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tonami
2025-03-30 20:03:15
4093文字
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ホラー
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おとなしさん
⚔️単体。子供の頃の話。⚔️の家族周りや村の捏造が激しい。微妙なノベゾのネタバレがある。
真冬の凍りつくような寒さの日だった。
いつも通り道場に行くべく支度をしていたゾロに、祖母がひとつ声をかけた。なあに、と振り向く孫に、祖母は忘れ物だと耳当てと手袋を差し出した。別になくても寒さくらい我慢できるのだけれど、これで風邪でも引こうものならそれ見たことかとここぞとばかりに説教が待っている。おとなしく差し出されたものを身につけ、今度こそ竹刀袋を持って玄関扉に手をかける。そこでまた、祖母に呼び止められた。
「今日はおとなしさんが来なさるからね。なるべく早く帰っておいで」
「わかった。行ってきます」
「行ってらっしゃい。気をつけて」
見送る祖母へ手を振り、ゾロは道場へ駆け出した。
今日は夜の鍛錬はできないな、と思った。それから、今夜は大雪らしい、と。
ゾロは父親の顔を知らない。物心ついた時には、父と呼べる人はもうこの世にいなかった。母はゾロが五つの頃に流行り病で儚くなってしまった。ゾロを育ててくれたのは祖母だ。祖母は柔和でおっとりした風貌ではあるが、ぴしゃりとした物言いをする気の強い人だった。周囲が言うにはいわゆる良いところのお嬢さんらしく、礼儀作法に厳しい。道場でも剣術を習うにあたってまずそこから叩き込まれるので、ゾロは一通りの作法は身につけてはいる。普段するかしないかは別として。祖母の前ではきちんとしていないと叱られてしまうので、鬼の居ぬ間でしかないが。
「おはよう、ゾロ。今日おとなしさん来るって」
「おはよう。知ってる。だから早めに帰れってばあ様に言われた」
道場に上がって早々話しかけてきたのは、昔から通っている幼馴染みだ。といっても、この村の人間はすべて顔馴染みで、知らない人間は誰一人いない。赤子が産まれれば村を挙げて祝うし、儚くなった人間が出れば村中で喪に服す。小さな村だから情報伝達が早い。時々鬱陶しくも感じるが、ゾロはそれなりに気に入っている。
「え、じゃあ今日はゾロと遊べないの?」
「今日こそ稽古終わったら遊ぼうと思ってたのに」
「ひっつくな」
わらわらとまとわりついてくる年少達を避けながら、器用にゾロは合間を縫ってコウシロウの元へ向かう。十を少し過ぎたばかりなのにゾロは無茶な鍛錬をしがちで、このままでは体が出来上がる前に壊れてしまうと心配したコウシロウは、稽古前に痛みや違和感などないか報告するように言いつけていた。これを怠ったり嘘の報告をすると、その日一日、稽古禁止令が出る。なので面倒でもゾロは毎回正直に告げていた。愛娘を失ったからか、それともある種の期待からか。そのどちらかもかは知らないが、コウシロウはいっそうゾロに目をかけてくれている。
「おはよう。今日は?」
「おはようございます。どこも痛くないし、変なとこもない」
「それはよかった。じゃあ、稽古を始めようか。今日は早めに終わらないとね」
「なあ、先生は、おとなしさんにあったことあるか?」
おもむろにゾロが問うと、コウシロウは一拍置いて首を傾げた。
「
……
いや、ないよ。どうしてだい?」
「どんな人だろって。おれは一度もあったことないから」
そうか、とコウシロウは疑問の出処に納得がいったらしい。少し考えるように目を宙に泳がせたあと、ゾロに視線を戻した。いつも優しい丸い眼鏡の奥の目が、悼ましそうに伏せられる。
「そうだね
……
私の主観になってしまうけど」
堪えるような静かな表情を、どこかで見た気がした。
「寂しい、人なのかもしれないね」
さみしいひと、とゾロは口内で呟く。どうしてかはわからないけれど、やけにその言葉が口の中に残った。
日が暮れる前に稽古は切り上げられ、子供達はさっさと家に帰らせられた。その頃からちらちらし始めた雪は、とっぷり宵に包まれたいまでは激しさを増して吹雪になっている。明日の朝には積もっているだろう。今冬初めての積雪だ。明日は道場も休みだと言っていたから、鍛錬がてら大きな雪だるまでも作ろうか。寒中水泳は昨年やって祖母に大激怒されたのでやらない。しばらく稽古を禁止され、竹刀も刀も取り上げられたのはさすがに堪えた。
祖母の隣に敷いた布団に潜り込んで、行燈の灯りを消す。湯たんぽを入れてくれていたので暖かい。びゅうびゅうと風が雨戸に吹き付ける音を聞きながら、目を閉じる。真っ白に染まっている景色を思い浮かべて、わくわくした気持ちでゾロは眠りに落ちた。
ふと、ゾロは目を覚ました。寒い。布団をかけていても冷えている。暖を求めて爪先で足元を探る。眠る前は熱いくらいだった湯たんぽは、とうに冷えきっていた。ぶるりと身震いをする。外は雪どころか凍っているのだろうか。
一度目が覚めてしまったせいで眠れる気がしなくて、仕方なくゾロは身を起こした。辺りはまだ暗い。隣を見やれば早起きの祖母はまだ眠っている。丑三つ時といったところか。そういえば、外はどうなっただろう。これだけ寒いのだから相当積もったはずだ。好奇心が疼いた。
祖母を起こさないように布団から抜け出し、枕元の行燈を持ち出した。そっと障子を開ける。明かりのない廊下は真っ暗で、行燈に火を灯すと眩しいほどだ。外を見るだけならどこかの雨戸を開ければいい。さすがに祖母が寝ている前では躊躇われて、少し離れた客間まで行くことにした。
ロロノアの家は広い。そも、この村は総じて家が大きく、道場をやっているコウシロウ宅とゾロの家はその中でも特に広いほうだった。祖母が何者かは知らないが、村の連中が言うように良いところのお嬢さんというのは嘘ではないらしい。
そろりそろりとなるべく足音を立てず、ゾロは廊下を移動する。抜き足差し足、音を立てないように。
──コンコン。
ぴたりとゾロは足を止めた。少し待って、気のせいだったかと片足を踏み出す。
──コンコン。
歩き出そうとした不自然な姿勢で固まる。気のせいでは、ない。
──コンコン。
三度、戸を叩く硬質な音がした。それから何事かを喋っている声。なんだろう、と思った。音のする方向を見れば玄関がある。警戒心の強い祖母によって、しっかりと戸締りのされた戸の向こうから、叩かれている。村の誰かが訪ねて来たのだろうか。それにしては、時間があまりに非常識すぎる。切羽詰まった様子がないので火急の用でもない。では、なんだというのだろう。こんな時間に訪うような、人物は。──ひとつだけ、心当たりがあった。
そっと玄関まで移動して、上がり框から玄関扉を見やる。格子戸にはまった磨りガラスの向こうはほのかに明るい。吹雪は止んでいるようで、ぼんやりとした雪明かりが内側にも入り込んできていた。その光を追いかけるように影が三和土に映る。格子戸の前に、何かが立っている。
影がゆらゆらと揺れる。まるで手のように黒い筋が伸び、格子戸に触れた。
──コンコン。
器用に戸の木枠部分を叩いて、影は揺れる。右に左に、縦に伸びてみたり、縮んでみたり。餅みたいな奴だな、と場違いな感想を抱きながらゾロは影を観察していた。なるべく声を出さないように、呼吸は慎重に。これに呼びかけてはだめだと、村の大人達は口酸っぱく子供らに言い聞かせていた。おとなしさんがいらっしゃっても決して声を出してはいけないよ。呼びかけられても応えてはいけないよ。連れて行かれてしまうからね。祖母がひどく真剣な顔で教えてくれたのは、母が亡くなってからだ。それまでもいままでも、少なくともゾロが知る限りはこの家に“おとなしさん”が来たことはない。
影は一度縦に大きく伸びると、しゅるしゅると渦巻くようになにかを形取っていく。男性、だろうか。磨りガラス越しで顔はわからないが、背格好は大人だ。
「ゾロ、ここを開けてくれ」
低くざらついた声だった。聞き覚えがあるような気もするし、ない気もする。誰だろう。村の大人の誰とも違う、芯の揺るがない音。
「ゾロ」
どこか懐かしい色で、男がゾロを呼ぶ。
「ゾロ、頼むよ」
我が子に少々いたずらされて困ったような、しかしそのやんちゃさがまた可愛いと絆されるような柔らかな声。ゾロの記憶には存在しない。奥の奥、血が出てしまうくらいの深さを掘れば、あるいは在ったかもしれない。無意識に懐かしんでしまうくらいには、その声は確かにゾロの中に眠っている。ああ、これが、と妙に納得した。影が成りすましているのは、ゾロの父親なのだろう。物心つく前に海賊との戦いで斃れてしまった男。ゾロの記憶の始まりにいるのは母親と祖母、それからくいなやコウシロウだった。
ゾロはじ、と父の姿をした影を見つめる。影は何度も何度もゾロを呼ぶが微動だにしない。“おとなしさん”への対応は声を出してはいけない、呼びかけに応えていけない、できうることなら火を手元に。行燈の蝋燭は絶えず空気を燃やし、柔らかな橙色を放っている。
「ゾロ、なあ、ゾロ」
影が縋るような温度で、ゾロの名前を何度も口にした。けれどもゾロは反応しない。あれは、父親ではないのだから。
冷えた空気が壁の隙間から入り込んで、思わずぶるりと体が震えた。ただ雪の様子を見に来ただけなのに長居してしまった。このまま風邪でも引けば祖母に叱られてしまう。ゾロにとってはもういない父の姿を模したそれよりも、怒る祖母のほうが恐ろしい。
そっと足音を立てずに祖母が寝ている部屋まで戻る。ぴたりと障子を締め切ってしまうと、遠くにあった声はすっかり聞こえなくなった。行燈越しの部屋は抜け出した時のまま、祖母は起きた気配はなかった。それに安堵しつつ、すっかり冷えた布団に潜り込む。存外長く玄関にいたため体も冷えていたが、これもまた修行だ。不思議と、すぐに眠れる気がした。
──そっか、あれが親父の声か。
行燈を吹き消し、目を閉じる。それから眠りにつくまで、ほんの数分。寝息を立て始めたゾロの隣で、無事に戻ってきた孫の姿にほうと息を吐く祖母の姿があったことは、ついぞ知ることはなかった。
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