rkrn切る螺旋

押、雑父、雑、山
押のこれまでや、雑父、雑との関係を妄想した話 押視点です
⚠︎押の口調や面について、また雑、山絡みの内容等全て捏造
⚠︎雑父が組頭ではない世界線で、押雑山の年齢がわりと近そうというイメージ

切る螺旋

 はじめは、タソガレドキの村内での女性だった。交友を持つうちに親しくなり、ごく普通の恋を楽しんだはずだ。相手方の親と会うことになって、押都は初めてその表を晒せと命じられた。
 それから三度、全て縁談を終え、つつがなく暮らし、そして破局している。
 狭い村の中で、
「彼が面を取ると、不吉が起こる」
 と噂になったのは必然で、押都はもっともだと思っている。
 この面の下は知られてはならない。だから押都は父親の顔も知らない。自分と似ているのだろう、母が幼い自分に面をつけるとき、涙を浮かべていた。父の面の墨が濡れて汚れていて、「すまない」と一言だけ呟かれた過去を思い出す。
 縁談や、誰かと共にあることを諦めた今では、心に棘をいちいち刺しにいくようなことはしない。
 黒鷲隊の小頭に任命されたのは、そんな折だ。三人の忍びを配下につける、と達しがあり、彼らの面構えを見た。不安と期待、そして──顔の見えない者への動揺。押都がいつも目にする、自分と初めて会う者たちと同じ表情をしていた。慣れていた押都は三人をそれぞれの名で呼び、一人ずつに動機を聞いた。忍びになる家に生まれたというだけで忍びという道を選ばなくてもいい。違う道もあるのだと諭すのがこの里の大体の大人たちだ。変わっているといえば変わっている。けれどそういう環境の中に置かれてこそ、改めて外界から見た忍びを考え、客観的に自分を照らし合わせてやはり忍びになりたいと願う子どもが多い。
 三人もそういった理由を等しく持っていた。押都の中で、一つ一つが空に生まれたばかりの星のようにぴかっと輝く。
 彼らをはじめ、多くの若者はこれから、数々の挫折や経験を繰り返して大人になる──そういった希望の中に、自分の血は混ぜてはいけない。この面をつけるのは、もう自分だけでいい。

 ──ずいぶん昔、最初にそれを憂いたのは、雑渡の父だ。一人の女に惚れ、根気よく愛を紡ぎ、一人子を設けたと報告があって以来、二人目がなかなかできずに悩んでいた。若い押都と酒を飲み交わしたある日のことだ。ちょうどその日の前後に、諸泉のところで子が産まれたのだ。
「二人目は厳しいかな、ずいぶん年が離れてしまった」
「そればかりは……私が返す言葉はありませぬ」
「生まれたら、押都にも年の離れた兄として面倒を見てほしいからさ」
「顔も見えない私にですか」
 離れてしか話しかけてやれませんぞ、と言うと、雑渡の父は笑った。
「小さいうちではない。面を取ることに興味を覚えなくなるような年頃になってからだ」
「いつになることやら……今だってあなたも昆奈門も、まれにこの下を覗きたがるではないですか」
「妻にも言われた、子どもっぽいところがあると」
「よくご理解なさってらっしゃる」
「ばかにするなよ……私に似れば、子は二人とも何歳でもお前の面を取りにいくぞ」
 喉奥から笑うその声の先に、こういう話題で押都に結婚の長所を語り聞かせてくれているのだ。妻がいる、子がいる、未来がある。それがどんなに素晴らしいかを切々と伝えてくれた。
 ──そうして語った体は、亡骸として横たわった。正確には、体は戻ってこず、ただむせび泣く山本だけが襖一枚を隔てた向こう側にいた。押都は座って、組頭からの指示を待っているところだった。亡骸の捜索をすべきか、それとも敵方の新たな情報を仕入れるために動くか。友の死に、悲しむ暇さえ与えない組頭の決断は、しかし当時の押都にとっては正しかった。面の下で己の顔が引きるばかりで、どうにもこの場には居づらいのだ。山本の感情が痛いほど、苦しいほど地面を伝わり根を張って、自分を襲う。足を絡み取られ、動けなくなりそうだった。
 ふすまがそっと開かれ、父に逝かれた男が入ってきた。「押都」と呼ぶ声はまだやや上擦った固さのある声で、目元は腫れてはおらず、上背はまた以前会ったときより青竹のごとく伸びていた。「どうした昆奈門」と呼んでやると──彼は堂々と膝の上に乗った。背丈も変わらぬ男の膝に、である。
 互いがわらべのころのように、押都の面をしきりにめくろうとしてくるのかと身構えたが、昆奈門はなにもしなかった。面の端を指で擦り寄せ、いじり、それを上へ持ち上げようとは決してせず。昆奈門、ともう一度声をかけてやると、彼は押都の目を辺りをまっすぐ捉え、疲れた顔を見せた。
 不意に、「私の顔を見るか」と聞きたくなった。好奇心の満足で、その悲しみが癒えたらいいと思ったのだ。しかしそれ以上の不吉がこの幼い身に降り注いではならない。一時の気の迷いが苦しめるようなことがあっては、と、押都は唇を噛んだ。そうして、脳裏に焼きつく雑渡の父の、朗らかな笑い顔を憎く思った。
 二人欲しいと仰っていたではありませんか。
 たった一人を残して去るなどと。なんという人なのだ、あの方は。
 昆奈門の体が少し揺れ、泣くのかと思いきや、ゆるんだ表情を見せた。
「その面の下は、押都も陣内みたいに泣いてる?」
 ……どうか泣いていてくれるなよ。ということだろうか。押都は静かに二度、首を横に振った。
「濡れていないだろう」
 そう言って、面の表面をなぞる墨を見せてやると、ふっと雑渡の息がかかるのがわかった。わざとではなく、彼のよくする呼吸のやり方だ。深く、落ち着いて、父の死に動揺などしていないように見えた。
「陣内みたいに、辛い感情でいっぱいの顔をしてるかと思ったのさ」
「そうだったら、どんなに良かったか」
 押都が吐露すると、雑渡は首を傾げた。
「どうしてだ」
……辛いや悲しいなどと感じられる人間であったら、お前に同情してやれた。けれど面の下には泣けない化け物がいる。お前に情などかけてはやれない」
「そんなの、かけてくれだなんて」
 私は言ってない。という雑渡の口調は、徐々に尻すぼみになっていった。震えてはいない、かすれてもいない。ただ弱く、小さくなった。
「面を取ったら最後、お前を食ってしまうかもしれない」
 押都は脅すように、わざと子どもに聞かせるような低い声で言った。雑渡は目を見開いて驚いたあと、吹き出して笑った。
「部下に食われるのか」
……それしか、思いつかない。せめて糧にしてやろうとしか」
「お前って、そういうやつだよな」
 旧知の仲の、それでも得体の知れない押都のことを、雑渡は親しみを込めて言った。
「食って、悲しみを消して飲み込んでくれるようなやつだ」
 だから、秘密を守れる黒鷲隊にいられるんだろう。
 雑渡の言葉は今の押都を証明するようだった。

 次いで押都の心配をしたのは山本陣内だ。泣く日々を暮した彼はやっと回復し、おそらくは──ある日息子である雑渡の言葉に彼も照らされたのだろう。いくらか晴れやかな顔をして鍛錬場へ戻ってきたときは、皆が安堵したものだった。もともと明るい彼が沈んでいるのはやはりどうも見慣れなかった。押都でさえそうだった。良かった、と胸を撫で下ろしたが数年後、彼は次々と子を授かり始め、鍛錬を終えてすぐに家路へと急ぐ後ろ姿しか見ないようになってしまった。
「命が宿ることは素晴らしいが、ああも続けて山本家に恵みがあるとはな」
 鍛錬場で誰かが言った。決して下卑げびたことではなく、むしろここ数年で失われつつあった命が、灯るようにあの明るい家に宿っていくのは良い兆しだったから、彼もそう言ったのだろう。周りの忍びたちも笑っていて、祝いの品について考えていた。
 あの男こそ、祝福を受けるに相応しい。山本にはどこか、そう思わせる雰囲気がある。忍びの世界で似つかわしくない気配で、しかしタソガレドキで一番その気配を背負うに値する。
 ……そう考えていた矢先、山本と向かい合って飯を共にする機会があった。年の近い押都は遠慮なく近くに座り、赤子の様子などを尋ねていた。
「隼隊の連中が、生まれたばかりの赤子に衣類を送ろうとしていてな……すぐに止めた。大きさがまるでちぐはぐでな」
「気持ちは嬉しいがなぁ、切って使えばいいかもしれないが目新しいものを切るのは」
 そう言って笑う山本の、飯の手が進んでいないように見えた。
「どうした、気が落ち着かんか」
 押都が尋ねると、彼は箸を置いた。
……子は、可能性なのだと昔、雑渡様が言っていてな」
 押都は茶をすすりながら耳を傾けた。
「けれど、あの方は一人だけしか授からなかった」
……自分の家だけ何人も授かっていることが気がかりなのか?」
 それは雑渡様の奥方に失礼であろう、と押都は釘を刺した。案の定山本は、「そうではない」と目つきを鋭くした。
「あの方は、可能性がたくさん欲しかったのではないかと」
 言われてみればそうだ。
 雑渡の父は、あの当時の組頭に、親子をたくさんタソガレドキ外部から迎え入れた方がいいと進言していた。忍びの掟を忠実に守っていくとなれば、必然的に血の巡りが悪くなる。近親者ばかりの里の文化、狭い村の風習、そういうのを雑渡の父は憂いていて、だから彼女は──雑渡の妻はタソガレドキの人間ではなかったのだ。
 つまりは、昆奈門という稀有けうな存在を生んだ功績者だ。昆奈門は里の者にしては考えが思慮深い。血の気が少なく、猪突猛進という言葉からは程遠い。そして誰よりも背が高く、今は火傷と後遺症でわからないが見目がまるで違っていた。彼一人を産んで以降ぱったりと産めなくなってしまった雑渡夫妻が、責められることがないのは昆奈門の実力のおかげだ。
 たった一人の子に、そこまでの実力をしっかりをつけるための教育をしてきた。雑渡の父は、広く世界を見ていたのだろう。
「ご自分のところで作られるだけではない。可能性というのは確率だ、成せる数が増えるということだ。たとえご自身で生むことができなくとも、我が子や他の子に教えれば良い。子が学べば未来が大きく広がる。いくら子が多くとも、それを整えてやれる環境がなければ虚しいものだ」
 可能性が欲しい、ということは、つまりはそうなのではないかと押都は当たりをつけていた。今となっては雑渡の父に聞くことは叶わないが、そうであって欲しいという願望も含まれていた。
……そうか」
「お前、父親だろう。なんだ、自信を無くしたか」
 押都が揶揄からかってやると、年甲斐もなく赤い顔をして山本が突っかかった。
「当たりまえだ。雑渡様のようにはいかぬ」
「お前は頑張っている方だと思うがな。家族に愛想を尽かされることなく、組頭の元へ何日詰めていても嫌な顔一つされないのはお前の家族くらいではないか」
……それは私ではなく、妻の人間性だ」
「ふむ、惚気のろけか」
「うるさい」
 快活に笑い飛ばしてやると、面白くないというふうに山本がガツガツと飯を食べ始めた。止まっていた箸がみるみる動き出すのは見ていて気持ちがいい。押都は食具を片付けようと遠くを見やると、ふと山本が話しかけてきた。
……お前が」
「ん?」
「いや、なぜお前が、そこまで人間をわかっているのにな、と」
 ──今度は押都が動きを止める番だった。
「またお前はそんなことを気にして」
 あえて面の下から、ニヤリと笑い飛ばそうとした。冗談で済まし、片付けようと。しかしその日の山本は逃がしてくれそうになかった。雑渡の父の話なぞするから傷心気味になる、と内心押都はため息をついたが、そうして心配してくれるのは悪い気持ちはしなかった。
「三度目は……辛かったか」
「辛くはない。それどころか、なにも言われなかった」
 この日、押都は数日まえに妻であった女性に別離を言い渡されたばかりだったのだ。三度目に縁談が組まれ、結婚した彼女が面の下を覗き、一夜と言わず何度か床を共にして、そして今度こそと周りは期待をし、押都だけがわかっていた。おそらく無理であろうと見当をつけ、案の定彼女は実家へ荷物を引き払った。
 これまでの妻たちに、なにがそうさせたのかはわからない。昆奈門がたった一人、恵まれて生まれてきたのであれば、押都は呪いを一心に受けて生まれたのかもしれない。代々継がれる雑面の下、ひどい顔をしているわけでも盲目というわけでもない。その瞳に宿るなにか──その目に映すなにかが、見た者を動けなくする。惑わせる。この者とこれ以上交わるな、引き返せ、と思念に命じる。
 表裏一体。押都は勝手ながら、昆奈門との対比をそう捉えていた。妬むでも嘆くわけでもない。タソガレドキにおいて、裏も表も必要なことだ。
「幼馴染が忘れられないか」
 しかし割り切っていた自分の心に、山本の一言が久しぶりに貫いた。初めてこの面の下を、押都の意思で見せた女性のことであった。それ以外の妻たちは、皆好奇心で面を覗き込むばかりで、幼馴染は一度も面の下の顔などに触れず、ただ一言呟いた。
 ──どんな長烈でも、良いのよ。
 彼女だけは、もしかしたら押都の元から離れず、夫婦として成し得ていたかもしれない。それはあくまで、可能性だ。彼女もやはり外の人間であった。遊里ゆうりに売られた彼女のやさしさは、裏であった押都の、今もただ一度の表である。
……忍務の刻限だ。山本、よく食い、よく励めよ」
 今度こそ押都は逃げた。山本も、なにも言わなかった。そのあとの縁談は全て断り、押都は生涯一人でいることを決めた。

 ◇

 敵陣の諜報は今日も捗った。これも、あの三人の若い忍びが目覚ましく活躍したからだ。押都は木の上で待つ間、最後の一人が帰ってくるのを待った。音もなく、反屋が戻ってくる。
「終わりました」
 抜かりないか、とは聞かない。反屋の表情から、それは完璧だと窺えるからだ。押都たちはずいぶん長い間、行動を共にしてきた自負がある。
 飛ぶ方向はタソガレドキ城で、今から雑渡へ知らせを送るため、足を動かさなくてはならない。五条と椎良は頷いて、足元の音を鳴らさぬよう、にじり寄る。押都の教えた通りの動きだ。今ではもう、押都の面の下を知らずとも誰よりも良く動く三人だ。すっかり髭の生えた口元を綻ばせ、押都は高く跳躍した。
 闇は四人を、化け物の口のように吸い込んだ。