪感情が消えたわけではありませんから」
 オデットは再び口を手で塞ぎ、静かに一度頷く。ゲルダも状況を察したのか、それとも単なるオデットの真似をしているだけなのか、同じように口元を手で塞いでいた。
「私がここにいる理由はあなた方とは直接関係ないことですので、後で話しましょう。まず、食べ物の方をどうぞ。お腹を満たしておかないと、寒さに体力を奪われてしまいますよ」
 ヒューイに勧められて、オデットはおずおずと一緒に置かれていた木匙を手に取る。毒でも入っていたらと思うところはあるが、暖かそうなスープの匂いは空腹を激しく刺激していた。
「作っているところは見ていましたが、異物の混入などはされていませんでしたよ。気になるなら、私が先に食べてみせましょうか」
「えっ、あの、そこまでは」
 オデットが言い切る前に、彼はゲルダの分の匙を手に取ると、スープをひと匙飲み干して見せる。
「ほら、大丈夫でしょう」
「は、はい……。ですがもし本当に毒が入ってたら、ヒューイさんが大変なことになっていたのではありませんか」
「毒消しはいくつか常備していますから。それに今のあなたは空腹ではありますが、同時に安心も求めていました。その安心を最も手っ取り早く示し、あなたの空腹を解消させるために、医師として必要なことをしたまでですよ」
……気遣ってくれて、ありがとうございます」
 医師として、空腹の子供に食事をさせねばというプライドが、ヒューイに危険な橋をあっさり渡らせたのだろう。それは大人の気遣いというものだ。オデットは感心と共に、彼の厚意に深く頭を下げた。
 お腹は空いていないというゲルダに「今食べないと次はいつになるか分からないから」と急かしながら、オデットは少し遅くなった朝食に口をつけた。空腹が解消されることよりも、暖かなものが胃に流れ込む感覚が、どんなご馳走よりもオデットを安心させてくれた。自分は、思っていた以上に今の状況に不安を覚えていたらしい。
「あの……ヒューイさんは、ずっとここにいても大丈夫なのですか」
「あまり長時間いると流石に怒られてしまうでしょうが、話し相手がいた方が気が紛れるでしょうし、被害者も懐柔されやすくなると伝えておきました。人質が極端に反抗的な姿勢を見せるよりも、少しは従順な方が色々とやりやすいでしょうとお話ししたところ、素直に頷いてくれましたよ」
「そうだったのですね。ヒューイさんは、外の方とは仲が良いのですか」
「その話をするためにも、少し状況を整理しておきましょうか」
 冷めないうちにと促されて、オデットは話に耳を傾けながら匙を動かす。
「まず、なぜ私がここにいるのかを話す前に、ここがどこかを知らせないといけませんね。この近辺に暮らす異端者たちのことを、ノエさんはオデットさんにどれぐらい話したのでしょう」
 思いがけなくノエの名前が登場して、オデットはぱちぱちと素早く瞬きをした。
「兄さんが、何か知っているのですか」
「その反応を見ると、ノエさんはオデットさんたちにも約束を守って伝えなかったのですね」
 ヒューイの口ぶりから察するに、ノエはヒューイに何か口止めされていたらしい。オデットに直接関わることでないと判断して、彼も約束を優先して沈黙を守っていたのだろう。
「ここは、異端者の中でも、戦う力を持たなかったり、病や怪我などで療養が必要な方が身を寄せ合って暮らしている集落です。私は以前、この集落の住人に呼ばれて、往診をしたことがありまして、その経緯で何度かここに様子を見にきていたんです」
「では、兄さんたちも……?」
「ノエさんたちは、私の残した足跡を見つけて追いかけてきたようです。この集落は周辺が急峻な山に囲まれ、通り道といえば洞穴が一つだけ。その入り口も普段は魔紋で隠しているので、人目を隠れて生活するには丁度良いのです」
 そうして、ヒューイはこの近辺で活動している異端者が、如何にして異端者になったのかを語った。
 誤解により異端審問官から、村丸ごと異端者の烙印を押された人々。彼らは貴族や権力者への反発を強く抱くようになり、同様の考えを持つ者たちが集ううちに、互いの絆を確かめ合うために――裏切り者を出さないために、竜の血を飲み、自らの退路を断ち切った。竜の血を飲んだ点は確かに異端者ではあるが、その出発点は竜を心から信仰するものとは少し異なっている。
 もっとも、生きるためとはいえ、神殿騎士団や配下の商隊などを無差別に襲うという行動そのものは、他の異端者と変わりないものとなったのは、どんな運命の皮肉だろうか。
「そのような理由で異端者になったものたちなので、彼らの中には積極的に誰かに危害を加えるのは避けたいと考えるものもいました。中には、家族ぐるみで異端者の烙印をおされたため、まだ幼い子供も彼らの中には含まれています。そのような異端者の身内の方が暮らすために、この場所が生まれたのです」
「でも、今はわたしを連れてきた人たちもいるのですよね……?」
 彼らはどう見ても、誰かに危害を加えるのは避けたいと思っているようには見えない。
「はい。どうやら、普段は外部で活動しているメンバーが、何かの作戦を実行するための拠点として、隠れ家として有用なこの場所を選んだようなのです。私も、偶然彼らが訪れた頃に集落に訪問していたため、外に出てはならないと命じられて足止めを食らっているところなのです」
 それがこの場所にヒューイがいた理由なのだと、オデットもようやく得心できた。
 また、彼の説明を聞いて、オデットは不安一色に染まっていた心が少し落ち着くのを感じていた。
 彼の口ぶりでは、集落の場所はそこまでシュガーグレイヴから離れているというわけでもなさそうだ。おまけに、ノエたちは一度この集落を訪問しているという話だ。それなら、いずれノエがこの場所にオデットがいると気がついてくれる可能性は十分にある。
「異端者の方々の作戦というのは、どんなものなのですか」
「今、町には貴族の関係者が訪れていたそうですね。人前に顔を出したその関係者を拉致し、その命と安全を引き換えに、税を収めずに暮らすことを認めさせたいようです。ただし、異端者の方達は、ですが」
「わたしを誘拐してきたのは、異端者の人たちではないのですか?」
 オデットの至極もっともな疑問に、ヒューイは「あくまで推測ですが」と前置きを挟んでから、
「今回の作戦には、少なくとも三つの異なる考えのグループが関わっているようです。一つは、先ほど話したような竜の血を飲んで異端者のように賛同者を集めつつ、貴族への反発心を高めている方ですね」
「多分、その人たちは私と一緒にいた人だよ。お母さんのところに来た人たちが、そんな感じのことを言っていたもの」
 ゲルダが横から説明に補足する。それならば、先だってのノエの父の領地で度重なる竜の襲撃を煽った一団の一派か、あるいは当人たちかもしれない。
「そしてもう一つは、シュガーグレイヴの住民ですね。私の知る限り、何度か町で過激な演説をしていた若者たちが、異端者と行動を共にしている姿を見かけました。中には、家を無くして流民として町に住み着いた人が、そのまま町の住人に紛れてに活動している場合もあるようです」
 ちょうど、ミラベルが探していたアンディの父親がその例にあたる。
 彼はもともと町に暮らしていたのではなく、流れ者としてやってきて居着いた挙句、異端者の仲間として活動をしていたようだ。流れものであっても一度町に入ったのなら出入りは容易いだろうし、元の住人なら尚更異端者を身内のように装って手引きすることができる。
 いま、シュガーグレイヴにはどれほど異端者が紛れているのだろうと、オデットは内心で寒気を覚えていた。
 
 
「では、最後の一つはどんな方々なのですか」
「先ほどの奥方のように、異端者とはいえ今まで静かに暮らしていた生活を乱されて不満や不安を抱いている方です」
 先ほどの親子の喧嘩を思い出し、オデットは思わず納得の頷きを繰り返した。
 彼女があれほどまでに激昂していたのは、貴族に真っ向から敵対するような姿勢を見せた結果、彼女たちの安寧が脅かされると思ったからもあったのだろう。
「彼女たちも、異端者が襲撃で得た食料や生活品をもとに暮らしているので、大っぴらに反対はしていませんし、中には消極的な賛成をしている方もいるようですが……
「でも、できるなら関わりたくない、ということですね」
 無責任とも言えるが、彼女たちは直に食べ物をとってきたことがあるわけではない。だからこそ、これまで通りでもいいではないかという考えも出てくるのだろう。
「私が集落について知る限りの情報はこれくらいです。お二人は今、集落の民家の一つにいるのですよ。ここは、元は半地下の倉庫として使っていた部屋なので、床よりも一段低い作りになっているんです」
 誘拐事件とは少し外れた豆知識を教えてもらって、オデットはこれまでの閉塞感が少し和らいだのを感じた。どこともしれない地下牢ではなく、民家の倉庫と思えば、脱出もなんとかなりそうと思える。
「私からも一つ聞いて良いでしょうか。私は、貴族のご令嬢を拉致してきたと聞いていたのだが、オデットさんは実はやんごとなき身分の方なのですか?」
 突拍子もないことを大真面目に問われて、オデットはほぼ空になっていた器をひっくり返しそうになってしまった。
 実際、ルグロ家に滞在時に知った己の出自を思えば、オデットもヒューイの言うように貴族の令嬢として名乗りをあげられる血筋ではある。もちろん彼の質問がそのようなことを聞いているわけではないことは、百も承知だ。
「実は、少し込み入った事情がありまして……
 オデットは、アガテルがオデットそっくりに見た目を変えて人前に姿を見せたことを説明した。
 彼女が自分の保身のために姿を偽ったのは民衆に恨まれるのを避けるためであったが、その危機意識は決して杞憂ではなかったのだと、オデットは改めて思う。事実、こうしてオデットはアガテルの身代わりとして危険な目に遭っているのだから。
「なので、異端者の方はわたしをアガテルさんと間違えて、誘拐してしまったのだと思います。ゲルダは、わたしを守ろうとしてくれて、そのまま……
「そういうことでしたか。では、オデットさんが勘違いで攫われたことが知られるのは、避けた方がいいということですね」
「はい。わたしが目当ての令嬢ではないと知ったら、きっと皆さんの態度が変わってしまうと思うんです」
 騙すのは心苦しいが、ことは自分一人だけの問題ではない。オデットには、ゲルダを守るという使命もあるのだ。
 だが、このあとどうなるのだろうという不安もある。誘拐されたのが本物の令嬢ではないと、当人であるアガテルたちは当然知っているはずだ。ならば、異端者の要求を聞き入れる理由は彼女たちにはない。
……ルグロ家の方々は、犯人の要求を跳ね除けてしまうのでしょうか。そうしたら、異端者とルグロ家の方々は、どうなってしまうのでしょう。今回は偶然、わたしがアガテルさんの身代わりになれましたが、もしアガテルさんが本当に誘拐されていたら……
「いえ、偶然ではないと思いますよ。そのお嬢さんは、もしかしたら自分が誘拐される……あるいは、なんらかの危険な状況に置かれる可能性を知っていた上で、敢えて勘違いされやすい状況を作り出したのかもしれません」
 ヒューイの説明に、オデットは目を丸くする。彼女は、あくまで不幸な誤解で拉致されたものだと思い込んでいたのだ。
「そうすれば、ルグロ家は自分たちの関係者に害を加えた連中がいるという大義名分を得られますし、身内を危険に晒さずに犯人を追跡することもできます。……ああ、なるほど。つまり、これは壮大な一人芝居の可能性もあるのか」
 一人で得心したらしいヒューイとは対照的に、オデットには未だ作戦の全容はわからないままだった。
 だが、どうやらルグロ家は単なる被害者というわけではなさそうだとは、オデットにも薄ら読み取れていた。
「で、では、異端者の方々のお話は聞き入れられないのですか。わたしも、このようなことをするのは間違っているとは思うのですが、でも……町で暮らしている方の生活が少しでも良くなるように、これを切っ掛けに話を聞くぐらいなら……
 異端者の正義の是非はともかくとしても、シュガーグレイヴで暮らす人々の表情が暗かったことはオデットの印象にも強く残っている。
 ノエの父親が治めていた街は、まだ人々が前に向こうという気概が残っていた。だが、あの町にはそれすらないように見えた。
 兄のようにオデットが慕っているミラベルは、町の閉塞的な空気は感じていたものの、彼一人にできるのは孤児院の子供達の笑顔を守ることだけだった。
 しかし、より大きな力を持っている貴族ならば。
 オデットは一縷の希望を託すようにそう言ってみたが、
「オデットさん。あなたは、為政者や支配者というものが本質的にどんなかんがえかたをする生き物であるかを分かっていないようです。彼らは、自分たちの利益や権威を守るためならば、どんなことだってします。自らの手を汚さず、あたかも自分たちが何よりも正しい存在であるかのように振る舞うことにかけて、彼らの右にでるものはいません」
 ヒューイの言葉は、やけにきっぱりとしていた。まるで、彼自身がかつてそのような為政者をみてきたかのようだ。
「でも、それだけじゃないはずです。わたしは、善良な貴族の方も目にしてきました」
 ノエの父の姿を思い出し、オデットは必死に反論する。それでも、ヒューイは首を横に振っていた。
「その意味では、ここにいる者たちも貴族とは何か、支配者とはどのような生き物なのかを完全に理解できているとは言い難い。彼らは、貴族を侮っています。武器を持ったこともなく、神殿騎士団に町の防衛を任せるほどの武力しかない、口だけは大きい軟弱な支配者に過ぎないと」
「神殿騎士団の方々に町の防衛を任せているのは、事実なのではありませんか」
「ええ。けれども、それが即ち武力を全く持っていないとは言い切れません。自分の身辺に騎兵たちを抱え込むため、とも考えられます。彼らは、平民たちの支配者であると同時に、竜と戦う尖兵でもあるのですから」
 異端者にとって、貴族とは目に見えない暴君に過ぎなかった。シュガーグレイヴの若者たちにとってもそうだろう。だからこそ、少しばかり身内を人質にとり、貴族が今まで触れてこなかった暴力をちらつかせれば、大人しく言うことを聞くと思い込んでしまう。
 だが、ヒューイには彼らの違う姿が見えているようだ。
「そもそも、税のない領地などという長期的かつ前例のない目標に対して、誘拐などという短期的な手段は上策とは言い難い。娘が手元に戻ったあと、攻め滅ぼされる可能性を考えているとも思えません。あるいは、娘を生涯自分たちの元に縛り付けるつもりなのか……
「そ、それは……わたしも困ります」
 ヒューイの見通す政治的な折衝については、オデットにも分からないところが多かった。だが、自分の今後がどうなるかについては、己の意思を示しておきたかった。
「わたしは、何があっても兄さんのところに戻ります。ゲルダと一緒に」
「そうですね。ひとまず、あなた方の目的はそれで良いかと思います。また様子を見に行けないか、外の者にはそれとなく頼んでみましょう」
 ヒューイはオデットを安心させるために笑顔を見せたあと、食べ終えた器をお盆の上に乗せ直す。
 立ち上がった彼に、オデットはもう一つ大事なことを伝えそびれたことを思い出した。
「あの。もしできるなら、ゲルダの容体を見てもらえませんか。ゲルダは、昨日……いえ、もう一昨日になるのですけれど、一度急に気を失って丸一日以上眠っていたんです。そのあと、わたしが攫われるときに異端者の人に突き飛ばされて、頭を強く打ったみたいで……
 オデットの説明を聞いて、ヒューイは素早く瞬きを繰り返し、ゲルダを見つめた。
 そこには、先ほどまでオデットに見せていた他者を安心させるための気配はなく、まるで実験動物を観察しているかのような、無機質な興味が浮き彫りになっているように見えた。
 突然彼が見せた気配の変化にぞくりとしたものの、それもまた一瞬のことだった。
「わかりました。外の方に交渉して、ゲルダさんだけは外に出して診察を受けられないか相談してみます。私としても、あなたが今どうなっているかは、気になるところではありますので」
 ヒューイはちらりとゲルダを一瞥してから、扉の外へと出ていく。くぐもって聞こえる話し声を耳にしながら、オデットは内心でほっと息を吐いていた。
 思いがけないところで知人と再会できたことは、確かにオデットの心に安堵をもたらしてくれていた。ゲルダはオデットの隣に腰を下ろし、スープで少し温まった体をもたれさせる。
「オデット、お腹いっぱいになった?」
「はい。それに……少しほっとしました」
 まだ脱出の手段は思いつかないけれど、希望と思える光は確かに胸に灯った。
「大丈夫です。きっと、何もかもがうまくいきます」
 そう呟きながらも、オデットは先ほどのヒューイの話を思い返していた。
 仮に、ノエたちがオデットを助けてくれたとしても、ルグロ家の人々は屋敷に侵入した異端者たちにどのような罰を与えるのだろうか。
 今までの生活を変えてほしいと望む人たちの願いは、どうなるのだろうか。
 何もかもがうまくいく――その願いこそ、虚構ではないかと指摘する己自身を、オデットは否定できなかった。