ひるね
2025-03-27 23:44:27
4763文字
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ghost

里指/(無性別指揮官)
捏造における捏造。モブ視点。終戦後ifです。

⚠️指揮官の容姿に関する描写、欠損、死ネタ、インモラルな内容を含みます。閲覧の際はご注意ください。

フォロワ様とのお題交換「夜半の月を窓辺にて」をイメージしました。

 
 私はこのサナトリウムに入所して四年目となる、自分で言うのもおかしいがやや古株な患者だ。今日、約一年ぶりに隣の病室が空き部屋でなくなると聞いて、私の心は浮き足立っていた。
 ここの生活は穏やかだが刺激が少ない。限定的な入居条件からか、利用者の出入りもさほど頻繁ではないし、そもそも交流が壊滅的にないのだ。普通の療養施設ではないため、それぞれが平屋建てで小さな個人宅のように独立している。安全面の観点から厨房設備は備え付けられていないが、希望があればキッチンスペース付きの部屋はもちろんの事、小さな中庭や防音完備のピアノがある部屋を指定することも可能だった。それ相応の身分、ないしは金を積むことが出来ればこの療養所の生活は、荒廃し未だに復興が進まない外の世界から比べれば天国のようだろう。故に、外の者たちは羨望と嫉妬を含めここを”ヘヴン”と呼んだ。ここは選ばれた者しか利用できない施設だった。

 ヘヴンに入所出来る患者は三種類いる。先述したように相応の身分があるもの、金のあるもの。或いは、戦時中に武勲を立てたものだ。しがない戦場カメラマンだった過去の私は、赤潮に巻き込まれそうになった親子を逃そうとし被害に遭った。目の前で呑まれていく母と子の断末魔が、今だに私の耳からこびりついて離れない。職業柄、いつどの様に命を落としても平気だと自負していた。ところが、いざその場面になると、生への執着が私の五臓六腑を震えさせた。元より義憤に厚い性格ではなかったが、こんなろくでもない命でさえ惜しくなってしまったのだ。私はその時何か大切ものの芯が、ボキリと折れる音を聞いた。

 戦時中だが貴族階級として生まれ、何不自由なくぬくぬくと暮らしていた私に反発心や猜疑心が芽生えたのはいつだっただろうか。密かに恋焦がれていた女性が自ら志願して構造体手術を受けて戦地に発った。あの伸びやかで可憐な歌声を二度と聴くことは出来ないのだと認識した時、私はようやくぬるま湯の中から目を覚したのだ。外に目を向け今置かれている情勢を学んだ。戦場カメラマンという職業を選んだのは、また彼女に会えるかもしれないという執念にも似た期待からだったが、そのお陰で一族の名汚しと白い目を向けられ、追放されることになってしまった。家門から名を抹消、決して口外しない代わりに手切れ金として渡された多額の金銀のお陰で、どうにかここに身を置くことが出来たのだから、結果的に僥倖であったと言える。





 ざわざわとロビーの方が騒がしくなった。どうやら、件の新入りが到着したようだ。私は立ち上がって、何気ない素振りでそちらを観察した。手を挙げてウェイターにエスプレッソを注文する。まるで黄金時代の一流ホテルのような豪奢なロビーの一角で、その人物は職員の案内に耳を傾けていた。私は腕時計を覗き込んだ。別に急ぎの用事がある訳ではない。思案する時間を稼ぐ意味の無い仕草だった。

 湯気を立てて唸るマシンの音に耳を傾けながら、カウンター席にもたれた。視線をロビーに戻す。戦地のみならず、空中庭園に住まう者なら誰もが一度は聞いたことがある名高い隊を率いて、地球奪還に貢献した大英雄……と耳にしていたのだが。そんな勇ましい屈強さはまるで感じなかった。どちらかと言えば日陰に置かれた植物のようにじっと陽の光を待っている、そんな印象を受けた。
 穏やかな表情を浮かべている相貌は遠目に見ても整っていた。もう初夏に差し掛かるというのに黒のジャケットに皮の手袋、首元まで覆うインナーという出立ちだった。不思議と暑苦しさは感じなかったが、どこか違和感があった。青白い顔色のせいだろうか。その繊細さが今にも消え入りそうな儚さを与えていた。まあ、こんな所に入所するくらいだ。訳ありでない、なんてことはまずないだろう。

 その人の手にしていた持ち物は真新しい皮のボストンバッグ。そしてもう一つ見えたのは、楽器でも入っていそうなジュラルミンケースだ。ヴァイオリンの類だろうか。ロック部分が、冷たく鈍色に光っている。付き添いの職員に従い、施設内の見学が始まるようだ。ゆっくりとした歩調でこちらに向かって来る。やっと提供されたコーヒーを受け取り、私はすれ違いざまに渦中の人物に声を掛けた。
「こんにちは、ようこそヘヴンに。私は隣の病室の◯◯です。あなたのお名前を伺っても?」
 突然のことに、その人は少し驚いた様子でこちらを見やる。
……、」
 一旦唇を開いたが、何かを言おうとして諦めたようだ。長めの前髪が揺れた。隙間から銀灰色の瞳がのぞいて、一瞬視線が合った。その深い眼差しに、私は思わずどきりとしてしまう。惚けたように見入っていると長く節ばった指が、トントンと唇を指差す。
……あ、ああ。すみません、あなたは言葉が……
 その人は首を振った。バッグの中から小型の端末を取り出して打ち込むと、即座に立体スクリーンが起動した。
『いえ、気にしていません。私の名前は———です。どうぞよろしく』
「ありがとう。困ったことがあったら何でも聞いてください。……いささか会話に飢えていたので、良かったら話し相手になっていただければ助かります」
 不躾だが切実たる私の申し出に、その人はやんわりと口元を綻ばせた。
『こちらこそ』
 端末を持つ手の薬指。そこには銀色の結婚指輪が二つ重ねて付けられていた。傷だらけのそれは、淡く鈍く静かに存在を示している。私は去っていく背中を見送りながら、今の指輪があの人の十字架なのだろうか……と、三文小説にも満たないつまらない想像をした。








 夜半、またあの悪夢を見た。ごう、と強い風が私の体に叩きつける。啜り泣きと何かの怒号、私の皮膚は爛れ落ち、酸性の赤い潮が骨を溶かしていく。あった筈の左足のそこにはただ真っ黒な虚ろがあるだけだった。恐怖に全身が凍り付いた。奈落にも似た昏い渦の中から怨嗟の声が聴こえる。どうか。子を抱きしめた母親が私の残った右足に縋ってくる。どうか、せめてこの子だけでも助けて、と。私は泣き喚きながらそれを全力で蹴り付けた。母親の顔が苦痛に歪む。子どもの顔は蒼白で既に事切れている。そうあるべき上肢と下肢は分離しており、赤黒い臓物がはみ出ている。

どうして、どうして。

 溶け崩れた相貌からおどろおどろしい頭蓋骨が現れ、血涙を流す。ずるずると渦に引き摺られるように、ソレは赤い波の中に落ちて行った。全身がふるえる。私は絶望の雄叫びをあげる。転がり落ちそうになりながらも死に物狂いで瓦礫を掴み、這い上がった——

 大量の汗が体から噴き出していた。激しい動悸と眩暈。ベッドサイドにあった薬瓶を手に取った。顫える指がもどかしい。何とか蓋を開けたがざらざらと錠剤がこぼれ落ちる。舌打ちしながら薬を掴み、口の中に放り込んだ。キリキリと胃が痛む。突き上げるような嘔吐感を堪え、乱暴に水で流し込む。焦燥感に抗うように何とかベッドから這い出した。全身に汚泥がまとわり付いているようだった。パクパクと口を動かすが、息が上手く出来ない。
 縋り付くようにカーテンを払い、窓を開けた。今日は満月だった。清廉な月の光が私と、私の罪を照らす。まるで嘲笑っているかのように。眼裏にこびりついたあの光景を引き剥がすことは出来ないだろう。永劫に。目の前が滲んだ。額から流れ落ちた汗かと思ったが、それは私の眦から流れた涙だった。力なくその場に崩れ落ちた。


 不意にことり、と小さな物音がした。私は手の腹で乱雑に涙を拭う。首を捻って音の方向へ顔を向ける。白い人影が視界を掠めた。その姿は月光に照らされ、まるで彼方の人のように幽美だった。隣の病室には小さなテラスがあり、その人はデッキチェアに腰掛けながら目を閉じて耳を澄ませているようだ。遠くから潮騒が聴こえる。徒歩で数分の所にある海岸は戦の痕跡を僅かに残しつつも、十分に整備されていた——ここがヘヴンと言われる所以だった。

 ああ、明日あの人を海に案内しよう。私はぼんやりと回らない頭でそんなことを思いついた。この最悪な気分のままいるのはごめんだった。朝食にでも誘って、それから一緒に海を見に行こう。馴れ馴れしさは生き延びるために覚えた処世術だった。別に断られたっていい。何でもいい、話す口実がほしい。あの美しい澄んだ青い波打ち際を見てもらいたい——。そんな情動に突き動かされ、私は足をもつれさせながら立ち上がった。クローゼットの奥底に眠っていたカメラケースを引っ張り出す。ろくに手入れもされず埃をかぶっていたそれと対面するのはいつぶりだろうか。辛うじて電源が入ることを確認した私は再び窓際に戻り、あの人の座るテラスを見やった。
 
 次の瞬間、私は息を呑んだ。あの人の膝の上に、黒光りする何かが乗っていた。目を凝らすが詳細には分からない。デッキチェアの横に銀色のジェラルミンケースが置かれていた。カメラを構えズームリングを回して焦点を合わせる。あれは、腕だろうか。機械体——いや、戦地で何度も見たことがあった。バイオニックスキンで覆われていない、構造体の腕だった。傷だらけとはいえ、あの精巧さはかなり上位の機体だ。手指から上腕部分まで、千切れた配線が何本も切断部分から垂れ下がっている。その切断面は綺麗なものではなく、何かにねじ切られたようだった。あの人は機械の腕を優しく愛撫している。頭の中で警鐘が鳴り響く。これ以上見てはいけない——
 そう胸騒ぎを覚えるのに、どうしてか目が離せなかった。首の後ろに冷たいものが伝っていった。まるで風邪の引きはじめに感じるような、奇妙なざわめき。悪寒。いや違う。この感覚は、腹の底から湧き上がるような高揚だった。レンズ越しに見るあの人の表情は陶然としており、ひどく妖艶だった。そう、まるで他人の情事を盗み見ているような——。 
 私はごくりと喉を鳴らした。あの人は腕を抱きしめてから、そっと口付けた。物言わぬ鉄の塊。それに触れる手つきはまるで恋人にする前戯のようだ。握り締められていた鈍色の手指を、一つ一つゆっくりと解いてゆく。やがてその手のひらの上に現れたのは、アイスブルーの眼球だった。あの人は皮の手袋を外した。傷跡だらけの白い指が、その球体をひと撫でした。

 その時私は、は、と短く声を漏らした。目が合ったのだ。ぞくりと背筋に電流が走る。艶然と微笑む銀灰色の瞳の奥にあるのは、純然たる狂気だった。

——あの人は、壊れている。

 一瞬のうちに昏い炎に貫かれ、私の心臓は激しく波打った。襟元が大きく開いた白いシャツが揺れた。青白い首筋が顕になり、私の視線はそこに釘付けになった。声帯部分の皮膚が大きく引き攣れたように塞がっている。そして、赤紫色の真新しい指の形。扼頚やくけいの跡だった。おそらく、過去にこの人は自らの喉笛を掻き切ったのだと、そう確信した。形の良い口がパカリと開いた。渾沌めいたその黒い穴からぬらぬらとした赤い舌がのぞく。


『お い で』


 音はなかった。だが、確かに唇からその言葉が刻まれた。私の手からカメラが滑り落ちた。ガシャンと大きな音が鳴り、床の上にパーツが転がった。胸を衝く激しい情動。抗いがたい引力が私を引き寄せる。カメラを蹴って窓から身を乗り出した。
 ——ああ、きっとあの人にとって、海など何の価値もないのだ。なぜなら、求める青色はいつもすぐ側にあるのだから。

 月の光が宝石のように輝く球体を照らす。あの人は愛おしそうにそれ舐めてから、ゆっくりと頬張った。



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死に損ないの灰色の幽霊のお話。