沢北は自分を厳しく鍛えてくれた山王工業高校バスケ部に心から感謝している。でも一つだけ恨みごとを言わせてほしい。なぜアメリカの食事に耐えられないほど沢北の舌を肥えさせてしまったのか。
沢北が留学したのは、アメリカ東海岸地区でバスケの強豪として名高い全寮制高校だ。英語はさっぱりわからないし、授業だって当然ついていけないし、肝心のバスケだって全然通用しない。でもそんなのは渡米前からわかりきっていた。覚悟していたから、実際に体験してもさほどショックは受けなかった。けれどまさか食べ物の味がこんなに自分のメンタルを左右するものだとは予想していなかった。
火が通り過ぎてへたり込んでいるブロッコリーとビーチサンダルみたいな塊肉を前にして、沢北はため息をついた。唯一、ちょっとだけマシなマカロニチーズは既に食べきってしまっている。腹が減っているし栄養だって偏りまくりなのに、これ以上はフォークが進みそうになかった。寮の食事にメニューの選択権はなく、自由に使えるキッチンもない。
にっちもさっちも行かず、沢北は天井を仰いだ。山王に入ったばかりのころ、練習がきつすぎて何を食べても吐いていたことがあったなぁ、あのとき吐いてしまったあきたこまちのバチが当たったのかも、などと現実逃避してみる。どんなにきつい練習のあとでも食べやすいように、寮の食堂のおばちゃんたちは毎食汁物やさっぱりした小鉢、季節の果物をつけてくれた。それでも食べきれないぶんは部屋に持ち帰れるようにおにぎりにしてくれた。思い出すだけでまぶたが熱くなってくる。
さっきは恨みごとなんて言ってごめんなさい。あれは間違いなく愛だった。
ずびっと鼻水をすすっても「すぐ泣くピョン」とからかう先輩もいないし、「こったらことで泣くんでね」とプロレス技をかけてくる先輩もいない。自分ひとりで立ち直らなくてはならない。
沢北はもう一度、今日の夕飯に向き合った。グニャグニャのブロッコリーとゴリゴリの肉を同時に口に放り込んで、無心で咀嚼する。きっちり三十回咀嚼して飲み込んでから、もう一口。それが終わればもう一口。
ああ、練習後になかなか食が進まない沢北に「バテたか? でも無理してでも食べないと明日もっとつらくなるぞ」と声をかけてくれた先輩の顔を思い出す。沢北がいなければあいつがエースだったのに、と言われていた先輩。それなのに「俺も入ったばっかりのころ苦労したんだよな」と笑ってくれた。
最後の一口をなんとか牛乳で流し込んで、手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
カフェテリアの厨房に日本語のわかるスタッフはいない。それでもごちそうさまを言うのは、山王で「寮の食堂でも遠征先のホテルでもきちんとお礼をしろ」と叩き込まれたからだ。
最後にトレーを持ち上げて紙ナプキンでテーブルを拭く。これは、山王のレギュラーの中で一番背が低いのに一番ディフェンスがすごくて、自分にも他人にも厳しい先輩からの教えだ。立つ鳥跡を濁さず。
隣のテーブルに先客が置いていったと思しきグシャグシャの紙ナプキンがあったので、自分のと一緒に丸めてゴミ箱に投げた。ボールは美しい放物線を描いてリングへ吸い込まれる。
「Hey!」
後ろから声をかけられて、思わず首をすくめた。「ゴミは投げずにゴミ箱に押し込め」と言った先輩は誰だっただろうか。おそるおそる振り向いた先にいたのはもちろん山王の先輩ではなく、厨房のスタッフだ。
「え、えーと」
とりあえずソーリーと言っておけば良いのだろうか。でもアメリカでは先に謝った側が何もかも悪いことにされてしまうという話も聞いたことがある。そもそもゴミはちゃんとゴミ箱に入ったし……それともゴミを投げるのはアメリカでも行儀が悪いことなのだろうか。頭の中で考えたことの一割も英語にならなくて、まごまごすることしかできない。
そんな沢北に構わず、相手は何やらメモ書きらしいものに目を落とした。
「いつも、きれいに、たべてくれて、ありがと」
彼女がちらりと視線を上げて、こちらを伺った。瞳の色は緑がかったグレーだけれど、その視線は「今日の新メニューどうだった?」と訊ねてきた食堂のおばちゃんと同じだ。
やっぱりうまく言葉にできなくて、その代わり、沢北は彼女を思い切り抱きしめた。ここにも愛はあったのだ。
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