mishiadd
2025-04-01 00:41:53
2635文字
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浅草幻想奇譚:あになるもの

【宮本兄妹】義兄が死んだ半年後、義兄が戻ってきました。

あたしと兄上がこうしてふたりで向かい合ってじっくりと話し合うのも、半年振りですね。半年前を覚えていますか? 覚えていない。ええ、構いません。

あの浅草寺の石畳で兄上が亡くなって、あたしたちはお葬式を挙げたのです。胸の刺し傷を綺麗に拭いて、白い死に装束を着付けて――お坊様が驚いていたのですよ、あまりに穏やかな顔をしていたから。「まるで菩薩様のような微笑みですね」などと言って、お坊様がそんなことを言っていいのかわかりませんでしたが。

お棺を埋めて土を被せて、その間あたしはずっと泣いていました。涙で視界が潤んでいたから、見ていたようできちんと見ていなかったのかもしれませんね。兄上のお棺は、きちんと土に埋まっていなかったのかもしれません。だからあれから半年後の今、あなたはここに戻ってきてしまったのかもしれません。

あなたのお墓は確かめに行けていません。あのお棺が空っぽになっているのを見るのが怖いのかもしれません。武家の娘として、あたしはまだまだなのかもしれません。

戻ってきた兄上は、あたしにとても優しくしてくれましたね。「おまえを置いて死んでしまって悪かった」と言って、小笠原のお屋敷に毎日通ってくれました。
他の皆を驚かせると悪いから、と言ってあなたはあたしの前にしか姿を現わしてくれませんでしたが、来てくれるときにはいつも、小さな花や櫛やかんざしを持ってきてくれました。夕暮れ時から夜半にかけて、月明かりだけが足元を照らす中、あなたはいつも中庭からやってきて、あたしの座敷の障子に影が映っていた。

あなたとふたりで中庭の縁側に腰かけて、庭の池に月の姿が映るのを眺めながら、夜風に当たりながらひそひそと小さな声でお話をするのは楽しかった。兄上は以前と同じであまり自分の話はしてくれませんでしたけれど、あたしの話をじっと聞いていてくれましたね。兄上が亡くなってから半年間、起こった出来事をひとつひとつ聞いてくれました。そしてあたしを慰めてくれました。「置いていってしまって悪かった」、「ひとりにしてしまって悪かった」、「寂しい思いをさせてしまってすまなかった」、「ひとりで苦労をさせてしまってすまなかった」――どの言の葉も、あたしの胸に沁みました。この半年間、あたしが欲しかった言の葉そのものでした。

そして昨晩、兄上はあたしに言いましたね。「一緒にならないか」と。あたしと、兄上が。

ええ、ですから今、兄上にはいつもの縁側ではなく、あたしの座敷に上がってもらっていて、こうしてあたしと向かい合ってもらっているのです。

兄上はきっと覚えていないので、昔話をします。あたしが小笠原の家にお世話になることになって、兄ちゃんはお屋敷の傍でひとり暮らしを始めたばかりのことでした。御屋敷に出入りしている商家の丁稚とあたしが仲良くなったことがありました。きっと彼の方はあたしのことを好いてくれていたんだと思います。でもあちらも分別があったから、身分が違うことは重々わかっていたし――だから、あたしが実際どう思っているかということを差し置いたとしても、あの恋が実ることはなかった。
でも、彼があたしの前でもじもじしているのを見た兄ちゃんがなんと言ったかわかりますか。「おまえのことを好いてくれているのか」、と――それはそれは嬉しそうな顔で言ったんですよ。
「彼は見る目がある」とまで言ったのです。そして、身を屈めてあたしに言ったのです、「もし小笠原様に直訴しなければならないことがあったら、きっと俺もついている」と。

だからあたし、理解ってしまいました。あの人のこと、全部理解ってしまったんです。

あの人、ずっと変わりませんでした。セイバーさん――あの綺麗なひと、あたしはずっと女の人だと思っていたのですが――あの方とあたしのこと、勘違いして応援しようとまでしたんですよ。あの人――あたしの幸せはあたしが勝手に掴むもので、そこに自分が必要だなんて、きっと考えたこともなかったんだと思います。

だから――はい。あたしもそうすることにしました。兄ちゃんにいい人ができたら、全力で応援するんだってそのときから決めました。あたしが実際兄ちゃんのことをどう思ってたかなんてわかりません。ただ、あたしが自分の気持ちを腑分けする前に、あたしはそう決めたのです。あたしが兄ちゃんを『想う』――という選択肢は、そのときから消えた。たとえ心の奥底であたしがそれを望んでいたのだとしても、それは存在しないものです。

ええ、だから、兄上。いいえ、あなた。――ありがとう。あなた、兄上ではありませんね。

あなたのくれた言の葉、全部嬉しかった。きっと、あたしが一度は夢想してみた言の葉の数々だったのだと思います。でも、所詮は全部あたしの夢ですね。兄ちゃんはそんなこと言ってくれない。兄ちゃんはきっと――あたしの人生に彼が必要だったこと、最期まで気付いてくれなかった。
でも、それでよかったんだと思います。お棺の中のあの穏やかな顔を見ました。あの人、今まで充分、人のために生きました。最期の最期、あたしのことが心残りになってあの顔ができてなかったと考えたら、きっとその方がずっとずっとつらかった。だから、よかった。あの人、最期まで気付かずにいてくれてよかった。

名も知らぬ物の怪さん。慰めてくれてありがとう。あなたはきっと、あの人よりもよっぽど『人』でした。でもきっと、あたしが好きだった兄ちゃんは、あなたが聞かせてくれた言の葉を、あたしが聞きたかった言の葉を、決して口にしてはくれない彼だった。――ああでも、本当にありがとう。最後にいい夢を見ました。

はい、明日はあたしの嫁入りの日なのです。だからもう、ここに通ってくるのは今夜を最後としてください。今まで本当にありがとう。障子に映った影であなたが兄ちゃんではないことはわかっていましたが、あなたの見せてくれる優しい夢に、あたしは甘えてしまっていたのかもしれません。
これできっと心の整理がつきました。――ええ、あたしきっと幸せになりますよ。あの人があたしに願ったことですから。でも勝手に幸せになんかなりません。あたしの幸せは全部あの人のせいにしてやります。事あるごとに、「これは兄上に教わったのです」と言いふらしてやります。

さようなら、名も知らぬ物の怪さん。――さようなら、兄上。






あになるもの・了