望月 鏡翠
2025-04-01 10:04:54
901文字
Public 日課
 

#1673 「廃妃」「キロワット」「テナント」

#毎日最低800文字のSSを書く/三題話


 女主人として貴族の家を支えた者には、それ相応の技術が蓄積されている。
 使用人の人事と教育。経理に広報。貴族の妻のやることは驚くほどに多いのだ。それを一人で牛耳っていた彼女にとって、場所さえ整えてもらえれば、そこをうまく運営するのはさほど難しいことではなかった。
 そうしてオープンしたレストラン、いや実のところそんな格式ばったものではないのだ。大衆食堂というのが一番しっくりくるだろう。
 料理は腕のいいシェフに任せて、本人はホールで忙しく歩き回っている。
 身分を隠し、逃れて済むなら最も意外な場所がいい。どうせ、貴人の顔なんてわかりやしないのだから。
 そう言ったのは、王妃本人である。いや今はその位を剥奪されているのだから、廃妃というべきであろうか。
 当時の臣下たちがみていたのは、豪華や首飾りとティアラ、豊かな胸。白く塗った顔。そして、貴族社会の流行の最先端を追いかけたファッションである。
 今や、何回も洗濯して生地がくたびれた去年の服を着回し、すっぴんで、人々と直に話し、口を開けて笑う彼女は、かつての王妃とは別人である。それが誰だかわかった上で見ても、同じ人とは思えないくらいなのだ。
 きっと何も知らなければ、もしかしてなどと頭に掠めもせず、確信に至ることはないのだろう。
 テナントの持ち主には真実を打ち明けているはずなのだが、相手が元々高貴な身分であったことなど知らないかのように王妃に接して、周りのものをヒヤヒヤさせる。
 もちろんそれは正しいし本人も望んで理有対応なのだが、もやもやとした気持ちになるのは、確かである。
 いずれは名誉を回復して王宮に。
 そう思っているのは、私ばかりなのかもしれない。どこにいっても輝ける人であるのだから、市井に紛れて暮らすのも苦ではないのだろう。かつての生活を羨む声を、彼女本人からは一度も聞いたことがなかった。
 本人は今日も自分の店の切り盛りで忙しい。
 テナントの主人と新しく導入するパン屋用のオーブンと、店で使用できる機器類のキロワット上限について激しく議論を交わしている。
 その横顔は真剣で、とても生き生きしている。