ゑ/圓堂
2025-03-26 23:01:40
7163文字
Public 管理NO3250本丸
 

【刀剣乱舞】悠久(とわ)を咲く君と——【創作男審神者×一文字則宗】

元々pixiv→ピクブラへと投稿していた『花より美し君へ』のリメイク作品です。
さにごぜ短編集『Bloomin'』にのみ掲載していましたが、3/28-29のwebオンリーにあわせてweb公開することにしました。
花を愛でるは生きているものの証、と語る則宗に情緒ぐちゃぐちゃの主くんの話です。

噎せ返るような春の香に酔いそうなほどの昼下がりである。

西暦二二○五年のとある本丸。その広大な敷地の一角に、今が盛りと咲き誇る染井吉野が、揃って胸を張るように並んでいる。どこまでも落ちてゆけそうなほどに澄んだ青空には、雲一つ見当たらない。陽射しはぬるく溶けて広がり、生きとし生けるもの全てを怠惰にさせる空気を、隅々まで作り上げている。現世ではやれ新学期だ、新年度だと人々の動きが活発になる時期なのであろうが、この世界においてそれらは、遠い国の御伽話のようでさえある。

何処までも果てのないような春爛漫の世界の、その中に半ば埋もれそうになりながら、歩く人影がひとつ――冴えない風貌の草臥(くたび)れた男が、煙草を燻らせてゆらゆらと歩いてゆく。
審神者なる肩書を持つ、この本丸の『主』であるその男はもう随分と短くなった煙草を、それでもまだ未練たらしく銜えている。そして溜息に乗せて紫煙を吐き出す。
仕事の合間の一服にと当てもなく進んでいたら、何やらとんでもないところに来てしまった――男はうっすらとした、後悔に近い念を抱いていた。もうこの本丸に配属されてから長くはあるが、行動範囲が限りなく狭いため、今になっても未踏となっている場所は割合多いのだ。

しかし、だからといって引き返すのも性に合わぬ、などと半ば意地のような不毛な感情も、その時彼は同時に持ち合わせていた。いつまで思春期を引き摺っているのやら――その自覚はあるが、もうこれでかれこれ十数年も生きてきてしまっているのだ。今更引き返すことも出来ぬ。
景色にそぐわぬどんよりとした眼差しのまま、そのまま敷き詰められた花弁(はなびら)の絨毯を踏みしめて、主は再び白く煙(けぶ)る溜息を虚空へと放った。

桜に限らずこの本丸の敷地内にある植物は、説明のつかぬこの世界の摂理に基づいて、全く手入れをせずとも勝手に咲き乱れる。主の意思や趣味嗜好に関係なく誂えられたそれは、まるでただ、季節の変わり目を告げるだけのためだけに植えられているようだ。

それならばそれで、他にもっと合理的かつ効率的な方法があるのではないか――主は一年が周回する毎にそう思う。花が嫌いなのではない。単に愛でる趣味がないというだけのことだ。故に伐(き)ってしまいたいとまでは思わなくとも、不要であることに変わりはない。
それにこの桜という植物の、ある種の舞台装置じみた姿が主はどうにも苦手なのだ。何もかもを無遠慮にドラマティックな光景へと仕立てあげてしまう様が、無性にいけ好かない。


『うちの主は全くもって無粋だな』

この時期になるとやたらと花見を催したがる、共に本丸で寝食を共にする刀剣男士の大般若長光と歌仙兼定に、揃いも揃って言われた台詞を思い出す。


(無粋で結構、大いに結構、だ)


彼らに返した言葉を今一度胸の内で繰り返しながら、主は先程より深く、煙を体内に取り込む。そして苦み走った煙と共に、甘やかな花の香りまで侵入してきたような気がして、思わず眉間に皺を寄せた。

この麗らかな春の空間から逃げおおせないことには、幾ら一服休憩と洒落込んでも一向に休まらぬ。いっそ諦めて仕事に戻った方が帰って良いのかもしれない――そう思った矢先。


「やぁ、主。休憩か?」


そろそろ耳馴染んだ筈の声であったが、それでも主の身体は過剰なほどに反応した。項垂れるように、地面の花吹雪のなれの果てを眺めていた顔を、弾かれたように上げる。そして視界のスクリーンへと映し出されたその姿に、思わず目を細めた。

春の陽射しを受けてきらきらと光の粒子を纏う金糸の髪と、その身に纏う真(ま)っ新(さら)な白と紅(あか)のコントラスト。この薄紅の中でさえ一際目映いその光景は、自ら無粋を謳う主でさえ、まるで絵画のように美しい——そう感じた。

「何だ、呆(ほう)けた顔をして。また不養生か?」
「はは、それほどじゃないと思うけどな。ただ全然気が付かなかった」
腑抜けた様相の主の姿に、絵画の主役――一文字則宗が些か呆れたように指摘する。
主はすっかり用無しとなった煙草を、持参した携帯灰皿に捻じ込みながら、ただ乾いた笑いを返答に乗せた。近頃はどちらかといえば不養生から離れつつある生活をしている。主自身はそのつもりである。先頃心を入れ替えてより、生活リズムは随分と規則正しくなっている筈だ。今の主を草臥れさせているのは、恐らくそれらではない。
「人間は睡眠時間が肝心要と聞いたぞ。本丸を預かる主たるお前さんがその調子じゃ、先が思いやられるな」
主の実情を知ってか知らずか、一文字則宗はそう主を揶揄(やゆ)すると、からからと愉快げに笑った。そして懐から愛用品らしい扇子を取り出し、無為に仰いでみせながら、悠然と主へと歩み寄る。その一挙手一投足さえも妙に絵になる。

この一文字則宗という刀の化身は、妙に神出鬼没の感が否めない。人外の存在なのであるから、当然と言えば当然である。しかし他の刀剣男士は然程ではないゆえ、やはり彼のみが特殊なのであろう——主はそう結論付けている。
一文字則宗が特命調査なる任務を経て、この本丸へやって来てから早数ヶ月。様々な紆余曲折を経て深い仲になりはしたが、それでもまだ、主はこの付喪神の全貌を図りかねている。狙いすましたかのように、意識と意識の狭間を縫って忍び寄って来る彼には、相も変わらず驚かされっぱなしだ。

ただ、それを暴露するのは些か己の矜持が許せぬ、というくだらぬ意地が主にはあり、未だにそれは胸の奥深くへ伏せている。きっとこの麗しき好好爺(じじい)は、そんなことなどお見通しなのだろう――そう思いながらも。

「あんた、まだ任務があったろう。何でこんな所に居るんだ」
「流石の僕とてさぼっているわけじゃあないぞ。演練まで時間があるから来ただけだ。大般若長光に薦められてな」
「あのおじさんに? 何でまた……
一文字則宗の言葉に、主の返答は困惑の色を帯びた。あの美を愛する刀の化身が桜見物を提案する——それはひとつも解らない話ではない。むしろ想像に難くない展開である。どうやら二振りは何かと気が合うのか、刀剣男士同士の間では特に親しくしているようだから尚更だ。

わざわざ一文字則宗が薦められて花を愛でに来た——その経緯にこそ、主は一抹の違和感を覚えた。
季節の移ろいやその風雅に触れる行為は、この金一万両の名刀にとっては呼吸をすることよりもずっと容易い筈だ。やんごとなき身分の御仁らが美しきものを愛でる、その傍らに在ったことも少なからずあるだろう。美しい花を見て、己をそこに介在させるべきものではないと断じ、何やら後ろめたいような心持になって荒む主とは違う。
何故、他者に声を掛けられる前に自主的に来なかったのだろうか。そういえば、他の刀剣男士達が花見だ何だと騒ぎ始めるのに、そういったことには真っ先に乗っかりそうなこの刀の姿は見受けられなかったような気がする。今更主は思い至った。

はっとした顔で意識を現実に戻す。
眼前の桜雲(おううん)のカンバスに描かれた神の姿が映る。

——一文字則宗はどこか物憂げにさえ感じる面差しで微笑した。

「僕は今まで桜をこの目で見たことが無かったのさ。――桜だけじゃあない。この世界の森羅万象全ては、僕自身が初めて感じるものばかりなのだよ」

人の身でなかったのだから当然ではあるが——眉尻を下げながら溜息のように零された言の葉は、主の心の臓腑の内側にずくりとめり込む。様々な感情が洪水のように溢れ出し、身体の内側から主を締め上げる。
溺れるような心地に、主の喉は切迫した呼気を飲み下した。


……そうか。……、それもそうか」
それだけを絞り出すのが精一杯であった。


一文字則宗という刀は、厳密に言えば『存在しない刀』である。
彼に冠された刀剣男士としての名はあくまでも刀工の名であり、その刀工・則宗の打った刀剣全ての、いわば集合体のような存在である。更にその中に、数多の人間がありとあらゆる形で伝えた創作逸話が内包され、今ここに在る一文字則宗という付喪神を形作っているのだ。

後鳥羽上皇の御番鍛冶、その正月番を務めた名刀工の打つ刀であるからこそ、多くの人々が憧れ、愛し、様々なイメージやモチーフを与えた。庶民の手になどおいそれとは渡らぬ刀だからこそ、皆空想上の士(さむらい)達にその刀を託した。

それらは確かに膨大で強固なものだが、同じだけ空虚で不確かなものでもある。現代に至るまで愛され、長く語り継がれ、余りに知られたその逸話も、確かに過去に将(もののふ)に振るわれた証を持つ刀らの来歴に比べれば、酷く果敢(はか)ない。

「色々なものを見てきた――そう思っていたんだがなぁ。やはりこの目で直に見るのとは、訳が違うな」
勿忘草の色をした瞳を眇(すが)めて、一文字則宗は桜花(さくら)の群れを見上げる。その佇まいは、現世から遠く離れたこの世界を更に非現実的なものに仕立て上げている。天国というものがあるのならば、このような光景なのかもしれない——主は交錯する感情(おもい)の中にありながらも、夢うつつに思った。
……どうだ、本物の桜は」
「うん、記憶の中よりもずっと美しいな」
主の問いを受けて、一文字則宗は天を仰いだままそう応える。


そのまま、彼らは暫し口を噤んだ。春風が爛れた陽気を込めて樹々を揺さぶり、淡く色付いた花片(かへん)が雨となって降り注ぐ。愈々(いよいよ)この世のものではない空間に、主は一人、息を呑む。


やがて虚脱していた主の耳に、ぱちりと乾いた音が刺さる。
焦点を定めると、扇子を閉じた一文字則宗がおもむろに地面へと屈み込むのが見えた。ざっくりと結った肩帯の裾が、薄汚れた淡紅の絨毯の上でたなびく。しかし彼は一向に構うことなく、地に落ちてすっかり踏まれた花屑をひとひら拾い上げた。

「限られた命の中で咲き誇り、舞い散り、役目を終えて土へ戻る。春という季節の中でも限られた十数日だけ、人々を魅了する。————いいじゃないか」
土にまみれた花弁を白々とした指先で弄びながら、一文字則宗は言葉を続ける。
「皆の記憶の中の桜はいつだって咲き続けて、散り続けている。だが僕は、今この地面に落ちた花弁こそが、最も美しいと思う。……桜に限ったことではないかもしれないな。花は散るからこそ美しいんだ」
すっかりと萎れた桜の成れの果ては、一文字則宗の親指と人差し指の間でされるがままになりながら、くたりとしなだれかかっている。その姿を見つめる薄玻璃の眼は、いつになく慈愛の色を帯びていた。
主の中で、一文字則宗の存在がみるみる遠ざかってゆく。

その軽やかな髪の手触りも、肌の温度も、脈々とした鼓動も、全て識(し)っている筈の彼が。あと数歩歩み寄れば触れられる距離に在る筈の彼が、遥か彼方に感じられる。
ふたりきりの世界で一人きりにされたような孤独感が、主の全身を包んだ。

——この花が全て散ってしまった頃に、きっと僕も皆も思うのだろう。来年もまた見に来よう、愛でようと。そうやって記憶の中でこの花は生きていられる。ずっと見られるわけじゃないからこそ、そう思えるのだろう。……ずっと美しいままのものよりも、僕は好きだ」
一文字則宗の指の隙間から解放された花のかけらがひらりと落ちる。空気抵抗に身を任せながらふらふらと、覚束ない足取りでそれは再び地面へと戻っていった。
その様をすっかり見届けた一文字則宗が、主へと矢庭に向き直る。その相貌(かお)は主の見慣れた老獪な笑みだ。
「しかし例外もいる。仕事熱心なうちの主殿とか、な」
「悪かったな、無粋な仕事人間で」
最早お約束のような一文字則宗の茶々に、主もまたお約束のような皮肉で応酬する。

気が付けばこんなやり取りを日常と思えるまでに、彼との生活を続けている——毎日のように一挙手一投足に足並みを乱されて、それでも、だからこそ愛おしい。
嗚呼、惚れたのが運の尽きだと、主は脳裏のうちで自嘲の苦笑いを噛み締めた。

……でも、悪くねぇな。その考え方は」
「うん?」
「散るからこそ美しい、ってのは納得出来る」
「そうだろう。何だ、なかなか話が分かるじゃないか」
一文字則宗は喜色満面に顔を綻ばせた。午後の陽光を受けて、柔らかな金の睫毛がきらめく。この世のものとは思えぬほど美しいと感じながら、自身と同じ人間でないこともまた信じられぬようなその立振舞いが、主の情緒を搔き乱す。だがその動揺を気取られぬよう、主は努めて平静を装い続けた。
「ただ、ずっと美しいものも美しい時だってある――俺はそう思う」
「ほう? 例えば?」
しかし、主の努力もむなしく一文字則宗はすかさず切り込む。人の好い朗笑から一転、格好の悪戯を思い付いた子供のような表情から察するに、主の思い浮かべるものが何たるかを確(しか)と理解していることは明白であった。
当たり障りのない意見を述べたつもりで、しっかりと本心を曝け出してしまった迂闊さに、主は自分自身を盛大に恨む。
……別に例(たとえ)はない」
「そんなことはないだろう? そら、このじじぃに聞かせてみろ」
「ないって言ってるだろ」
主は、一文字則宗の好奇の視線を避けるように身を翻し、無造作に前髪を掻き上げた。これは気まずさに支配された時の主の癖であるが、本人は至って無自覚であり、そのような癖の存在自体気付いていない。
「面白くない奴め。僕と主の仲じゃないか。隠しごとは良くないぞ」
一文字則宗がついと近寄り、閉じた扇子で主の二の腕を小突く。愛情にに満ちた戯れだとは解っている。だがそう易々と主の捻くれた心はそれを受け入れられるようには出来ていない。主は扇子の先を、目の前をうろつく羽虫を追い払うかのように手を出してあしらった。
「別に隠してるわけじゃねぇよ。場所が悪い」
「うははは。成程、噂に聞く無粋ぶりだな」
一文字則宗の高笑いが空気を震わせる。
無粋で結構、大いに結構——と、既に他の刀達にも投げた言葉を主は再び放ろうとした。しかしそれは叶うことなく主の中でしぼみ、消えた。


振り返り見止めた一文字則宗はもう、愉快に笑ってなどいなかった。

——愛する僕の、唯一人の主よ」


その瞬間、世界が止まった。主はそう錯覚した。
一文字則宗の言葉に、その瞳の温度に、息をすることさえ忘れる。鼓動が、呼吸が煩いと感じるほどに静寂だ。
ひりひりとした何かが、喉奥からせり上がるのを感じる。


「僕は正真正銘、お前さんだけの刀(もの)だ」


感情が、理性が動くよりも先に、主の腕は桜吹雪の中で翻った。一文字則宗の身体を手繰り寄せ、なりふり構わず抱き寄せる。
戦装束に焚き染めた香が鼻先をつんと刺し、その中に生々しい皮膚の匂いを感じ取る。主よりも頭半分ほど小柄なその体躯は、しかし人外なる強敵と戦うための頑健な筋肉に覆われているのが、衣服越しにも判るほどである。

かつてその実在を信じ、焦がれた名刀。一度は叶わぬ存在と目を背けた自身の前に、夢物語の逸話を纏って現れた憧れの化身。
今となっては唯、何よりも愛おしいその一振りが、自身の両腕の中にすっぽりと収まっている。躊躇いもせず抱擁に甘んじている。ぐずる幼子をあやすように、その手で自身の背を撫ぜている。
今死ぬなら幸福(しあわせ)かもしれない——不埒な激情にさえ、主は身を任せて浸った。

「僕の殺し文句が効いたかい?」
……全くだ、質(たち)の悪いじじいめ」
「うははは、よく言われるぞ」
主の腕の中でからからと一文字則宗が笑い声を上げる。実に楽しそうな声音が主の歪な心を逆撫でし、わざと大仰な溜息を洩らさせた。
しかし、主とて負けてはおれぬ。既に腹は括っていた。一文字則宗を抱く腕に更に力を込めて、捩じれた心の扉に手をかける。


「あんたは変わらない。きっと、ずっと綺麗だし、散ることもない。散らさせはしない」


やっと手に入れた、俺だけの、最愛の菊の華。
抜き身の科白(せりふ)を、一文字則宗の耳に直接流し込む。


主の腕の中で、大輪の菊がもぞもぞと揺れている。主の開襟シャツの胸元に、めり込むほど顔を埋めた一文字則宗の、ちらりと覗いた肌の朱(あか)が主の眼を刺す。


……お前さんの方がずっと質が悪いぞ」
「何だ、照れてんのか? 柄にもないな」
くぐもった声で、やっとそれだけを絞り出した一文字則宗に、主は仕返しとばかりに飄然と答えた。それだけでは飽き足らず、主は上体を引いて一文字則宗との距離を僅かに空けた。俯く顎を掬い取り、両の掌で包んで上を向かせる。

不服と、羞恥と、隠しきれぬ愉悦で塗り潰された一文字則宗の顔(かんばせ)は、西洋人形のような造形に不釣り合いなほど、生きるものの色をしていた。
指先に感じる体温の上昇も、少し汗ばんだ皮膚の感触も、すべてが尊くて、愛おしい。


今、ふたりで死んでもきっと幸福(しあわせ)だ。
だが、この先もふたりして生きる方が、きっと好い。
力任せな激情を見送って、主は思い直した。

「あんたと見る桜なら悪くないな、来年が楽しみだ」
「やはり無粋だな、下心が丸見えだ」
「大いに結構」

からからと浮かれた一笑が重なり、やがて止む。
噎せ返る晴れやかな春の昼下がり。花嵐の微かなざわめきの中、彼らは静かに唇を重ねる。その姿を隠すように、或いは祝福するように、降りしきる零れ桜が包み込んだ。