あけみ
2025-03-25 20:18:10
9548文字
Public SPN(小説)
 

【SPN】魂を追い求めた堕天使は夢に溺れる【C/D】

2025年1月の大阪インテにて無料配布しましたC/D小説。

S6カスティエルが、ディーンのいない世界線に来てしまい堕ちたカスティエルの前に突然現れたのは、
カスティエルがいない世界線からきたディーンという話。
S6迄視聴推奨。少しだけS13。

 サウスダコタ州にあるスーフォールズはボビーの家があり、大きな狩りがある時や、一度態勢を整える時に帰る場所としてディーンとサムが拠点としている。カスティエルも何度か訪れたことがあるので把握していた。だから、こうして深夜の月明かりの無い日にカスティエルが現れることも不思議ではない。
 しかし、こうもあからさまに天使除けのまじないが施されているところを見ると歓迎されていないのは一目瞭然だった。四方の壁に天使の察知および、侵入を妨げる紋様が描かれているのだが。カスティエルは眉根を寄せ、壁に描かれている紋様を見る。綴りが間違えているので、こうして容易に潜入できたといえる。
 ボビーの家は明りが消え、二階の寝室にはボビー、ゲストルームにはサムが眠っている。ディーンは一階のリビングルームのソファで寝転んでいた。規則正しい寝息が聞こえるので寝入っているが、眠りが浅い彼ならもうすぐ起き上がるだろう。毛布が足元にずり落ちていたので、掴んで彼の体を包み込みようにかけてやる。身じろいだディーンに、カスティエルは咄嗟に離れた。
 以前なら、もっと近くで見ていても許される距離にいたが今は事情が複雑でカスティエルも容易にディーンの元に訪れるべきではない。それでも、ディーンの顔を見たかったのは、確かめたかったのかもしれない。まだ彼との信頼を取り戻せると、どこか期待していた。
 ディーンとサム、ボビーがカスティエルを警戒する理由は、理解できる。内密でクラウリーと利害の一致により手を組んでいたことを知られたからだ。裏切りだと疑いの念を向けられることも辛かったが、カスティエルの胸を痛ませたのは天使封じの炎が上がる中で、ディーンが別れ際に見せた表情だった。信頼を失ったと、掴んでいたものが指から零れ落ちる感覚がカスティエルの胸を焦がす。

 君の為にしたことだ。君がいる世界だから。
 守らねばと思った。

 カスティエルが必死になればなるほど、ディーンの為の平和な世界が遠のいていた。ミカエルとルシファーが地獄の檻に封印された後、天界の指揮権はラファエルが握ることになり、多くの天使たちは再び黙示録を企てるラファエルに従事する。カスティエルが立ち向かうためにはあまりにも無謀で力の差は歴然だ。ディーンがいる世界を守るためには、多くの魂から力を得ることが必要だった。
 ラファエルを葬り去り、神と名乗った後も、ディーンがいる世界を守ろうとした。だというのに、なぜ彼は己に立ちはだかるのか。カスティエルは眉根を寄せる。
 自由意志をはき違えていると、指摘されても譲らなかった。自身の手が汚れてもディーンがいる世界を守れるなら。

 ディーンの寝顔をジッと見つめていたカスティエルの気配に気付いたのか、ソファで眠っていたディーンの肩が動く。ハッとするように目を覚ましたディーンは目の前にいるカスティエルの姿に驚愕し、一瞬息を呑んだ。
「キャスッ! いつも言ってるだろ、気味が悪いから寝顔を見るな!」
 そう言って、上体を起こした。言葉はいつも通りだが、緊張しているのは声色で分かった。ディーンは警戒していたが、眉根を寄せカスティエルの顔を窺う。
「お前……ひどいツラしてるぞ。それに……何しに来た?」
……世界を良くするために私は忙しく飛び回っている。ここに来たのは……分からない」

 君に会いたかったから。

 この時、そう言えたら何か変わっていたのかもしれない。しかし、今のカスティエルにはそれを言葉にできるほど自身の感情の在り方を理解していなかった。
 視線を伏せたカスティエルに、ディーンは立ち上がり傍に寄る。
「キャス! 今ならまだ間に合う。こっちに戻って来い」
 カスティエルが力を求め向かう先は破滅だとディーンが声を上げた。視線を伏せていたカスティエルはディーンを見やった。そこには、苦渋に表情を歪ませる彼がいる。
「ディーン……君の為だよ。これで戦わずにすむ。君はハンターを辞めて穏やかに暮らせる」
 そう、だからこの世の魔物を取り払うのだ。
 なぜ、君は私を「魔物」だと呼ぶのか。
「そんなこと、俺がいつ頼んだ!? そんな力、捨てろ!」
 カスティエルは理解できなかった。理不尽だとも感じた。ディーンは力を捨てろと言う。弱いままでは守れないのに。天界の秩序を取り戻した後は地獄の門を閉じれば地上は平穏になるはずだ。今の己なら簡単に事が成せる。
「ディーン……何故そんな顔をする? 怯えているのか?」
……お前が分からないからだよ」
 カスティエルが一歩近寄れば、ディーンが後ずさりする。彼と初めて会った時も僅かな恐怖の揺らぎを感じたが、今のこれは、あの時とは違う。明確な恐怖だ。何故、ディーンがこれほどまでに怯えているのか分からない。
「私が君に危害を加えるとでも?」
……俺じゃなくて、俺の知っている人や、見知らぬ人間にだ。指ひとつ鳴らすだけで大天使を殺せる力を意のままにするっていうのは、そういうことだ」
「それは極論だ。私はそうはならない」
 カスティエルがそう断言したところで、ディーンが抱く恐怖の対象がカスティエルになることは変わらない。
「俺の為というなら、今ここでその力を手放せ」
 苦労してリヴァイアサンの魂を手に入れた経緯を知っているのに、何を言っているのだろう。カスティエルは眉を顰める。こんな押し問答埒が明かない。今は理解できなくても、いつか分かりあえるだろうと結論づけた。巨大な力を前に抗うにはそれ以上の力が必要になることをディーンも分かってくれる。
 カスティエルは、その日ディーンの前から姿を消した。自身なら神よりもうまくやれると、この時は本気で信じていた。力を得たゆえの傲慢だったと気付く頃には、リヴァイアサンの魂に内側から蝕まれ手遅れになっていた。
 これは、カスティエルの傲慢さが招いた断罪だった。
 ディーンの言葉を理解した時には全てが遅すぎた。煉獄から得た巨大な魂はカスティエルの身では制御できず、怒りと苛立ちに感情が乗っ取られた後は、多くの天使、そして人間を処していた。
 立ち竦むカスティエルを覆ったのは闇だ。無力感に襲われ抵抗する術を無くした。力は手放したが、結局、最後にディーンと言葉を交わすこともできなかった。
「キャス」
 最後に君の声が聞きたい。だが、今の己はそれすらも許されないだろう。
飲み込んだ闇はついにカスティエルを吐き出し、暗黒の世界へ誘う。
 次に目が覚めた時、カスティエルの世界が一変する。

 世界は少しずつ崩れ落ちる。灰色の世界だと感じたのは比喩ではなく、見える景色がそうだった。
 建物は崩壊し、砂埃が舞う世界。自分は未来にきてしまったのか、過去を辿ってきたのかも分からない。カスティエルの知らない世界だ。
 太陽は頭上にあることから日中であることが知れた。空気が淀み、空を仰いでもくすんでいるのは空気が汚染されているからだ。地上の全てが目の前に広がる同じ光景なら、人間だけの戦争が引き起こした末路にしては規模が大きすぎる。天使ラジオに神経を研ぎすますと、地上には多くの天使が君臨しているのが知れた。
天使の介入により黙示録が執行されたのだ。
 ディーンはどうなった?
 彼は生きているのか?
こんな世界にしたのは己が原因なのか?
混沌とした世界には人間の存在も確認できたが数が少ない。戦慄するカスティエルの前に、三人の天使が現れた。天使ラジオに一瞬でも受信したことにより、カスティエルの存在が他の天使に感知されたのだ。彼らはカスティエルが知っている器とは違うが、見知った者たちだった。ウリエルとザカリア、ハンナだ。三人とも男性の器を宿し、カスティエルと対峙する。天使の剣を手に警戒心を緩めない。
「お前は、何者だ?」
 ザカリアがカスティエルを睨む。
……私はカスティエルだ。天界の戦士だ」
そう名乗るが、彼らの反応は見知らぬ天使を前に戸惑っているようだった。ウリエルとザカリアはカスティエルが知っている世界では既に亡くなっている。ならばここは、黙示録が起こった別の世界だ。
「天界の戦士と言ったな、なら、ミカエルのところに連れていく。お前を同胞として迎え入れるかはミカエルが判断する」
 ザカリアはそう結論付けたが、ミカエルの名にカスティエルが反応する。
「ミカエルが地上にいるのか? 器は誰だ? ディーンか?」
 カスティエルの言動に、ザカリアたちは不信感を露わに、目を細め睨んだ。
「ミカエルの器が誰かなど、重要ではないだろう」
「ディーン……だと? 人間の名など一々覚えていない」
「お前は、奇妙な天使だ。そもそも、カスティエルという天使など聞いたことがない」
 ザカリア、ウリエル、ハンナはカスティエルへ向ける嫌悪感を表す。
天使たちは波長で互いの正体が分かる。カスティエルを天使だと彼らは理解したが、「カスティエル」という天使は存在しない、と、口をそろえ畏怖を宿した視線をカスティエルに向けた。
 彼らの反応と世界の状況から、どうやらカスティエルが知っている世界とは別の世界軸だと確信すると同時に、安堵する感覚が広がる。カスティエルが知っているディーンは、こことは別の世界で生きているからだ。

 カスティエルが案内されたのは、地上で天使が拠点としている基地だ。廃墟となった場所に半壊した教会がある。そこでは、まるでこの地上に君臨する最も優れた種族であるかのように天使が残留している。


 教会の祭壇の奥に部屋があり、ミカエルが待ち構えていた。長身の褐色肌の男を器にしているミカエルは、圧倒的な恩寵の総量をその器に宿しきれていないように見えた。眉を顰めたミカエルは頬の皮が剥がれかけていることに苛立ちを表しながら、こちらを見据える。
「カスティエルと言ったな……お前は、次元の歪みから現れた。私は全ての天使の名を把握している。だが、お前はこの世界に存在しない天使だ」
 確信を得たようにミカエルが薄く笑む。
「つまり、別の世界から来たということだ。歪な時空の先に別の世界軸が存在している」
 カスティエルは、ミカエルの異様なまでの次元の歪みへの興味の示し方に、怪訝に表情を曇らせる。
……何を企んでいる?」
「お前は、この世界を見てどう思う?」
 ミカエルの問いは、カスティエルに警戒の念を根深かせる。彼はこの世界を捨て、代替えを探している。そう、脳裏に過らせるとミカエルが目を細めた。カスティエルがミカエルの思考を読み取り理解したからだ。

 カスティエルの処遇は、この世界の天界に従うことを条件にある程度の自由を許諾された。 
世界はいまだに戦争状態で、人間の中には天使に対抗する組織が出来上がっている。人口のすでに半分以上なくなっているが、世界を破壊しつくすまでこの戦争は続くだろう。
そして、この世界に「ディーン・ウィンチェスター」と「サム・ウィンチェスター」が存在しないと知る。カスティエルがどういう経緯でこの地に堕ちたのか分からない。だが漠然と、元いた世界には戻れないと理解できる。これは断罪だ。
ディーンがいない世界で生きることは絶望以上の苦しみ。全てがどうでもよくなったカスティエルは、この世界で従順に天界の意志に従った。人間を処することに罪悪感もなくなり、ミカエルの右腕と称するまでに成り上がった頃、運命は再びカスティエルをかき乱した。
異次元の歪みを自発的に作ることをミカエルは探っていた。それを可能にするのは秘術で悪魔の石板と天使の石板に記されている。神の預言者であるケビン・トランを捕らえた後、彼に石板を解読させた。何度かまじないを行ったが、そう簡単に時空の歪みを発現させることはできなかった。まじないが失敗するたびにミカエルは苛立ち焦燥を露わにする。
ミカエルの器への負担が限界に近付いているらしかった。
「異次元の歪みを作るには、天使の恩寵が必要だ」
 ケビンはそう言った。まじないに恩寵を注ぐことに不快感を示していたミカエルだったが、それ以降、異次元の歪みは自発的に作り出せることができた。発生する位置はまだ不安定だったが、ミカエルの計画は順調に進んでいた。

 そして、ある日。

 異次元の歪みが空間に一筋の光を放つ。異変に気付いたカスティエルは現場に向かった。別の世界軸に移動するミカエルの考えは、今ではカスティエルも賛同していた。ディーンがいない世界など守っても仕方がないからだ。

 地図からはすっかり形を変えたが、カンザス州のローレンスに近い場所だ。周囲の建造物は見る影もなく砂浜の丘になっている。膨大なエネルギーの塊がカスティエルの前にあり、異次元の歪みの傍で倒れている人間がいた。
カスティエルはその人物が誰かをよく知っている。見間違えるはずがない。打ちつく鼓動がカスティエルを震わせた。
……ディーン」
 そっと近づき、腕を伸ばす。ディーンは気を失っているようだったが、身体に目立った傷はない。安堵したカスティエルは眩しそうにディーンを見つめる。彼は、カスティエルが知っているディーンよりも三年若く見える。別の世界軸のディーンだろうか。それでも、と、カスティエルは微笑んだ。
……やはり、君の魂は美しい」
 魅入っていたカスティエルは思わず呟いた。そして、目の前のディーンが身じろぐ。瞼を上げたディーンのヘイゼルグリーンの瞳がカスティエルを映す瞬間も煌々とした光景だった。
「うわっ!! なんだ! お前は何者だ!?」
 上体を起こしたディーンは素早く銃を構え、カスティエルから距離を取る。その姿は初めて会ったあの時と同じ反応を思い出させ、カスティエルの表情を緩ませる。
どこの世界でもディーンはディーンのままだ。カスティエルが愛したあの日のまま。
対してトレンチコートを脱ぎ捨てたカスティエルは、今では自身の立場を表した軍服の黒いコートを身につけていた。状況も立場も変わったが、ディーンの美しい魂と恋い焦がれる情熱は変わらない。再び感情を揺り動かされ、カスティエルの胸を熱くする。
「私はカスティエル。君の守護天使だ」
ディーンの肩がピクリと動く。そうしてこちらを睨みながら言った。
「天使は悪魔よりたちが悪い奴らだ。お前は信用できない」
 カスティエルは薄く笑んだ。ディーンならそう言うだろう。
「何が可笑しい?」
 不機嫌にディーンが言い放つ。
「私はディーン・ウィンチェスターを知っている」
「俺の名前をどうして……
 ディーンは銃を握る指に力を籠める。
「俺はお前なんか知らない」
 警戒心を緩めないディーンはカスティエルの出方をはかっているように見える。彼の出で立ちはハンターであるから天使のカスティエルを警戒するのは当然だが、カスティエルの態度が予想外で反応に迷いがある。
 しかし、カスティエルの背後にもう一人の天使が現れるとディーンの緊張が張りつめられた。
「次元の歪みから人間が迷い込んだようだな」
 ザカリアだ。
 カスティエルはザカリアを睨み上げる。
「この地区の管理下は私のはずだ」
 なぜザカリアがここにいるのか不快感を露わにしたカスティエルに、ザカリアが鼻で笑う。
「ミカエルに優遇されているからって、調子にのるなよ、カスティエル」
……なんの話だ」
「彼だ」
 ザカリアがディーンを指す。
「ミカエルの器に丁度いい。魂も申し分ない」
 ザカリアがディーンにそう言い放つのを聞き、カスティエルはザカリアの腕を掴む。
「やめろ、彼に触るな!」
「手柄を独り占めか?」
 ザカリアは、カスティエルがミカエルの右腕として出世しているのが気に入らない節があり、カスティエルの動向に口出ししては手柄の横取りを模索していた。普段ならカスティエルも相手にしないが、ディーンをミカエルの器にするという思考は、奇しくも元いた世界軸と重なることになる。
 カスティエルは、再びディーンが天界の戦争による犠牲になることを何としてでも阻止しなければならない。この事は、ミカエルに伝わるのは不味い。
ザカリアが腕を振り払うと、ディーンが銃を発砲した。弾はザカリアの胸に命中したが、普通の銃弾が天使に打撃を与えるわけではない。しかし、器の治癒を施さなければならないので、これは天使を苛付かせる行為だ。
「人間の分際で」
 ザカリアが憤怒し、ディーンに視線を向けた瞬間、隙をつく。カスティエルは懐から素早く剣を抜くと、ザカリアの背後から胸を突き刺した。
「! ッ!! 何!? カスティエル……貴様……ッ!」
 目を見開いたザカリアは器から光が溢れ漏れる。剣を抜くと、ザカリアの体が地面に落ちた。焼け焦げた天使の翼が地面に痕を残す。
天使同士の小競り合いに戸惑いを見せたのはディーンだった。彼は目を丸め、カスティエルを見つめる。
……なんだ、お前ら仲間割れか?」
……私は元々、この世界の天使ではない」
「それって、どういう意味だ?」
 構えていた銃を下ろしたディーンは、カスティエルをジッと観察した。
「言っただろう、私は君の守護天使だ」
……けど、俺はお前のことなんて知らない」
「わかっている、ディーン……、それでも私は、君の信頼を裏切った」
 もう二度と会えないと思っていたところ、こうして会えたのは、最後の機会かもしれない。
……私はもう間違いたくない」
 カスティエルはそう言うと、ディーンの手を握りしめる。ビクリと肩を揺らしたディーンは、困惑しながらも跳ね除けることはしない。ただ、視線を伏せカスティエルの情熱をどう受け止めるべきか分からないようだった。
……俺はお前がいうディーンとは違う」
「それは理解している。それでも、」
と、カスティエルは眩しくディーンを見つめる。
「君の魂は、どの世界でも変わらない」
 美しく、愛情深く、勇敢で優しく傷つきやすい。君も同じだと、囁いた。
「俺の魂が見えるのか?」
 ギョッとするディーンに、カスティエルは喉を震わせ笑った。彼の純真さに思わず破顔すると、ある決意に胸を高鳴らせる。この地にディーンを留めておくわけにはいかない、と。
「君を元の世界に帰そう」
 ディーンの瞳が揺れる。真摯に向けるカスティエルの視線から目をそらさない。こうしてディーンと目を合わせるのは何年ぶりだろう。カスティエルは感嘆と息をつき、微笑んだ。

 ディーンを元の世界に帰すために、カスティエルは異次元の歪みをまじないで作る必要がある。ミカエルが時空の歪みを作り出している実験をそばで見ていたので手順は知っているが、成功するかどうかは運次第だ。少しでも確率を上げるためにカスティエルはディーンに問う。
「君の大事にしている人の持ち物はあるか?」
 まじないの紋様を地面に描くカスティエルを見つめながら、ディーンは付けていた魔除けの腕輪を外しカスティエルに渡す。
「母さんのだ」
……君のお母さんは、」
 言い含めるカスティエルの言葉に、ディーンは苦笑する。
「いや、母さんは生きているよ。狩りをしている最中に俺がこの世界に迷い込んだっていう経緯だ」
 カスティエルは目を丸めた。メアリーが生きている世界軸のディーンだという事実に正直驚く。同時に納得もした。彼はあまりにも純真だった。棘がないのだ。張りつめた空気はどこか緩くそれでも、家族を守るという強い使命感は強く宿っている。
「母さんと弟のサムがいる」
「それなら、必ず君を帰さなければならないな」
 腕輪を受け取ったカスティエルは「これでうまくいく」と、確信し頷いた。
 ボウルに材料を置いた上にメアリーの腕輪を添える。そして、自身の恩寵を流し込む。
すると、目の前に一筋の光が空間を歪めるように縦軸の光が割れた。
「お前は、どうするんだ? 元の世界に帰らないのか?」
 ディーンは不安げにカスティエルを見つめた。心底カスティエルを案じる視線だった。もう、そんな視線を向けられることはないと思っていた己には、温かく胸を包み込むような感覚が身に染みた。自分のことより他者を気遣う。誰よりも愛に溢れた人間だ。
 カスティエルは笑んだ。
「もう私には帰る場所はない」
 この地で果てると覚悟している己はディーンの隣にいられない。
「君はこんなところにいてはいけない。それに、次元の歪みを渡れるのはひとりだけだ」
 その時、カスティエルに緊張が走る。ザカリアの死に気付いたミカエルが途絶えた恩寵を追ってカスティエルの居場所を察知した。
「ディーン! 早く行け! 追跡されている」
 カスティエルは天使の剣を取り出し構えた。背にディーンを隠し、異次元の歪みの扉を通るように促した。
「キャス! いつかまた会えるよな?」
……またどこかの世界で」
 その時は、きっと今の己ではないだろう。
 カスティエルはディーンが次元の歪みを通ったのを見届けた。
 丁度その時、ミカエルが到着した。
 カスティエルを睨むミカエルは怒気を放つ。
「どういうつもりだ、カスティエル」
「ディーンは絶対に渡さない」
 カスティエルの返答に、ミカエルの眉がピクリと動く。
「あの人間と懇意であったのなら、何故この世界に留めて置かない? 傍におくことを許したというのに」
 カスティエルは背後にある異次元の歪みが消えるのを見やった。ミカエルの発言には歪みがある。ディーンを器にして傍に置くという意味合いなのは明らかだ。
カスティエルはミカエルを睨み返す。もう二度とディーンに会えなくても、彼を帰したのは正しかった。かつて、カスティエルもミカエルの思考に賛同していた。死の地となった世界を捨て、別の世界へ移住する。カスティエルも共に行くことを約束されていた。ディーン・ウィンチェスターがいる世界へ移ることを密かに願っていたことも否定しない。
 だが、実際、ディーンが現れて状況が変わった。
 ミカエルと対峙すると力の差は歴然であることが分かる。反逆したカスティエルの身体は壊されるかもしれない。覚悟を決める。
……残念だよ、カスティエル」
 ミカエルの傍にもう一人の天使が現れる。ミカエルは現れた天使ナオミに合図した。悪い予感というのは、当たるものだ。
「私はもう用無しだろ、ひと思いに殺せ」
 カスティエルの言葉にミカエルは薄く笑う。
「お前はまだ役に立つ。ただ、頭を少し弄る必要があるな」
 カスティエルは拳を握りしめた。死よりも辛い選択を強いられる。ディーンへの感情も記憶も改ざんされるということだ。顔を俯かせたカスティエルは固く目を閉じた。最後に見たディーンの顔を思い浮かべる。
 彼は無事に家に帰れただろうか。
 母親と弟が待つ世界では、幸せな生活を送っているだろうか。
 ハンターをしていても、家族と共にいるのならディーンが望む世界なのだろう。
 もう二度と会えないのがただ寂しい。
 カスティエルが再びディーンと会う時、それは最悪な出会いとなるだろう。ディーンを認識できず、他の人間と同じように制圧し、敵対するかもしれない。
 ――いいや。
 ディーンの魂を前にすれば、己は必ず思い止まる。美しいと理解する判断はまだカスティエルにあるはずだ。
 あの魂を前にすれば再び彼に恋をする。
 その日までカスティエルは闇の中を彷徨い続け、溺れていく。








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