雨が降っていたので、窓を開けて外を眺めていた。洞窟にいた頃は天気なんて関係なかったので、雨が降っているところをじっくり観察する機会なんてものはなかった。今は人の姿なので、風雨に体を削られる心配はない。ならば、と、思いっきり身を乗り出して雨を浴びる。洞窟では、水滴というのはたまに落ちてくるくらいで、こんなにたくさん、流星のように降り注ぐものじゃなかった。上半身をしとどに濡らしながら、人の身を得てからの新鮮な体験に思いを馳せる。
青空や陽光、雨上がりの少し重たい土の香り、明け方の淡い金星の輝き。洞窟の中だけでは到底感じ取ることのできなかった、あらゆる自然のサインを全身で受け取ることができる、という点において、人間の体は石よりも優れている。それに、足があることもまた素晴らしい。己の意思で移動できる、というのは何よりのメリットだ。
その一方で、人間の感情の機微というやつは、いまだにかなりの難題だ。最近ようやく、今怒ってるっぽい、とか、今は口挟まない方がいいかも?とか、それくらいは(たまに間違えて守時くんに怒られるけど)分かるようになってきた。が、どうしてその感情に至ったのか、についてはお手上げだ。完全に無理ゲー。任務の最中、次に相手がどう動くかを読む方が余程簡単に思える。
そんなことを落ちていく水滴に沿って考えていると、ドアが開く音と共に、聞き慣れた不機嫌そうな声が飛んできた。
「……何してんの、部屋が濡れるじゃん」
守時くんだ。その後ろには、先日あれやこれや縁があった小佐古支部の二人がいる。そしてその三人全員から、困惑をトッピングした眼差しを送られているようだ。
「や、雨をさ、ちょっと見てたわけ」
「……とりあえず、窓閉めて」
ああこれ、ちょっと引かれてるっぽいな。でも本当にそうなんだから仕方なくない? 誰に訴えるでもない言葉を胸中に燻らせつつ、怒られたくないので窓を閉める。振り返ると、囲威因が得体の知れない生命体を見る目でこちらを見ていた。多分ミスったな、まあでもとりあえず笑顔でも返しておこう。笑顔は大抵のことを解決してくれるらしいし。
「で、お二人さんは何しにこちらに?」
守時くんに投げつけられたタオルで頭を拭きつつ、ソファに案内されている二人を見やる。この前の任務は綺麗さっぱり片付いたと思っていたが、何かやり残しがあっただろうか? そう考えを巡らせていると、書類に好かれている方の雪嵐亞威が小綺麗な紙袋を机の上に置いた。そして、すっとこちらに差し出してくる。
「あの、私が烏さんを投げ飛ばしてしまったみたいなので……」
「あー! あの怖い方の人がね!」
「報告書を書いてたから、石ころならお菓子程度で問題ないって言っておいた」
「程度?」
守時くんのやや引っかかる補足は一旦置いておくとして、俺としてはあれは悲しいコミュニケーションミスとして処理されたと思っていたので、こうしてお詫びという名のお菓子をもらえるのであれば僥倖だ。感謝を告げつつ中から箱を取り出し、包装を解く。すると、そこにはいかにも手が込んでいそうなチョコレートの粒たちが並んでいた。
「チョコじゃん!」
「うちの支部の近くの、有名なお店なんですよ」
そう亞威さんが教えてくれる。後に因ちゃんから聞いたことだが、亞威さんは(今回のような件で)各所に謝罪に行くことが多いらしく、こういう時の謝罪用お菓子セレクションリストを隠し持っているらしい。
せっかく二人が来てくれたのだし、こういうのはみんなで食べた方が良い、気がする。ので、俺は守時くんに声をかける。
「ねえ守時くん、これみんなで食べようよ! お茶出してくれない?」
このすぐ後、淹れたばかりの熱いお茶をかけられそうになるのは一旦割愛する。
四人でお茶を飲みながら、少しの会話を挟みつつチョコレートを摘まむ。
「守時さんは普段どういう訓練してるんですか?」
「どういう……? いや、特に……」
「それでそんなに強いの……?」
「因さんも十分強いと思いますよ」
なんて平和な午後だろうか。ついこの間の任務では、まあ概ねこちら側に責任がありそうだが、薄氷のように空気が張り詰めていたというのに。いつの間にやら、警戒は氷解していたようだ。そういえば、コバルトプランの時も、あれやこれやが解決したらなんだか守時くんが少し(本当にほんの少しだけ)柔らかくなっていた、気がする。
俺としてはなるべくみんなと友好的にやっていきたいし、戦うのは嫌いじゃないけど敵対するのは結構ダルいので、避けられるなら避けたい。だけどそれは俺の都合だ。相手からどう思われるかは相手次第だし、特に人間の感情というのは結構複雑っぽいので、そう上手くいかないことも多い。でも、この場の空気は、なんだか悪くない気がする。何をしたかと言われると、俺個体としては何もしていないような気がするけれど。
ヒューマンビーイングのことは明日も明後日もよく分からないのだろうし、十年後もたまに間違えながら頭を捻っているだろう。だけど、目の前に並んでいるチョコレートは甘くて美味しい。それだけは俺たち全員が確かに感じていることで、もしかして、共通項なんてそんな程度で良いのかもしれない。とりあえず今日のところは人間の友達が二人増えたということで、ハッピーな日としてカウントすることにした。
「これかなり好きかも、亞威さんありがと〜」
「喜んでもらえて良かったです、このシリーズが人気なんですよ」
「……あ、あいさん!? 守時さんが倒れてる!?」
「えっどうして!?」
「……あー、もしかしてこれ、アルコール入ってる?」
「丸いやつはウイスキーボンボンなので、そうですけど、まさか」
「もしかして守時さんってお酒弱いの?」
「……水とかかけとけばそのうち起きるよ、大丈夫大丈夫」
「わー!!すみません、また私の不手際で……!!」
「あいさんのせいじゃないよ、烏くんが教えてくれなきゃダメじゃん!」
「えっ俺!? 俺かな、これ!?」
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