いを
2025-03-28 21:09:52
3328文字
Public 刀神
 

わたしによく似た化け物

青嵐、政親

 天照にはたくさんの人間がいて、刀神がいる。それを目の当たりにして、政親は目を細くした。
 ――まるでこの世の煮こごりのようだ。

「って思ったんやけど、どう?」
 真ん前にいる雲井青嵐に笑いかけると、彼は困ったようすで「そうですねぇ」と指先を器用にくるりと回した。
 今日の〝おばけのおじさん〟の昼食はミートスパゲティのようだった。赤く、肉っぽい塊が細かく刻まれて、スパゲティにもったりと絡んでいる。
 自分の昼食はといえばトマトが丸ごと一個と、苺が四粒。本当は朝、お好み焼きを作ってくる予定だったのだがちょうど寝坊してしまった。野菜室にあったトマト一個とパックに入っている苺を掴んで弁当箱にいれ、そのまま持ってきた。
「さまざまな方がいますからね。天照は。人であろうと刀神であろうと、大雑把なカテゴリには当てはまるでしょう」
 音をたてずスパゲティを咀嚼する青嵐をじっと見つめる。静かな男だけれど、内側には劫火とも思える種火が燻っていることをすくなからず、政親は知っていた。
……どうですか。天照は」
 フォークをことりと置いて、政親を見つめ返す青嵐の目はあくまで穏やかだった。
「うーん。まだ、よく分からんわ。覚えることが多すぎて。訓練中も吐きそうやったし。キツくて。刀持って前線行くなんてとてもとても」
「新人はそういうものでしょう。ただ、何が起こるか分からないのが天照です。予測はできても実際どうなるかは起きてみないと分かりません」
 青嵐は器をもって味噌汁を啜った。上品という言葉が似合う男だと思う。雲井家に居候していたころ、青嵐はたびたびやってきた。縁側あたりで煙草を吸い、酒を飲み、なにかと話していた。人間ではないなにか。政親も幼いころよりそういったものは見えていた。父と母はそれを哀れんで、雲井の家に政親をよこした。〝見える〟人間がいない場所に放り込み、それが「気のせい」であることを学ばせようとしたのだろう。けれども見えるものは見えてしまうので、両親の期待には応えられなかった。ただ、雲井家にひとり、政親と同じ見える人間がいた。それが青嵐だった。雲井青嵐。雲井と名乗っているが、遠い親戚――敢えていうのならば、本家――からやってきた男だと聞かされた。本家の苗字は「照喜納てるきな」といって南の島にあり、その分家の分家が関西にある比売の家、照喜納家の分家の分家――もっと、ずうっと血が薄まりに薄まった家が雲井家だという。その家よりは比売家のほうが照喜納の血が濃いというが、見える人間はほとんどいない。そう指導・・したのがその照喜納の家の人間らしい。
「きみに、私が好きだった海を見せたかったのですが」
 政親が幼い頃よりそう言い聞かせ、中途半端に言葉を切るのがこの男の常だった。死期が近い老人みたいな言葉だと思う。それが本心かは分からないが、政親を案ずる思いは一応あるのだと信じている。
「おばけのおじさん、ぼくはべつに海なんて見なくてもええねん」
 アルビノ特有の血色のある目玉がこちらを見つめている。
「ぼくんちの近くにだって海あったし、そりゃ沖縄そこと比べるとちょっとくらい汚いかもしれんけど」
……そう。そうですか。あまり、固執しすぎるのもよくありませんね」
 四つ切りにしたトマトをフォークで突き刺すと、みずみずしい汁が弁当箱の中に飛び散る。政親は、赤いものが好きだ。綺麗だから。人間のからだの中に入っている血液も、赤。それでも外気に晒されればあっという間に錆びるように黒ずんで、取れない〝汚れ〟になる。そんなものよりも、生きていても死んでいても赤いものがいい。
 赤い花や果物、野菜。そういったものはとても美しい。
「昼食は、それだけ?」
「ほんとはお好み焼き作ろうと思ったんやけど、寝坊してもうて。いつもはちゃんと食べとるから安心して」
「家事も全部、自分で?」
 コップの水を飲んでから、たずねてくる。まるでどこかの先生のようだ。たしかに青嵐は「先生」という雰囲気がある。「教師」よりも「先生」だ。
「うん。ぼく、結構できる男やで」
「それは将来有望ですね」
 くすりと笑い、からになったスパゲティの皿をのせたトレーを持ち上げて、立ち上がった。
 青嵐は45歳だときく。
 ともすれば自分の子どもほどの年齢である政親を、あの家に置いていったこと。彼はどう思っているのだろうか。政親の髪の色が抜け落ちたことと関係あるのだろうか。中学生の頃はまだ黒く艶やかだった髪の色も、その後一週間足らずで真っ白になった。学校で散々おちょくられた――または、陰口を叩かれた――が、政親は気にしていない。こんなことは些細なことだ。禿げてはいないのだし。
 この男の血をほんのわずかでも継ぐ少年を、どう思っているのかという疑問も些細なことなのだろう。青嵐にとっては。あるいは、政親本人にとっても。
「おばけのおじさん」
 視線がしずかに動く。
 テーブルに肘をついて、くちびるの端を持ち上げながら問う。
「どうして、ぼくを置いていったん」
 あなたはあの家にぼくを置いていった。手を引き上げてはくれなかった。政親には手を伸ばす方法も意思もなかった。一丁前の理由だけがこころの奥にシミとなって、あるいは痣となって、こびりついている。家を出た今も。
 青嵐は表情を崩さず、政親と同じように口もとをゆるめたが答えは、なかった。
 黒い着物の袖をひるがえし、去っていく背中を見届けた。
 鴉の羽とは結びつかない、艶のない黒い着物をいつも着ている。いや、着ている、というよりも身に纏っているといったほうがいいだろうか。
 纏うのだ、と考える。
 ひとびとの往来の中に紛れ、消えていく背中からコップの水に視線をおとす。
 コップの中にフォークを入れて、かき混ぜた。
 トマトの薄らとした汁が混ざって消えていく。
 もう、水と見分けようがない光景だと思った。
「ぼくには分からん」
 髪を一、二本摘まんで見つめて、数秒。
 すっ、と立ち上がる。一番上の制服のボタンを外し、中に着た白いカッターシャツのボタンも同じようにした。
「おばけのおじさんは知りたくもないことを知ってしもたんやろうか……
 目を閉じ耳を塞ぎ、生きていけるのなら運がいい。
 政親にあてがわれた部署はそうはいかない。目を見開き耳を澄ませて判断しなければならないのだ。
 〝知ること〟の恐怖を、政親は少なくとも分かっている。理解はしていないが、そう――、分かっている。
 あるいは理解したところで、正気でいられるかどうか分からない。
「ぼくは、ただ知りたいだけや」
 子どもじみた言い訳だと知っている。
 知ろうとしたことは自分の責任なのだから、青嵐が背負うべきことでは、ない。
 そんなことを彼が知らないはずもない。
「家から逃げても結局、今とそう変わらへんやろうけど」
 血の束縛、家の束縛はとても強い。一滴たりとも漏らさないようにと、ていねいに扱わないくせにそれらを強要する、家の狡さ。
 そうやって生きていくことへの狂わしい願いは、呪法になる。
 呪いとなることを、比売政親は知っている。
 知らざるを得なかった。
 雲井青嵐という男がいたから。
 その男がいたから、政親はこの目に価値を見いだした。まだ呪いのなんたるかも知らないいとけない少年は、それでも〝見ること〟を選んだ。

 雲井の家の縁側で話していたものを覚えている。
 〝ヒト〟でもなく〝カミ〟でもない。ただ、「生きていないもの」、「生きたことがないもの」。そういう存在だと青嵐は政親に教えた。
 そういった存在とうまく向き合い、付き合うことができてこその術師です、と。
「私たちが見えてしまったら、逃げられない。その存在のことを知るしか術はありません」
 彼はそういい、政親に眼鏡を手渡した。プラスティック製の、度がないレンズの眼鏡を。
――逃げられない、か」
 天照の廊下のすみにからだを寄せて、庭を見つめる。
 木の梢がかすかに揺れていた。
 名も知らない木だ。
「知るすべは、ぼくにあるんやろか」