サイラスを庇って怪我をするテリオンと、庇われたことにショックを受けるサイラスの話です。お題箱にいただいたお題『テリが自分を守るために重傷となって、サイラスが自分のせいだと思って一旦別れを告げる。(そして絶対別れないマンにめちゃくちゃ愛されたサイラス)』をもとに書きました!お題ありがとうございました!
吹き荒ぶ強風が砂を巻き上げ、視界を奪う。隣にいるのが敵か味方かすら、見分けがつかなくなりそうな嵐だった。ただでさえ歩くことが困難な気候であるというのに、オオサソリの群れと鉢合わせてしまうとは不運としか言いようがない。
「皆、離れるな! できるだけ固まって戦うんだ!」
オルベリクの号令を頼りに、砂の牢獄の中で影が動く。帽子を懸命に押さえるトレサがオルベリクに引き寄せられ、長髪を揺らしながらも背を真っ直ぐに伸ばして立つプリムロゼのもとに雪豹が駆け寄る。自分もまずは手近な者の傍に寄ろうと仲間の姿を探すと、手首を掴まれた。顔を確かめなくとも、彼であることが分かった。
「テリオン」
「こっちだ。……酷い嵐だが、魔法は使えるのか?」
「火炎魔法は止めたほうが良いだろうね、服に火の粉が飛んだら大惨事だ。氷結魔法か雷撃魔法なら使用はできるが、状況を見極める必要がある」
学者の放つ魔法は必中である。それは何故かというと、逃げることを許さない広範囲に放つからだ。もちろんあくまでも理論上そうであるというだけで、相手によっては躱されたり致命傷を避けられることもある。しかしオオサソリが相手であれば、間違いなくサイラスの魔法は彼らが逃走するより速く到達する。
仲間達は慣れない環境に戸惑っているが、それなりに場数も踏んできている。戦い慣れている面々に続き、アーフェンは大切な鞄を片手でしっかりと握りながら斧を構え、オフィーリアも聖杖を掲げて光明魔法を詠唱する。――戦況は決して優位とは言えないが、劣勢というほど悪くはない。ただし逆転の一手はよく状況を確かめてから放たなければ、諸刃の剣になり得る。サイラスの短い説明にテリオンは頷き、長剣を鞘から抜いた。
「……あんたは目の前のことに集中してろ」
「助かるよ」
サイラスが考えていることは正しくテリオンに伝わり、そして彼がそのために長剣を構えたことも察した。自分の身を守るためなら使い慣れている短剣で事が済むが、テリオンは敢えてそうしなかったのだ。その好意と信頼に甘えて、サイラスは目を凝らす。
オオサソリの群れと砂嵐により仲間達は分断されていて、サイラスらが殿にいる。最前列で戦っているのはオルベリク、トレサ、アーフェンだ。それよりも斜め後方で、残りの者たちがオオサソリと対峙している。見慣れた友人達の姿は目で追えるが、視界が悪い中では、魔物の数までは把握が難しい。
(氷結魔法で足を奪うか。いや、コミュニケーションが取りづらい中で氷塊が現れるのは却って危険か……)
背後で、金属と固い背甲がぶつかる音が響く。こちらはもう直に片がつくだろう。テリオンが救援に向かうタイミングと合わせて、広範囲の魔法で牽制をかけようと決めた。振り返ると、ちょうど彼の長剣がオオサソリの腹を両断したところだった。
「決めたよ、雷撃魔法でいく。相手が怯んだ隙に奇襲をかけてくれ」
「分かった。巻き込むなよ」
「もちろんだ」
短く息を吐き、意識を集中させる。仲間達を巻き込まないように、それでいながら魔物の意識を逸らすほどの威力が必要だ。指先にまで神経を張り巡らせ、懐の魔導書に手を添えた。
「雷鳴よ、轟き響け……!」
稲妻が砂の檻を切り裂いて降り注ぐ。砂漠に生きるものであれば一生見ることがないような激しい雷光がオオサソリの身を貫き、視界を白く焼いた。その間にテリオンが駆け出し、仲間達も攻勢に打って出る。――サイラスの体が僅かに後方に傾いたのはその時だった。ざあ、と砂が流れる音を立てて、オオサソリが背後に現れる。
「な……!」
まさか、はじめから砂の中に身を隠していた個体がいたとは。魔法を放ったばかりの無防備な体勢のまま、意識は向けられても体が動かない。振り上げられた尾に、飛来してきた短剣が掠めて濁った体液が吹き出すが、オオサソリは怯むことなくサイラスを睨め付ける。もたらされる痛みを覚悟して瞼を閉じたが、代わりに感じたのは砂に体が沈む感覚と、よく知った温もりだった。
「……テリ、オン?」
「くっ……」
サイラスの上に覆い被さって苦悶の声を漏らす恋人の肩には、オオサソリの毒針が突き刺さっていた。一気に血の気が引き、震える手で彼の外套を掴む。――庇われたのだ。いや、庇わせてしまった。
「二人共、動くなよ!」
ハンイットに言われなくとも、サイラスは衝撃と恐怖に支配されて体の自由を失っていた。駆け付けてきた彼女が振るった斧がオオサソリの尾を切断し、リンデが唸り声を上げて飛びかかる。
毒針を引き抜くが、テリオンはサイラスにもたれかかって薄く目を開いているだけで反応が鈍い。オオサソリの毒は麻痺効果があり、長く体内に残留していると内臓の動きを鈍らせて命を脅かす。すぐに対処しないといけないと分かっているのに、恐ろしい想像ばかりが頭をよぎって身が強張る。テリオンの手を握るが、彼は指を強張らせていて握り返しはしなかった。
「テリオン、……テリオン、しっかり!」
「……っ……」
火傷しそうなほどぎらぎらと照り付ける日差しの下にいるというのに、テリオンの指先は酷く冷えていた。薄く開いた唇から漏れ出た声は風に掻き消され、美しい瞳がゆっくりと瞼の帳に隠される。その光景に、自分の方が呼吸を止めそうになった。
(……私のせいだ)
もっと周囲に気を配っていれば。オオサソリに気付いて飛び退く瞬発力があれば。――いや、本質的な問題はサイラスの運動能力などではない。テリオンはあの時、身を挺して恋人を庇ったのだ。サイラスが彼を好きなばかりに、身を投げ出すような真似をさせてしまった。
気付けば苛烈な戦闘は終わっていて、仲間の薬師が駆け寄ってきた。アーフェンは素早くテリオンの傷口を消毒して薬を処方した。治療を施す傍ら、容態について説明していたが、声は聞こえていても内容が碌に頭に入ってこない。意識を失ったテリオンはサイラスには運べないと判断され、代わってオルベリクが彼を肩に担ぎ上げた。そのまま急ぎ足で町に向かう間も五感が鈍く、何度も砂に足を取られて転びかけた。
***
幸いにも歩いている内に風の勢いが弱まり、一時間程度で町に辿り着いた。すぐに宿屋に入りテリオンを寝台の上に寝かせて、アーフェンとオフィーリアが治療を施した。その間にサイラスがしたことと言えば、汗ばむテリオンの顔を拭いてやったりする程度で、自分の無力さが歯がゆかった。
アーフェン曰く、体内に入った毒の量は意外にも少量であったらしい。手持ちの材料で解毒できたから心配はいらない、というようなことを言葉を変えて何度か説明してくれたが、それでもサイラスはテリオンの傍から離れられなかった。心配であったこと以上に、自責の念に駆られていたのだ。
仲間達はテリオンの身を案じながらも、狭い部屋に集っていても仕方がないと、ひとり、またひとりと廊下に出ていく。最後にアーフェンが軽くサイラスの肩を叩いて、自分は隣室にいると伝えて去っていった。二人きりになった室内はしんと静かで、落ち着かない気持ちになる。
「……」
そっとテリオンの顔を覗き込む。顔色は殆ど平時と変わらず、呼吸は静かながらも落ち着いている。微動だにしない様に心配が募るが、彼があまりにも静かに眠るのはいつものことだ、と自分に言い聞かせた。水を張った桶に布を浸して絞り、優しく額を拭ってやる。
「私なんかを庇うから……」
「……ん……」
「テリオン?」
すると短く声を漏らし、ゆっくりとテリオンの瞼が開かれた。何かを探すように腕を持ち上げるから、サイラスはその手を取った。両手で包み込むように握ると、今度こそしっかりと握り返される。その感触に胸の奥からこみ上げるものがあり、声が僅かに震えた。
「気分はどうだい? 手足の痺れは? 傷はオフィーリア君が癒やしてくれたが、まだ痛みがあるかい? ああ、起き上がらないで、すぐにアーフェン君を呼んでくるから……」
「……サイラス」
口を噤み、一言一句聞き漏らさないように集中した。アーフェンは大丈夫だと言ってくれたが油断は禁物だ。何か症状を訴えようとしているのかもしれない、と身構えたサイラスに、テリオンは予想を裏切る言葉を呟いた。
「あんた、怪我はないか」
「っ……! ある訳がない……キミが、っキミが、庇ってくれたのだから……」
ぎりぎりのところで堪えていた不安や緊張が弾け、堰を切ったように言葉が溢れ出す。どうして、第一声がサイラスの身を案じるものなのか。どうして、もっとテリオン自身のことを大切にしようとしないのか。どうして、心底安堵したかのように唇を緩めるのか。
「はぁ……良かった」
「少しも良くないよ! あんな真似をして……今回はたまたま難を逃れたが、一歩間違えれば命を落とす危険性もあった。オオサソリが毒を持つことはキミも知っていたはずだ、可能性を考慮してなかったとは言わせない。キミはあの瞬間、私と自分自身を天秤にかけたんだ。そして、あろうことか私を選んでしまった……許されないことだよ」
「落ち着け……。そりゃ確かにあんたを庇ったが、死ぬつもりはなかった。現に症状は軽かったろ」
「それは結果論だよ。場合によっては取り返しのつかない事態に陥っていた可能性が、」
「ない」
テリオンははっきりとサイラスの言葉を否定した。その表情は真剣そのもので、ばつが悪そうでも、責め立てられたことに拗ねてめちゃくちゃな反論を振り翳している訳でもない。断定口調に気圧されて、却ってサイラスの方が黙り込む羽目になってしまった。
「……投げた短剣は誰かが回収したか?」
「え? あ、ああ……確か、ハンイット君が拾ってくれていたと思う。そうだ、手入れをして返すと言っていたかな……」
「魔物の毒が付いてるからな、あいつなら扱いが分かるだろ」
その言葉にようやく合点がいった。脳内で毒針がテリオンの体に刺さる瞬間ばかりを反芻していたが、確かにその直前、彼の短剣が魔物の尾を斬り裂いて体液を放出させていた。がむらしゃらに放ったのではなく、テリオンは毒腺を狙っていたのだ。自分の体内に取り込むであろうそれを極力減らすため。
「毒針か尾自体を落とす、それが無理でも注がれる毒を減らす。端からそのつもりだったし、狙いは当たった」
「……キミの意図は分かった。だがあまりにも無茶だ。それに、キミが庇わなければならない理由になっていない。同じ量の毒なら、体が大きい私が取り込んだほうが症状は軽く済んだかもしれない」
「どうだかな。か弱い学者先生の体力には期待できないだろ」
「茶化さないでくれ。……恋人だからという理由なら、別れることも考える」
もしもサイラスとテリオンのどちらかが死ななければならないという状況があったら、生き延びるのはテリオンでなければならない。それは好意の大きさなどではなく、単純に彼が若いからだ。人が死ぬ理由は山ほどあるが、その中でも老いは誰にでも平等に訪れて肉体を蝕む。人生の中に不幸な事故がないと仮定するならば、年若い方が長く生きられるに違いないからだ。
サイラスよりも八歳も若く、未来に希望を持つテリオン。いつか彼を縛り付ける枷は消えて、どこにでも自由に飛び立てるようになる。その翼を自分のせいで失ってしまったら――想像するだけで呼吸が浅くなり、指先が震える。数時間前にまざまざと感じた恐怖がまた、鮮明に蘇った。
「……泣くなよ」
すると握っていたテリオンの手が持ち上がり、サイラスの頬に触れる。そのまま指がゆっくりと目元をなぞった。彼は僅かに困ったように眉を下げて、しかし眦を柔らかくしていた。聞き分けのない子供に話すような声色は、ますますサイラスの感情を揺らす。
「俺はあんたが好きなんだ。別れたってそれは変わらないんだから、諦めろ」
「だがっ……」
「考えなしにやった訳じゃない。次に同じことがあればもっと上手くやれる、今度はあんたを泣かさないようにするさ」
「……泣いてなんかいないよ」
「そうかい」
小さく鼻をすすって寝台の端に突っ伏すように顔をうずめると、頭を撫でられる感触があった。いつだったか、優しく触れるのには慣れないと言いながら、彼が初めてサイラスの肌に手を置いた時のこと思い出す。ぎこちない触れ方が器用な盗賊らしくなくて笑うと、むきになって齧りついてきたものだ。
「私だって、キミのことが大好きだ。喪うことは耐えられない……」
「そうだな。心配かけて悪かった」
「キミのことを守りたかったのに、守らせて傷付けてしまった」
「お互い様だろ」
宥めるように、一定のリズムで頭や肩を擦られる。何度か肩を震わせて、ようやく少し落ち着いてから顔を上げると、抱き込むように後頭部を引き寄せられた。深い愛情をたたえた瞳を覗き込みながら、唇を合わせる。そして顔を離した直後、念を押すように訴えられた。
「……別れるなんてもう言うなよ」
「終生言わないとは保証できないよ。別れることがキミにとっての最良の選択肢になるなら、私はそれを厭わない」
「はいはい、分かった分かった……」
「ん、……あんまり本気で捉えていないね?」
問答の合間にまた唇を奪われて、少しだけむっとしながら視線で見遣る。そう言いながらも、テリオンを起き上がらせたくないと言い訳をして、その場から逃げないサイラスも大概だ。
「あんたはやると決めたらやるんだろう、それは分かってる……。だが、俺が執念深いことが計算から漏れてる」
「……意外だ。去る者は追わないものなのかと」
「どうでもいいやつならな。あんたは別だ……絶対に逃さない。まさか、そんな覚悟もなしに応えたとは言わないだろ?」
挑発的な笑みに、サイラスは深く息を吐いた。――まあ、冷静に事態に対処したことに免じて、今日のところは説教はこれくらいにしておこうか。それに、テリオンは恋人だからサイラスを庇ったのではなく、サイラスが好きだから庇ったと言ったのだ。恋人関係を解消しても彼の気持ちが容易く消失する訳はないから、本当は彼がそう回答した時点で、こんな問答は無意味なのだ。
「……もちろんだ。何があろうとも、私はキミのことを想っているよ」
「まあ、及第点だな」
「これ以上は全快してからだ。……調子が戻ったらいくらでもわがままを聞いてあげるから、今はゆっくり休みなさい」
今回の件について礼を言うつもりはないが、きっと謝罪は受け取ってもらえない。落とし所として甘く囁いて、柔らかい頬に軽く吸い付くと、テリオンは上機嫌な様子で寝転がった。
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