吾妻
2025-03-26 18:40:50
3691文字
Public アークナイツ
 

Affection Clinical Trials

フォロワーさんのお誕生日お祝い葬博♀ちゃんです。葬氏、何度書いても難しい。

「ドクター、そろそろ休憩を――

 扉が開く音と、耳慣れた声。
 聴覚に受けた刺激で、ドクターの意識は覚醒した。

 目をつぶったまま考える。
 背中の感触からして、場所はおそらく執務室のソファの上だろう。
 体のうえにかかっているのは、自身の普段着であるコート――

(そうだ、仮眠を取っていたんだ)

 午前中の作業で手元の仕事が一段落したので、ふらふらとソファに転がったのだ。
 慢性的な睡眠不足が数十分の仮眠で改善するわけもないし、急ぎの仕事も片付いたのだから自室に戻ればいいものを、そこまで意識をもたせる自信がなかった。とにかく僅かでも体力回復に努めようという、土壇場の判断の賜物だ。

 さて、どれくらい眠れたのだろう。
 休憩に送り出した本日の秘書が戻ってきた気配から察するに、長くても一時間程度だろうが、それでも意識は随分と明瞭になった。
 気にかかるのは、入室してきた秘書――イグゼキュターの気配が、扉のあたりで止まっていることだろうか。
 奇妙な沈黙のせいで目を開けるタイミングを逃してしまい、図らずも狸寝入りの状態になってしまったドクターは、耳を澄まして周囲の様子を探った、
 静かな靴音が近づいてきて、ソファの傍らで止まる。
 目を閉じていても、確かに人の気配を感じる。
 だが、イグゼキュターはそれ以上干渉はしてこない。

(彼も変わったな)

 狸寝入りを続けたまま、しみじみと考える。
 出会った頃の彼がこのような自堕落な状態を発見したら、『効果的な休息とは言えません』と、自室に戻るよう促してきただろう。
 それ自体、彼なりの気遣いではあるのだが、ドクターが『こうしていると落ち着くから』とか、『15分だけだから』などと言ううちに、彼なりの譲歩を覚えるようになってきた。
 彼の根本的なスタンスはおそらく変わっていなだろう。『ドクターがそう言うのなら』という一種の甘やかしに過ぎない。
 それでも、この変化が少なくない時間を共に過ごしてきた証のように思えて、充足感を覚えてしまう。

(だが、それにしても……

 沈黙が長過ぎるような気がする。
 ここ最近は、前後の仕事の予定を確認し寝かせておいて平気だと判断したら、備え付けの毛布を取ってきて掛けてくれていたのだが。
 今日に限ってどうしたのだろう? まさか何かあったとか。
 しばらく現状維持を続けてみてもイグゼキュターが動く気配を見せなかったので。
……フェデリコ。どうかしたのか?」
 ドクターは狸寝入りを諦めて、本人に訊いてみることにした。
「どう、とは?」
 目を開けると、ソファの傍らには想定通りイグゼキュターが立っていた。問い掛けの意図を測りかねているのか、小首を傾げてみせる。かすかに眉根が寄っているので、どうやら少しだけ困惑しているようだ。
 機械じみていて何を考えているかわからないと言われることの多い彼だが、こうして見るとそれなりに表情豊かだ。皆が思っているほど感情の起伏が小さいわけでもなければ、冷徹な作戦遂行マシーンでもない。その事実がもっと広く知られるようになればいいと願いつつも、彼の可愛らしい一面を独り占めしたいという欲が出ることもある。
 これは、オペレーターの身柄を預かる戦術指揮官としてではなく、一人の女としての欲なのだが。

「そんなところに立って、何か気になることでも?」
 改めて問い掛けると、イグゼキュターは傾けていた首を元に戻して、
「あなたの寝顔を見ていました」
 と、答えた。
……起こそうかどうか検討していたのかな」
 想定していたよりも甘みを感じる返答だったので、ドクターは少々動揺した。
 が、単純に自分を案じてくれただけかもしれず、都合の良い想像をなんとか押し留めて上体を起こす。
「いいえ。本日は出席予定の会議もありませんし、一時間程度では充分な睡眠とは言えません。もう少しお休みになってください。可能であれば、ソファではなくベッドの使用を推奨します」
……うん。今日は早めに上がるつもりだよ。だけど、起こそうとしていなかったなら、どうして寝顔なんか」
「ドクターの寝顔には鎮静効果があります」
……うん?」
 急に話が明後日の方向に飛んでいって困惑した。鎮静効果?
「あなたの寝顔を見ていると、心身の緊張が解れ、非常に安定した状態になります。このメカニズムについて、理解を試みているのです」
……なるほど」
 つまり、寝顔を見ているとリラックスできる、と言いたいわけだ。
 それはまた、なんというか、随分と熱烈な言葉だ。

 確かにドクターとイグゼキュターは職務を離れれば恋人同士であり、彼が本艦非常勤である事実を踏まえれば、一つの寝台で寝る機会もかなり多いと言える。
 ドクター自身、彼――フェデリコと共寝をする際は、普段の寝付きの悪さが嘘のようにストンと寝付ける自覚はあるし、翌日の寝覚めも良いほうだと思う。
 共に過ごす時間の中で、自分ばかりが安らぎを享受しているわけではなく、彼もまた安寧を得られているのだとしたら、喜ぶべきことだ。
 しかし――

(この文脈では、頻繁に寝顔を観察されていることになるな……

 それはそれで、かなり恥ずかしい。
 人間は、録画でもしない限り自身の寝顔や寝相を認識できないし、認識したところで意識して改めるのは難しい。そういった〝自制できない無防備さ〟を観察されるのは奇妙な居心地の悪さがある。
 だが、それでも。

(フェデリコがそうしたいなら、いいか……

 許容したくなってしまうのは、惚れた弱みというやつだろう。
 彼の同僚からは「甘やかしすぎだ」としばしば指摘を受け、「そんなことはない」と言い返してきたものの、それらの指摘はあながち的外れではないのかもしれない。

「まだお休みになりますか?」
「いや、目が覚めてしまったから起きるよ。仕事自体は一段落しているから、何か飲んで少しゆっくりしようかな」
「了解しました」
「ん? どこに行くんだ?」
 小さく首肯したイグゼキュターは、踵を返そうとする。
 明らかに扉へ向かう動きだったので、ドクターは思わず均整の取れた背を呼び止めた。
 イグゼキュターは律儀に全身で振り返り、再び小さく首をかしげる。
「お一人のほうが気が休まるのでは?」
 どうやら一人にしてくれるつもりだったらしい。そのほうがより効率的に休息できるとの判断なのだろう。
「その間、君は何を?」
「あなたの休息を妨げる要因を排除するため、扉の外で待機します」
 大体想定通りの返答だったので、ドクターは思わず吹き出した。
 確かに彼の言う通り、本当に心身を休めるのならば一人のほうが都合がいいだろう。
 たとえどれほど親しい相手であっても、共に過ごせば最低限の気遣いが発生する。
 それでも、誰かと共に過ごしたいという欲求は、時として理屈を越えて存在するものだ。
「フェデリコ、君が私の休息効率を考えてくれるのはありがたいけど、私は君と過ごしたいんだ。勿論、君さえ良ければ、だけど」
「私に断る理由はありません。ですが、それでドクターは充分に休息が取れるのでしょうか?」
「そうだよ。さっき君は、私の寝顔には鎮静効果があると言ってくれたけど、それと同じで、君と一緒にいるととてもリラックスできるんだ。よく言うだろ、かわいいものを見ると愛情ホルモンが分泌されてストレスが軽減されるって」
「なるほど」
 イグゼキュターは神妙な面持ちで頷いた。
 最近彼は、自身が『かわいい』と称されることに疑問を持たなくなってきた。自己認識が変化したわけではないのだろうが、『ドクターは自分をかわいいと思っている』という認識を、しっかり根付かせたものとみえる。

「だから、一緒に過ごしてくれるかな、フェデリコ?」
「はい」
 簡潔な返事に微笑み返して、ドクターはソファから立ち上がる。
 軽く伸びをして、室内に設置されている簡易キッチンへ足を向けた。
「じゃあ、飲み物でも用意しようか。何か希望はあるかな?」
「ドクター」
「いいよ、君は座ってて。簡単なものしか用意できないけど」
「いえ、そうではなく」
「ん?」
 てっきり「私がやります」と言うのかと思ったのに。当てが外れた。
 振り返れば、真剣な面持ちのイグゼキュターと目が合う。
「抱擁やキスといった肉体的接触にも、愛情ホルモンの分泌が期待できるとのことです」
……うん」
「ドクターさえよろしければ、試してみたいのですが」
 サンクタの青年が、大真面目な顔で両腕を広げる。
 彼に限って、この状況で冗談をいうわけもないので、本当に試してみたいと思っているのだろう。他でもないドクターのストレスを軽減するために。
 なんと健気で、かわいらしい思いやりだろうか。

「いいよ。実践してみようか、ふたりで」

 ドクターは口元がほころぶのを感じつつ、恋人の腕に身を委ねることにした。



【おわり】