じゃーん! と上鳴が掲げたのは水色の表紙にレースの装飾が施された正方形の本だった。手作り感溢れるその装丁に、また何かネタを仕入れてきたな、と正面の瀬呂と視線を交わす。その目が少し呆れを含んで小さく弧を描いた。俺の右隣に座る轟は対照的に興味津々といった顔で目の前の本を見上げている。僅かに上がった頬が普段とは違う好奇心を覗かせていた。
飯を食いに行こうと誘われたのは当日の仕事終わりだった。その場にいた轟と瀬呂を含めた四人で居酒屋を訪れ、一時間ほど過ぎたところで上鳴が鞄から取り出したのがこの本だ。聞けば、俺たち元A組同期のファンだという奴から貰ったアルバムだと言う。ジョッキに注がれた緑茶を煽りながら瀬呂が「そういうの箱推しっていうらしいぜ」と口を挟む。アイドルかよと突っ込みを入れつつ、テーブルの中心に置かれた焼き鳥の盛り合わせを端に避け、代わりにアルバムを置いた。
なかなかに分厚いそれをパラパラと捲ると、パトロール中や戦闘時の俺たちの様子が一枚一枚写真で貼り付けてあっておお、と思わず嘆声が上がった。途中、休憩時にパンを齧る俺と轟のツーショットが連続していたときには少しゾッとしたが、轟はよくこんなに集めたな、と感心したように見入っていた。上鳴がこれ見て! と自身の盛れている写真を指差すのをスルーしながら更にページを捲っていくと、最後に白紙のページが現れる。ここは? と訊ねるとよくぞ聞いてくれましたと上鳴が指を鳴らした。
「これ寄せ書きページなんだって。みんなで見た時に書いたら盛り上がるんじゃないかって言ってくれてさ! で、時計回りで次の人の良いところ書いてくやつ! あれやらねぇ!?」
「お、いいね〜この歳になると褒められるとかあんま無いもんなあ」
瀬呂がケラケラと笑いながら前のめりになる。おまえはこっち側の人間だったはずなのにどこでそんなテンションになってしまったんだ。結局上鳴は褒め合いがしたくて俺たちを食事に誘ったということらしい。勝手に始まった企画に、まずは言い出しっぺの俺からな、と上鳴はどこからか取り出したペンの蓋を開ける。正面に座るのは轟だ。轟か〜と口だけ悩む素振りを見せるがその手はすらすらと動いてそしてすぐに音が止んだ。
「ほい! 轟はやっぱり『イケメン』だろ!」
「それはそうだけどもっとあるでしょ〜」
ページの四分の一を使ってデカデカと書かれた四文字に瀬呂が肩をすくめる。横に星の絵まで添えているのを見て轟はありがとな、なんて微笑んでいた。コイツはもっと怒って良いと思う。
「いっぱいありすぎてこんなスペースじゃ収まんねーよ! ぜーんぶひっくるめて結局ここに落ち着くってこと! はい次は轟が爆豪の良いとこ書いて!」
言い訳のようにも聞こえるがこのアホはこう見えて本気で言っているのだ。口には出してやらないが、この性格だからこそチャージズマは市民に一層愛されるヒーローなのだと思う。続いて俺の横の男にペンとアルバムが渡る。轟はちらりとこちらを見てからうーん、と悩んで、しかし上鳴と同じようにすぐにペンを走らせた。書けたぞ、とテーブルに広げたページには整った書体で『飯が美味い』と書かれていた。
「あー轟の特権ね、それ」
瀬呂がはいはいとポテトを口に運ぶ。言われる程特別扱いしてねえよと口に出せなかったのは俺にその自覚があるからだろう。食べるのが好きな男は胃袋から掴んでしまえば良いと、適当に理由を並べては家に招き手料理を振る舞っていた。今考えれば浅はかだったと思う。この男に対してそんな目論見が通用するはずがなかったのだ。年月をかけても一向に心を動かす気配のない轟にどうアプローチをしたものか、俺はまだ考えあぐねている最中だ。
「かっちゃんの料理ほんと好きね、轟」
「飯だけじゃなくて爆豪のことも好きだぞ」
これも何度も聞いたやり取りだ。結局轟の中で俺は『美味い飯を作ってくれる友達だから好き』止まり。へーへーと流しながら端に避けられた焼き鳥を小皿に乗せる。すぐに七味を目の前に置いた轟が、次は爆豪だな、とアルバムを寄せてきた。唐辛子の馴染んだ肉を口に運びつつページの余白と睨めっこをする。
瀬呂が「おまえも大変ねー」とぼそり揶揄うように呟くのを頭上で聞きながら、目の前の男の良いところとやらを考えた。
直接そんな話をしたことは無いが先の発言からもきっと瀬呂には俺の気持ちはバレている。今しがたトイレに立ったアホ面は一ミリも気付いていないだろうからやはり瀬呂は洞察力に優れた聡い男だ。ペンを滑らせ『察しが良い』と書いて渡してやれば得意げに笑ってアルバムを受け取った。
轟もこのくらい恋愛方面に鋭ければもっと楽に事が進んだのに、なんて思っても好きになってしまったのだから仕方ない。席に戻った上鳴が「俺の良いところに(笑)つけるのやめて!?」と騒ぐのを適当にあしらって、その夜は解散となった。
モニターにはついさっき別れた紅白頭が映っている。信じられないことにこの男は、お前の飯のこと話してたら行きたくなった、などと抜かしてインターホンを鳴らしてきたのだ。ついに満腹中枢がイカレたか。腹を満たしたはずのあの時間は幻だったのか。衝撃で胃がひっくり返りそうになりながら溜息混じりにオートロックを解除する。それでもなお追い返すこともできない俺も、大概甘い男だった。
「なに食いてーの」
キッチンに入ってきた轟は、いつもみたく隣で「なに作るんだ?」と嬉々として訊いてくるわけでもなく、ただその場に突っ立っていた。そんなに急いでいるのだろうか。居酒屋ではデカい角煮や白飯を美味い美味いと何杯も頬張っていたはずだが、さすがに食い過ぎな気もする。求められているからといって無闇に餌を与えても良いのか、なんてまるで飼い犬の体重管理をしているようだ。卵と昨日の余り物ならあるけど、と冷蔵庫を漁っていると、轟は首を横に振った。
「いや、さっき食べたから別に腹は減ってねえ」
「……おまえ飯食いに来たんじゃねえのか」
扉を閉じて轟と向かい合う。冷気が背中に残る中、二色の瞳がじっと見つめてくるのをほとんど睨むように見つめ返した。
「行きたくなったから来た、って言っただろ」
「はあ? わざわざ何しに」
いつも食うだけ食って帰るくせして何の用だと、そう返せば轟は少し目を細めて、軽く唇を噛んだ。
「用がねえと、来ちゃいけないのか」
轟は独り言みたいにそうこぼすと、俺のシャツの裾をそっと握った。普段俺に対して遠慮の壁なんて存在しない男のくせに、今の轟は指先に躊躇いを滲ませたまま服を掴んでいる。その不器用な姿に俺の脳がぐらりと揺れた。
「さっき、好きだって言った」
「俺の作る飯のことだろ」
ページの四分の一に綴られた端正な字を頭の片隅に浮かべると、轟が一拍置いて、そっちじゃねえ。と形の良い唇を尖らせた。子どもみたいな仕草にぐっと胸が詰まる。「飯だけじゃなくて──」あの視線を思い出して、もしかして、なんて期待が鼓動を駆け足にしていく。
「爆豪のことも好きだ、って、言った」
空気を震わせる声は上擦っていて、いつも幸せそうに膨らむ頬がじわりと赤く染まる。喧騒の中で聞いた二文字が今、静寂の中で別の色を帯びて俺の胸を貫く。耳の裏がじんじんと熱くなる。無駄だと思っていた俺の戦法は、この鈍感な男にもしっかりと効いていたらしい。
はぁーーと深い溜息を吐いて、轟が伸ばした腕の分、距離を詰める。ぽすんと肩に頭を預けて体を抱き寄せた。轟が「お」と呟いて、それから吐息だけで優しく笑う。
「爆豪は、なんで俺に飯作ってくれてたんだ?」
「……察しろや」
あの時瀬呂が呟いた「おまえも大変ね」の視線が轟にも向いていたことを俺はまだ知らない。本当にアイツはどこまでもどこまでも、察しの良い男だった。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.