アルターヘイヴンのことはもちろん好きだ。今日までずっと守ってきた自負も、ここで育った愛着もある。UGNの理想にだって十分に共感しているし、この身を捧げるに足る組織だと思っている。
この街の人々が平和そうに笑い、穏やかな日々を営む姿を見るのは、嘘偽りなく好きだと言える。
過酷な任務も多いけれど、UGNアルターヘイヴン支部の支部長であることは、俺の誇りだ。
支部にはそれなりの人数のエージェントがいるが、それでもアルターヘイヴン商業特区は広い。支部長とて、任務をエージェントばかりに任せているわけにはいかなかった。必然、比較的難易度の高い任務を自分が担当することになりがちだ。そんなときに、連れて行く相手として丁度良いのが岸渡紡だった。彼とはチルドレン時代からの付き合いで、お互いの手の内もよく知っている。ついでに、サボり癖があるのでこの目で直接見張って働かせるのが一番効率が良いという事情もあった。
今日も今日とて、二人で組んでの任務だった。想定外にジャームが多く、片付け終わった直後はさすがに息が上がっていたし、右足に重い一撃を喰らってしまったので回復するまではしばらく動けなさそうだ。ジャームの凍結処理班を呼ぶべく支部に連絡をいれ、ようやく一息をつく。
「いや、これはちょっと多かったな」
「だな」
「珍しく足やられてんじゃん、ださ」
「……うるさい、前線に出るんだからこういうこともあるだろ」
「心底後方支援で良かったと思うよ、絶対俺向いてない」
「そうか? 意外と楽しいぞ、ストレスの発散にもなる」
「任務のことなんだと思ってるの?」
軽口を叩く余裕くらいはあった。あるいは、油断していたのかもしれない。どちらであれ、もう終わったと思っていたのは確かだ。ジャームたちが行動停止してからしばらく経っていたし、もう動く気配もなかった。久しぶりに大きめの怪我を負って、勘が鈍っていたんだろうか。今となっては、もう分からないことだ。
どうでもいい、取るに足らない雑談を振ろうと思って、紡の顔を見る。口を開こうとしたその瞬間、あいつの視線が俺の真後ろに素早く移動し、その目が大きく開いた。釣られて俺も振り返る。もう動かないはずのジャームから伸びる鋭利な腕が、矢のようにこちら目掛けて飛んできていた。ラストアクションだ。そう気付いた時にはもう俺に切れる手札はなかった。
ああ、これは、無理だな。
一瞬で悟る。この致命的な攻撃を避けることは今の俺にはできない。多分、これで終わりだ。
終わりってなんだろう。死ぬってことか。ああ、俺今から死ぬのか。
任務を続ける以上、いつかはこういう日が来るのかもしれない、とは心の片隅でずっと考えていた。少し想定より早かったが、これまでの自分の働きを考えればまあ及第点と言ったところだろう。自分の後任はおそらく紡だ。書類仕事は苦手だろうが、能力としては申し分ない。
死ぬことはあまり怖くなかった。オーヴァードに覚醒したわりには、悪くない人生だったと思う。この街を守って死ぬのであれば、選び取れるうちでは最上の死に方ではないだろうか。
そんなことを呑気に考えていた。妙に思考の時間が長いなと思う。死ぬ前の感覚は研ぎ澄まされるというが、それは本当だったのだろうか。
結論から言えばそれは間違いだった。目の前に血塗れで倒れている岸渡紡が、俺に思考するだけの時間を与えてくれていたのだった。
そこから先のことは、よく覚えていない。次にはっきりと覚えている光景は、アララト・フロートの地下室だった。紡の遺体が安置されている場所。正確には遺体ではなく、ジャーム化した紡を凍結保存したものだったが、まあそんなもの遺体とほぼ変わらないだろう。もはや紡ではないもの。それが、目の前にある。
日本支部に提出した記録によれば、俺を庇って負った傷を正常に回復しきれずジャームになった紡を、どうやら俺はその場で処理したらしい。その記録を読んで、久しぶりに声を出して笑った。これは傑作だ、自分にはジョークの才がないとばかり思っていたが、この紙切れのために取っておいたのかもしれない。鮮血よりも赤い嘘で濡れた報告書だが、これまでの実績のおかげだろうか、日本支部には正式に受理されている。
本来であれば凍結保存したと報告し、そのジャーム体をしかるべき研究施設に提出すべきだ。それをせず、事実を隠蔽し、手元にジャーム体を残した意図。その行動を取った時の記憶は磨りガラス越しに見る景色のようにぼんやりとしか思い出せないが、意図は容易に推測できた。過去の自分の行動に感謝しつつ、これからの壮大で、それでいて私的な計画に思いを馳せる。
取り戻すのだ、全てを。
アルターヘイヴンのことはもちろん好きだ。今日までずっと守ってきた自負も、ここで育った愛着もある。UGNの理想にだって十分に共感しているし、この身を捧げるに足る組織だと思っている。
この街の人々が平和そうに笑い、穏やかな日々を営む姿を見るのは、嘘偽りなく好きだと言える。
だが、そんなものと岸渡紡は天秤に掛けるまでもなかった。そんな簡単なことを、ずっと見落としていたのだ。
支部長室の窓から街を見下ろす。今日ほど、海の細波のきらめきを美しいと思った日はなかっただろう。
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ふと気が付くと、中央広場のベンチに座っていた。人はまばらで、丁度真正面では靴磨きが暇そうに新聞を読んでいた。天気は曇り、吹き付ける風は相当湿気を孕んでいる。これはひと雨降るかもしれない。しかし、手元に傘はない。
しばらくぼんやりと広場を眺めていると、水にインクを一滴落とした時のように、緩やかに記憶が蘇ってくる。知っていることも、知らないはずのことも、懐かしい思い出も、愚かしい企みも。
俺があいつを庇ったことも。
あの時は、何が最良の選択だとか、そういうことは何も考えていなかったように思う。ただ、綾瀬桂樹が損なわれてはならない、それだけを考えていた。綾瀬桂樹は優秀なエージェントで、この街の未来を担う存在だから。
いや、これは詭弁だ、と胸の内で却下する。大層な理由で飾りつけたところで、誰に披露するわけでもないのだから、認めてしまおう。結局紐解いてしまえば単純で、友人に死んで欲しくない、という素朴な思いだった。
結果として綾瀬桂樹を生かすことができたようだが、代わりにこうして再びアルターヘイヴンに訪れることになってしまった。これはさすがに想定外だった。というか、ここまで予測してカバーリングの判断を行えというのは、無茶というものだろう。溜息を一つ零す。
それでも、責める気にはなれなかった。その理由は、足元に転がっている気がしたが、拾いあげようとは思わなかった。見て見ぬ振りをした、とも言えるかもしれない。
周囲の様子を見るに、時間軸の歪み以外はまだ何も起きていないようだ。死んでからの余所余所しい記憶の中にも、街に被害が出ている様子はない。ということは、今の段階で止められれば、街の日常を守るというUGNアルターヘイヴン支部の根幹の意義自体は、紙一重で損なわれない。
"俺たち二人の任務だ、一人でなんでもやるわけじゃないだろ?"
かつて己が発した言葉を、胸の内で復唱する。二人なら、片方が間違えたって訂正してやれる。だから一人はダメなのだ、特にああいう頑固な人間は。
「……ごめんな」
生温かい謝罪を一つ、空気に散らす。あいつだって勝手なことをしているんだから、俺だって謝る義理はない。だから、これは届かなくていい言葉だった。それでも、口には出しておきたかった。
これは俺の、正真正銘最期の任務だ。一人で何でも抱え込むからこんな歪な結果になるのだ、ということを友人に教えてやらねばならない。久しぶりに体内のレネゲイドに働きかけ、近くの支部への通信経路を開く。思い浮かんだのは、まだ青かった自分たちの始まりの思い出だった。
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「いや〜、これで任務も終わり! 早く帰ってシャワー浴びたいな」
「シャワーの後は報告書だからな」
「え、でもそれは綾瀬の担当じゃん」
「勝手に担当を決めるな! 今日こそはお前に書いてもらうからな、もう何連続で俺が提出してると思ってるんだ」
「人には得意不得意があるんだって」
「支援以外に得意なことはあるのか?」
「んー鋭い所を突くねえ」
「とにかくだ、十九時半に支部の第二会議室に集合だからな」
「なんで?」
「お前が報告書を書くのを見張るからだよ」
「……そこまでするならお前が書いたほうが早くない?」
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