ぶんどき
2025-03-31 13:11:38
2087文字
Public 依頼
 

春の暮れに散る花を見る

とある探偵の春の夕暮れの話
ご依頼ありがとうございました!

 道中で買った色とりどりのカーネーションを手に、自分の足はとある場所へと向かっていた。さほど頻繁に訪れているわけではないがこうして時々様子を見に来たくなることがある。
 舗装された道路を道なりに沿ってしばらく歩けば、開けた視界の先に墓地が見えてきた。迷うことなく一つの墓石の前で足を止める。そこに母はいた。以前来た時となんら変わりのない様子でただただそこにあった。まるで自分の訪れを待っていたかのように、というのは些か都合が良すぎる考えだろうか。そこにある変化は、しばらく見ない間に雑草が伸びていたことくらいだ。土の匂いも、ひんやりとした墓石も、何も変わっていなかった。それが一種の安寧を自分に与えてくれた。人間はいつも心のどこかで不変を求めているのだ。大切であるものなら尚更。
 水道で溜めたバケツの水を柄杓ですくい、墓石の上からかけ流す。丁寧に汚れを落とし、伸びすぎた草をむしり、ビニール袋に詰めた。花と線香を供え、墓前で手を合わせる。
「久しぶり、母さん」
 当然返事はない。それでも語り続ける。最近あったこと、仕事のこと、同居人のこと、それがただの独り言だとしても、この場ではそれが許される。ここはそういう場所なのだ、今さら咎める人などいない。
「次は……母の日にでも来るよ」
 ある程度の近況報告をすれば、心なしか気持ちが軽くなった気がする。これでもう、大丈夫だ。再度母を一瞥してから、墓地をあとにした。
 ふと、ずいぶんと日が長くなったものだと感じる。腕時計を見れば時間は午後四時をちょうど過ぎたところだった。少し前まではこの時間帯にはもう空は薄らと濃紺を纏っていたはずだ。それがまだ、水色から黄金色にかけてグラデーションを作り出している最中のようだった。そろそろ冬物のコートをクリーニングに出してもいいかもしれない。そんなことを考えながら帰路につく。
 上空からカアカアとカラスの鳴き声が聞こえ、見上げればいくつかの真っ黒なシルエットが翼を広げ、自分の頭上を通り過ぎていった。カラス達にも帰る家があるのだろう。
 その時、風が吹いた。頬を誰かに撫でられたかのように生ぬるい風だった。風に乗って一枚の花びらがふわりと眼前に現れ、なんとなく手を伸ばしたら掴めてしまった。淡い色のそれは桜の花びらだった。顔を上げ辺りを見渡せば、その花弁の出どころはすぐにわかった。どうやら小さな神社の境内に植えられた桜の木のようだ。あまり馴染みのないその神社に誘われるように自分は足を踏み入れていた。
 神社には自分以外に人はおらず、静かだった。さわさわと木々の葉が擦れる音だけが境内には響いている。その中で一本だけ桜の木があった。明日にでも満開になりそうな開花具合だった。風が吹く度に細い枝が揺れ、花びらが舞い、はらはらと地面に落ちてゆく。こんな弱くやさしい風ですら、花びらは散ってしまう。激しい雨風などひとたまりもないだろう。
 ふと、先ほど会いに行った母の顔が思い浮かんだ。美人薄命という言葉がある。自分の母親が美人と呼べるのかはさておき、あまりにも早かった、と思う。無意識に桜と母を重ねていることに気づき、ため息を吐く。日本人は儚いものほど美しく尊いと愛でる感性を持っているが、あくまでそれは自分の身近ではない場合の話だ。早世した母、残された自分の話は他人からしたらある種の感動物語なのかもしれない。しかし、当事者である自分はそうは思わない。──大切な人ほど、長く側にいてほしいに決まっているじゃないか。墓参りをしたばかりのこともあってか、普段よりやけに感傷的な自分に驚いた。これ以上ここにいたら自分の弱くやわらかい部分が無防備にさらけ出されそうで、それがなんだか怖くて、自分はそそくさと神社をあとにした。

 散りゆく桜を愛でることができるのも、所詮は他人事だからだ。
 あの神社の桜だって、誰かにとっての心の拠り所かもしれない。花びらが散る度に涙を流す人がいるかもしれない。しかし、結局それは当人達しか知り得ないことで、自分がどうこうする話ではない。思い悩んでも仕方が無いのだ。
 花も人も、生命としてこの世に生まれ落ちた時点で終わりが始まっている。終わりは誰にでも平等にいつかは訪れるものであり、それが早いか遅いかの違いしかない。自分の終わりだっていつかはやって来るのだ。それは何十年も先かもしれないし、もしかしたら明日かもしれない。それを知る術がない以上、自分にできることといえば、悔いのないように日々を過ごすことくらいだ。いつ死んでもいいと思っているわけでは決してないが、せめて、自分が散るときにはこの世界に満足していたい。
……そういえば、新しいケーキ屋がこのあたりにできたんだっけ」
 開店セールのチラシにマンゴーの果肉がたっぷり乗ったプリンがあったことを思い出す。甘いものはそれほど好きではないが、あの写真で見たマンゴープリンには興味が引かれた。
 悔いのない日々を送る第一歩として、今日くらいは好物を──しかたない、同居人の分も買っていってやるか。