らい
2025-04-03 21:00:18
4994文字
Public レオいず
 

レオいず30days③「ゆうやけこやけの影に」

学院編③ お題「だぁい好き」 ※高1

「セナなんかもう知らん! おれもう帰るっ、赤信号も無視して帰るっ!」

 夕染めの空き教室に、かんしゃく声のシルエットがうごめいている。「無視するな~!」と両腕を振り乱している姿は、さながら縄張り争いをするザリガニだ。まったく、幼稚園児がそのまま大きくなったような男には付き合いきれない。泉は椅子にもたれながら、深々と息をついた。
 セナのばか、あほ、うんこたれ。高校生の語彙にしては拙すぎる罵詈雑言を受け流し、泉はスマートフォンに視線を下ろす。液晶画面には、怒涛のメッセージが連なっていた。高校生になっても息子を管理したがる母親の、熱烈な文章が映っている。

『泉ちゃん、帰りは何時ぐらいになるの?』
『泉ちゃん、ちゃんと報告してね』
『泉ちゃん、返事がないからママ心配』
『泉ちゃん、騒がしいあの子と一緒にいるの?』

 そして外野のレオは、「おれの話を、ちゃんと聞け~!」と暴れている。泉は額を抱えて、舌打ちを響かせた。どいつもこいつもイライラする。
 事の発端は、泉が引き起こした問題にある。五限目のダンスレッスン───くじ引きで決まった者どうし、チームで披露する演目を話し合っていたときの出来事だった。泉の班を引き当てたレオはひどく上機嫌だったが、それ以外の顔ぶれはやる気のないアイドルばかり。私語に花を咲かせるメンバーに腹が立ち、泉は「ちゃんとしてくれないと、困るんだけど」と注意した。
 ただでさえ、他人から発せられる言葉に過敏な年頃である。ただの指摘は、ものの見事にいさかいに発展した。売り言葉に買い言葉の応酬が続き、クラスメイトが「そんなだから、瀬名は嫌われてんだよ」と言い放った瞬間───レオはたちまち激怒した。レオが胸倉を掴んだことで、取っ組み合いの喧嘩がはじまったのだ。
 幸いすぐに止めに入ったので、大事にはならなかった。しかし、レオはずっと不機嫌だった。心配して話しかけてきた善良なクラスメイトにすら、「セナのこと悪く言ったら、許さないぞ!」と突っぱねる。このままではレオの対人関係に支障が出ると判断した泉は、たまらず諭したのだけれど───泉の配慮は、逆効果だったらしい。

「べつに嫌われるのには慣れてるから、いいよ」
「よくないだろ~!」

 困ったことに、レオの怒りは膨張するばかり。放課後の練習時間になっても喚いているものだから、泉は「今日はもう解散しよう」と促した。ところがレオはふたたび機嫌を損ねた。埒があかないまま、膠着状態が続いているわけである。

「聞き分けが悪すぎない?」
「だって……。あいつら、セナのこと悪く言うから……

 どうして当の本人よりも、外野の人間が傷ついているのか。叱られた幼子のように肩を落とすレオに、泉はしどろもどろに視線を泳がせた。
 俺のために怒ってくれたんだ、と素直に受け取れるほど、聖人にはなりきれない。よくもまぁ延焼させてくれたものだと責めてすらいるのだが、冷たく突き放すわけにもいかなかった。なぜだか当人よりも落ち込んでいるレオに攻撃するほど、泉だって鬼じゃない。

「俺が傷つくならまだしも、なんであんたが怒るわけ?」
「おれは、セナのことがだぁい好きだもん」
「俺は別に……有象無象のアホに何を言われようが、気にしないよ。昔っから嫌われるのには慣れっこだし、散々な悪口もぶつけられてきたからねえ」
「だからぁ~、そういうことじゃないだろ~! あぁ~っ、リモコンがあったら今すぐおまえを消音にするのに!」
「音を消すならあいつらじゃん。俺のこと悪く言われるのは嫌なんでしょ? なんで俺なの」
「う……うう~っ!」

 あたかも自身の悪口を聞かされたみたいに、耳を塞いでいる。泉は眉をひそめながら、やはり無視することにした。いったい何をどうすれば納得するのか、泉にはちっとも理解できない。

「あ~っ! おれの話、シャットダウンしようとしてる!」
「あんたが、しつこいからでしょ」

 辛らつに言い放つと、レオは絵に描いたようにしょんぼりと背を縮める。夕陽にしなびた髪のしっぽが哀愁を帯びていた。まるで極悪人にでもなったような気持ちになって、泉はたまらず声を荒げた。

「赤信号を無視して帰るんじゃなかったの!?」

 投げやりに問えば、レオはむっとしたらしい。ブレザーの腕をまくって、啖呵を切った。

「おう。別におまえに言われんでも、帰る!」
「あっそ。バイバイ」

 泉はイヤフォンを耳につける。結局チームの話し合いはまとまらなかったので、課題曲の候補をいくつかリストアップしておかなくては。まずはメロディーを聞き流して、振り付けはそれからだ。
 床に放り投げたスクールバッグを背に抱えて、レオが帰り支度を始めている。妙に動きが遅いのが気になるが、甘えんぼのレオのことである。大方、引き留められるのを期待しているんだろう。抜き足、差し足、おおげさに忍び足。身振り手振りで激しく主張するレオを知らんぷりして、泉は再生ボタンを押した。
 なんの声掛けもないことで諦めたのか、レオは素早く教室から姿を消す。ところが十秒後。教室の扉が開いて、困り眉がのぞいた。

……本当に、帰っちゃうぞ」
「うん。どうぞ」
「なんだよ! セナの薄情者!」

 バン! と勢いよく扉が閉じられた。教室の外でドタドタと響き渡る足音は、やがて遠ざかっていき───どこからともなく声が聞こえてくる。

「廊下の角を曲がっちゃうぞ~! いいのか~!」

 泉は歌詞カードを眺めながら、口角を引き攣らせた。わざわざ見に行かなくてもわかる。きっとスクールバッグを旗のように振り回して、デモ活動よろしく叫んでいるのだ。高校生にもなって、恥ずかしいったらない。
 椅子に深く腰掛けながら無視していると、やがて静かになった。泉は巻き戻しボタンを押して、課題曲の音源を流し続ける。プロの作詞家による情緒にあふれたメッセージ、会場も乗りやすいアップテンポな曲調。客目線でも決して悪くない。
 でも、敵わないんだよね。あいつの曲には───無邪気な八重歯が脳裏によぎり、泉は「ああ、もう! あっち行け!」と空想のレオを追っ払う。

「セーーーーナーーーー」

 夕陽に消えた残像をほじくり返すように、またしても叫び声が響き渡った。日曜日の選挙カーさながらの爆音が弾けるものだから、泉は半開きになった窓から外を見下ろす。
 レオが、体育祭用のラインカーを押しながらメガホンを掲げていた。グラウンドには白線で「セナ!」と描かれている。
 あのアホ……
 呆れる暇もなく、階下のレオが呼びかけた。

「ほんとの、ほんとに、帰っちゃうぞ~! 家ですっきりシャワーを浴びて、黒いジャージ姿でスーパーカップとか食べちゃうぞ~! おまえはそれでも、いいのか~!?」

 夢ノ咲学院の恥さらしめ。泉は「馬鹿」とつぶやきながら額を抱えて、夕陽の射し込む窓をぴしゃりと閉めた。わざわざ体育館倉庫をこじ開けて、白線を引く道具を探してきたんだろうか。そんな時間があるのなら、来週のチームダンスに備えてほしい。泉は脱力して、椅子にもたれかかる。スマートフォンに通知が来た。
 今度は液晶画面越しに「セナ!」と訴えかけてくるつもりか。雑な所作で画面を開き、泉はため息をつく。
 メッセージの主はレオではなく、母親だった。

『ママは、泉ちゃんのお友達を否定するわけじゃないけれど』
『変わった子と一緒にいすぎるのは、ちょっぴり反対』

 レッスンが終わったら、帰るよ。
 ようやく返事を送って、泉は首をもたげる。大して気にしたことはなかったけれど、日が暮れると天井は薄暗い膜に覆われる。普段ふたりで過ごしているときは気づかなかった。レオがけらけら笑う顔ばかり見ていたから。
 母親は、レオをあんまり快く思っていない。初対面の印象が、作曲に明け暮れている姿だったので無理もないのかもしれない。泉の母親でなくても、『ちょっぴり変わった子』ぐらいの印象は持つに違いなかった。
 実際にレオは変わっている。音楽の才能には恵まれているが、思ったこと、考えていることを実直に伝えすぎるせいで、友達は少なかった。昼休みのチャイムが鳴ったら、サッカーに飛び出すように見えるのに。実際のところは、教室のすみっこで絵を描いているような───意外と、寂しいやつなのだ。
 セナ、だぁい好き。愛してるよ、世界でいちばん!
 毎日しつこく抱きつかれているから、顔も声も再生できてしまう。秒数を数えるまでもなく、瞬間的に。耳の奥で流れている課題曲が、ものの見事に上書きされていく。
 レオは、変わっている。変わっているからこそ、ひねくれ者の泉にさえ輝きを見いだしてくれる。モデル業界とのコネを形成したがる同級生のおべっかとは違って、心の底から泉を褒めてくれた。見ているこちらがくすぐったくなるぐらいの、穢れのない笑顔で。
 泉は、なんとなくアルバムを開いた。SNS用の自撮りやライブ会場の全景、スクリーンショット、仕事絡みの画像が敷き詰められたフォルダには、レオとのツーショットがいくつも保存されている。しわくちゃに笑う向日葵の横で、入学以来ずっと不愛想だった泉が、柔らかな口角を携えていた。
 レオは、「セナが悪く言われるのは、いやだ」と主張して譲らない。しかし、芸能界は蹴落とされるのが当たり前だ。見ず知らずの他人から誹謗中傷を浴びせられることも、日常茶飯事である。一般人の感覚と比べれば麻痺しているのかもしれないが、それで傷つくようではトップなんて目指していられない。
 レオはあまりにも優しすぎる。過剰に寄り添おうとするのは、小学生のうちに卒業しておけと言いたいけれど───本当は、ちょっぴり嬉しかった。瀬名泉は性格が悪いんだから、嫌われても仕方ない。そう遠巻きに見つめるのではなくて、おまえのことが大好きだから、と拳を掲げてくれたことが───美しく引き締めているはずのくちびるが緩んでしまうほどに、嬉しかった。
 嫌われたって別にいい。どう思われようと構わないのに、そんな風にかばうから。胸がずきんと痛んで、平静に振る舞えなくなる。
 あんたのせいで、俺は俺でいられなくなっちゃうよ。れおくんの馬鹿───ぼそっと呟くと同時に、教室の扉がおもむろに開かれた。

「セナぁ~……

 ブレザーの裾で目尻を拭いながら、白い粉まみれになったレオが現れる。まさかこの期に及んで戻ってくるとは思わなくて、泉はスマートフォンを落っことした。
 イヤフォンの端子がすっぽ抜けて、床に転がっていく。

……帰るんじゃなかったの?」
「やっぱり帰らない!」
「はあ?」
「嫌われるのには慣れてるとか、そんな悲しいこと、言うなよぉーーー」

 レオは、鼻水を垂らしながら、わんわんと泣く。透き通った涙が頬を伝った。ぽとりと落ちる雫の色には、なんの邪念もない。ただただ泉のために泣いている。どうしようもなく愚かで、救いようがないほどお人好しだ。
 泉はハンカチを取り出して、レオの目元を拭いてやる。レオは鼻をすすって、大人しくなった。
 
「ったく、ガキじゃないんだからさあ……
「他のやつらは、なぁんにもわかってない」
「はいはい」
「他のやつらがセナを嫌いでも、おれはセナのことがだぁい好きなんだよぉーーー」
「あ~、わかった。わかったから、もう泣くな。あんたの好きなファミレス寄ってあげるから、みんなで披露する曲いっしょに考えて。ほら、帰るよ」

 ぐすん、と鼻をすするレオを引っ張ると、泣きべそをかいていたレオの表情はみるみる明るくなっていく。窓から射し込む夕陽が溶けて、とろける笑顔が咲いた。今までの涙はどこへやら、手をぎゅっと繋いで「セナとごはん♪」と先導したがるものだから、泉は気分の切替えが早いやつ、とぼやいてみせる。だがしかし緩んだ顔を眺めるのも、そんなに悪くなかった。
 ちょっぴり変わった子。世間の人々はレオをそう評価する。昼間に輝きを放つ太陽のように、この世の誰もが羨望してやまない人間ではないのかもしれないけれど。沈みゆく夕陽のなかでぽっと咲く笑顔が、泉はたぶん好きだった。