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あさかわ
2025-03-27 12:07:40
3557文字
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ある春のこと
夜の観梅に出かける鬼水。少しセンシティブです。
「父さん、出かけてきます」
下駄を履く鬼太郎を目玉が見上げる。冬の空気に春の気配が混じり、少しずつ夜が短くなる季節。ゲゲゲの森も外の世界も佐保姫が織り上げた春霞が少しずつ北へと吹き流され春が始まった。
「今日もか?」
「はい、梅が見頃なので」
鬼太郎は二日前から夜の観梅に出かけている。花の咲き始めから毎晩足を運び、つぼみが綻ぶのを眺めるのが楽しいらしい。水木の家に寄って二人で毎晩花見とは、息子と親友は風流を覚えた。
「今日は満開になると思います」
鬼太郎が嬉しそうに目元を緩める。目玉は何度も頷いた。
「そうか、そうか。楽しみじゃのう」
この時期ならば遅咲きの梅だろうか。それは見事な紅梅のようで、枝の根本から先まで満開になった様子は見ごたえがあるだろう。鬼太郎は下駄を履くと目玉に軽く手を振った。
「はい、行ってきます」
カラン、コロンと下駄を響かせ鬼太郎は観梅に出かけた。
鬼太郎が愛でている梅は水木の家にある。春の山が山裾から山頂に新緑を纏うように、梅木は緩やかに花を咲かせている。
水木の家を訪ね花見をしたいと言い出したのは鬼太郎だ。水木は目を瞬かせて夜桜には時期が早いと言ったが、梅が見頃と言えば納得した。
「夜桜ばかりが取りざたされているが、梅もいいな。そもそも月夜の花見というのも風流じゃないか」
「よかった。満開になるまで三日ほどかかるが、構わないか」
「ああ、勿論」
軽く摘まめるものでも持っていこうか。夜は冷えるから水筒に温かい飲み物でも入れようかと立ち上がった水木の手を引いて、鬼太郎はすぐに観梅に出かけた。
一晩目は五分咲まで。次の夜は八分咲程度に留めた。今夜はきっとすべての花が咲き揃うだろう。花が綻ぶのには時間がかかる。鬼太郎が水木のアパートのドアをノックする。控えめな音でも彼は気づくだろう。金属がこすれる音と共に鍵が開く。ゆっくり開いた扉に鬼太郎は身を滑りこませた。梅木は人目に触れさせるものではない。人気のない夜だとしても気をつかうべきだし、咲いた花の纏う零れ落ちそうな色香が外まで漏れるのは頂けない。きっと今夜は満開になって鬼太郎の目を楽しませてくれるはずだ。
「きたろう」
舌足らずの甘えたような声。いつもは快活にしゃべる人のまろい音は新鮮でかわいらしい。
「水木」
鬼太郎が名前を呼ぶと、水木がこくりと頷く。佐保姫が織り上げた薄衣は水木の頭にもかかっているようで、ほんのり色付いた目元とぼんやりした姿で花を咲かせる相手を待っていた。
鬼太郎は控えめに微笑んで水木の手を取った。下駄を脱ぐとカランと音がした。素足で廊下を歩く間さえ惜しいのか水木が体を鬼太郎に寄せる。
寝室の布団がふんわりと膨らんでいる。鬼太郎は布団の間に差し込むだけで使える布団乾燥機を買ったと水木が話していたのを思い出した。洗い立ての敷布が視界に映るだけで二日間の夜半がよぎり背筋がゾワゾワと痺れるようだった。
「水木、座って」
鬼太郎の言葉通り布団に座り、水木がぼんやりと花咲かせ人を見上げた。今はまだ八分咲き。寝間着の衿元の下に納まっている。
「今夜、満開にしよう」
鬼太郎が衿に手をかけた。
鬼太郎は八分咲きの梅が満開になるまで丁寧に世話をした。震える水木の背中を撫でて宥めて優しく触れると、塩気まじりの春の雨がぽつりぽつりと振ってきた。拭ってやったりこっそり口に含んで賞味したりと楽しんだ。雨の後はぬかるむ根本を指でかき分けて、こちらも丁寧に手入れをしてから存分に愛でた。
鬼太郎が世話をする梅木は枝ぶりが良く、幹はみっちりと詰まっている。樹皮は指に良くなじみ、夜露を含んだようにしっとり温い。手のひらで優しく撫でれば、ゆうらりと枝が揺れて、爪先で突けば小刻みに震えて愛らしい。桜伐る馬鹿梅伐らぬ馬鹿と言うが、枝先を一つ一つ丁寧に検分し、先の先まで全て触って確かめた鬼太郎の梅木は立派なものだ。
「きたろう」
寒さが解けて水ぬるむ川のように温かい声が降ってくる。春に番を求める雉のように響く音に胸が躍る。鮮やかな紅梅の花が枝にいくつも咲いた様子は見事なものだった。鬼太郎は眼下に広がる満開の花の一つ一つを指で確かめたかったが、枝がしなって鬼太郎の脇腹を叩いた。
「
……
きたろう」
「はい」
余情を含んだ音に鬼太郎は頷く。大ぶりの枝を掴むと弾力に目を細め、鬼太郎はじっくり夜の梅を楽しんだ。
観梅から戻ると水木が布団に横たわったまま疲れた顔をしていた。
「なんだってこんな
……
とんだ花見だぞ」
鬼太郎がコップに水を入れて戻ると水木がよろよろと布団からはい出していた。時計の針は日を跨いで未明を指している。
「ああ、ほら。無理しないで」
無理を強いたのはお前だろうと、じろりと睨む視線に鬼太郎は小さく笑った。盆にのせたコップを布団から少し離した場所に置き、水木の前髪をかき上げて口付ける。
「あなたが毎年秋に焼き栗を堪能していると聞いたので」
水木が動きを留めた。焦りを顔に出す方ではないが、口元がひきつっている。
「佐保姫のところに少し用事があったんだ。竜田姫とお茶を飲みながら、楽しそうに秋の味覚について花を咲かせていました。水木が秋のたびに、せっせと栗を冷暗所に置いて仕込んでは堪能していると。零れ話を聞くのが大層美味だそうで」
「
……
どこまで聞いた?」
「ほぼ全部」
額に手を当ててため息を吐く伴侶のためにコップを手に取る。鬼太郎が差し出すと一口水を啜って、再びため息を付いた。
「女性は盛り上がると立て板に水の如く話すから、五分ほどで全て話しきったと思う」
「ああ
……
そうだよな。そういう神様だもんな」
盗み聞きするつもりはなかった。春の女神と秋の女神は大層盛り上がっており、少し離れた場所でもよく聞こえた。鬼太郎の姿を見た途端、女神たちはきゃあと悲鳴を上げて両手で口を押えた。我に返った女神が咳ばらいをして神威を背負って厳かな声で鬼太郎を咎めたが、こめかみを伝う冷や汗は正直だった。
秋の女神が水木に半衿を送ってくるのは焼き栗の相伴に預かるためだった。どちらが言い出したが知らないが、竜田姫と水木は年下の伴侶が嫉妬する様子を楽しんでいたのだ。
秋になると竜田姫から水木に送られる半衿。他人から貰った半衿を付ける水木に鬼太郎がやきもちを焼いていた。女神の好意を無下にできない、当たり散らすなどしてはならない。しかし面白くはない。耐える鬼太郎をコロコロと転がして悋気の火加減を見ながら、水木は焼き栗をこさえては晩秋に食って楽しんでいた。
「焼き栗もいいけど、僕は食い気より色気だから」
鬼太郎は水木の手首に触れた。二の腕へと指を滑らせると捲れた寝間着の下から花弁が現れる。皮膚の薄い場所に花は咲かないが、足の先から毛の先端まで全身くまなく探って花が咲く場所は念入りに手入れを施した。寝間着の下は梅の花が咲き乱れ、衣で隠れぬうなじには花が二つ三つ顔を覗かせている。
「夜の観梅、楽しかった」
鬼太郎の言葉に水木が眉を寄せる。羞恥から赤く染まる首筋と咲いた紅梅が良くなじむ。
「ばか」
拗ねた口調と共に水木の口から零れる吐息。肺から溢れる空気に混じって梅の花弁がひらりひらりと落ちる。そんな幻想が見えた。鬼太郎は機嫌よく布団を直し水木を中に収める。隣に身を滑らせると水木が脇腹を抓ってきた。
「鬼太郎のあほ」
「焼き栗をこさえるのに一か月近く手間をかけるあなたがそれを言うのか」
「
……
」
押し黙った水木の髪を撫で鬼太郎が笑った。
「来年も楽しみだ」
もうしないと否定の声は聞こえない。鬼太郎は布団に入ると水木の懐に額を付ける。疲れているのだろう。水木はすぐに寝入ってしまった。呼吸と共に緩く上下する肩、寝間着からちらりと覗く紅梅の花。満開の梅木を眺めながら鬼太郎はまどろみに身をゆだねた。
後日、目玉が水木の元を訪ねると親友は複雑な顔で迎えた。
「水木、どうしたんじゃ。先週は鬼太郎と毎晩観梅に出かけておったのだろう。花の咲き始めから満開になるまで毎日通うとは雅なことを思いついたものじゃ」
「
……
」
じろりと見下ろす水木の服装に違和感がある
「なんじゃ、とっくり襟の服なんぞ着て。外は随分温かくなったからそう着込まずとも」
「うるせえ! 毎晩出かけて風邪ひいたんだよ!」
鬼太郎のせいだとなじる水木。確かに顔が赤く体調が思わしくないようだ。鬼太郎に来年はもう少し水木の防寒に気を使えといってやらねばならないだろう。目玉は腕を組み一人頷いた。
目玉の忠告もむなしく、次の年も水木は寝込んだ。
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