0087aa
2023-10-07 12:02:17
2494文字
Public
 

溢れる



ラストナイトネタバレあり 未通過🙅‍♀️


















1話のPC3EDをちょっと詳細にした感じの小話です
おまけは2話PC3ED後

 冷蔵庫を開けて枝豆が目に入った瞬間、吐き気が体を襲った。それは、今はもうここにはいない、ここを捨てた「父親」の遺品だった。

 成と津軽が連れ去られた。それだけでも一大事だというのに、その黒幕が自分の父親だなんて、笑えない話だった。体は疲労を訴えているのに、目が冴えて全く寝付けやしない。特に、五泉の、こちらを刺すような硬く冷たい表情が頭にこびりついて拭い去れない。父親だと思っていた人間が、あんな温度のない表情をするなんて、知りたくなかった事実だった。
 目を覚ました野々市と少し会話をした後、眠れなかったのならせめて栄養でも補給しよう、と冷蔵庫を開けたのが運の尽きだった。商工会議所の人からもらったのだと五泉が顔を綻ばせながら茹でていた枝豆、五泉がお隣さんから分けてもらったフルーツゼリー、五泉が間違えて買いすぎてしまった卵。冷蔵庫の中だけが、昨日までの満ち足りた日々に取り残されている。
 開け放ったそのドアも閉められないまましゃがみ込み、迫り上がる胃液をなんとか堪える。気が狂いそうだった。改めて見回せば、当たり前のことだが、この家にはあの男の痕跡が多すぎる。せめて、全て美しく拭い去ってくれれば良かったものを。
……なんでだよ」
 絞り出すような声が知らず漏れていた。なぜ、どうして。理由が欲しい。理由? そんなの分かりきっているのに?
 キュマイラとエグザイルのクロスブリードのオーヴァード、それが自分、三条泉流だ。にも関わらず、エンジェルハィロゥの力が少しだけ使えることには前から気付いていた。改めて検査をしたものの、やはりクロスブリードであることに代わりはない。
 であれば、この力の由来は。であれば、自分の由来は。

 自分が、「三条五泉」の本当の息子であったなら、あの人を繋ぎ止めておくことができたのだろうか。

 考えても詮無い話だ。そもそもこの推測は彼には伝えていないし、伝えていたとして、どうあっても自分達は他人だ。本当の息子であったとしても、自分達の間には世界一つ分の距離がある。
 それでも、あと一歩だけ距離が近ければ。
 過ぎった考えを遮るように、鋭い電子音が空っぽの部屋に響く。冷蔵庫のドアアラームだった。音に釣られて立ち上がり、ドアを閉める。こんな事態になってなお、この身に染みついた生活の様式に従ってしまうことが、なんだか可笑しかった。冷蔵庫のドアを開けっぱなしにしていることに気付いたらそれを閉めなければならないのだ。何が起きて、誰が欠けたとしても。
 キッチンに向かい、水道の蛇口を捻る。そういえば、野々市に支部長代理を託されたことを思い出した。UGNの様式に従うのであれば、まずは異変を解決しなければならない。支部長とはそういう役柄で、UGNとはそういう組織だからだ。今だけは、やることが決められているこの状況が、少しだけありがたかった。まずは託されたその責務を全うする、全てはそれから。そう自分に言い聞かせて冷たい水で顔を洗えば、ぼやけていた自分の体の輪郭に手応えが戻ってきた。
 同時に、思考が僅かに熱を帯びる。彼がどう思っていようが、三条泉流にとって父親と思える存在は三条五泉だけなのだ。彼本人に直接理由を問うまで、せめてそれまでは、これまでの生活の温度を手放したくなかった。最後に手酷い傷を受けることになろうとも。
 事態はまだ解決していないし、解決の道筋も見えていない。それでも、やらなければならないことは固まった。しらじらしい夜を破り捨てて、柔らかな朝を取り戻すのだ。

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 冷蔵庫を開けて白い箱が目に入った瞬間、冷や汗が体を伝った。貼ってあるシールからして、おそらく中身はこの町唯一の洋菓子店で買ったケーキだろう。父親がケーキを買うのは、決まってとある人物の来客がある時だった。そう、絹灑瑳慧だ。
「おい父さん、もしかして今日の夕飯、瑳慧呼んだのか?」
「呼んだけど、何かまずかったかい? 泉流も嬉しいだろう?」
「勝手に……!」
 絹灑瑳慧が家に夕飯を食べにくるのは珍しいことではない。それ自体に文句を言いたいわけではない。問題はタイミングだ。自分は今日の昼間、瑳慧にとんでもないことを言ってしまった気がする。彼女がアールラボ班長代理を打診されているときに、それを引き受けることを促すような、具体的に言えば「この街に残ってほしい」というような、そんなことを。
 いくらなんでもタイミングが悪すぎる、どんな顔をして飯を食えというのだ。息子の気持ちを推し量るのが下手なのではないかと薄々思っていたが、これはもう確信せざるを得ない。あるいは耄碌して昼間のやり取りを忘れたのだろうか? というか、瑳慧も瑳慧だ、よりによってどうして今日の誘いを受けたのか。
 そんなことを目まぐるしく考えていると、後ろから声が降ってくる。
「そんなにずっと開けていると冷蔵庫に怒られるよ、早く閉めなさい」
やたら冷静な父親に怒りすら湧き、少し強めに冷蔵庫のドアを閉める。
 自分が何に苛立ち、あるいは焦っているのか、全く解していなさそうな呑気な顔をした父親を見る。あれは今日の献立を考えている顔だ。夕飯を作ってくれることはありがたいが、今は素直に感謝する気にはなれなかった。大きめの溜息をつく。これは多分、言っても分からないのだろう。
「どうしたんだい、溜息なんかついて」
「別に、父親のくせに全然息子のこと分かんないんだなって思っただけだよ」
諦めを混ぜた声で返せば、彼は笑みを浮かべて言葉を紡いだ。
「子の心親知らず、って言うだろう。それとも、こっちの世界にはない言葉だったかな?」
「開きなおるなよ!」
自分たちの境遇を利用したブラックジョーク。この世界にだってその諺はあるし、諺があるからと言って免罪符にされても困る。それでも、この境遇を全て受け入れた上で何の衒いもなく「親」「子」というラベリングが使われたことに、少しだけ体温が上がる。我ながら父親に甘いと思いつつも、今回だけはその無理解を許してやることにした。