らい
2025-04-01 21:00:24
4187文字
Public レオいず
 

レオいず30days①「パッヘルベルのカノン」

学院編① お題「掃除」 ※高1

 放課後のチャイムが鳴ったら、教室の椅子に腰かけているだけの退屈な舞台はおしまいだ。平凡な授業に幕が下ろされ、頭の奥からぎゅっと凝縮された音があふれだす。ほとんど教科書が入っていないスクールバッグを背負って、高校一年生のレオは一番乗りで廊下へと飛びだした。 
 ひし形のタイルを交互に踏み、わははと高笑いしながら側転する。危うくぶつかりそうになった生徒の背中さえもとび箱にして、愉快なミュージカルの開演である。
 夢ノ咲学院の春は、始まったばかり。窓の外にふわりと舞う桜の花びら、黒板を叩くチョーク、袖の余った制服、きゅっと滑るスニーカーの行進、アイドルを夢見る星色のまなざし───レオの舞台を刺激する要素はそこらじゅうに転がっていて、瞳に映るものすべてが音符に変わる。
 今日はなにをしよう? どんな曲をつくろう?
 まるで太鼓のように心臓を高鳴らせて、階段の手すりをすべり台にする。そうして一年生の下駄箱を陣取って、かばんの中からノートを取り出した。

「よぉし! 今日は、ここを野営地とするっ!」

 入学祝いに父親からもらったペンを宙に投げて、大道芸のごとくキャッチする。音楽の種が芽吹いて、成長が止まらない。脳裏に浮かぶ旋律を五線譜に落とし、一ページ、二ページと曲を書き上げていく。これまた母親からプレゼントされた大切なノートも、すぐに使い切ってしまいそうだった。

「あぁ~っ、人間は日ごとに老いて死に近づくのに、愛おしい旋律は毎秒ごとに生まれ続ける! 天才作曲家・月永レオさまは、果たして寿命を全うするまでにすべての曲を出力できるのか!? 乞うご期待! とか言ったけどわはは~、おじいちゃんになるまえに死んじゃったらどうしよう! それも不慮の事故で! 書き終わらんま~ま~終わる~、そ~んなの~はっい~やだ! 忘れないで夢を! こぼさないで涙! でも大丈夫! 交通事故にあったとしても、流れるのはきっと真っ赤な血液じゃなくて、至高のメロディーだから! ピーポーピーポー救急車です~、傑作をお届けするので道を開けてください~」

 寝転がりながらひとりごとを展開していると、いきなり視界からノートが消えた。それでも五秒ほど虚空にペンを走らせていたけれど、ようやくインクが乗らないことに気が付いて、レオは「あれっ」と起き上がる。

「誰だか知らないけど、おれの邪魔すんな! スペシウム光線! ビビビビビビビッ」

 腕を十字架に交差させながら、レオは背後の人物を迎え撃ち───「あっ!」と尻を浮かせた。
 絵本に登場する月の妖精みたいに美しい同級生。クラスメイトの瀬名泉が、赤いネクタイを「ねえ」と不機嫌に揺らして、整った眉をゆがめている。
 現世にはこんなにも綺麗な人間がいるのだと、入学式で一目見たときから気になっていた。ところが『美人』の二文字から想像する印象とはうらはらに、彼は気性の荒い猫のようなので、ほとんど喋れていないけれど───同級生との馴れ合いを好まない泉が、自ら話しかけてきてくれたのだ。またとないチャンスだった。
 レオは前のめりになって、早口で捲くしたてる。興味のないことはすぐに忘れる性分だけれど、『セナ』の二文字には興味津々なのだ。

「おお~っ、セナだ! セナセナセ~ナ! なあなあ、おれになんか用? ああ~っ別になくてもいいぞっ、こうしてお月見するのもまた粋だから! スペースシャトル出発進行、お月さまに向かって発射オーライ! 打ち上げ月面着陸機、下から見るか横から見るか? う~ん、おまえはどんな角度から見てもきれいだな~。グラツィオーソ♪ 優美な一曲のできあがりっ」
「意味わかんない。それより月永、あんた一体どういうつもり?」

 作曲ノートの角を持ちながら、美しい眉を吊りあげる。お月さまは地上に落っこちて、おかんむりの怪獣に様変わり。美人は凄むと怖いなあ、なんてのんきに考えていたけれど、そういえばノートを取り上げられていることを思い出して、レオは「あ~っ」と腕を伸ばす。

「おれの大事なノート! お母さんが入学祝いにくれたノート! なにすんだっ、返せ~っ!」
「どういうつもりかって聞いてんの」

 背丈にそこまで違いはないが、それでも泉のほうがすこし大きい。器用にひょいっと交わされて、伸ばした手が滑稽に宙を泳いだ。

「おまわりさんっ、ここに卑劣な泥棒がいます! いますぐ逮捕して! 美人陳列罪の余罪も追加でっ、実刑確定! 無期懲役! 死刑! でもやっぱり綺麗で惚れぼれするから、逆転無罪! 司法はなんのために存在してるんだよ! ああ~っ、返せ返せ返せ~っ!」

 がむしゃらに空気を切断していると、急に手首をつかまれた。
 被害者のおれが、どうして手錠されなきゃいけないんだ!
 文句をぶつけてやろうと唇を近づけて、喉の奥で待機していたはずの言葉は静かに溶けた。
 思春期まっさかりの男にしてはめずらしく、吹き出物の一つもない白い肌。吸い込まれそうなアイスブルーの瞳。もしかしたら一年じゅう雪が降る星で生まれた、ほんとうの妖精なのかもしれない。突如として吹き荒ぶダイヤモンドダストに、レオの心臓は飲み込まれそうになる。
 無邪気に舞っていた音符がふわふわの風船になって、綿毛みたいに飛んでいく。頬がぽっと赤くなり、レオはもじもじと背を縮めた。

「急に大人しくなっちゃって。……まぁ、いいや。とりあえず、やることやったら返してあげる」

 表情ひとつ変えずに告げる泉に、手首をぐいっと引っ張られる。
 どう考えても泥棒のこいつが悪いのに、おれが捕まっちゃうんだ。おれ、ドキドキしちゃっただけなのにな。
 囚人服で撮影される妄想にとらわれながら、階段をいくつか昇る。辿り着いたのは一年生の教室だ。それも自分のクラスである。

「ちゃんと真面目にやりなよねえ」

 背中をぽんと押す、声変わりしたての低い声。レオが教室に踏み込めば、静まった室内には同級生が立ち尽くしている。ほうきの持ち手を握り締めて、きょとんとしていた。
 レオは唇を半開きにして、ぽかんと硬直した。教室に連れてこられた理由が、いまいち釈然としないのだ。放課後の教室、ほうきを持っているおれのクラスメイト───腕を組みながら十秒ほど長考すると、記憶の井戸から新鮮な水が湧きあがる。レオは広げた手のひらに、グーを振り落とした。

「そうだ! おれ、掃除当番だった!」
「はあ? 月永、あんたサボりじゃなくて、普通に忘れてたわけぇ?」

 中学時代もよく女子に探されていた気がする。夢ノ咲学院に入学してから目まぐるしい日々が続いていたせいか、掃除当番の存在をすこんと忘れていた。
 レオは「あ~!」と叫んで、クラスメイトに向き直る。

「ごめん! ルールを破ったらごめんなさいしろって、毎日ルカたんにも言い聞かせてるのに! ちゃんと掃除して帰るから、許して!」

 九十度の角度で頭を下げると、掃除当番のクラスメイトはいいよ、大丈夫だよと慌てて手を振る。教室の入口に手を掛けながら、泉はため息をついた。

「いいよ、大丈夫だよ、なんて許すから調子に乗るんだよ。不真面目なやつらに舐められないように、『次やったら殺す!』ぐらい釘を刺しとけばいいのに」
「綺麗な顔して、怖いこと言う!……って、あれ? おれ以外のやつは?」

 教室じゅうを見回したが、今この空間に立っているのは三人だけだ。レオの疑問に答えるようにして、泉が続ける。

「他のやつらときたら、入学早々にサボってやがるの。……まぁ、月永は本当に忘れてたみたいだけどねえ」
「わはは! 忘れっぽさには自信がある!」
「胸を張ることじゃないでしょ。……っつうか、文句のひとつ言わずにひとりで掃除するとか、チョ~有り得ないから。都合よく使われないように、せいぜい気をつけなよねえ」

 厳しめの口調だが、そこに悪意がないことは同級生の顔を見ればよくわかる。救助部隊のヘリコプターに手を振っている、雪山の遭難者のような───どこか安堵に満ちた笑みを携えていた。レオもつられて嬉しくなって、自然と八重歯をのぞかせる。見てくれが美しいだけじゃなくて、根っこは優しいやつなのだ。
 入学してから間もなくて、ろくに関係も築けていないけれど。瀬名泉の内面に触れることができて、うれしい。愛おしいこの世界に、またひとつ音符が増えていく。

「誤解のないように言っておくけど、俺は他人の世話を焼くほど暇じゃないから。見ててイライラするから、手を貸してやっただけ。次はないからねえ。……というわけで用も済んだことだし、はい。月永のノート」

 泉が学生鞄を抱え直して、「それじゃあ、俺は帰るから」と別れを告げる。すたすたと歩きはじめる泉の腕を揺さぶって、レオはとっさに引き留めた。
 もうちょっとだけ知りたい。セナのこと。
 心臓を走る音符が永遠に巡り続けて、鳴り止まない。

「え~。セナも一緒に掃除していけよ~」
「俺はそもそも掃除当番じゃないし、この後も忙しいの」
「そんなこと言わないで~。セナぁ~、おれともっとお喋りして!」
「嫌。バイバイ。……また明日ね」

 ぶっきらぼうに突き放しながらも、穏やかな声色を置き去りにする。泉の華奢なシルエットが廊下の角から消えるまで、レオは大きく「ばいばぁい!」と手を振った。
 また明日。
 陳腐な言い回しだが、存外心地よい響きだ。クラスメイトには月永レオがいて、教室に行けばまた会える。そんな事実を記憶の片隅に置いてもらえるだけで、うれしかった。

「セナって、やさしいな!」

 控えめな同級生が、うん、そうだね、と朗らかに頷く。胸の鼓動がとくりと鳴って、レオは少々はにかんだ。
 やさしい音楽って、巡りめぐってみんなを幸せにする。
 レオは教室の前方に駆け寄って、黒板消しを掴む。そうして花びらの舞う窓を勢いよく開けると、チョークが付着するそれを叩いた。春風に乗って、白い粉が飛んでいく。
 そのうち、おれのことも───もっと、も〜っと、知ってもらえたらいいな。
 胸に湧き踊るメロディーは桜吹雪になって、チョークの粉末とともに青空の果てに溶けていった。