武市先生の京での御住まいは木屋町にある。私はそこへ度々訪れ、先生に何か不便は無いかお伺いし、雑用を承るのが私の京での習いだった。
上京してまでこのように中間の如く振る舞うのは、何であれこのお方の役に立ちたい一心であり、こうして先生の用に立てば、剣の腕が立つわけでもない私が天誅の一端を担ったと言えぬことも無いという、いわば一種の功名心からの働きであった。
その日、粟田口に幾つかの首が並んだと聞き木屋町へ行くことにした。奸賊どもの骸を見るよりも先に武市先生の元へ向かったのは、河原の変事を知らせに走った訳では無い。これを我ら土佐勤王党の仕業であると確信していたからである。
京の秋は土佐よりも早く過ぎ去ろうとしている、ヒュウと音を立てる風が冬のものになりつつあった。そろそろ火鉢でもご用意するべきかと考えながら、お住まいの裏手に周り、庭先へと参るとそこには薩人が居た。
大柄な田舎侍は昨晩ここに泊まったと見えて、袴も履かず着流しに、手焙りを股火鉢して刀を懐紙で擦っている。挨拶一つせず砥粉を撒いて、また刀を拭う様子が癇に障った。
「武市先生はいらっしゃるか。」
「奥へ居るが来客だ。」
男は私に一瞥もくれない。客は長州の誰かだろうか、であれば邪魔は出来ない。
私は内心気落ちしていた。此奴は不在だと聞いていたから、身内の誰ぞがやりおおせたと思っていたのに。この田中新兵衛という奴は土佐勤王党の一員ではない。武市瑞山先生を慕い日参し、武市先生の御為と働く薩摩藩の者。先生から直々に我らの仲間だ、と言われたとしても、苦楽を共にした土佐の仲間たちと同じだとは思えない。
しかし天誅人斬り新兵衛と聞けば今や京都に知らぬ者は居ない。
機嫌よく念入りに刀を手入れする姿からその刀の使い道に思い至り、あの首を並べたのはまたこいつだろうと僅かに肌が粟立った。
私はこの薩人を、成した偉業には畏敬の念を持ちつつも、しかし何故こんな粗暴な人殺しを、先生はお側に置くのかと蔑みの目で常に見ていた。
「粟田口に馘が並んだのはお聞きで?」
「ああ。逆賊がまた減り、天下はより正しくなった。素晴らしい。」
刀を返ししげしげと刃紋を眺めながら言う。
「昨夜はやはり……?」
「いや。」
否定される。この男の仕業でなければ誰であろうか、以蔵が仕留めたのなら必ず酒宴なりを開くはずだ。
「私は居なかった、そもそも私は京にすら居らぬ。」
どういうことだろう。
「先生がそうおっしゃる、ならば私はここに居らぬし、昨夜は天誅などできようはずもない。私は京にも石部宿にも居なかった。そうだな?」
この人斬りが笑うのを初めて見た。いや笑ったのではない、歯を見せてこちらを威嚇してみせたのだ。犬じみた歯並びに恐怖を覚えた。
沈黙を同意ととらえたか、恐ろしげな牙は引っ込められ、悠々と刀の手入れへ戻る。
この男は獣に似ている。その後の仕草はさらにそう思わせた。ふと顔を上げ、奥を見つめること数瞬。武市先生と久坂玄瑞が現れた。
瑞山先生の血の気が薄い顔は今日は一層青白く、冬の兆しのある陽光に淡く輝いて見えた。さっと頭を下げ、不躾なよその犬より礼儀を知っている様子を見せる。
「ああ、来ていたのか。待たせてすまないな。」
私に話しかけた! この人斬りよりも先に、私にお声をかけて下さった。
「用ということもなく……何か、お困り事はないでしょうか、入り用の物などございませんか……」
いつもの如くそう聞いて、傍目に薩人を盗み見た。薩人は座りなおすわけでもなく、股火鉢のまま刀だけは脇に置いてみせた。
先生はうむ、と一声して思案した後、何も用は無かったようで田中親兵衛に向かってこう言った。
「田中君、何か入り用の物はあるか。」
話を振られると思っていなかったようで、大男は少し唸った。
「では……藁灰を。」
「藁灰?」
先生だっておかしな事を聞いたというように返事をする。茶席でも開こうというのか、田舎者は妙な物を欲しがる。
「はい。巻いた刀の手入れに使ってしまいました。脂には藁灰がようございます。」
先生に向かって脚の間の小火鉢を傾けて見せた。ずっと抱えていた火鉢は中身がほとんど空で、よく見れば庭が灰で白く汚れていた。
「そうか、そうか。──では、君。」
先生は珍しく笑っている。
「藁灰を用立ててくれ。多めに。」
私は返事をして、そそくさと退出した。裏戸をくぐってから一歩、一歩がせわしく前に出ていこうとする。私はいつの間にか駆けていた。
灰なぞ駆けずとも手に入るだろう、だが一刻も早く逃げ去りたいのだ。
寒いのは木枯らしのせいばかりではなかった。
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