雨の日の吸血鬼対策課は、静かだ。吸血鬼は概ね雨が嫌いで、騒ぎが起きない。とはいえ処理すべき仕事はたくさんあるわけで、隊員たちは皆忙しそうにしている。荒事しか担当できない備品の吸血鬼は、自席としてもらった隅の長椅子で雨に煙る街を見ていた。
静かな中に忙しなさが充満していた執務室に、カツカツと硬質な靴音が持ち込まれる。音の主、ミカエラは空の隊長席をみて苦虫を噛んだ。
「またサボりか」
隊員の中で唯一席に残っていた希美が、PCから顔を上げ、あら、と驚いたように言う。
「さっきまでいらしたはずよ」
「あなたの『さっき』は集中し始める前だからアテにならん」
「まあ酷い。……雨だし資料室かしら。ロナルドさん、知らない?」
ロナルドは急な指名に小さく飛び上がった。
「俺!? いや、ごめん、結構前に出てったのは見てたけど」
ミカエラのほらやっぱり、と言いたげな視線で希美が笑って肩をすくめる。
「……資料室って、奥の?」
「そう、廊下の突き当たり右の」
日当たりの悪い角に、資料室と掲げられた部屋があることは、ここに来るようになってまだ日の浅いロナルドも知っている。
ミカエラがチラリと時計をみて鼻を鳴らす。
「吸血鬼、これを隊長に渡しておけ。ついでに定時ミーティングまでには戻るよう伝言頼む」
バサリと書類を押し付けられ、ロナルドは困惑した。
「なんで俺?」
「暇だろう」
そうだけど、と釈然としないロナルドを背に、ミカエラはサッサと部屋を出て行ってしまった。別の仕事があるのだろう。
「隊長、調子が悪いと資料室にいるの。だから資料室からは無理に呼び戻さないのよ」
「つまり」
「これ以上、隊長が遠くに脱走しないようにお目付役、兼、適当に息抜きの相手をお願い、ってこと」
◇
資料室の明かりはついていた。
ロナルドが資料室に入るのは二度目だ。一度目は頼まれた資料を探して持ち出しただけで、部屋への印象はほとんどない。だから足を踏み入れて、こんなに静かな部屋だったろうかと戸惑った。署内のざわめきが急に遠くなり、窓を叩く雨音が大きく聞こえる。
室内には気配がひとつ。みっちりと紙のファイルが並ぶ大きくて頑丈そうなスチール棚のその奥だ。手のなかの資料を渡す相手に違いないと、ロナルドが一歩踏み込もうとしたところで、気配から声がした。
「ロナルド君、どうかしたかね」
吸血鬼対策課隊長、ドラルク。ロナルドの監視役でもある。
声の方へと足を進めると、窓辺に置かれた革張りの古い応接ソファにドラルクがいた。白い隊服を脱ぎシャツの裾まで出して、だらしない姿勢で体を預けている。隊服はソファの横、備え付けのスチール机とパイプ椅子に雑に掛けられていた。執務室ではきっちりと隙のない佇まいを崩さない男の珍しい姿に、ロナルドは少しだけ目を見張る。
「あんたに書類渡せってミカエラから。……あと脱走しないようにみとけって」
「後半は希美くんだな? ミーティングには戻るよ」
吸血鬼よりも顔色が悪いんじゃないかという痩身のダンピールは、差し出された紙束を素直に受け取った。上からパラパラと捲り顔をしかめる。口の中で呟かれたのは不明瞭ながらあまり品のよくない罵倒のようにロナルドには聞こえたが、知らん顔をしておく。
ポイと隣の机に書類を投げ出したドラルクは、突っ立ったままのロナルドを不思議そうに見上げる。
「受け取ったが。まだ何かあるの」
「……みとけって言われたから……」
「真面目か」
そう言いながら、ドラルクは隊服を取り上げる。それをソファに置き直すと、身振りでロナルドに椅子に座るよう促した。断る理由もなく、ロナルドは素直に従う。ドラルクはもうロナルドを見もせず、読みかけだったらしい古い資料を開きなおしていた。
ミーティングには戻るって言ってたからいいか。ロナルドは窓の外に視線を移す。吸血鬼らしくないところばかりのロナルドにはめずらしく、ロナルドもまた、雨が苦手だ。大事なものが流れていってしまうような喪失感と不安感がつきまとう。今日のような日は、ぼんやりしていてもいいならそのほうが楽だった。
トッ、トッ、と時々大きめの雨粒が当たる音と、空調の音。街の明かり。たまにドラルクが資料を捲る音。
吸対の監視下に置かれてから騒がしい日ばかりだったので、ロナルドにとっては初めてといってもいいような静寂。
だから、なんとなく話をしてみたくなったのかもしれない。
「なあ、隊長サンはなんで吸対入ったの」
無視されるかも、と思った問いだったが、すぐに返事が返ってきた。
「私の能力を世の中のために一番生かせると思ったから」
「それ嘘じゃねぇけど全部でもないだろ」
短い付き合いだがわかる。そういう方向の向上心を持っている男ではない。
「まあねぇ」
読んでいる資料からは目を上げず――というか読んでいるふりをしているだけでは? と漸くロナルドは気がついた。視線の移動がほとんどない――ドラルクは気の抜けた声で答えた。
「あ、そ」
真面目な問いでも、すごく知りたかったわけでもなし。しかし取り合って貰えなかったのが面白くなくて、吸血鬼の口からは拗ねた音が漏れた。そのせいか、それとも尖った唇をみたからか、ダンピールが小さく笑って資料を閉じる。そうだなぁ、と思案の言葉。少しは答えるつもりらしい、とロナルドは耳だけ意識を向けた。
「子供の頃、私の秘密基地は祖父の書斎でね。愛書家というのかね、ちょっとした図書館といえるくらいの本があった。その中に退治人が主人公の小説があったんだよ。主人公が記した自伝って設定のシリーズ。面白かったんだよねぇ。……それで、純粋なドラルクくんはその主人公に憧れた」
憧れ。現在のこの男にはなんだか似合わない単語だ、とロナルドは思う。自分こそ至高と疑ってなさそうなのに、と。
「今のあんたからだと信じらんねえくらいかわいーお子さん」
「今だってかわいいだろう」
「真顔で言えるからすげえよ」
「畏怖しろ」
「誰がするか」
くつくつと笑うドラルクは、機嫌が良さそうだった。しかし、こうしてみればその顔色はいつにも増して悪いことがわかる。目の下にもべったりと隈が貼りついている。希美から体調が悪い可能性を聞いていたから、そう見えるだけでもなさそうだった。
「で? 憧れたなら退治人目指せば良かったじゃん」
「主人公にも憧れの人がいたのさ。吸対所属のお兄さん。……我ながらひねくれてるが、主人公を追うより主人公の憧れを超えたくて。主人公の前に立って、自分を見てくれといいたかった。それが吸対目指した最初かな」
ドラルクの声は、静かな部屋にふさわしい落ち着きだった。ロナルドは少しだけ気が咎める。これは、知り合って間もない自分が聞いてもいい話だったろうか。
「ま、吸対関係者に囲まれて育ったから、子供ながらに損得は考えたけど。感知能力の高さには自信があったし」
咎めた気を取り直す。はぁ、と呆れた呼吸を零したら、ダンピールは尚更楽しそうに笑った。ちなみに、と付け足してくる。
「主人公にはシリーズ通しての相棒がいた。……吸血鬼のね」
「退治人なのにか」
「そう。相棒は、頭脳役でありコメディ担当でもあった。常識外れに虚弱で日には弱いし銀にもニンニクも弱い。で、いざという時に主人公を庇えない。ドラルクくんはこの相棒が気に入らなくてね」
「……似てるから?」
「あたり。当時のドラルクくんはしょっちゅう熱を出して月の半分はベッドにいた身体の弱い子だ。秘密基地が書斎だったのは、親も家庭教師も大目にみてくれる数少ない場所だったから」
ふ、と言葉を切ったドラルクはどこか遠くをみていた。棚と書類の並ぶ資料室に、秘密基地の思い出を重ねてでもいるのか。……そんなセンチメンタルさがある男とも思えないが、もしかして、体調が悪いとここにいるというのは、懐かしい安心できる場所に似ているからだったりするのだろうか。
「同じようにどころかもっと体が弱いのに、相棒は主人公と一緒に冒険していた。主人公も相棒をクソミソに貶すんだよ。でも同時に、揺るがない信頼があった」
いま思えば嫉妬だな恥ずかしいことに、と言う横顔はしかし、穏やかなものだった。
この痩身のダンピールは美形というわけでもないのに、ふとしたとき海外映画に居そうな風情が出る。ロナルドは、なんとなく面白くないような、その一方で得したような落ち着かなさで不思議な気持ちになった。
思い出話の間に落ちた沈黙の間を、雨音がすり抜けていく。
ロナルドは図書館のような広い書斎と、シャツとズボンの少年を思い浮かべる。不安になるほど細い身体の少年は、明らかに彼のために用意されたとわかるソファに納まって、本を大事そうに抱えて読んでいる。時折咳をしながらも、金色の瞳はキラキラと退治人とその相棒を追いかける――。
「……。その本、読んでみてぇ。タイトルは?」
ロナルドが当然の問いを投げると、ドラルクはニヤリと片眉をあげた。
「怖い話をしても?」
「ダメ」
「私が熱を出さなくなった頃――十歳を超えた頃だと思うんだが、シリーズまとめて行方不明になった。タイトルも、どうしても思い出せない。主人公の名前が入っていたはずだがそれすらわからない」
「ダメっつってるのに。……じいさんの本なんだろ?」
「もちろん、祖父に訊いたさ。ところが、だ。祖父はその本を知らなかった。蔵書ならタイトルだけで棚の位置と概略を言えるような人だったのに。祖父が知らないなら両親か家庭教師が私のためにこっそり置いたのかと訊ねて回ったがこれも違った」
「ネットは」
「ネットも人も頼った。本の探偵なんて仕事をしてる人まで頼った。退治人ならもしや、とギルドにまで行って訊いてみたが、やっぱり誰も知らなかった。……結論は『そんな本はない』。寂しかったドラルクくんが空想で作り上げた物語だろう、ということになった」
頭の良い、空想家の子供ならあり得る……のだろうか。自分を写した吸血鬼と自分の憧れを詰め込んだ主人公の物語を、読んだように頭の中で組み上げるなんて。
「まあだとしても、ドラルクくんには必要な物語だった。自分の未来に、初めて夢を見られたからね」
ダンピールの視線はロナルドを向いていない。資料室の棚のどこかを見たまま、ほとんど自分自身に話しかけているようにみえた。
大きくなったら何になりたい? そんな定番の問いに答えることのできないような子供だったのかもしれない。目の前の男はどちらかといえば殺しても死ななそうだしムカつく寄りだが、書斎の少年は――褒められるべきだと、ロナルドは思った。
「すげーな」
「うん?」
「そのドラルクくんはさ、憧れを叶えたんだろ。吸対に入って隊長になって、しかもバディは最高に畏怖い(予定)の吸血鬼だ。その主人公もすげーって言うぜきっと」
ドラルクはぽかん、とロナルドを見ていた。金色の瞳が見開かれている。もしかして恥ずかしいことを言っただろうか。
「あーいや、なんかがんばったんだなって……その、」
ぶふ、とドラルクが噴き出した。手の甲で口元を押さえてはいるが、くく、く、と耐えられない笑いが漏れている。
言わなけりゃよかった。
「……」
「ああ、気を悪くしないでくれ。そんなことを言われるとは思ってなかったから。……キミは優しい子だねえ」
「ガキ扱いしやがって」
ふん、とそっぽを向くと、ほらそれが子供っぽいんだよ、とまた笑われる。ひとしきり笑ったドラルクは、ひとつ伸びをして立ち上がった。
「あーあ、元気が出てきてしまったな。仕方ない、戻るか」
「そうかよ、よかったな」
「拗ねないでよ」
ロナルドは、ドラルクがシャツのボタンを留めなおし裾をしまい髪を撫でつけ白い制服に腕を通すのを横目で見ていた。ただのおっさんの身支度だ、それだけだ、と自分に言い聞かせるのだが、なぜか直視はできなかった。そろりと盗み見ては視線を引き剥がす、を繰り返していたところに、ロナルド君、と呼ばれてびくりとする。
「ちが、みてねえ、」
「うん? なにが? 少しばかり手伝ってもらうよ。君が持ってきてくれた書類の件で」
いつも通り隙のない『隊長』が先にドアに向かって歩きだす。書類は机に投げ出されたままだ。
持って来いってか、とロナルドは仕方なく紙の束を拾い上げる。表題から、大型下等吸血鬼の増加に対する懸念事項関連、らしいと推測できた。
「……いいけど」
「うまくいったらバナナケーキ作ってやるから」
「やる!!」
予想外に大きい声が出て、気まずい。三歩先の痩身の肩がまた揺れていた。
「元気が良くて何より。さ、本日も勤労に励むとしようじゃないか」
ムカつく。それでもまあ、バナナケーキのためだから。ひらり、おいでと振られる手を追ってロナルドもまた、ドアへむかう。
雨は、いつの間にか上がっていた。
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