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千代里
2025-03-31 08:20:58
8829文字
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リーブラ14話
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リーブラの針は問う・14話・その56
肌を撫でる寒々しい風に身を震わせる。無意識に熱を発そうとした体の振動が、結果的にオデットの覚醒を促したらしい。
目をうっすらと開いても暗闇しか見えず、一瞬自分は目隠しをされているのではと思った。しかし、暗闇に慣れてくると、少しずつ周囲の様子もわかるようになる。
オデットの瞳が捉えたのは、ここ二日でようやく馴染んだ花柄の壁紙ではない。そこにあったのは、粗末な石造りの床や壁だった。
宿や民家にある壁掛けのような最低限の装飾すらなく、無機質な灰色の表面だけが並び、無言の威圧感でオデットの精神を圧迫していく。たとえ隙間風がなかったとしても、この室内の様子を見ただけで、肌は寒さを覚えていたかもしれない。。
そこまで考えて、全身を走る寒気に、今度はくしゃみが飛びでる。弾みで動いた体が何かにぶつかった感触がして、オデットは傍にいる人影に気がついた。
「ゲルダ」
隣に横たわっているのは、暗闇でもはっきりと分かる白に近い銀色の髪。オデットにとって、友人でもある少女の姿だ。
「大丈夫ですか、ゲルダ」
そっと肩を叩いてみても、ゲルダの反応は相変わらず無いままだった。
(そうだ。わたしは
……
)
自分とゲルダは、なぜこのような寒々しい場所にいるのか。その理由を思い返し、オデットはすっと腹の底が冷え込むような感覚に襲われる。
「まさか、約束を破ってあの人たちに何かされたんじゃ
……
」
「おいおい、貴族のお嬢様よ。人聞きの悪いことを言うもんじゃないぞ。そうやって、すぐに何でも都合の悪いことを俺たちのせいにするつもりか?」
ぎい、と建て付けの悪さが分かるような軋んだ音を立てて、部屋にあった唯一の扉が開く。同時に、灯りが室内に飛び込み、ちらちらと揺れる光に、暗闇に親しんだ瞳をオデットは細めなければならなかった。
カンテラを持って入ってきたのは、ノエと同じか、すこし年上のエレゼン族の男性たちだ。
オデットはゲルダを抱えるようにしつつ、反射ヤルマえきに彼らから距離をとる。背筋をぞくりと這う恐怖感は、この男たちからは直接関係ないことが原因であるとオデットには分かっていた。
(大丈夫です。この人たちは
……
あの人じゃない)
不穏な気配に、周囲を包む暗闇。そして、威圧的な態度を見せる男。それらの要素は、幼い頃に自分を虐げた司祭を否応なく想像してしまう。
だが、今は過去の亡霊に足を引っ張られている場合ではない。
「あ、あなたたちは、誰なんですか。
……
何が、目的なんですか」
「そんなの決まってるだろ。自分の胸に手ぇ当ててよーく考えてみやがれってんだ」
「それともお花畑で育ったお姫様は、何にもわかりませんってか?」
「おい、下手に怯えさせるなよ。錯乱しちまったら、後々面倒なことになるぞ」
こちらを挑発する男たちと、ややなおざりながらも息巻く男たちを宥める者。
彼らのやり取りを聞きながら、オデットは自分が目を覚ます直前にあったことを思い返していた。
◇◇◇
ノエたちが階下で目を覚ます、少し前。広すぎる寝台をゲルダと分け合って眠っていたオデットは、肌に感じる冷えた空気と言い難い違和感に覚醒を余儀なくされた。
最初、オデットはその理由が外の音にあると思っていた。なぜなら、目を覚ました直後、空気を破るような低い音が腹の底までびりびりと響いたからだ。
「竜の声
……
ですよね」
寝ぼけ眼でも、あの声を聞いた瞬間、うなじから背筋にかけて冷たいものがサッと駆け降りていった。竜の影が見えなくとも、こんな音を聞けば素知らぬふりなどできるわけがない。
「近くに、竜がいるのでしょうか」
何気なく呟いて、すぐにその可能性は常に考えておくべきだったことを思い出す。
「ゲルダのお母さんが、様子を見に来たのかもしれませんね。ねえ、ゲルダ
……
ゲルダ?」
隣で眠る彼女に、せめて母親が近くに来ていると伝えよう。ここ数日の間、半ば慣れてしまった諦めと共に呼びかけて、その瞬間に気がつく。
隣に寝ているはずのゲルダがいないことに。
「ゲルダ?! でも、どこに行って
……
」
すぐに首を左右に振って、部屋の様子を確かめる。
まず目に入ったのは、部屋の隅に寄せていた荷物の袋だ。紐が緩んだその隣には、散らかった薬瓶や薬草の側に、空っぽになった瓶が転がっている。あれは、ヒューイがゲルダに処方した薬が入っていたものだ。
続けて目に入ったのは、部屋の扉。僅かに開いた隙間は、誰かが出ていった証拠に違いない。そして、この部屋でそれができるのは一人しかいない。
「ゲルダ!!」
目を覚ましたゲルダが、寝ぼけたまま部屋の外を出ていってしまった。咄嗟にオデットはそう判断した。
夜間の外の空気は、肌を刺すような冷たさを覚える。防寒具など持たずに出かければ、また具合が悪くなってしまうかもしれない。
オデットは咄嗟に自分とゲルダの分の二つ分の上着を掴み、部屋の外に飛び出した。
本来、自分たちの部屋には見張りがいたはずなのに、何故か見張りどころか、人の気配すらなかったが、それを気にする余裕など一イルムもなかった。
「ゲルダ、どこに行ってしまったんですかっ」
髪を振り乱す勢いで探し続け、廊下の角を幾度か曲がった先で、ようやく階段を降りていく人影を見つける。
「ゲルダ、待ってください! どこに行くんですか!」
階段を降りている途中で足を滑らせるようなことがあれば、と真っ青になるオデット。
動揺する友人とは対照的に、どこかぼんやりとした様子のゲルダは階段を降り、迷いない足取りで階下に足をつけていた。オデットが呼びかけてもまるで反応がないのに、寝ぼけ眼ではありえない、随分としっかりとした足取りだった。
(お母さんの咆哮が聞こえたから、でしょうか)
それがゲルダが目覚めたきっかけなのだろうか。わからないことだらけだが、ともあれゲルダの後を追いかける。
幸い、ゲルダは全力疾走していたわけではなかったので、階段下から続く廊下の途中で、オデットは彼女に追いつくことができた。
「ゲルダ、具合は大丈夫なんですか。急に起き上がって歩き回るなんて
……
」
驚きと安堵が入り混じる中、ゲルダの手を取り、その冷たさにぞくりとする。布団の温もりから抜け出し、裸足で廊下を歩き回っていたせいか、ゲルダの体は氷のように冷え切っていた。
上着を羽織らせ、そっと顔を覗き込んでみる。しかし、ゲルダの真紅の瞳は確かに開いているのに、その焦点ははっきりとせず、オデットを見ているのか見ていないのかすらも定かではない。
「ゲルダ
……
?」
手を取っているオデットも、何か様子がおかしいと思う。態度や振る舞いの問題ではなく、彼女が纏う気配そのものが不自然なのだ。目の前にいるのは、自分と大して歳の変わらない少女のはずなのに、何かもっと大きなものが目の前に屹立しているような気配すら感じる。
オデットの体に一瞬寒気が走り、小さくくしゃみが溢れる。刹那、体を支配していた堂々巡りの思考が吹き飛んだ。たとえ室内ではあれど、夜に部屋の外でのんびり考え事をしていたら、また風邪をひいてしまう。
「ゲルダも寒いですよね。早く部屋に戻って
……
」
言葉が中途半端なところで終わった理由。
それは、何やら荒っぽい足音がはっきりと聞こえてきたからだ。
使用人か騎兵が、夜中に部屋を抜け出したオデットに気がついたのだろうか。だとしたら、余計な詮索をされないためにも弁明が必要だろう。脱出を疑われて、ノエたちに迷惑をかけるわけにはいかない。
小さな灯りが揺れ、曲がり角から姿を見せたのは、数名の人影だった。廊下の照明は夜間のためか全部消されているため、顔貌はよく見えない。しかし、一瞬見えた容姿は、到底使用人のお仕着せには見えない。
「
……
おい、あれ。あの顔だ。間違いない」
男のうちの一人が、二人を指差すような仕草を見せる。
「だけど、二階にいるって話じゃなかったのか? 勝手口も、鍵がかかっていなかったし
……
」
「細かいことをいちいち気にするなよ。見ろよ、そばにいるのはガキの召使が一人だけだ。ちょうどいい」
口早にやり取りを交わしながらも、人影たちはオデットへと近づく隙を窺っているように見えた。
「あの、あなたたちは誰ですか
……
?」
口ぶりや、垣間見えた容姿から見ても使用人ではない。だが、それなら一体何者なのか。
「おい、気づかれたぞ」
「ごたごた言ってないで早く捕まえろ!」
誰何への答えは、荒々しい敵意が混じった声と、問答無用でオデットへと迫る一人の男の影だった。
理由はわからないが、自分は男たちに危害を加えられようとしている。そのことを、頭では理解していたのに。
「
……
!」
足がすくんだ。
喉の奥がぎゅっと掴まれたように、呼吸が止まった。敵と戦うための方法すら、あっという間に全て吹き飛んでしまった。
黒々とした影が、オデットへと急速に迫る。その姿を目にした瞬間、彼女の脳裏に冷え冷えとした記憶が浮き上がってきた。凍りついた部屋の中、嫌悪感を必死に堪えていた日々が瞼の裏で明滅し、思考が完全に停止してしまった。
「やめて、来ない
……
でっ」
口にできた言葉は、普段の自分に比べるとあまりに弱々しい。唇から温度が消え失せ、足から力が抜けてその場にへたり込んでしまう。
それでも、どうにか手だけを使って後退りするも、すぐに男とオデットの距離はゼロになった。
「はっ、見ろよ。昼間はあんなに偉そうにしてたのに、今は腰抜かしてやがる。びっくりしすぎて死ぬんじゃねえぞ」
「ひる、ま
……
?」
一体何のことだ。オデットは、今日の昼間に出かけた覚えはない。
「文句があるなら、精々あんなムカつく伝言を託したあんたの親父を呪うんだな」
ようやく、オデットは男が何か勘違いをしていることに気がついた。
そして、勘違いの理由も、すぐに分かった。
――
違う。それは、自分ではない。
そう言おうとしたのに、近づいてきた男の手が腕を掴んだ瞬間、オデットの口から飛び出したのは理性的な反論ではなく、恐怖から生じた掠れた悲鳴だけだった。
あまりに弱々しい小動物の断末魔のごとき声。だが、その声を聞いたものが、その中に一人だけいた。
「ちょっと、おい! 何だこいつ!?」
「どうした、何があった!?」
「くそっ、やめろ! 召使のやつが、いきなり暴れ出しやがった!!」
男たちの動揺が、過去の亡霊に取り憑かれていたオデットの心を揺り戻してくれた。
恐怖から滲んでいた視界が急速に焦点を取り戻し、
「ゲルダ!!」
今までぼんやりと廊下に佇むだけだった友人が、男の仲間に組みついているではないか。
灯りの反射のせいか、彼女の赤の瞳は、炯々とした輝きを放っているように見える。
「気でもおかしくなったのか!? やめろ、この
……
くそっ!」
最初こそ不意打ちが成功したおかげで男たちに混乱をもたらしたが、男たちも荒事には慣れているのだろう。すぐに体勢を立て直すと、組みついていたゲルダへと大きく拳を振りかぶった。
ごっ、と鈍い音が響き、ゲルダの体が傾ぐ。男の振るった拳が、彼女の顔に直撃したのだ。
「やめてっ!!」
地面に彼女が倒れ伏すと同時に、オデットは男の手を振り解こうと無茶苦茶に腕を振り回し、体を捻った。運よく、その一振りが捕縛していた男の顔面を強打し、腕が自由になる。
すぐさま、冒険者として身につけた反射神経で男たちから距離を置こうとするも、
「おい、待て。人を呼ぼうとするなら、このお嬢さんがどうなっても知らないぞ」
オデットに頬を殴られて顔を歪めた男が、顔を殴られた後、地面に転がったまま動かないゲルダを足で示す。
灯りが床まで照らし切っていないので判然としないが、ゲルダは目を中途半端に開いたまま、口も半開きの状態で転がっているように見えた。まるで、殴られた直後のまま、瞼を落とすこともできないほどに、頭部に酷い怪我を負ったかのようだ。
「
……
!!」
今ここで全力で踵を返せば、ノエの元に向かうことはできるかもしれない。そうでなくとも、屋敷を巡回している騎兵の一人ぐらいは見つかるだろう。
だが、その代わり、ゲルダはどうなってしまうのか。血は流れていなくとも、頭部に酷い怪我を負ったなら、すぐに治さなければ致命傷になってしまうかもしれない。
(この人たちは、きっと、わたしのことをアガテルさんと勘違いして、捕まえようとしている
……
)
殺そうとはしていないようだったので、恐らくは連れ去ることが目的か。その理由ははっきりとは分からないが、だったらここで彼らに従ってついていっても、危害を加えらえることは当面はないだろう。
だが、ゲルダにそのような価値はない。オデットが逃げれば、使用人の一人と思われているだけのゲルダは殺されてしまうかもしれない。
「わかり
……
ました」
「よーしよし、聞き分けのいい子供は嫌いじゃない。おい、お前は早くこいつを眠らせる魔法をかけろ。お前が相手の目を見てないと使えないとかいうから、こんな面倒なことになってるんだぞ」
再び男が近づき、オデットに目線を合わせると、腕を掴んで強引に引っ張っていく。見ると、ちょうど別の者
――
汚れたローブを羽織った男がゲルダのそばに膝をついて、何かしようとしているところだった。
「ゲルダに何をしようとしているんですかっ」
「ちょっと眠らせるだけだよ。それより、お前。この姫様がきいきい叫ばないように、何か噛ませておけ」
三人組のうち、後ろに控えていたもう一人のエレゼン族が前に出る。オデットにとっては幸いなことに、その人物は女性だったため、オデットは先だってほど強い不安を覚えずに済んだ。
女は懐から手巾のようなものを取り出すと、無造作にオデットの口にそれを押し込むんだ。口の中が圧迫される感覚に吐き気を覚えているうちに、ローブの男が首を振って立ち上がる。
「どうしたんだよ」
「魔法をかけているんだが、どうにも反応がなくてな。まるで、もっと強い魔力に弾かれているみたいだ」
「おいおい、大丈夫なのかよ
……
」
「たまにいるんだよな、持っている魔力が高いからかかりにくいってやつが。まあいい。どのみち気絶しているみたいだから、先にこっちを片付けよう」
男の視線が、オデットと合わさる。ここで抵抗したところで、再びゲルダを人質にとられる未来が目に見えている。
しかし、せめて、気持ちだけは挫けまいとオデットは侵入者でもあるローブの男を睨みつけた。
「それじゃ、しばらく寝ておいてくれよ、お姫様。そんなに怯えなくても、お前の親父さんが俺たちの要求を飲んでくれたら、ちゃんと家まで返してやるよ」
その言葉を最後に、オデットに強烈な眠気が訪れる。瞼が落ちる間際、思い浮かんだのは昼に玄関ホールで別れたまま、会えずじまいになったノエの姿だ。
(大丈夫。兄さんなら
……
きっと、わたしを見つけてくれる)
たとえ、ルグロ家がアガテルの身代わりとして、何らかの理由で襲撃を予測し、オデットを悪漢に誘拐させたのだとしても。
ノエならば、貴族が何と言おうと、自分のもとにやってきてくれる。
オデットと一緒に、この先も歩いていきたい。不器用な言葉でそう誓ってくれた青年を思いながら、オデットは意識を手放した。
◇◇◇
「
……
わたし、誘拐されたんですね」
直前にあった出来事をようやく全て思い出し、オデットは長い息を吐く。部屋に入ってきた男の一人は、カンテラを掲げてオデットたちを照らし上げていた。
上から落ちる光は、男たちに否応なく威圧感を与える。だが、オデットもありったけの勇気をかき集めて、男たちを睨み返した。
(今ここで、わたしはアガテルさんじゃないって言っても、信じてもらえませんよね)
それだけではない。もし彼らが信じた場合、今度はオデットの身が危険に晒されることになる。彼らは、オデットをアガテルと思い込んで誘拐してきたようなのだから。
「わたしをここに連れてきた目的は、当主の
……
お父様に何か要求をするためですか」
先だって思い出した出来事を振り返った結果、オデットはそのような結論を出していた。
果たして、男はふんと鼻を鳴らし、
「それぐらいは、流石に間抜けなお姫様にも想像はできるか。その通り、お前の親父には色々と『お願い』したいことがあるんだよ」
「税の緩和のこと、ですか」
「それは町の連中が願い出ることだ。俺たちは違う。俺たちは、俺たちが貴族の機嫌を伺いながら暮らさずに済む、俺たちだけの居場所を奴らに認めさせるんだ!」
何やら熱っぽく語る男の口ぶりに、オデットは誘拐を実行した者にも二つの派閥が混ざっているのだと気がついた。
(町の人と、そうではない人たち
……
。たしか、貴族の支配から逃れたいという話をしていたのは
……
)
そこまで考えて、オデットは思わずゲルダへと視線をやる。今の彼女は瞼こそ落ちているものの、口は薄く開いたままで、眠っているのか起きているのかも定かではない。
「ゲルダ。しっかりしてください」
ゲルダに呼びかけている間に、男たちは部屋からいなくなったようだ。ひとまず、オデットに抵抗の意思がないことを確認しにきただけだったのだろうか。
軋む蝶番の音と扉の閉まる音を意識の端で確認しながら、オデットはおそるおそるゲルダへと手をかざした。
(あの人たちは、わたしが魔法を使えないと思っている。だから、わたしを拘束してないのでしょう)
もし魔法を使えるとわかったら、手足を縛られ、口も塞がれるかもしれない。そうなっては、隙を見て脱出することもゲルダの保護すらも難しくなってしまう。
「
……
今なら、誰も見てないですよね」
彼らの目がないことを確かめてから、オデットはゲルダへと癒しの魔法をかける。だが、普段なら傷を塞ぐ確かな手応えや変化があるはずなのに、今回は一向にその感覚がない。
「怪我は、していなかったのでしょうか
……
」
だが、オデットとしては、むしろまるで壁か何かに魔法を弾かれているような感覚に近かった。強いていうなら、以前ノエと共に戦った竜
――
グレン少年が変じた姿に魔法をぶつけようとした時の感覚に近い。
竜の鱗は、物理的な硬さも勿論のこと、軽微な魔法も塞ぐほどのエーテル的な耐性も誇る鎧でもある。今、オデットが感じたのも同様に高度な魔法的耐性を持つものに妨げられている感覚に近かった。
「ゲルダ。起きれますか」
殴られた頭部に響かないように、オデットはゲルダの耳元に声だけを送る。すると、中途半端に開いたゲルダの唇がゆっくり閉じられ、代わりに彼女の瞳が薄く開かれていく。
「ゲルダ
……
?」
手をつかず、ゆっくりと上体だけを起こす姿は、まるで操り人形が目を覚ましたかのようだった。
どこか無機質な目覚め方に、オデットは言葉にし難い違和感を覚える。それは、人に似ていながらもどこか違う生き物
――
動く死体や、中途半端に精巧な作りを持つ人形などに対して持つ嫌悪感に近いかもしれない。
ゲルダはぎこちない仕草で首を左右に振っていたが、オデットに視点があった瞬間、動きをぴたりと止めた。
「
……
オデット」
ゲルダの喉から発せられた声が、彼女自身の意識も覚醒させたのか。ぼんやりとしていた瞳が焦点を結び、大きな瞬きの後は、確かにオデットを見据えたものへと変わっていた。
「オデット、おはよう」
能天気ともいえる少女の挨拶に、今まで降り積もっていた多種多様の不安の糸が、オデットの中で切れる。
「
……
おはようじゃ、ないですよ」
笑いたいのか、泣きたいのか、それすらも曖昧なまま、オデットはゲルダの肩に額を押し付ける。両腕をゲルダの背へと回し、ぎゅうと力一杯彼女を抱きしめる。
「心配したんですよ、とても、とても
……
! 目を覚まさなかったら、どうしようって
……
」
「オデット。私ね、初めて夢を見たんだ。私の夢の話、聞いてくれる?」
「もう
……
ゲルダはマイペースなんですから」
何日も眠っていたと思えないほど、けろりとしたゲルダの様子に、オデットは嗚咽で震えかけさせていた喉を、笑いの形へと変えなくてはならなくなった。それでも、頬を伝う涙を拭うことはできず、何度もスンと鼻を鳴らす。
「わたしも、話さなくてはいけないことがあるんです。今のわたしたちは、あまり安全とは言えない状況に立たされているんです」
「うん。じゃあ、先にオデットの話を聞くね」
「でも
……
ちょっとだけ、時間をください」
素直に頷く友人には悪いと思いながらも、オデットは腕に込める力を強くする。
お返しと思ってか、ゲルダの腕が自分を抱きしめるのがわかる。ゲルダの体温は相変わらず低くて、ノエに抱きついたときのように暖かくはなかった。鼓動すらも、自分の割れんばかりに動く鼓動が五月蝿くて、はっきりと聞こえない。
でも、今は誰かの腕の中にいる安心感が緊張続きのオデットの心を溶かしてくれていた。
この先、何がどうなるか分からないという不安も、目の前にいる友人がいるなら、もう少し頑張れる。もしゲルダがいなかったら、早晩自分は不安と恐怖から我を忘れてしまっていただろう。
そこまで考えてから、
(あれ。この感覚
……
前にも一度あったような気が
……
? わたしが思い出せていない記憶の中で、わたしは誘拐されたことがあるのでしょうか
……
?)
奇妙な既視感を覚えつつも、それでもオデットは暫くゲルダの抱擁に体を委ね続けていた。
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