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AmexAmexxx
2025-03-28 18:15:42
5216文字
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”Pie”
大学入学を間近に控えた春のこと。
冗談で言ったバイトの話を、ぜひよかったら、と影那に誘ってもらい、一応きちんとした面接を受けた上で、紬希は猫カフェで週2回バイトをすることになった。よくよく考えなくても、猫の神憑りであるとはいえ相当数の猫の面倒を一人で
――
一人と一匹で見ている影那と『猫神』である。人手が増えれば助かるから、ということで、快く雇ってもらえたのだった。
少しずつ仕事を覚えながら、今までとは違う形で猫たちと仲良くなりつつあった、ある日。
「パイ屋さん?」
「そう。近所に新しくできたみたいで。一緒に行ってみない?」
「え、ぜひ!」
イートインもテイクアウトも可能な、洒落た雰囲気のパイ屋。そういえば最近後輩から美味しいパイ屋ができて、という話を聞いた覚えがある。時期を考えれば、同じパイ屋を指していると考えていいだろう。食べておけば話のネタにもなるし、何より影那とプライベートでもそうした付き合いができるのは、単純に嬉しい。
そんなわけで、猫カフェの定休日に二人はそのパイ屋を訪れることになったのだった。
「いらっしゃいませー」
出迎えてくれたのは、恐らくバイトなのであろう女性のスタッフ。店内はそれなりに盛況だ。ショーケースに並べられたパイはきらきらとしていて、どれも美味しそうに見える。
「お店、結構混んでるね。買って帰って一緒にカフェで食べようか」
「え、いいんですか?」
「最近、つむちゃんはお客さんモードで猫たちと遊んでないでしょう? たまにはみんなでゆっくりするのもいいんじゃないかな」
「えー
……
じゃあお言葉に甘えて!」
混雑しているときに、わざわざ待ってイートインで食べる必要もない。猫たちと過ごせるのであれば、紬希にとってもその方が楽しいのは間違いない。
そうと決まれば話は早い。ショーケースの中から紬希はチェリーパイ、影那はアップルパイを選ぶ。スタッフの女性がきちんと白い箱に詰めてくれたパイはやはりきらきらとしていて、食べるのが楽しみになる。
他愛のない話をしながら、二人で猫カフェへと戻る。定休日といえど、店内で猫たちは普通に生活をしている。入ってきた二人に反応する猫もいれば、我関せずとばかりに毛繕いをしていたりと様々だ。
紬希がソファに腰掛けると、すぐにとと、と酔ってきたのは錆び猫の琥珀。当たり前のように紬希の横を陣取って、寄り添って丸くなる姿を見ると本当に可愛くて仕方がない。よしよしと頭を撫でると、嬉しそうにごろごろと喉を鳴らす。
「ん-っ
……
今日も可愛いっ
……
!」
「ふふ。琥珀は本当につむちゃんに懐いてるね。あ、つむちゃん、ジンジャーエールでいい?」
「あっ、はい! すいません」
「いいのいいの、今日はつむちゃんはお休み。
……
よし、はい、気を付けてね」
「はあい、ありがとうございます」
柔らかな色の炭酸と、猫の模様があしらわれた白い皿に乗せられたチェリーパイ。フォークでさくりと切って口に運べば、程よい甘酸っぱさが口の中いっぱいに広がっていく。
「おいしー
……
! 影那さんも一口どうですか?」
「いいの? じゃあ私のアップルパイも一口どうぞ」
「やった! アップルパイも気になってたんですよ」
さく、さく。
パイ生地が割れる音に、談笑が乗って。
始まりは、そんなささやかな風景からだった。
---
「つむさあ、ラパンってパイ屋できたの知ってる?」
「ん?」
そんな話題が友人から振られたのは、大学の入学式を数日後に控えたある日のこと。
サポートでドラムを叩いてくれと頼みこまれ、スタジオ練習に駆り出され、散々叩いた後の休憩時間のことである。少し考えた後で、ああ、あのパイ屋かと合点して。
「ちょっと前、バイト先の店主さんと一緒に行ってきたな。めっちゃ美味しかった」
「え! ねえそのときさ、パイ屋の店長いた!? イケオジっていう噂で!」
「ん? いや、女の子しかおらんかったと思うけど
……
」
思い返してみても、客を含め店内は女性なかりだったはずだ。そっかあ、と友人は残念そうに肩を落とす。
店長ということは、あのパイを作っているのはその人なのだろうか、とふと思う。紬希が訪れた際はバックヤードにいたのかもしれない。恐らく、時々店に出てきていることがあり、そこで噂が流れだしたのだろう。
「イケオジかー。会ってみたいん?」
「イケメンは目の保養。なのでつむも目の保養」
「真顔で言うやん。
……
、えーじゃあ一緒に行ってみる? 今日は無理やな
……
明後日の練習終わりとか」
「ホント!? やったぜ、つむとデートの権利をゲットした」
「他の男目当ての癖にー」
「つむが一番だから拗ねないでー」
「何よそれ」
「あ、そうそう。そのパイ屋さん、特別なパイがあるんだって!」
「特別なパイ?」
きょとんと首を傾げる紬希に、そう、と友人は頷いた。
何でもメニューには載っていない、そして当然ショーケースの中にも陳列されていない、特別なパイがあるのだという。そのパイを食べるためには合言葉が必要で、しかしスタッフに聞いても教えてはもらえない。SNS等でもその合言葉は出回っていないが、時折店に出ている店長に手に入れた合言葉を言えば、その特別なパイを食べることができるのだという。
「へー
……
あそこのパイ美味しかったし、それは気になるな
……
」
「でしょー。あと私は単純に店長さんが見たい」
「ガチやん」
「会話したいからあわよくば合言葉が知りたい」
「ガチやん
……
」
「ってことでつむー、もし合言葉ゲットしたら教えて?」
「うーん。まあ望み薄やけどなあ、そこは
……
」
SNSにも出回っていないというなら、合言葉はごく少数の口コミのみということだろう。簡単に手に入るものでもなさそうだ。店長自身に会うことができれば、そのときは『サイキッカー』としての力を使えば合言葉を手に入れることができるかもしれないが、紬希としては自分の力をそういった方面に使いたくない気持ちもある。
ふと、影那はこの噂を知っているだろうか、と考える。あのとき、影那もパイを気に入った様子で食べていた。猫カフェの近所にあるということもある、何か知っているだろうか。
善は急げだ。思いついたときに聞いておかないと、後回しにして忘れてしまう。影那に特別なパイのことを知っているか尋ねるメッセージを打って、しかしそのメッセージに既読がつく前に練習が再開となり。
その間に返ってきた、影那からの返事は。
【その特別なパイはやめといた方がいいかも
……
】
---
影那の返信を見たのが遅い時間だったということもあり、その意味をすぐに問うことはできなかった。そんなときに限ってバイトも入っていなかったため、結局詳しい話は聞けないまま、友人と件のパイ屋を訪れた。
訪れはしたものの、友人の目当てである店長については、店に顔を出していないようだった。イケメンが見たかったと嘆く友人に笑いながら、府たちでカスタードパイに舌鼓。その後、帰る方向が真逆であることもあり、店の前でじゃあまた、と別れて、紬希は駅までの道を歩き出した。
よくよく考えれば、近所なのだからこのまま猫カフェに顔を出してもよかったな、とふと考える。パイは相変わらず美味しかったし、別段前と変わったようなところもなかった。影那は何故、やめておいた方がいいと言ったのだろう。あの後、何か変わったことでもあったのだろうか。
そんなことを考えながら歩いていた、そのとき。
――
ひゅん、
「えっ
……
!?」
突然、後ろから殴り掛かられた。何とか掠める程度で避けられたものの、突然のことに理解が追い付かない。振り返れば、フードを目深にかぶった男がそこに立っていた。ぞく、と背筋が粟立つ。
感じ取れてしまう、明らかな害意。そして間違いなくこの男は、何らかの力を持っている。
この前のC-ONのこともある。変なことに巻き込まれることには、それなりに耐性がある方だとは思っているがしかし、こんなふうに人に襲われるというのは初めての経験だ。どう対応するのが正解なのか分からない。
頭に浮かんだのは影那のこと。
――
彼女とそこまで深い話はできていないが、それでも紬希よりはるかにこういった事態に慣れていることは見て分かる。スマートフォンを取り出し、すぐに影那に通話を試みる。間を置かず、すぐに影那に繋がって。
『もしもしつむちゃ、』
「助けて影那さん、何か変な人、がっ
……
」
からから、がちゃん。
紬希の手からスマートフォンが吹き飛んで、アスファルトを滑っていく。それに視線を向けることもできないまま、気が付けば紬希はその場に膝をついていた。
ひどく嫌な感情が、急に心の内側に入り込んでくる。何が何だか分からないまま、ぼろぼろと涙がアグレ出して止まらない。気分が悪い。怖い。
――
怖い。
フードに隠れて顔は見えないが、目の前の男が確かに笑ったのが分かる。何をされたのか全く分からない。ただ、動けない。怖くて、苦しくて。ぐちゃぐちゃになった感情に支配されて、それは得体のしれないものに心を潰されていくかのような。
たすけて。叫びたいのに、引きつった喉から音が出ない。
「つむちゃんっ!」
聞きなれた声。慌てふためいたようなその声に、ああ、影那がすぐに来てくれたのだと合点する。すり寄ってきてくれた白猫
――
『猫神』の力だろうか。よく分からないぐちゃぐちゃの感情が、少しだけ落ち着いていくのを感じる。涙を拭って息を吐き出せば、少しだけ視界がはっきりとして。
「
――
っ!」
影那の攻撃をかわしながら尚、フードの男は自分を狙っているようだった。毛を逆立てながら紬希を守るように動いてくれる『猫神』に翻弄されて、その手は何とか紬希には届いていない。
そうこうしているうちに、その手が今度は影那に伸びてしまうかもしれない。そう考えてしまうと、先程とは違う恐怖が紬希を襲う。動けない、足は竦んでいる、それでも。
何かないかと周囲を見回し、見つけたのは庭先のコンクリートブロック。すいません借ります、と心の中で謝って、紬希はそれを操った。力はいつも通り使えることにほっとする。しかし、紬希の動きに気付いたらしいフードの男が振り返り。
危ない、と思った瞬間、無意識に男の頭を目掛けてコンクリートブロックが飛んでいった。
---
「うー
……
ごめんなさい影那さん
……
」
「大丈夫。よしよし、怖かったね。助けてって呼んでくれてありがとう」
その後。
コンクリートブロックの直撃を受け、男は昏倒した。一瞬殺してしまったのではないかと相当焦ったが、その心配はないようでほっとする。男の身柄については影那が信司に連絡し、信司がどこかに連れていった。その際に信司に治療を、と声を掛けられたのだが、思わず首を横に振ってしまった。初対面のときに感じた妙な雰囲気がやけに強く感じたことと、フードの男に襲われた後のせいか、どうにも恐怖心が先だってしまったのだ。代わりに、と『猫神』が好き放題撫でさせてくれた。それだけで気持ちが少し落ち着いたのは、『猫神』が何らかの力を使ってくれたからなのだろう。
ある程度紬希が落ち着いたタイミングで、いつまでも道端にいるのも、ということになり、猫カフェへと場所を移した。店に入った瞬間に琥珀と、そしてもう一匹、黒猫が走ってきた。墨、と名付けられているその黒猫が、紬希を見上げてなおん、と鳴く。
「最近ね、墨に色々と調べものしてもらってて。つむちゃんのところにすぐ行けたのも、墨のお陰だよ」
「ありがと、墨くん。めっちゃ助かった
……
」
「にゃーう」
「琥珀ちゃんも心配してくれてたん? ごめんなあ、ありがとう」
2匹を撫でれば、どちらも嬉しそうに目を細めてくれて、そんな姿にほっとする。
影那がいなければ、そして影那に助けを求めることに思い至っていなければ、今頃どうなっていたのだろう。考えるだけでぞっとする。
「つむちゃん、もう一人暮らしする家にお引越ししたんだよね」
「あっ、はい」
「じゃあ落ち着いたら車出すから、送っていくね。とりあえずゆっくりしていって」
「や、でもそれはさすがに悪いし
……
」
「あんなことがあった後で、つむちゃんを一人にしておくのは私も心配だから」
「
……
ハイ。ありがとう、影那さん」
影那は本当に紬希のことを心配してくれているのだろう。紬希の返答にほっとした表情を見せて、温かいものでも、とキッチンの奥に入っていった。
――
パイ屋が突然閉店したことを知ったのは、その数日後。
その真実を、紬希は知らない。
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