mishiadd
2025-04-02 21:30:57
3617文字
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宮本伊織は生きにくい:銀河に溺れる

【FGO軸】4/1リヨ伊織さんの目つきの最高さが天元突破していたためこれはきっと歪んだ聖杯に4/1ジョークとして剣鬼を蘇生させられた伊織さんがその上で自分の置かれた状況を理解してもはや剣の道を極めることは決して叶わぬと悟り死んだ目をしながらできない呼吸をし続けているのに違いないという性癖の展覧会【剣陣営】

あるいは熱帯魚が北極海では生きてはいけないように。もしくは深海魚が浅瀬では生きてはいけないように。または淡水魚が海では生きてはいけないように。
生まれる時代を間違えたその魚は、自らの生態には決して適さないとわかっている水の中で必死に泳ぎ続けながら――少しずつ、まるで高波に沿岸の岩が削られるように生命を削られながら、緩慢に溺れていく。ゆるやかに――酸素をろくに拾わぬえらを震わせて、窒息するのを先延ばしにしながら――己の苦しみを長引かせている。もはや誰が為なのかもわからぬ延命の先に待つ、ゆるやかで確実な『溺死』という終着点。――宮本伊織は、溺れる魚であった。

まともに呼吸ができていないことを必死に隠しながら、あるいは彼に呼吸の仕方を懸命に教えようとしてくれた養父に報いるため、あるいは彼がよもや呼吸ができていないなどとその可能性すら思い至らぬほどに彼を無心に信じてくれている義妹に応えるため――つまりは彼らを裏切らぬため、伊織は穏やかな笑みを浮かべる。普段の仏頂面は彼が武士として身につけた仮面であったが、たまに見せるそのあえかな笑みこそは、ごくたまにのみ見せるからこそ覿面の効果を発揮する―― 相手にそれ以上の一切の反論と追及を許さぬ彼の真の奥の手であり、切り札であり、彼という人として壊れた個体が身につけた鉄壁の仮面であった。

「なんでもないよ」――という言葉と共に浮かべる柔らかな笑みに、あるいはその甘やかで優しい声に、「何かがおかしい」と思いながらもそれ以上の一切の反論を呑みこまされる。すべての不安と焦燥を麻痺させる鎮痛剤のような――あるいは麻薬のような。窒息しかかっている彼自身の姿を覆い隠しながらこちらを優しく抱擁してすべてを忘れさせようとするかのような微笑みに、まんまと丸め込まれる。――あるいは、丸め込まれていることを自覚しながらも、それ以上を踏み込めずにいる。彼の鉄壁の仮面が、それを許さない。



――で、あるからこそ。



ふとした瞬間、その『鉄壁の仮面』が落ちた瞬間に垣間見える彼の――







宮本伊織がすべてを理解したとき、彼はカルデアの食堂にいた。

不思議なものだった。唐突にすべてを理解した。今この瞬間までの意識はすべて地続きで――それでいて、急にシステムがアップグレードされたかのような。あるいは、元から壊れて穴だらけだったデータに急にパッチがあたったかのような。今まで理解していなかった諸々の事情が唐突に埋まり、点と点が繋がって一本の線になり、今なぜ彼がそこに居て、そして彼自身がそもそも何者であったのか――を、唐突に理解した。

そして彼は、かつて彼と共にあったあのセイバーのサーヴァントが、あの儀におけるいわゆる『聖杯』に偏った妙な知識のみを植え付けられていた感覚というのを、初めて身をもって知った。――というのも、彼がたった今得た知識――というのが、本日この日、エイプリルフールの冗句として顕現している聖杯に、エイプリルフールの愉快な冗談として植え付けられたものであり――失われた記憶を取り戻したことによって彼の中に生々しく黄泉がえったものもまた、エイプリルフールのジョークに過ぎないことを瞬時に悟ったからであった。

聖杯とはこういう残酷なことをするものなのだ。――そして彼は、そのほんの冗談に付き合わされているに過ぎない。

きっとこの記憶も今日が過ぎれば失われて、時計の針が0時を指した瞬間にすべては崩れ去り――あるいは、彼が今抱いている諦念のようなものを、彼自身が抱いていた――という実感だけが、彼と共に残ることもあるかもしれない。
そういえば、そんな話をカルデアの蔵書で読んだ気がする。あれはなんといったか――「ああ、そうだ」と伊織は思った。

「『アルジャーノンに花束を』だ」
「イオリ?」

ふと隣を見る。口許に米粒をいくつかつけたセイバーが、伊織を見上げていた。

「ああ。――セイバー」
「急に一体どうしたというのだ、ぼさっとして」

「ほら、せっかくのオミオツケが冷めてしまうぞ」と伊織のお椀を顎でしゃくる。「そうだな」と頷いて伊織が箸を動かすのを見てセイバーが満足げに頷き、米粒をつけたまま更に茶碗の米を掻っ込んだ。

唐突に何もかもを理解して、唐突にその状況をすべて呑み込み、適応した。従ってセイバーには伊織の内面の変化などは見て取れない。ただ、たった今まで共に食事を摂っていた伊織の箸が急に止まったので、声を掛けたらなんでもないように再び動き出した。それだけだった。
沢庵を箸でつまみ、口を動かしながら伊織は思う。――衝撃も何もない。意識を得た頃には既に答えは出ていた。

今の自分は人理の影法師に過ぎず、彼という――人としても剣の鬼としても――個体の生命の目的を追い求める資格は既に失っていた。なにしろ、今の彼は生きていないのである。亡霊に命ある限り追い求めるべき『至上命令』を持つことなど到底許される筈もなく――そして、なによりも。

どうやら、この自分は既に、あの湊の夜に見た月ではない、夜空に輝く道標の如き星とやらに、その剣と第二の生を捧げてしまっていたらしかった。

――であるならば、急に今更『あの夜の月を思い出したのだ』などと言って捧げた剣の返却を願い出て忠誠を誓った主君を裏切れる筈もない。

かつて生前の彼が養父や義妹を裏切れなかったように、伊織には主君を裏切ることなどできない。宮本伊織は、そういうふうにできている。



どうせこの記憶もあと十数時間もすれば失われるのだ。苦しむのは今日のこの自分だけ。英霊という無数の星が瞬くこの銀河のようなカルデアで、彼だけがただ、声もなく静かに溺れていく。誰にも気付かれることもなく、ただ緩慢に――ゆっくりと酸素を失って、少しずつ、少しずつ、光を失っていく。この広い銀河の中で、ちっぽけな星がひとつ潰えて消える。銀河の海でうまく呼吸のできなかった魚が溺死する。それだけの話だった。

「イオリ?」

「うん?」と伊織が再び傍らのセイバーを見下ろす。がやがやと賑やかな食堂の中で、気遣わしげな――それでもなんとか平静を保とうとして、口許に不自然な笑みを浮かべているセイバーが、ことさら茶化すような口調で言った。

「急にどうしたのだ? ……まるで死んだ魚のような目をして」
――ん」

そんな顔をしていただろうか、と伊織がセイバーを見る。随分な言われようだとも思い――言い得て妙だとも、思う。

「ああ、いや。ただ少し、考え事をしていた」
「きみが考え事? 珍しいこともあるものだ」

謂れのない中傷に伊織がかすかに笑い、――それから、柔らかな笑みを浮かべて言った。

「なんでもないよ、セイバー。おまえが心配するようなことはなにもない」

そう、なにもない。――ただ、伊織が今日というエイプリルフールわるいじょうだんをひとりで耐え抜けばいいだけの話だ。少しずつ、少しずつ窒息しながら――なにひとつ初めての話ではない。それこそ慣れ親しんだ、生前の日々の続きを演じるだけだった。
生前のように、誰にも悟られず――人知れず、ただ緩慢に溺れていく。

セイバーの、夕陽の色をした瞳と目が合う。その目が大きく揺れ、「……あ」とセイバーの口から小さな声が漏れるのを、聞いた。

「イオリ。――イオリ、その、笑い方――

ふたりの横を、顔見知りのサーヴァント達が通り過ぎていく。「タケル殿、伊織殿」と声を掛けられ、ふたりでそちらを振り向いて挨拶を返す。――何事もなく、過ぎ去る。――誰にも、何も、気付かれない。

昼食のピーク時が過ぎて、ひとり、またひとりと食堂からいなくなっていく。ほとんど食べ終えた定食を前に、伊織とセイバーだけが、ただ黙って席に座っている。
やがて、セイバーが言った。

「イオリ。あの頃には言えなかったから、今言おう。――理解っているから、そうやって隠す必要は、ないんだよ」



――ああそういえば、と伊織は思う。



誰にも知られずにこのまま静かに溺死していくのだと思っていたあの頃も、そういえばたったひとりだけ、溺れる伊織に気付いていた人が、すぐ隣にいたではないか。



どうせあと十数時間もすれば、この記憶も消え、この意識も消え、もしかしたらそこにそれがあったという朧げな認識だけは残るのかもしれない。それでも――

テーブルの下で互いに手を伸ばす。互いの手のひらに触れ、ゆっくりと――しっかりと、まるで子供の友達同士のように強く、強く握り合う。
溺れる友を引き上げられないまでも、決してひとりにはしない。その小さな手の力強さに――



「ああ、明日も覚えていられたらいいな」と、柄にもなく、伊織は思った。






銀河に溺れる・了