千代里
2025-04-01 14:26:15
11468文字
Public リーブラ14話
 

リーブラの針は問う・14話・その57


「オデットの協力に感謝している、とはどういう意味ですか」
 できる限り冷静に話をせねばと、頭ではわかっていた。けれども、体の中から湧き上がる焦りや苛立ちを抑えて冷静さを保つのは、今のノエには至難の業だった。
「あなた達は、オデットに何をしたんですか!!」
「私たちからは、オデット様には何もしていません」
 詰問しているのはノエのはずなのに、執事はにこやかに微笑むばかりだ。今の状況にそぐわない執事の態度により焦りが生まれるが、今は無意味な焦りに思考を埋めている場合ではない。
(私たちからは……ということは、彼らはあくまでオデットが危なくなるような状況を作っただけということか?)
 先だっての執事の口ぶりと、「アガテルを保護した」という言葉を聞いた瞬間に走った、傍らの騎兵の安堵。
 昼間に起きた身代わり事件と、妙にノエたちを外に出すまいとしたアガテルや執事の威圧的な物言い。
 一つ一つは細やかな違和感に過ぎない。だが、わずかな疑いを寄せ集めれば、見えるものもある。
……あなたたちは、アガテルさんの身代わりとして、侵入者にオデットを差し出したのですか」
「ご明察ですわ。傭兵は、探偵も兼任しているのかしら」
 答えたのは、執事ではなく背後から姿を見せた小柄な少女――アガテルだった。半日ぶりに対面した彼女は、ノエの知らない姿をしていた。
 昼に会った時のオデットと瓜二つの顔でもなければ、ベールで顔を隠しているわけでもない。どこかきつい印象を与える、ツンと釣り上がった目つきが特徴的な少女が、ノエを見据えていた。それこそが、アガテルの本来の顔なのだろう。
 後ろに控える女中が軽く手を振ると、室内に柔らかな灯りが灯る。光量は抑えてあるものの、暗闇に押しつぶされそうだった空気が少しばかり和らいだ。
「陰気な場所で話し合いをしていては、気が滅入ってしまうでしょう。さあ、どうぞおかけになって。質問があるのでしたら、今ならわたくしの知る限りをしましょう」
 館の女主人の顔として、アガテルは悠々とノエに椅子を示す余裕ぶりを見せている。
 深夜であるというのに、アガテルは寝巻きではなくドレスの姿でノエたちの前に立っていた。すなわち、彼女もまた、深夜に起きる出来事を予測していたという証拠に他ならない。
「僕は今すぐにオデットを追いかけます。聞きたいことは色々とありますが、それは彼女を助けた後に聞きます」
「残念ながら、ノエさん、あの子の救出は許可できませんわね」
「な……っ」
「なぜ、許可をしてくれないのかい」
 ヤルマルは、アガテルにつかみかからんばかりの勢いで前に出たノエを片手で制する。そうでなければ、アガテルの傍に控えている騎兵の剣に斬られるのが目に見えていた。
 ノエ自身、自分が冷静でいられてないことは自覚している。だが、どうして冷静でいられようか。オデットが、今まさに屋敷に侵入した何者かに襲われているかもしれないというのに。
「まず、あなたを安心させるためにも申し上げておきますが、オデットは怪我をするような状況には陥っていないでしょう。抵抗さえしなければ、あのような下賤の民でも利用価値のあるものを甚振るような真似はしないはずですわ」
「その口ぶりだと、怪我はしていないけれど、他の何かは起きているように聞こえるのだけれどね」
 ノエを制したまま、ヤルマルは素早くアガテルの言葉や執事の発言を思い返す。
 貴族に不満を持つ者が徒党を組んで屋敷に夜襲をしかけたなら、館はもっと騒々しくなっているはずだ。その場合、オデット一人を身代わりにしたところで大して役立つとは思えない。
 オデットが身代わりになることに意味がある事態であり、尚且つ暗殺のような危害を加えられるものではないものとなると。
……誘拐、かな。侵入者はご令嬢の拉致を目論んだ。この状況で、意味もなく人攫いをするとは思えない。そうなると、令嬢の安全と命を引き換えに、君たちに条件を飲ませようと考えた……ってところかな」
 ヤルマルの推理は、どうやら当たりを引いたらしい。アガテルは思わせぶりに扇子を開き、自身の口元を隠してみせた。
「だったら、今すぐオデットの後を追いかけます。僕たちに武器を返してください。あなた方が追いかけないというのなら、それでもいい。ただ、僕が勝手に行く分は構わないでしょう」
「構いませんけれど、おすすめしませんわね。外に出る前に、わたくしの護衛と一戦交えることになるでしょうから」
「追いかけるのもダメというのは、流石に狭量が過ぎないかい?」
 再び眦を釣り上げるノエに代わり、ヤルマルが目を細めてアガテルを睨みつける。
「侵入者が誘拐を成功させて、自分の巣穴に戻るまでが、わたくしたちの望みですの。あなた方がオデットを助けるために道中で彼らを襲ったら、せっかくの猟が台無しになってしまいますわ」
……猟? まさか君たちは――
 ヤルマルがそこまで言いかけたときだった。外からやってきた騎兵の一人が、慌ただしい足音と共に執事へと駆け寄り、何事かを囁いている。その後ろからは、何か言い争うような声が聞こえてきた。
「武器なら既におろしただろう! それよりも、本当にこの先にあいつらがいるんだろうな」
……ったく、いきなり襲ってくるなんて、ルグロの連中は兵士にどういう躾をしてるんだよ」
 聞き馴染みがある声に、ノエとヤルマルは思わず顔を見合わせる。オデットの危機を聞いてから初めて、ノエも漸く一度冷静になることができた。
「あの声は、ルーシャンさんとオランロー……ということは、まさか」
 廊下の奥から、後ろに控えた騎兵が持つ槍に追い込まれるようにして部屋に入ってきたのは、ノエたちの言うように外にいるはずの三人だった。彼らは揃って両手を軽くあげ、抵抗の意思がないことを示していた。
「どうして皆さんがここに?」
「この方々は、屋敷の周辺で怪しい素振りを見せていたそうです。それを見咎めた我々の兵が捕縛したそうですよ」
「怪しい素振りとはご挨拶だな。屋敷に行ったまま帰ってこない仲間が心配になるのが、そんなにおかしいことかよ」
 不愉快そうに唇を歪めながら、ルーシャンは両手をゆっくりと下ろし、手首を軽く振る。
 どうやら、騎兵と一悶着あった末に力づくで一度拘束されたようだ。三人とも武器を所持していないところから察するに、騎兵の人数に押し負けて取り上げられてしまったのだろう。
「それより、ノエ。オデットとゲルダが、妙な連中に連れて行かれるのが見えた。あれは、オデット本人? それとも……
「ゲルダさんまで……!?」
 ノエの反応に、質問したサルヒも攫われたのが誰かをすぐに察したようだ。
「間違いなく本人ですわね。わたくし、その頃にはもうオデットの姿はしていませんでしたもの」
 アガテルの発言に、新たに加わった三名の視線が、部屋の長椅子に優雅に腰掛けるアガテルへと視線を飛ばす。サルヒは警戒を、オランローは侮蔑を、ルーシャンは嫌悪を、それぞれの瞳に込めていた。
「皆さんは、外に待機してくれていたんですか。僕たちは無事だと伝えたはずですが」
「無事だと言われても、姿ぐらいは一度確認しておくべきだとオレが提案したんだ。頃合いを見て近づくつもりだったんだが、あんたたちの様子を伺う前に、勝手口に不審な人影が見つけてしまった」
「彼らは、オデットぐらいの背丈の子供を運んでいるように見えたの。たとえオデットじゃなかったとしても、怪しいそぶりを見せている人間を放ってはおけない。だから、彼らを止めようとしたのだけれど」
「そうしたら、横からこいつらに邪魔されたんだよ」
 オランローとサルヒの説明を経て、後ろに控える騎兵たちをぞんざいにルーシャンが親指で指した。眼前で繰り広げられている事件を止められなかったためか、相当腹に据えかねているようだ。
「ともあれ、三人が無事に合流できたのは何よりだよ。それと、オデットの件は、どうやらこの狡猾なお嬢さんの掌の上の出来事だったようだ」
 まずは三人を宥めるような言葉を送った後、ヤルマルはアガテルへと向き直る。
「ボクたちも、彼女が自分の誘拐を予見して、敢えてオデットの姿を騙って人々の前に姿を見せたということを教えてもらったところだ。そのうえで、ボクたちにオデットを追いかけさせないとまで言うのなら、せめて事情を教えてもらえないかな」
 言葉だけなら今までのように軽やかではあるが、彼女の声音は今まで聞いたこともないくらいに冷え切っている。それでいて隠しきれない怒りが滲んでおり、さながら肉食獣が唸り声をあげて睨みつけているような凄みがあった。
「ヤルマルさん、そんな悠長に話を聞いている場合では……
「ノエ、気持ちはわかるが、ボクたちは武器もないうえに、今すぐの追跡は妨害するとまで言われている。このまま飛びかかっても、返り討ちになるのが目に見えている」
 今にも飛び出しそうなノエを言葉で宥めつつも、ヤルマルは続ける。
「一方で、侵入者には巣穴に戻って欲しいと君は言ったね」
 アガテルの口角が、微かに釣り上がる。
「それはつまり、彼らが巣穴に戻った後なら、ボクたちが追跡を開始しても構わないということかな。あるいは、君はすでに自分の手のものに侵入者の追跡をさせている」
 ヤルマルの推論に驚いた顔を見せたのは、ノエとオランロー、サルヒだった。ルーシャンは何か言いたげにアガテルを睨み、肝心の姫君は扇子をゆっくりと閉じて瞑目する。
「ええ。ヤルマル様のおっしゃる通りです」
 答えたのはアガテルではなく、彼女の後ろに控えている執事だった。
 好々爺然とした笑顔は出会った時から変わらないが、薄暗い室内ではその笑顔すら今は薄寒く見える。
「そろそろ灯りをつけても良いでしょう。彼らが立ち去ってすぐに灯りをつけては、侵入者が来たと気がついたのに、なぜ追手がこないのかと危ぶまれるかもしれませんでしたからね」
 執事の言葉に合わせて、先ほど灯りをつけた女中が更に手を振ると、室内は昼間の時のような柔らかくも確かな光に包まれた。だが、漂う空気は昼間のそれとは全く異なる冷たさだ。
「まずはノエ様。ヤルマル様の言う通り、侵入者には気がつかれないように我々の手のものに尾行させています。このような狼藉を働く者の住処は、遠からず明らかになるでしょう」
「あなた方の目的は、シュガーグレイヴに潜んだ、貴族に反感を持つならず者の住処を探ることですか」
「いや、貴族の姫様まで餌にして釣り上げようって言うんだ。単なるならず者が相手じゃないだろ」
 ノエの質問に答えたのは、ルーシャンだった。執事は「正解です」と笑みを深くする。
「旦那様は、かねてよりこの地域に潜む異端者の存在に頭を悩ませていました。我々の手のものを間者として潜ませ、それとなく動向を探っていましたが、狡猾な彼らは時に民衆に紛れ、時に商隊を装いと、なかなか尻尾を出しません。おまけに近頃は町民を扇動し、竜の血を飲まぬものを味方に引き込むという始末の悪さです」
「町民を引き込むのが、なぜ始末の悪いことになる。敵が増えただけの話だろう」
 もっともな疑問を投げかけるオランローに、ヤルマルは「ここはイシュガルドだからね」と返す。
「確かにボクらがよく知る暴徒や反乱分子という存在なら、扇動されて味方になっただけならば、大した問題にはならないだろう。だが、この国では異端者とそうでない人が混ざり合うのは少々厄介だ」
「外の地域ではどうかは知りませぬが、異端者の言葉に耳を貸したとはいえ、竜の血を飲まないものを諸共討ってしまったら、教会や民衆からどんな批難がくるか分かったものではありません。一方で、旦那様がお仕えするニヴェール本家からは、目障りな異端者を始末せよと何度も催促が届いておりました」
 竜と戦う国是を掲げるイシュガルドにおいては、異端者は明確な裏切り者だ。
 ノエたちはこの近辺の異端者が活動している理由をいくらか知っているものの、それでも彼らを全面的に庇おうとまでは思えない。
 彼らはかつて、異端者の仲間の疑いをかけられて、村諸共処分されかけた経歴を持つものである、とヒューイは語っていた。そこに同情すべき点はあれど、さりとて彼らも他の人々を襲ったり、最終的に結束を得るために竜の血を飲み、同様に異端者の仲間を増やそうと画策しており、決して被害者とは言い切れない部分もある。ノエの父の町の件だけを挙げても、あの戦いで何人の人が家をなくし、何人の命が失われたか。
「で、ニヴェールの連中があんたたちに異端者討伐の依頼をせっついたことが、どうしてオデットを生贄みたいに連中に差し出すことに繋がるんだよ」
 無理に押し通ることはできないと判断したのだろう。不満を隠そうともしてはいないものの、ルーシャンはずかずかと部屋に入り、ソファの一つに荒々しく腰を下ろす。
 座ってもいいと促されても、依然として休む姿勢を見せていないノエたちとは対照的に、彼は先に腰を据えて事態の全容を明らかにする方を選んだようだ。
「我々の間者からの情報で、異端者は町民の中でも貴族に反感を持っているものを煽り、味方として引き込んでいることは掴んでおりました」
「だからこそ、攻め入ることは難しいって話じゃなかったかな?」
「ええ。ですが、口実さえあれば……大義名分があれば、話は別です」
 執事はそこでアガテルを見やる。今までどこか見下すような視線を一同に向けていたアガテルは、今は何やら沈鬱な面持ちで扇子を握りしめていた。
「旦那様は、間者に領主が無視できないような何らかの事件を起こすように指示しました。そうすることで領主の関係者が顔を出せる状況を作り、それを好機として異端者が行動するように促したのです」
「無視できないような……
 執事の言葉を繰り返し、ノエははっと息を呑む。
「それは、異端者が神殿騎士団を襲撃したことですか」
「ええ。間者が意図して起こさせたものかは分かりませんが、異端者たちは自分の力を示すために行動をしてくれました。被害はさほどではありませんでしたが、仕事に熱心な神殿騎士団は、もちろん雇い主である我々ルグロ家にも襲撃の件を伝えてくれました。異端者のものたちも、民衆の煽動に使うために、町の住人を介して襲撃の件を噂として流していたようですね」
 彼の説明を聞いて、一同も騎士団襲撃の情報が漏れるのが早かった理由を理解した。
 ピヌヌや部下のものが情報を漏らしたからではない。襲撃者そのものが町にも住むものも含んでいたからこそ、彼らは支配層の脆さを強調するために襲撃の話を町の中で広めたのだ。
 言ってしまえば、異端者たちにとっては人心を揺らすために都合のいい一人芝居だったわけだが、その一人芝居すら利用したのが目の前の貴族たちだ。
「旦那様は、この民衆の不安を宥めるために、自分の名代を遣わすことにしました。一方で間者からは、彼らは自分たちの要求を飲ませるための人質として、使者を利用しようという案が上がっていると連絡がありました」
 執事がそこまで説明を終えた時点で、聞き手に回っていたノエも嫌な予感が波のように押し寄せる気配を感じていた。
 彼には言葉にできなかった不穏な作戦の全容を明らかにしたのは、ソファに陣取っていたルーシャンだ。
「読めてきたぞ。要するに、異端者の連中が調子に乗って貴族の姫様を誘拐なり暗殺なりしたら、身内を傷つけた犯人を討つという大義名分ができる。それさえあれば、目障りな町にひそむ反乱分子も、異端者もまとめて始末してしまえる。そういうことだろ」
 ぱちぱちと。手を打つ乾いた音が響いた。
 拍手をしていたのは、今まで説明を続けていた執事だ。
「ご明察。ノエ様は随分と頭の回転が早いご友人がいらっしゃるようで」
「ですが、それなら……ルグロ家の当主が差し出すべきは、こちらにいるアガテルさんではありませんか」
 もはや依頼主として敬称をつける相手ですらないと判断して、ノエは普段と変わらない口調でアガテルを見やる。先ほどから暗い表情を見せていた彼女は、
「そんなの……いくらお父様のためだからって、嫌に決まっているでしょう」
 震える腕で、まるでそれが自分を守る唯一の武器であるかのように扇子を握りしめていた。
「お父様のために、薄汚い異端者の手に渡って、恐ろしい目に遭ってこいだなんて。……そんなの、わたくしは嫌だったのよ!」
 先だっての演説の後の激昂とは異なる、それは正真正銘命の危険を感じた生き物の最後の抵抗に似た叫びだった。
「お父様は、わたくしのことなどどうでもいいと思っているのでしょう。でも、わたくしはわたくしの命と安全を守りたかった! だから、わたくしは、わたくしのできる最善の策をとっただけですわ!」
「それが、自分と歳の近い女の子を身代わりにすること? そのために演説の時から成り代わっていたの」
 アガテルの憤激にあてられてどんな言葉を発するか、一瞬迷ったノエの代わりに発言したのはサルヒだ。彼女はソファに陣取ったルーシャンのそばに控え、冷え冷えとした目でアガテルを見つめていた。
 しかし、サルヒの無言の圧力すらも受け流し、彼女は言う。
「お父様に気づかれては、あの方は自分の策に隙ができると嫌がるでしょう。だから、お父様から離れて町に着くまでの間に……もし、わたくしと同い年くらいの娘が見つかるのならと……わたくしが依頼を出したのですわ」
「そして、あなたの依頼を聞いたピヌヌさんが、僕たちに頼んだのですね。表向きは、父親の名代に緊張している娘の気を紛らわせるため。でも、実際は……
 ノエの言葉が、中途で切れる。
 もし気がついていたら、そのような依頼を受けることなどなかったのにと、喉を焼くような後悔が彼の中から迫り上がっていた。
 アガテルの思惑など知らず、ただ純粋に自分だけができることがあると喜んでいたオデットは、彼女の身代わりとして最も危険な役を押し付けられた。しかも、貴族の面子を守るための策の駒としての役割だ。命の保障すらもされていない非常に危険な役割である。
「あんたは自分の安全が守れれば、それでいいかもしれない。だけど、オデットの安全について、あんたは考えなかったのか」
 ノエに代わって、今度はオランローが令嬢を糾弾した。
 エレゼン族よりも体格のいい男に見下ろされ、アガテルはぎくりと身を震わせる。それでも涙すら見せないのは、彼女なりの矜持のなせる技か。さながら、身を守る短剣のように扇子を構えたまま、
「あ、あのような、どこの誰ともしれない傭兵の娘など、どうなったところでわたくしの知ったことではありませんわ! わたくしは貴族の娘ですのよ! だというのに、異端者などというならず者を討つために犠牲になれなどと、おかしいではありませんの!!」
「確かに、あなたにも同情するところがあるかもしれません。ですが、それでも……あなたにはそんな選択をしてほしくなかった」
 オデットを陥れた少女に対して、果たして激昂するべきなのか。それとも、彼女の境遇を労わるべきなのか。
 結論を出しきることができないノエが口にできたのは、アガテルの選んだ道を否定する自分の意思だけだった。
 だが、そのような感情論だけでは終わらない者もいる。
「領民を惑わす異端者を討つために自分が作戦に組み込まれることの、いったい何がそんなに嫌なんだ」
 一通り感情を吐き出し終えた少女とは対照的に、感情の全てを取り払ったように静かな声が響く。
「旦那様」
 小声で嗜めるようにサルヒが呟いたおかげで、ノエはその発言が誰のものか気がつくことができた。アガテルは発言をしたルーシャンに向けて、射殺さんばかりの激情を秘めて唇を震わせる。
「い、嫌に決まっているでしょう!! そんなこと、わたくしがすることじゃないのですから!」
「だったら、貴族は何のために領民を支配することを許されていると思ってるんだ」
 年若い少女の戯言と笑うでもなく、ただただ静まり返った青の両目がアガテル・ド・ルグロを見つめ返している。
「貴族ってのは、その祖先が竜を討った十二騎士に連なるものだと伝えられている。だからこそ、民衆を治める権利を得る代わりに、戦えない連中を竜から守る義務が貴族にはあるんだよ」
 ソファから立ち上がり、ルーシャンはノエに近づく。
 彼の纏う気配は、ヤルマルやオランローのように味方を傷つけられたが故の怒りとは違うと、ノエは直感で悟った。
「貴族の立場を都合のいい時だけ振り翳して、面倒ごとをただのその辺にいた子供を騙して押し付けるなんざ、お前はもう貴族でも何でもない。その意味じゃ、お前の親父さんの方がまだ貴族に課せられた義務ってやつが分かってるみたいだがな」
「ルーシャンさん」
 確かに彼の言う通りなのかもしれない。だが、アガテルが命を守るために必死になったのも事実だ。それに、これ以上追い打ちをかけてもオデットが戻ってくるわけでもない。
 ノエのそんな気持ちを、ルーシャンも察したのだろう。
「悪い、ノエ。子供に説教している場合じゃなかった」
「いいえ。……僕では、上手く言葉にできませんでしたから」
 何気ない会話を交わしつつも、ノエはそっと目の前の男の様子を伺う。
 彼の怒りは、オデットや皆を騙したことだけが原因ではないと、ノエは確信していた。
 無論、少しはその部分もあるかもしれない。だが、彼の激情の大部分を占めていたのは、
……自分の父親の治めていた領地を掠め取った者たちが、こんな無責任な発言をしたのが許せなかったんだ)
 もし、自分の父親が何らかの事故で命を落とし、その領土が別の貴族に掠め取られた上で、ぞんざいな統治をしていたら。自分の代わりに平民の命を危険に晒すような真似をしていたら。きっと、自分も今のルーシャンのように指摘せずにはいられなかっただろう。
 ノエは、己の立場と置き換えて、先ほどの対面をしていた男の心中を辿ったいた。
「それで、俺たちはどうする。武器を取り返して、オデットを追いかけるか」
「先ほども申し上げましたが、オデット様とご友人のゲルダ様を連れ出した者の足取りは、町の外に待機させていた我が兵により、追跡を進めております。それを妨害するような真似は謹んでいただけますか」
 執事からの牽制は、単なる警告ではないだろう。もし武器を取り戻したとしても、一貴族が抱えている騎兵全員の相手をするのは、ノエたちとしても避けたい。
「彼らの住処が分かり次第、私たちは騎兵を揃えて奴らを狩れと旦那様から指示を受けています。その作戦に参加していただく分には、我々も皆さんを歓迎しますよ」
「それでは遅すぎます。あなた方が彼らの要求を聞かないと判断した時点で、彼らはオデットを……殺してしまうかもしれない」
「それについては、私どもが気にするべき点ではありませんから」
 執事の対応に、ノエはアガテルが必死に身代わりを探した理由が分かったような気がした。
 アガテルも、自分の身の安全よりも、異端者討伐の功績を上げる方を父親が優先すると悟ったのだろう。だからこそ、死に物狂いで身代わりを仕立て上げたのだ。
……オデットは傭兵なのでしょう。戦う術を持っているのなら、易々とやられないのではありませんの」
 アガテルが、小声でノエに希望的観測を告げる。先ほどルーシャンに叱責されたのが効いたのか、彼女の声にはいささかの申し訳なさが混じっているようにも聞こえた。
「確かに彼女はアガテルさんよりは戦闘に慣れていますが、それはあくまで魔物に対してのことです。オデットは、人を傷つけた経験が少ない。それに……
 もし、見知らぬ男たちに敵意を向けられたら、オデットが過去に受けた心の傷が開いてしまうかもしれない。そうなっては、彼女は魔法を繰り出すことすらできなくなってしまう。
「あんたたちが住処の情報を入手して、異端者狩りの準備をしている間に、先行してオレたちが遊撃部隊として侵入するというのはどうだ。オレたちが人質の安全を確保した頃に、あんたたちの本隊が出撃すればいい。遊撃部隊として参加する以上は、最低限、オレたちから相手の情報をそちらにも伝える。あんたたちにとっても悪くない話だが」
 オランローの提案は、作戦としては妥当な内容だった。敵陣に出撃する際、遊撃と偵察を兼ねた少数の部隊を送るのは至極真っ当な戦法でもある。
 強いてこの提案の弱みをあげるとしたら、この執事もその遊撃部隊すら、自らの騎兵で賄うつもりだっただろうという点だ。
「我々に反感を持つあなた方を、作戦に組み込めと? 流石に、それは楽観がすぎるというものでしょう」
「ボクたちにとって、オデットもゲルダも大事な仲間だ。できる限り傷つけないで奪還したいし、そのためならば、どれだけ気に食わない相手でも手を組むぐらいには柔軟な考えも持っているよ……というのはダメかい?」
「口だけでは何とも言えますから」
 頑なに同行を拒む執事に、苦笑を返すヤルマル。どうしたものかと、場が硬直したときだった。
「そこの執事さん、ちょいと耳を貸してくれないか」
 ルーシャンが、笑顔のままの執事に軽い足取りで近づく。好々爺の顔をしながらも強かな一面を見せてきた執事は、隙のない笑顔で「何でしょう」と応じた。
 小声で何事か話をしているルーシャンに、ノエは期待と諦めがないまぜになったような気持ちで様子を伺っていた。だが、何を言っても無駄ではないかと思っていた一同の予想を裏切り、執事は怪訝そうに眉を寄せてルーシャンを睨んでいた。
……その話をどこで?」
「さてな。ただ、こちらも、神殿騎士団とは仲良くさせてもらってるんだ。で、どうする。さっきのオランローの案を通してくれるなら、今話したことはこの先誰かに伝えたりはしない」
 その時初めて、執事は穏やかな笑顔から靴にこびりついた忌々しい汚れを睨むような目つきでルーシャンを見やった。対するルーシャンは、常のように飄々とした笑顔を貼り付けている。
……いいでしょう。奴らの住処が分かり次第、皆さんが遊撃部隊として向かうことを許します。ただし、不必要に住処に潜む連中を煽るような真似は避けてもらいたいですね。分かっているとは思いますが」
「もちろんだ。下手にあんたらの作戦を広めようものなら、危ないのはオデットの方だってことくらい、俺たちだって分かっている」
 どうやら、話はまとまったらしい。自分が主人から預かった作戦を崩されて、執事は不満げにしていたが、ノエとしては彼の不況を買うことなど今更気にしていなかった。
「旦那様、いったい何を言ったの」
「騎士団のことで色々とな。それよりも、せっかくお許しを出してもらったんだ。今すぐに動くことはできないが、そのぶん準備の時間ができたと思って、嬢ちゃんのところに向かう支度をしっかりしないとな」
「ありがとうございます、ルーシャンさん」
 ノエは頭を下げると、続けて執事とアガテルを睨むように見つめながら、
「昨日からあなた方と結んだ依頼に関する契約についてですが、事ここに至った今となっては、破棄してもらってもよろしいでしょうか」
「あなた方は、立派に私たちの依頼を果たしてくれました。むしろ、私たちに報酬を請求しても一向に構わない立場なのですが」
「オデットとゲルダさんを犠牲にして手に入る報酬など、僕は欲しくありません」
 勝手に話を進めてしまったが、オランローもヤルマルもノエの言葉に深く頷いてくれた。
「あなた方にはあなた方の為すべきことがあることはわかりました。今の僕が示せる理解はそれだけです」
「さて、話がまとまったところで、武器とリンクパールを返してもらえるかな。さもないと、今度こそここで一戦交えることになるよ」
 ヤルマルの放った半ば脅しめいた発言が功を奏したのか。執事をやれやれと首を横に振り、傍の女中に武器を運んでくるよう告げた。