包み隠さず春

おやつを食べるに当たっての話 心を揺さぶられるのはいつもあなたであるというのでもある
モブ新人忍びとの会話があります

包み隠さず春

「いよいよ好いた女子おなごでも、現れたのかと思いまして」
 そう言う新人の忍びのぼやきに、高坂は顎に手を当てた。夜がまもなく明け、煌々こうこうと太陽が照る春の矢先である。そうであるならまぁ仕方ないことなのかもしれない。割り切った心にしかし小さな棘はある。自分の立場をわきまえねば、と息を吐くと、彼はさらに続けた。
「ご一緒の忍務につけて、浮き足だった私を和ますために仰ってくださったことなのでしょうけど」
 たしかに組頭はそういうところがある。相手の様子を察知して、肩の力を抜かせてくれる。そうすれば忍務に支障をきたさない。部下思いでもあり、最良と最善を考えられる人だ。高坂はそっと胸の内で、自分の上司を誇りに思った。
「しかし、行く手行く手にある甘味処に本当にお詳しくて」
 そう続けられて、誇りに思っていた胸の内が痛むのは、高坂自身のわがままによるところである。ああいう落ち着ける場所を知るだけではない、もちろん宿や遊里にも組頭は詳しい。
「甘味処を多く知るのも、やはり情報を得る手段ですもんね、高坂さん」
 質問で締めくくった新人がこちらを見上げ、高坂は「当然だ」とはっきり頷いてやった。

 その噂の甘味処の饅頭まんじゅうが、忍務から帰還したどきに目のまえに現れ、高坂はどう対応したらいいかわからず目を見開いていた。
「買ってきたんだ。お前たち、あそこら辺通ったでしょう」
 似たようなのが売ってて、とあくまで類似品であることに引け目を感じながらも雑渡は言った。新人の忍びはぱっと顔をほころばせ、「ありがとうございます」と素直である。
 報告を終えて自隊へ戻っていく新人の背中を見ながら、高坂は菓子を見つめて動けない。
「陣左、今日これから二日間、休暇だよね?」
 私も自分の分を買ってきたから、こっちで食べよう。そう誘われ、春の陽気がきつくない部屋へ手招きをされる。入れ違いで雑渡は忍務で、だからこの隙間にできた時間はとても貴重だ。そうわかっているのに、高坂はさっきまで驚きで硬直していた己を少し恥じていてぎこちない。
「これねぇ、手にくっつかないように工夫されてるんだ。粉が多いんだけど、払えばいいよ」
……あの」
 いただいた菓子が皿の上でまるい形を保ったまま、軽く日に当たって艶やかに光った。
「組頭、は、縁談がまとまりそう、なのですか」
「縁談」
 思わずおうむ返しをした、といったふうに雑渡が今度は片目を大きく開いている。
「すみません。先ほどその……新入りが気にしていて」
 そこで組頭が甘味処について詳しいらしいという噂を白状した。懐紙ごしに饅頭をつまみ、ちゃんと口布を下げ、半分ほど口に放る雑渡が、飲み物を手に取った。
「まさか。縁談はないよ、茶屋での情報は重要だから自然と覚える。あと、忍務の中盤での栄養補給もできるから──こんな模範解答は、お前なら簡単に思いつくんじゃない?」
「はい、そのようにあいつにも伝えました」
「じゃあ、それ以上に詳しすぎたかな、私は」
 雑渡が後ろ頭をかいている。高坂は口をついて出た縁談という単語に、今さら後悔が滲んだ。ようやく自分の饅頭に手を伸ばすと、その先に密かな笑い声が聞こえる。
「陣左、私の忍務は明日で終わる」
 唐突な話に、高坂は姿勢を正した。帰還のために用意するものがあれば、側近である自分の役目である。気を切り替え、菓子の甘みが口の奥へ消える。
「帰ったら、答えを教えるよ。それまでせいぜい悩むといい」
 残り半分を食べ終え、雑渡は「ごちそうさまでした」と立ち上がる。山本と同行する忍務で、雑渡は港へ向かうそうだ。あとに残った風は、ほんのわずかに桜の花を舞わせた。
 高坂はこういった、相手の心理の掴めない状態で宙に浮いたままでいることがまれにある──主に雑渡に関して。人の心の通わせ方について、どうにも自分は幼いころからまっすぐすぎて、雑渡に笑われる節がある。諸泉なんかは相手のことなどお構いなしに、もっと幼く苛烈で、忍術学園へしょっちゅう出入りしては倒されて帰ってきているが。
 残りの饅頭を口にする。疲れた体が満たされる。皮に包まれている、砂糖のよく練られた餡は貴重で、ここのところ高騰が続いて少し値が張る。わざわざ用意された品だ。まるい形であったその甘味は、また高坂の口の中でまろやかに溶けた。
 ──鍛錬場と長屋の中間地点、新人たちが憩う場がある。高坂も狼隊へ入りたてのころ、先輩たちによく目をかけてもらい、そこでくつろいだ。先ほどの新人が雑渡からもらった菓子を頬張り、周りに羨ましがられていた。気楽なものだとかつを入れてやることもできた。しかし高坂はそうしなかった。一人で考えを整理したくて、長屋へ足を向ける。春風はまだ冷たいが、廊下の板間はずいぶん冷えなくなってきた。高坂の白い足は、癖で音を鳴らさない。
 まだ口の中が少し甘い。その味を忘れないうちに、雑渡が言った意味を考えたい。
 情報収集のため、諜報や索敵のため。
 あの方の生きられてる長さの分だけ、行かれた場所は当然多い。
(しかし、どれも違うのだと仰る)
 首を捻り、考えを改める。これなら、新人が「女子のため」とたどり着いた発想の方が豊かであったのではないか。我ながら朴訥ぼくとつな自分が色任務に向いていない理由もわかる。
 雑渡という、人となりを思い描く。
 自分たちのためにと、買ってきてくれたものだ。出所がどこであろうと、そこに詳しいとわかっていようとも、その利他をないがしろにするのは良くない行為だろう。ただ、それを先ほど高坂はついぶつけてしまい、しかも怒ることなく、なぜかを考えろと雑渡は言う。
……港には確か、交易が来ていたのか)
 珍しいものが並ぶ賑やかな店構えに、雑渡が興味深く眺める姿を想像した。
 その目に映しているのは、品物の他にあと、なにが。

 ──休みの日だというのにすっかり身に染みついた鍛錬を終え、体を拭き、まとめておいた文を出す。母や、山本の妻と子どもたち宛だ。墨の乗った紙を丁寧にたたんでしまい込んだ。今日の夕方、頼んで届けてもらうつもりだ。それぞれの家はこの鍛錬場や長屋より遠い。高坂の生家などは奥まった場所にある。
 だから十代のころ、この狼隊の場へ連れてこられ、なにもかも新鮮だった上にさらに雑渡という存在に出会え、高坂の心は熱くなった。燃え上がった。
 そういう、思慕にも近い気持ちを持っていたが。そんなものは誰が持っていてもおかしくはない。雑渡は自分の姿を火傷まみれと称するけれど、タソガレドキに気にする者はいない。高坂は少なくとも、村の女性たちとすれ違いがてら、相変わらずの雑渡への黄色い声を聞いたことがある。
 もらった饅頭の味を思い出そうとしても、もはや薄れてわからなくなってしまったことが口惜しい。いずれ、その味は誰かが食べて、美味しいと彼の横で笑うのだろう。もしかしたらもう向かい合って座り、食べたのかもしれない。
(せっかくの休みなのにな)
 惑わされることは好きではない。眠ってしまえば、変わるだろうか。高坂は布団の上に横になる。程よく体を動かして、小腹のすいたままの意識は眠るのにちょうどいいはずだ。
 それなのに目を閉じようと試みて、まぶたの裏に映る想像は雑渡と誰か女性の背中だ。それは男性にも移り変わり、自分にも重なる。絶望と願望の具現化に虚しさしかない。
 振り切るように唸るが、無駄な足掻あがきだ。高坂は体を起こして障子戸を開け、木々を見た。群れた鳥が春を歌う。
 近づいてくる足音が聞こえ、昨夜共に行動をした新人だとわかる。
「高坂さん、すみません休みなのに」
「構わん、どうした」
 明後日以降の忍務についてであった。新人の確認癖につきあい、高坂は忍務の手順を一緒におさらいする。彼は律儀な青年だった。高坂と時折組むようになって、ますます腕は磨かれている。
 何往復か会話を続け、彼の納得がいく準備となりそうだった。高坂は安堵し、「頼んだぞ」と告げた。新人の彼は神妙に頷くと、部屋を出ようとする。
……お前は、組頭がなぜあんなに店にお詳しいか、考えたことはあるか」
 ふと問いかけてみると、新人は振り返り、戸惑いを隠せない顔で眉間にシワを寄せた。
「情報収集の一環として、と……高坂さんと同じように考えておりましたが」
 そこまでを言い、彼は「あ」と声を上げた。上擦った声だったので、本当に咄嗟とっさに出たのだとわかる。
「で、でも、そうだ。丘の上にある甘味処は、たしか景色が良かったでしょう?」
「ああ、まぁ」
「組頭はあそこを見ながら、やっと探し当てた場所だと仰っていまして」
……やっと?」
 高坂の心がぐるぐると回る。回り、巡って、目の奥が熱い。
「はい。眺望も良いから雰囲気も素晴らしいと──二人で行くのにちょうどいいと仰ってました」
 だから、好いた女子ができたのかと。そう新人は言った。

 翌日、高坂の目のまえにはまた、餡が桜の形をした変わった菓子が置かれている。
「砂糖羊羹ようかん……ですか?」
 聞いたことのない名前に雑渡は頷いて、「羊羹というのは、その名の通り元は羊の肉らしいんだが」と補足する。
「精進料理とするのに、肉はだめだろう? 代わりに小豆だなんだと工夫をして、砂糖も入れたら菓子になった。美味いよ」
 これは蒸してあってね、と嬉々として雑渡が手に添えた羊羹は、大きな手に支えられてかじられ、ほろりと身を崩す。桜の形は花びらを二枚ほど残し、また彼の手の内に戻った。高坂も真似て食べてみる。思ったより花の一つ一つが重たい味をしていた。甘味が舌に乗り、この間食べた饅頭よりもかなり濃い。そして甘い。
「餡が固めてあるのですか」
「そう、この甘さなら日持ちもするから保存もできる。でもまだやわらかいから携帯食にはしづらい。持ち歩けるともっといいんだけど」
 雑渡は実用性も考えつつ、二枚のうち一枚の花びらを食べた。名残を惜しむようにちぎられていく餡の花は、小豆の独特な色を反映して赤茶の桜をしている。小ぶりで、きれいだと高坂は思った。たとえばそれは──女性の目を、喜ばせてくれそうな。
 雑渡に縁談はない。店や噂に詳しいのは情報収集の一つとして。しかしその二つの他に、雑渡の答えは存在するという。
 やっと探し当てた、二人で行くのに、ちょうどいい場を。断片的にあの新人の言葉を思い出し、高坂はなかなか口に甘味をうまく広げられない。饅頭のように包まれているわけでもないのに、その甘さはゆっくりとしか浸透せず舌の上で遊ばれるように転がるだけだ。
「陣左。私も明日、休みを取っているよ」
 雑渡の言葉にハッと我に帰り、顔を上げた。彼がほほえみながら頬杖をついている。高坂に座り方を指摘する間も与えず、雑渡が続けた。
「もしかして、あの新入りの子から聞いてしまったかな」
 聞いた、なにを。どのことを。高坂は脳を回転させようと必死になる。顔を背けるのも不自然で、しかめる必要もない。嘘をつかなくてはならないだろうか。それを私は、この方のまえで貫き通せるだろうか。
「丘の上の甘味処のことさ」
 雑渡は、落ち着いているように見せかけている高坂の滑稽さを、決して笑っているのではない。ばかにするのではなく、最後まで答えを導きだせなかった高坂の実直さや、まるで理解されていないらしい雑渡からの思いの伝わらなさを、高坂らしいと感じている。高坂は初めて、その笑みから悟り、口の中に残る羊羹のかけらが今さら甘くなった。
 一度感じれば、とても甘い餡である。饅頭のように包まれず、こうして剥き出しになるまで気づけないなんて、失態すぎる。高坂は、
……二人で行くのに、ちょうどいいと申されていた、と聞いております」
 と言った。雑渡があっはっはと笑い、「明日が楽しみだね」と高坂の熱のある手を取った。