河童の皿箱
2025-04-02 08:57:07
4600文字
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物、語る

陸奥守吉行と娑楽斎が駄弁るだけ

 ざざん、と細波が寄せては、返す。朝日がキラキラと作り上げた、水平線の果てまで続く揺らぐ道を、舟の舳先がかき分け進む。その舵を取るのは、この夢の主人たる刀剣の付喪神、陸奥守吉行であった。対する客人は、浮世絵師、娑楽斎。操舵する船長のすぐ横を陣取り、海図を眺めて目的地に想いを馳せては、寄せて飛沫をあげる水を、海の果てで空と出会う場所を、そして新たなる友刃の姿を、筆で紙に描きあげる。

 互いに夢で出会って、かれこれ何度顔を合わせたことか。意識と無意識の狭間で方々を訪ね歩き、目覚めの時が来ればまた今度と別れ、またふとした時に顔を合わせる。そうしていくうちに、絵師は刀の、刀は絵師の暮らす世界のことを、少しずつ知るようになった。刀は過去を守るため、人々の声に応え、人の身を得たのだと。そして、この刀は特段、物好きで人好きで、そして新し好きであった。絵師が暮らす世界が、もっともっと先の未来であると知った時、刀は朝日色の目を爛々と輝かせ、アレはどうだ、コレはどうだ、その衣装はどうなっている、その筆はなんだと、ありとあらゆる目につくもの全てに嬉々とした。
 故に、絵師は刀に自らの持つ技術を教えることとした。少しばかり進んだ時代の交渉術やれ、モノの作り方やれ。それに根付くのは、この国に昔々から伝わる伝統それこそ、この刀が刀匠によって生み出されるよりもずっと前の文化であった。過去と未来の融合に胸を躍らせる刀は対価として、自らを形作る物語と、己の存在についてポツポツと話した。帆を張る船が風を受けて、ずんずんと進んでいく。今日もまた、話題はそんなことだった。

 その刀陸奥守吉行は、かつて坂本龍馬の佩刀であった。舵を手に取り立つ立派な男の姿もまた、その偉人の物語に大きく影響を受けている。くるりと巻いた癖っ毛も、残された写真に似て。海軍の制服のような羽織も、かの者が作り上げた会社が宿る。どこか田舎っぽい草履も、そも彼は田舎生まれで。刀は過去と向き合いながらも、過去を一切変えてはならぬ、ともすれば神より妖へと堕ちる過酷な修行を経て知った。自らを形成するのは、坂本龍馬と云う偉人に、後世の人々が抱いた人物像……それが最も強い影響を及ぼしているのだと。
 水平線の彼方へと向かう刀の視線に、絵師は頷いた。「その土佐弁も、龍馬の影響が強そうだよな」、と。刀は言われ、まっはっはと笑った。「伝わらんと困るき、ある程度は加減するがなぁ」、と。
 「わしが龍馬とおったがは、だいたい8ヶ月ばあのことじゃ。……いうたち、わしゃ坂本家の守り刀をしちょってな。そっちの方が長かったねや」。刀がふと、燦々と輝く日の眩しさに目を細めた。今日の夢は始まったばかりで、その朝日もまだ低い。「ほんでも、不思議ちやなぁ。わしゃあ長い時間をあの家で過ごしちょったのに、わしを形作りゆうは、龍馬とおった8ヶ月……もっと言うたら、あの子が死ぬる間際ながや」。
 絵師は筆を止めて、顔を上げては、堂々と操舵する刀の姿を見た。癖毛の中に、ぴょんと跳ね上がったふたつの角。羽織の裏にあしらわれた波模様に、腰から垂れるはフサっとした尻尾。海風に揺れるその姿に、ふとふたつの動物が思い浮かんだ。「思い出した。確か、龍馬拵ってあったよな? 鍔が龍透かしで、目貫が馬の」。絵師が手を叩けば、刀は嬉しそうに微笑んだ。「ようよう知っちゅうのぉ」、と。確信を経て笑った絵師が「お前は、その姿気に入ってるのか?」、と問えば、刀は胸を張って答えた。「おん、まっこと気に入っちゅうぜよ」、と。

 それからまた、海を行けば、渡りの鳥が何羽か飛んできて。パッと止まっては休んでいく。それでも刀は上機嫌に舵を取り、ゆっくりと、ゆっくりと。穏やかな揺れはまるで揺籠のようで、心地よい。波をかき分け、ザプンと飛沫が上がれば、遠く遠くに陸地が見えてきた。目的地の、江戸の港だ。そしてふと、刀は口を開いた。「おまさんのことをうちの蜂須賀に話したらな。どうやら知っちゅうようやったぜよ」、と。
 陽が真上に来る頃、突如振られたその話題と家の名に、絵師は目を丸くした。「蜂須賀? 蜂須賀のが居るのか?」、と。飄々とした絵師の態度が変わったことに気を良くした刀は続けた。「おん。本丸中の全員に聞いてみたけんど、『しゃらくさい』って名前に心当たりがあったのが、こん蜂須賀虎徹だけじゃった。ただ、記憶もどうにも曖昧でなぁ。あいつがいいゆうにゃ、『能楽師だったと思うんだが』って」。
 それを聞いて、絵師は考え込んで、そして笑った。「鋭いな。確かに、写楽斎は能楽師だったって記録がある。それと、阿波徳島藩、蜂須賀家のお抱えだった、ともな。ただ、俺は写楽本人じゃねぇし、何より、お前たちが居る時間軸からだいぶずれ込んだ先の、未来の人間だ。本丸の連中は知らなくて普通だし、ちょいと昔の名前を頂いたって、それだけさ」。刀は頭を捻ったのをみて、絵師は付け加える。「俺の居る世界じゃ、お前たちみたいな人の肉体を得た付喪神はいない。お前の世界じゃ、まだ俺たちはいない。それでも、俺とお前は同じ国に暮らしている」、と。

 「……なんじゃ、難しい話やにゃあ」、と。刀がさらに頭を捻る姿を見れば、絵師は大口開けて笑った。「タイムスリップやれタイムパラドックスやれ、慣れてると思いきやそうでもねぇんだな。意外だぜ」。刀が口を尖らせては、絵師はまた笑った。「ははは、江戸時代じゃあこういう言い方はしなかっただろうしな」、と。
 「俺の居る世界じゃあ、京の都の歴史ある街並みは、全部ビル街に作り替えられちまった。お前たちにわかりやすく言やぁ、歴史修正主義者がどっかの時間で、京の遺構を全部消して、もっと新しいものを作ろうぜって政府に進言した……んで、その通りになって時間が進んだ世界が俺たちの世界、みてぇな感じだな」。絵師があげた例えに、刀はギョッとした。「ほいじゃあ、京博も無いなっちまったちことか!?」。絵師が「例えだ例え」と諌めれば、刀はハッとした。「す、すまんちや」、と。

 「んまあ、それでも、だ。坂本龍馬が生きていた証も、東洲斎写楽がいた証も、ちゃあんと残ってる。ただなぁ、やっぱお前のことを羨ましいって思うぜ」。錨を下ろし、江戸の港に停泊した頃。船から降りる絵師がポツリとこぼした呟きに、刀は何が羨ましいのかと問いかけた。絵師はあーとか、うーとか口籠った後に、徐に口を開いた。
 「坂本龍馬は、本当に良いやつだったんだろうなぁって。記録って、強い影響力を持って見張られてるとか、よっぽど人に大事にされなきゃあ、やっぱ残らねぇよ。家族への、お前を欲しがった手紙も。お前と一緒にいて、それが誇らしいって手紙も。読むほどあぁ、良いやつだったんだろうなってのが、よく伝わってくるしさ」。それを聞いた刀は笑った。「なんじゃ、よけ褒められるとくすぐったいぜよ」、と。そして、問い返した。「写楽はどうなんじゃ?」、と。
 絵師は背を向け、江戸へと歩み出す。「この国のあちこちを駆け回った、龍馬の佩刀であるお前が知らないってのと、当の蜂須賀虎徹ですら記憶が曖昧だってところで察してくれ。たった10ヶ月でいなくなったも同然しかも、最初期の作風が最も良かった、なんて言われるぐれぇだ。この国で脚光を浴びるようになったのは、お前たちが眠りにつく頃しかも海の向こうの人々がきっかけだったのかどうかも、定かじゃねぇんだし」、と。

 人気のない港を通り、街へと向かう絵師背中を追いながら、けれど刀はまた、首を傾げた。「そりゃそれで、羨ましゅう思うが」、と。立ち止まる絵師に合わせて、刀もまた立ち止まった。「ちぃとばかしは調べたがじゃ。東洲斎写楽は、世界三大肖像画家言われちゅうんやろう?」。その刀の言葉に、絵師は頬を掻き、気まずそうに苦笑した。「悪りぃけど、それはガセな。ユリウス・クルトが写楽を記した本を出版したのは確か。だが、レンブラントとベラスケスを引き合いに出して、写楽を並べたこたぁ1度たりともねぇよ」、と。刀が目を丸くしている間に、絵師は続けた。「パリ万博で日本画が出展されるきっかけになったっつう、海外に輸出される陶磁器の間仕切りになってた絵本は、葛飾北斎のだしなぁ」、なんて意地悪く笑えば、刀はぽかんと呆気に取られ、けれどぱあっと笑った。「まっはっは! 情報の真偽を見誤るたぁすまざった! 写楽はげに、げに謎の画家なんやにゃあ」、と。
 そう言われてしまっては、もう言い返す材料も、ありはしなかった。意地悪を仕掛けた絵師は肩をすくめ、けれど笑った。「その通り。なんせ、活動開始から筆を折るまでたったの10ヶ月。資料があっただろう場所は燃えちまったし、どんな奴だったのかさっぱりわかんねぇ。だからさ、龍馬の残された手紙やれ、面影が形になったお前やれを見てるときっと龍馬は、お前みてぇな良い奴だったんだろうな、ってさ」。
 また歩き出した背に、刀はポツリ呟いた。「けんど、おまさんもえい奴ぞ。写楽斎に囚われる訳でものう。娑楽斎として、自分で未来を描いちゅうがじゃろ? わしゃそれが羨ましい」、と。先ゆく絵師が額を抑えたかと思えば、歩調を上げてズンズンと歩いて行く。刀は大股でそれを追いかけ続けた。

 江戸の街の門までやってきた。刀は目の前に立つ絵師を見る。深い紫色の装束は、書道家のようにも見えるが、それにしたって鮮やかすぎる色使いがあまりにこの場所に似合わない。その顔にかけた色眼鏡も、その顔に施した隈取も、おおよそ自然になるとは思えぬ鮮やかな青と緑と赤の入り混じる髪も。けれど、刀は絵師を好ましく思っていた。開け放たれた門の下にいる絵師の姿に、刀は不思議と、未来の窓を覗き込んだかのような錯覚を覚えては、胸が躍って仕方がない。
 そろそろ目覚めの時が来る。陽が傾いて、夕焼けが夜の帷を連れてくる。刀はふと尋ねた。「おまさん、江戸に来たがっちょったのはどいてや?」、と。絵師は答えた。「江戸の東の洲のある土地ってのを見てみたくてな。俺の世界じゃ、もう見れたもんじゃねぇし。あぁ、長旅の運賃は」。「えい、えい。わしももうすぐおどろく。この夢が覚める前に、しゃんしゃん見に行き。いつも通り、次の夢でたぁんまりいただくぜよ」。
 ありがとな、また遊びにくるぜ、と。絵師は笑って、江戸の街へと駆け出した。刀は手を振って見送り、背が見えなくなれば振り返り、そして停泊させた自らの船へと向かう。

 甲板にはたと横たわり、夢の終わりを待つ。小波と海風に耳を澄ます。海の果てに陽が眠る。反対側から、月が来る。

 そういえば、なぜ彼は写楽斎をああだこうだと言いながら、娑楽斎と名乗っているのだろう。前の主人に愛憎を抱く宗三や長谷部みたいなものだろうか。それとも、己の物語を持たぬ巴形や静型のようなものなのだろうか。考えようが、どうにもしっくりこない。

 まあ、聞いてみれば良いだろう。彼は良い奴だ。きっと答えてくれる。次の夢では、彼は船賃に何を持ってきてくれるだろうか。

 先に、未来に心を躍らせながら、陸奥守吉行は目覚めにつく。吉行にとって娑楽斎はまだ、謎の絵師のままだ。