分所に戻ってきたときにはすっかり夜も更けていた。他のメンバーは既に帰宅している時間帯だ。
「協力いただいて助かりました。おかげで休日前には調査を終えることができました」
「こっちこそ。ちょうど僕らも気にしてた案件だったんで。シュウさんと調査できて捗りました」
調査用の機材を片付けながらユウマが事務所の時計を見上げる。
「すっかり遅くなっちゃいましたね」
「そうですね
……あ」
つられて腕時計を確認したシュウが眉をしかめた。
「どうかしましたか?」
「その、終電を逃してしまったな、と」
「終電
……? そうか、シュウさん電車だった!」
「私もうっかりしていました」
シュウがこのSKIP星元市分所に常駐していた頃は、近くにマンションを借りて徒歩で通勤していたので帰宅時間のリミットを意識することがなかった。常駐が終わった時にそのマンションも引き払って防衛隊の近くに住まいを戻し、今は電車移動の距離になっている。
ユウマと一緒に調査をしていたため当時の時間感覚になってしまったのだろう。電車の時間などすっかり忘れていた。
「え、どうしましょう」
「ひと晩くらいなら、応接室のソファを借りられれば問題ありませ
……と、もう部外者の私がそうするわけにはいきませんね」
この分所にいたときには、緊急の案件に夜通し対応したり、取りまとめなければならない情報の整理に追われて一人で徹夜したりといったことも珍しくなかった。ついその時と同じで良いと考えてしまったが、常駐を終えて完全に外部の立場になった今はそういうわけにもいかないだろう。
「なんだったら僕も一緒に残りましょうか?」
「ユウマくんまで付き合わせるわけにはいきません。大丈夫ですよ、タクシーでも拾います」
「でもそれだとお金掛かっちゃいますし、それにこのあたりはタクシーあんまりいないから
……」
何か考えている風のユウマが、ふと首を傾げてから元に戻す。
「そうだ! じゃあ、シュウさん、僕の家に来ますか?」
「
…………え?」
「狭いですけど、分所のソファよりはマシだと思いますよ。いちおう予備の布団もあるので」
「
……ユウマくんの、家、ですか?」
「明日は休日ですし、シュウさんも急いで防衛隊に戻らなくていいんですよね? そうしましょう。じゃあ、僕、機材片付けちゃいますね!」
手早く残りの機材を片付け始めたユウマの背中を、シュウは呆然と見つめていた。
何か言おうとして、言葉にならずに口だけがわずかに動き、少し間を空けて、というのを繰り返した後にようやく出てきた声は、やや掠れていた。
「
……では、お言葉に甘えさせてもらいます」
◇◇◇
自転車を押して歩くユウマに連れられていったのは、分所から少し離れたところにあるアパートだった。
「どうぞ、散らかってますけど、入ってください」
「
……おじゃまします」
玄関に入ると、左側に小さなキッチン、右側は水回りだろう。その奥にひと部屋あるだけのよくあるワンルームの間取りだ。ユウマらしい明るめの色合いの室内は、本人が言うほど散らかっている様子はない。
シュウにとって“友人の家”という場所に訪れるのは大人になってからは初めての状況で、玄関を上がったところで次の行動に移れずにいた。
「鞄はその辺に置いちゃってください。ハンガーはそこの使って構わないです」
ローテーブルの上を片付けながらそう言うユウマに促されて、ようやく足を進める。
壁際の棚の前にアタッシェケースを置いたところで、棚の上に飾られている物が目に入った。
奥側には家族3人が写った写真。幼い頃のユウマと彼の両親だろう。笑顔の少年を背後で優しく支えるように並ぶ夫妻に、シュウはそっと目礼する。
そして棚の手前側に置かれていたものに視線が吸い寄せられた。
「この絵が、あの
……」
「え? あ、そうです。
……うわ、改めて見られると恥ずかしいな」
「見せていただいてもよいですか?」
「あー
……まあ、いいか。どうぞ」
「ありがとうございます」
ユウマの許しを得て、シュウは棚の上のスケッチブックを手に取った。目の前に持ってくるとわずかにクレヨンの匂いがする。
赤とグレーと黒と水色、子供らしい伸びやかさで描かれたヒーローの姿は、シュウにとっても見慣れた色合いだ。
そっとページをめくると、見覚えのある攻撃の技や鎧の絵が出てくる。
資料映像あるいは実際に自分がこの目で見たものが、このスケッチブックの中に描かれているのは不思議な感覚だった。
「本当に、全部ユウマくんが描いていたんですね」
「そうですね。なぜ描こうと思ったかまでは覚えてないんですけど、夢中で描いてたのは覚えてます」
その心理はシュウにも覚えがある。胸の裡に渦巻いて制御しきれないものが溢れこぼれてきて、それを一心に何らかの形になそうとしていた。
そしてそこから紐づくように、その形作った物から引き起こされた事件のことも思い浮かべる。
自らの弱さを象った物を利用されて囚われたときの、重昏く、苦々しく、忌まわしい記憶。
大人である自分ですら耐え難い状況だったというのに。
この絵を描いた幼いユウマに対して、同じようにその想いを利用しようとしていた邪悪な存在がいたこと。
少年の頃のユウマにそんな昏い苦しみを味わせようとしていたあの凶悪な相手への憤怒が再び湧き上がってきて
――――――
「
……ウさん、シュウさん?」
爽やかな声が、重苦しい感情に傾きかけていたシュウの意識を引き戻してくれた。
「どうかしましたか? なんか険しい顔になってますけど」
「
……いえ、そんなことありません。ただ、ここに描かれているものが本当に現実の形になっていたんだなと感慨深くなっていました」
「自分でも、色々と描いてて良かったなと思ったことはあります」
ユウマの声を聞きながらめくったページで、再びシュウの手が止まった。
そこに描いてあったのは、鮮やかな紫色の鎧を身に着けたヒーローの姿。他のページと違って文字の説明はないが、それが何の力を表しているのかはわかる。
「私は特にこの鎧が好きです。これを描いてくれていた子供の頃のユウマくんに感謝します」
(君がこの鎧を生み出してくれたからこそ、私は君と並び立って戦うことができたのですから
……)
あの時、この鎧をまとってユウマをサポートする力になれたこと。それはシュウにとっての愛おしく大切な思い出だ。
「大げさですねー。でも、僕もこの鎧は好きですよ。困ったときにわりとなんとかしてくれるので」
「確かに、一番トリッキーな力がありますしね」
いたずらっぽく笑うユウマにつられて、シュウも笑顔になる。引き込まれかけた苦い記憶の気配はすっかりなくなっていた。
そして静かにスケッチブックを閉じて棚の上に戻したところで、ユウマが声を上げた。
「ああっ! しまった!!」
「ユウマくん? どうしました?」
「そういえば、うちにはコーヒーがないんでした。僕、飲まないから置いてなくて
……」
「ひと晩くらいコーヒーがなくても我慢できますから、そんなに慌てなくても」
「ダメです! シュウさんコーヒーなかったらおかしくなっちゃうじゃないですか」
「そんなことはありません」
「ありますよ」
リュックの中から財布を取り出して、ユウマは玄関に向かおうとする。
「ちょっとコンビニ行ってきます。たぶんインスタントじゃないのもあると思うんで」
「本当に気を遣わないでください。ユウマくんが飲まないものを買ってきても残ってしまうでしょう?」
止めようとしたシュウの言葉にユウマは軽く首を傾げた。
「別に、残ったのはまた次に来たときに飲んでもらえばいいですよ」
あっさりとした返答は、けれどシュウには深く響いた。
(また次に、ということは、私が再びユウマくんの家に来ても構わない、ということですか
……)
今夜は行き場のなかったシュウを仕方なく招いたわけではなく。
ユウマはまたシュウがここに訪れることを当然のように考えてくれている。
プライベートなエリアにシュウを迎え入れることは、ユウマにとって抵抗がない。
ほんの短い言葉の中に、ユウマが自分に対してとても気を許してくれていることが感じられて、シュウの口許が自然と緩んでいた。
そのことが嬉しくて、だったら自分も友人に甘えて少しワガママを言ってみてもよいだろうか、と思う。
「
……では、ユウマくん。次に来る時はコーヒーメーカーを持ってきてもいいですか?」
「ええっ!? 嫌です。置く場所ないです」
「小さいサイズの物にしますから」
「やめてください。ほら、うちのキッチン狭いんです」
「ユウマくんも使ってくれて構いませんよ」
「そういう問題じゃ
……だいたい、僕が淹れても美味しくないです。やっぱりシュウさんが淹れてくれたコーヒーじゃないと」
「
……え?」
「とにかく、とりあえず今夜の分のコーヒーを買いに行ってきますから」
「待って、ユウマくん! 私も行きます」
結局二人そろって外に出る。
深夜を過ぎた夜道は静かで星が瞬く音も聞こえそうだ。
その星空は、交わされていない次の約束の機会を、きっと知っているのだろう。
――――――――――――――――――
《初出:2025/03/23》
https://fse.tw/VSB3A3EC
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