それは、真夏の熱病だ。とびきり暑い灼熱の陽のなか、特段高い熱に浮かされるがままの不治だ。それは永劫、僕から消え去ることはないだろう。その不治は、まるでそれが、不死の超越じみた何かなのではないかと、そんな熱に浮かされた戯言を思わせる。
その日も、昼間は遭えばことばで戯れ、夜はしとねで深く交わる。田村先輩と僕とは、約束したでもないのにだいたいにしてそんな関わり方ばかりしている。先輩が抱く側で、僕が抱かれる側。それだけは、これも約束はしていないけれどお約束というやつだった。しとねのそれを戯れに出来ないのは、それだけは、覚悟によるものだから。戯言は、交わさない。けれど誓約したでもないのに、暗黙の誓いが、そこに在るような気がする。ああ、ぼくは、熱に浮かされているのだ。その熱病が、ずくりと胸を、息苦しいほどの重さでどぷり満たすのが蜜じみた。まるで、先輩の髪の色をまるきり模写したみたいに、その質感をまるきりなぞったみたいに、僕はその蜜をこの眼に、この掌に、錯覚する。
日々の学園生活に支障の出ない程度に留めている交わりは、それでも直後はすこしだけ気だるいのをここちよく感じさせる。先輩は、たいてい、すぐに僕の部屋を去るでもなく、ごろりとまるで自室ぶってくつろぎ、他愛のない話をしていく。それが僕は、いつも少し嬉しかった。
――いや、実際のところ、まるでなにかのまねごとじみたその時間が、僕にとってはかなり嬉しいものだった。日中と大して変わりない空気感が、まるでこの熱病を昼夜問わずのものに塗り替えそうで僕は少しだけ恐くもなるけれど、事実、それは昼夜問わず、僕の肚に渦巻いているのだからあながち間違いでもない。
月明りと蝋がわずかな灯り。他愛のない話のなか、流れで、こんな会話になった。これも、ずいぶん幾度目かだけれど、そのたびに僕たちは、いつも同じようなことを言い交すのだった。
「
――ハン。
…まあ、いざという時は、私が愛するユリコで、そのちんけな毒ごとおまえを吹っ飛ばしてやるよ」
月夜をそのまま映したような
金色が、汗ばんでなお、さらり、口ぶりそのままに隙間風に揺れる。先輩のその強がりが、
…強気ぶったその言葉が、ぼくをいつも、ああ、なにより強い熱で浮かすのだ。
「
……ははっ。もしもそんな事態になったら
…あてにしてますよ、センパイ?」
にこり、笑顔を取り繕って、その実ぼくは、ぼくは、ああ、ほんとうは柄にもなく泣きじゃくりたいのだ。こんなときには、先輩との間にまるで、愛情だとかそういったものがあるように錯覚するのだから。
「ふん。ならんように気を付けろという話だ」
つん、と澄ました鼻が少しそっぽを向く。横顔も、月明りのなかうつくしくて、見とれないように気を付ける。
「ご心配どうも。
…ああ、だけど、もしもそんなことになったら
…この、
貴方との思い出だけは、どうか、うまく残してくださいね」
しれりと、僕も少しだけ視線を
空にやり、そして病の熱を、隠しきれぬそれを吐露するのだった。先輩が、バッと、僕のほうに視線を戻すのを感じた。それからまた、言いながらぷいと、そっぽを向くのだ。
「
…っ
……!!
……フン。この私が、その程度も出来ぬヘマなぞするものか」
「はは。それを聞くと、安心出来ます。
………ぼくは、
…貴方になら、
…この背中を
……、
……心置きなく、任せられますよ」
それは、純粋純然たる本心だ。先輩が迷惑がるのも、その陰でほんとうはすこし泣きそうになっているのも、ああ、ぼくを浮かす熱病だ。
「おいおい、私は任せたくないぞ! 貴様の毒虫どもにやられたらどーーーするんだ!」
「教育はちゃんとしてますけど
…まあ、もしそんなことになったら
……そうですね、僕が、火薬で吹っ飛ばしますから、安心していいですよ」
言えば、先輩は、その赤いひとみを見開き、そして心底深く、ためいきをつくのだった。
「
…っ
………、
……ハァ
……
ったく、貴様との背中合わせになんぞ、ならんことを永劫祈るしかないな」
「おや、残念です。まあ、お互い生きていれば、そんなことも一度くらいは生じるかもしれませんけどね」
それは、ぼくたちがことばを交し合わない理由だった。忍に、なるためにいきているのだから。だからぼくたちは、ことばを交し合わないのだ。僕のことばに含んだものを、なぜか先輩はいつも、正しく汲み取る。やはり、日頃からことばでの
じゃれ合いだけはかなり多いからだろうか? そうでないならば、なにかがそこに在るみたいだから、僕はそういうことにしている。
「
……私はそんなことが生じる一生はイヤだぞ」
言いながら、それでも、先輩はまるでぼくの胸に沈むさみしさを吸い上げるかのようにかぷりと、まるでジュンコのようにひらいたかたちよいくちでわずかな距離顔を寄せてがぷりと、咬みつくように、口吸いをしてくる。ひととき、さみしさは吸い尽くされ、ペッと外へ吐き捨てられたような心地になるからズルい。
「ん
…っ
……ふ、
…ァ
…っ
…はっ、ふァ、せん、ぱっ
…ぁっ
…ふ、
…っ
……」
「ん
…伊賀崎
…」
僕は鼻で呼吸することなんかまるきり忘れて、先輩といううつくしい白蛇にすっかり丸呑みされたかのように、空気にまるまるのまれる。ぷぁ、と、息継ぎするのを先輩は仕方なさそうに赦してくれ、そして応えるように、名を、呼んでくれた。けれど、すぐにまた、くちを封じられる。湿った音が、この熱病を、陰茎にまで浸潤させるから僕は内心慌てていた。だが、先輩はどうも、もう"肚は決まっている"らしい。
「
…っ、
…ははっ
……くだらん減らず口なんぞ叩けん程度には、可愛がってやるよ」
ああ、そのまままた、熱に浮かされたようにしとねへと肩を倒されるのだ。先輩の髪がするりと垂れ下がってきて、僕の頬にくっつくから、そこからなにか、なにかが伝播しそうでこわい。先輩にまで、この病がうつったら
――ああ、けれどもう疾うに、きっと、互いに、病に侵されているのだろう。
――ねえ、先輩。あなたのこの"毒"が、僕をどれほど焦がれさせ、どれほど、あつい熱病に侵すことか、貴方は解っていますか? あなたは、知っているんですか? あなたの毒は、ぼくには、危険すぎるんだ
――…
この真夏の熱病は、どんな火薬や激しい火器をもってしても、僕から、
…否、ぼくたちから、消し飛ばせることは永劫、ないのだろう。不治の病は、真夏の熱病だ。真夏の熱病が、今日もぼくを、ああ、僕を浮つかせる。先輩から与えられる時間を、ああ、永劫、まねごとじみたことばにしたいのをぐっとこらえさせる。先輩も、そのことばは決して言わない。だけど、わかってしまうんだ。蜜を溶かしたようなゆびさきから、くしりと頬をする掌から、まなじりを擦り上げるそのゆびから。僕に触れる、手のやさしさから。先輩は、僕と、同じ感情を、抱いている。僕は、先輩と、同じ感情を、抱いているんだ。けれどぼくたちは、それを、ことばで交し合うことはしない。この行為は、その代わりだろうか?
やさしいゆびさきに触れられて初めて、僕は、自分がなみだをこぼしたのだと知った。こらえるためにぐしゅり、眉間と目頭が寄るのを、先輩のすべらかなゆびさきでくるくると、ほぐされるからその雫は止まり切りやしなかった。目尻を、ちゅうと吸われる。舌で、れとりと舐め上げられる。あやされるように額から頭部までを撫でられ、僕は、柄にもなく先輩の寝間着の胸元をぎゅっと握り寄せ、そこに額を寄せたいのにそうさせてくれない先輩のせいで泣き続けた。先輩は、その涙を、ずうっと、あやし続けた。さわりと、掌でぼくの胸元を軽く撫ぜはするけれど、それはどちらかというと、そこに在る不安を、得意の火器で消し去ろうとでもしてくれているかのような心地に、錯覚させるんだ。
「
…なあ、伊賀崎
……私がプロの忍者になったら
………、
………いや、何でもない
…今のは、忘れてくれ」
先輩が恐らく"後を追って同じところに来い"と、言いたいのをこらえたのだろうと僕は推測した。だって、たとえばそれでも僕たちは、命を張る生き方しかできないのだから。だから、それはすこししか意味がないのだ。解っているから、言わない。けれどどうしても、言おうとしてしまう。僕たちは、不器用同士なのだろう。
真夏の熱病が、ぼくたちを侵す限り。僕たちはどんな窮地でも、生き抜いてまた肩を支え合うような、そんな夢見事を錯覚する。逢い続けたい誰かが居る者は、確かに、強いだろう。けれどそれさえ凌駕するなにかに、晒され得るのが僕たちのなろうとしているものだ。
ああ、けれど。今ひとときの暑い真夏を、僕たちは、熱病にて重ねる。熱病にて、過ごす。僕たちの行為は、熱に浮かされたがためのものだ。
真夏の熱病は、不治の病だ。僕たちを永劫苛むそれが、けれどどこか救うのだから、矛盾しているのはわかってる。僕たちが交し合えるのは、せいぜい、こうした行為と、毒を帯びた際には火薬で吹っ飛ばし合うという約束ただひとつだ。それなのに、ああ、ぼくたちは今日も、まねごとじみたことばを、のどにぐっと、こらえるのだ。それが飛び出してしまわないように、くちびるを、重ねるのだ。
ああ、そういえば、学園生活に支障が出ない範囲で、も約束のひとつだったっけ。できることならばこのままなにもできなくなるくらい抱かれたいのをこらえて、ぼくは、口吸いと軽い接触に留める先輩に焦らされる熱病を足の間へと抱える。それは、少し困るような。思うのをまるまる察知するみたいに、先輩は、軽い接触の延長の範疇だ、とまるで内心言い訳しているみたいに見える少し困ったようなこらえたような顔で、僕の熱病の中核に、ひととき直に触れてくる。心臓をまるきり掴まれたような心地が、ここちよいのは、田村先輩だからだ。彼じゃなかったら、こんなこと、だれにさえさせない。彼だけに、ただ、こうされたい
…ぼくたちの熱病は、ああ、やはり、治ることはないのだろう。
終
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