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あさかわ
2025-03-28 18:13:00
4121文字
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どなた様もお忘れ物のないよう
終章のコンセプトアートに触発されたチチタチと息子と電車の話。死ネタ注意。
※6期小説版に基づく水木の墓地及び墓参りに関する記載があります。
※死ネタ注意
かたたん、かたたん。
電車の車輪が線路の継目を踏む度に規則正しい振動が伝わってくる。目玉は鬼太郎の髪をつかみ車窓の風景を眺めていた。
「父さん」
座席に座った鬼太郎が声をかける。車内は目玉と鬼太郎の他に乗客は居ない。
「なんじゃ、鬼太郎」
「昔、水木さんと鉄道旅をしましたよね。新宿駅から列車に乗って鎌倉まで」
「
……
懐かしいのう」
「僕のことを膝にのせて水木さんがぬくい
……
柔らかい顔をしていたのを覚えていて。なんであんな顔をしたのか分からなかったんですけど」
鬼太郎が風呂敷包みの角をそっと撫でた。鬼太郎の背丈が一回り小さく他の子どもと同じくらいであった頃、江の島観光へ行ったときの話だ。目玉は人に見つからないように鬼太郎の頭に隠れ、水木は鬼太郎を膝にのせて海が見えると呼びかけた。
「水木さんを膝にのせていると、あの時の気持ちが少し分かった気がします」
ね、水木さん、と鬼太郎が膝に抱えた風呂敷包みに声をかけた。砂かけばばあが貸してくれた鬼灯柄の風呂敷の中には真白の骨壺が納まっている。
「鬼太郎、海が見えてきたぞ」
目玉が頭の上から車窓を指差す。鬼太郎が首を回し陽光を反射し輝く水面に目を細める。
「水木さん、帰ってきましたよ」
十年経ったら墓を移してくれ、と言うのが水木から目玉に宛てた最後の願いだった。十年間は調布の覚證寺に置いて欲しいが、最後は生まれ故郷の海町に連れて行って欲しい。合葬と永代供養の手筈は遺言書に事細かに書かれていた。
鬼太郎と目玉は水木を墓から取り出して、風呂敷に包んで旅に出た。一反もめんに乗せて貰えば水木の帰郷はすぐに済む。
「水木と旅行するのもこれが最後になろう。どうじゃ、家族旅行と思って電車で行くというのは」
人が築いた人の移動手段で水木を連れて行ってはどうか。目玉の提案に鬼太郎も頷いた。水木の生まれ故郷まで鉄道での移動は手間がかかる。飛行機を使えば早く済むだろうが、かつてのように三人で列車に揺られることに決めた。
かたたん、かたたん。
汽車の車輪が線路の継目を踏む度に規則正しい振動が伝わってくる。ゲゲ郎は腕を組んで車窓の風景を眺めていた。
「ゲゲ郎」
ボックス席の向かいに座った水木が声をかける。車内はゲゲ郎と水木の他に乗客は居ない。
「なんじゃ、水木」
「この列車随分懐かしいな。あの頃はそこら中で客が煙草をふかしていて、お前がお化けみたいに現れて」
「
……
ああ、懐かしいのう」
車窓の外は真っ暗で歪んだガラスがゲゲ郎の顔を映すばかりだ。夜行列車は目的地を目指しレールの終わりに向かって進んでいく。
「鬼太郎と目玉になったお前と江ノ島に行ったこともあったな。俺の膝にのった鬼太郎の髪がふわふわ揺れていてかわいかった」
水木が窓の縁をそっと撫でた。江の島に観光に行ったときの話だ。目玉は人に見つからないように鬼太郎の頭に隠れ、水木は鬼太郎を膝にのせて海が見えると呼びかけた。
「水木、海が見えてきたぞ」
ゲゲ郎が車窓を指差す。水木が首を傾けて、何も見えない車窓を眺めほほ笑んだ。まるで、陽光を反射し輝く水面を見つけたかのように優しい声音を紡ぐ。
「ああ、帰ってきたな」
合祀墓の前で鬼太郎と目玉は線香を備える準備をしている。一般的な墓と違い広めのスペースに個人を示さない御影石の石碑と香炉。花立の墓花は寺の住職が日々替えて経を上げるという。墓の近くには桜の木が一本ぽつりと立っていて、今にも綻びそうなつぼみがいくつもある。
遺骨の供養はつつがなく済み、水木は他の誰かと眠っている。空になった骨壺の扱いを尋ねられた鬼太郎は持ち帰ると決めた。
「毎年墓参りするには遠いですからね」
骨壺をどう扱うのか目玉はあえて問わなかった。水木の命日に森の妖怪たちと連れ立って墓参りに行くのが鬼太郎の常だった。調布の墓に水木がいないのなら、十年続いた行事も変わるだろう。
目玉は小さな小さな手で鬼太郎の指を叩いた。
「そうじゃなあ」
自分で末代だから他人に迷惑をかける訳にもいかん、と合祀を頼んだ水木の気持ちを鬼太郎は尊重した。十年で飲み込めとは水木は養子に無理を強いたものだ。しかし、あえて区切りを設けた理由も分かる。
目玉はその他大勢と一緒に眠る親友のありし日を思い出していた。
車窓の外は輝く光に満ちている。終着駅が近いのだ。柔らかく鮮烈で容赦のない光が車内に差し込み、水木とゲゲ郎に降り注いでいる。
水木はいつかのスーツで、皺のない口元と黒々とした髪で窓べりに頬杖をついている。
「鬼太郎もお前も俺を特別な人間だと思ったかもしれないが、数多いる人間の一人に過ぎない。どこにでもいるただの人間だ」
ゲゲ郎はいつかの着流し姿で足を組み替えた。上に組んだ足の先で下駄がぷらりと揺れている。
「鬼太郎や儂が生きる時間に零れ落ちた一握の砂じゃと言うことか」
「一つかみ分もあるものか。一粒だよ。一粒」
「だとしても、その一粒が美しかろうよ。数多の砂の中で一際輝き焼き付いた最初の一粒じゃ。人の弱さ愚かさを憐れみ慈しむことができると教えてくれたのは妻じゃ。人の強さしたたかさ、そして他人が愛するものを尊ぶ善の心があると教えたのはお主じゃ」
「大仰な言い草だ」
ふは、と吹き出した水木のすねを下駄で軽く蹴った。目玉の小さな体と違い、ゲゲ郎の体躯ではボックス席は窮屈だ。
「自分はどうなっても構わぬ。得体のしれない人外を信じ、会ったばかりの妊婦を抱えて逃げ延びた男が何を言う」
もしかしたら、水木のような人間が他にもいるのかもしれない。千に一人か万に一人か分からないが、人間の善性を教えた最初の一人に出会った。
「鬼太郎は良い友を得た」
人と妖怪の仲立ちを鬼太郎が始めた。十年、二十年と続けて人間の悪意にも気まぐれにも振り回され打ち据えられ、妖怪の衝動や意固地に悩まされ阻まれながら歩んできた。そして出会った人間の友は鬼太郎をあらざるの地から救ったのだ。かつて水木が妻と胎の子供を守るため自分を投げ出したように、記憶を失って出会った化け物を抱きしめ育て送り出したように、かけがえのない一人が放つ善性が今もある。
水木が背広のポケットから煙草の箱を取り出した。健康留意の注意書きがない古いピースの箱。蓋を開けてひっくり返すと最後の一本が水木の手のひらに転がり落ちる。
「ほら、お前にやる」
水木が煙草をゲゲ郎に差し出した。空になった箱をくしゃりと潰しゲゲ郎に笑いかける。
「
……
嫌じゃ」
最後の一本を受け取って火を付けてしまったら、きっとおしまいになってしまう。
「子供みたいな駄々こねやがって。汽車は必ず駅に着くんだ。その前に吸っておけよ」
車窓の光は容赦なく、汽車はぐんぐんと進み終着駅を目指している。泣き叫んでも終わりはくると水木は知っている。
「仕方ないのう」
ゲゲ郎は煙草を受け取った。外の光が一段と強くなり、反対側の窓から桜の花びらが吹き込んできた。
「父さん」
鬼太郎が目玉に呼びかける。春の陽気に誘われたのか、桜のつぼみが一つ綻んで咲いていた。
「ゲゲ郎」
水木がマッチを取り出す。ジッと擦ると火花が爆ぜ、先端に火が灯る。ゲゲ郎は煙草をくわえ顔を火元に寄せた。すっと息を吸うと先端がじりりと燃えて煙が生まれる。
鬼太郎が手に入れにくくなったマッチを取り出す。ジッと擦ると火花が爆ぜ、先端に火が灯る。目玉は線香を手で持ち先端を火元に寄せた。先端がじりりと燃えて煙が立ちのぼる。
煙草を一口飲むとゲゲ郎は煙を吐き出した。喉が引き絞られ溢れそうになった嗚咽を堪える。
「
……
水木」
目玉は線香を香炉に供える。香炉から煙が吐き出される。
「水木よ」
ゲゲ郎は煙草の吸い口を水木に向ける。水木は頷いてゲゲ郎の手から煙草を受けとった。
目玉の前には線香を受け取り、煙をたなびかせる水木の墓がある。正確には水木だけの墓ではない。だが、数多の人間の中で眠る友がそこにいる。
ゲゲ郎の前には最後の一本を吸う水木がいる。目を細めうまそうに煙を吐き出す姿はあの日と何も変わらない。
「のう、水木よ」
「ん、どうした」
「もうすぐ終点じゃ」
「ああ、そうだな。外がすっかり白んできた」
車窓より差し込む光は明るく容赦なく、夜の終わりを示している。列車は減速しレールの継目に車輪が引っかかる感覚が遅くなっていく。
心拍が緩やかに減少しやがて止まるあの時のように、汽車は終着駅に付いてしまう。ゲゲ郎の前で煙草をふかす水木が子供のように邪気のない笑みを浮かべた。
「またな、」
この男の最後の笑みが、快晴の空であることを寿ごう。汚泥と血に塗れた日も、踏み付けにされ辛酸を舐めた日もあろう。鬼太郎を育て送り出し、世間の激流に揉まれたどり着いた果てがこの笑顔であるのなら。ゲゲ郎はこくりと頷いて目尻を伝う涙に構わず笑みを返した。
「ああ、また」
どこかで、いつかまた。
目玉の前に線香の煙がたなびいている。
「鬼太郎」
「はい、父さん」
目玉の振り向いた先に鬼太郎が立っている。十年を超える苦難の中、妻が守って繋いだ命。悪意満ちる窖から水木が連れ出し育み幸多かれと紡いだ命。
「行こうか」
「
……
はい」
目玉が立ち上がる。鬼太郎は名残惜しむように石碑を見上げてから、目玉に手を差し出した。ひょいと飛び乗りいつものように息子の髪に体を埋めた。
どこかで、いつかまた。汽車は終着駅についてしまった。
ゲゲ郎が水木と出会ったあの日は過去に埋没し、人の営みの遥か昔となり風化していく。それでも、確かにあの日があり、目玉と鬼太郎が水木と生きた日々があり、繋がったその先に目玉は生きている。どこかで、いつかまだ繋がっている。だから、大丈夫だ。空になった骨壺を抱えて歩き出す鬼太郎の頭を、目玉は一際優しく祈るように撫でた。
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