何千年も戦いに身を投じていれば、直感力──こと危機回避能力は鋭利に研ぎ澄まされる。心が警報を鳴らした時には、あれこれ様子をうかがおうとせず、さっさと逃げた方が身のためなのだ。
「分かってたってのに……俺も平和ボケしたかねぇ」
マウイは大きくため息を吐くと、手に持っていたアヴァ酒に口をつけた。
花と海に愛された島。それがモトゥヌイだった。自然は厳しいが、同時に慈悲深い。人々は災禍と恩恵と、そのどちらをも受け入れながら、日々を懸命に生きる。働き、踊り、時には酒を飲みかわしながら。
酒。そう、酒は人の気分を高揚させ、ストレスから解放する妙薬だ。だが時に解き放ちすぎる。
人間の宴に参加したことは、遠い過去にだってあった。だがそれは半神半人の英雄として祭り上げられながらの参加であり、機嫌を損ねてはならない賓客として扱われていた。つまるところ、誰が酔いつぶれようが喧嘩が始まろうが、マウイにまで被害が届くことは無く、宴の風物詩を面白がっていれば良かったのである。
だが、今の状況はそうはいかない。すぐ隣には、杯を力強く握りしめ、すわった目をした娘がいる。
「マウイ、あなたには色々と言いたいことがあるの」
モアナの口調は、意外にはっきりしている。しかしその内容はどうにも理解できないものが多く、マウイはややうんざりしていた。
「ああ」
それでも、マウイは素直に返事をした。酔っぱらいに逆らうとろくなことがない。この数刻で、マウイは嫌になるほどそれを思い知らされた。
「三年間、私は毎日舟の練習を欠かさなかったなのよ」
言葉遣いが妙だが、訂正するのも疲れた。マウイはマヒマヒの兜焼きにかじりつくと、骨ごと噛み砕いた。別名虹の魚とも呼ばれる美しい体色のマヒマヒは、成長すればマウイの背丈ほどにも達する大魚で、滅多に食べられないご馳走なのだが、この状況ではありがたみも半減だ。
うんざりした顔のマウイを見て、モアナが声をかける。
「聞いてるの、マウイ」
「……ああ、聞いてる、聞いてる」
二回繰り返すのは聞いていない証拠なのだが、モアナは気にしなかった。
「練習はいいわね。毎日同じことを繰り返すと、昨日よりちょっと上手くなる。マウイは会いに来なかったから知らないだろうけど」
「そうか」
「昨日よりちょっと上手くなるってことはね、三年前よりぜんぜん上手いの。マウイは会いに来なかったから知らないだろうけど」
「そうか」
「ほんとに毎日練習してたんだからね、荒れて海に出れない時も道具の手入れをしたりね。マウイは会いに来なかったから知らないだろうけど」
「そうか」
「つまり私は三年間毎日繰り返したことで三年前より全然うまくなったってことでそれは三年前とは全然違うってことで……」
四回連続はさすがに怒るだろうか。とも思ったが、なんだかどうでも良くなったので
「そうか」
繰り返した。
実際どうでも良かったらしく、モアナは言葉を続けた。
「だからおひめさまと違う思うの」
微妙に言葉があやしいが、つまりはそれが言いたかったらしい。
「確かに、今の巻き毛ちゃんはお姫さまからほど遠い」
精一杯の皮肉を込めてやったのだが、当然今のモアナには伝わらない。
「分かればいいのよ」
ふふーんと満足げに鼻から息を吐くと、器に残ったアヴァ酒を勢いよくあおった。
「……お酒がなくなったわ」
「飲んでばかりだと体に悪いぞ。何か食え」
「…………じゃあ、ケラグエン」
マウイは火箸を取ると、目の前の地炉をつついた。熱気が頬をあぶり、髪の毛があおられる。
モトゥヌイの料理は、基本的に石蒸し焼き法だ。薪をあつめて起こした火の上に石を敷き詰めて地炉を造る。その焼き石の上に、肉や、魚や、芋や、果実の葉包みを乗せて火を通すのだ。石の隙間からは燻った火が覗いていて、当然だが素手で触ると危ない。
鶏肉の葉包みを開き、もくもくと湯気を立てる肉を裂く。ココナッツの実を開いて中の果肉を粉砕すると、布で絞ってミルクと果肉に分けた。その果肉の方を鶏肉とあわせ、ライム果汁と刻んだ青唐辛子を和える。
「ほら、ご所望のケラグエンだ」
バナナの葉に乗せて差し出すと、モアナはのろのろと受け取った。
「ありがと……」
モアナは指先でつまみあげて一口食べたが、
「……からさが足りないわね」
言うと、刻み青唐辛子の入った器を取り上げ、ひっくり返して丸ごと乗せた。ケラグエンは山盛り青唐辛子の下に隠れて見えなくなる。
「うん、おいしい。マウイって料理も上手だね」
「……おまえが今食ってるのは、ただの青唐辛子だ」
「そう? 確かにちょっと味にムラがあるかも」
モアナはバナナの葉の上でケラグエンと青唐辛子を混ぜ始めた。が、あまりの青唐辛子の多さに端からぽろぽろとこぼれてしまう。
「あーあーあーあー」
手のひらで受け止めてやるとモアナはおかしそうにけたけた笑い、もはやほとんど真っ青になった元ケラグエンをうまそうに食べ始めた。
マウイも試しに手のひらに落ちたそれを口に放り込んでみた。
「うっ……」
思わず口を抑える。酒で鈍った舌も悲鳴を上げるほど辛い。アヴァ酒を一気にあおって飲み下した。喉から胃へ落ちていく時、あまりの辛さに今どこにあるのかが分かる。口の中から唐辛子が消えても、まだ辛さが残っていた。
「辛すぎるぞ、巻き毛」
「ちょっと辛いぐらいがいいんじゃない。マウイ、辛いの苦手なの? ふふ、子どもみたい」
「……俺の舌が正常なだけだ」
過酷な環境下であれば何でも口にするマウイだが、人間から捧げられたご馳走が彼の味覚を育て、基本的には美食家だ。恵み豊かなモトゥヌイにいる時ぐらいはもっと美味いものを食べたい。
モアナは不服気に頬を膨らませると、マウイの肩に肘を乗せて絡んできた。
「なにそれ。まるで私の舌がおかしいみたいに」
「……お前の舌はまともだよ。普段ならな」
マウイは目をしぱしぱさせた。目にかかる息までからい。モアナのはらわたが灼けてしまわないか心配になるレベルだ。
彼女は自分がまだ素面だとでも思っているのだろう。だがマウイが見たところ、どこからどう見ても酔っぱらっている。酒は明らかに彼女の味覚を鈍らせ、気分を高揚、分別を見失わせていた。ありていに言えばウザい。
酒が人を変えることは知っていたが、モアナがここまで変わってしまうとは。一本通った芯が彼女を頑固に見せる時もあるが、それでも基本的には素直で飲み込みが早く、マウイの弟子としてもいわゆる”優等生”だった。なんでも器用にこなすモアナのこと、なぜだか酒ともうまく付き合えると思い込んでいた。
「……やっぱり、あの時逃げときゃよかった」
マウイは頭を抱え、事の経緯を思い出した。
・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
話は数刻前までさかのぼる。
「なんだ、飲まなかったのか」
他島民との交流の儀を終えたモアナに、マウイは声をかけた。他の者たちは杯のアヴァ酒を飲み終えたようだが、モアナの器には乳白色のアヴァ酒がたっぷりと残ったままだ。
”タノア”という伝統的な木製の大器に水を注ぎ、アヴァの木の根を濡らして汁を絞り出したものがアヴァ酒だ。タノアで複数人分作り、ココナッツの殻を器にして各々飲む。香辛料のようなピリッとした辛味があり、口から喉の奥が少ししびれて熱くなる。
儀式にはアヴァ酒が欠かせない。当然、村長の娘たるモアナにも杯は与えられ、儀式が終わったのであれば器が干されているのが通常なのだが。
「ははァ、さては巻き毛ちゃん、まだ酒の美味さが分からないんだろう。そういうところはまだまだお子様だな」
「違うわ。お酒で私に敵う人はいないから、遠慮してあげなさいって言われているのよ」
「強がるなって。お姫さまはまだココナッツミルクが恋しいんだろ。なんならこのマウイが酒の飲み方を教えてやってもいいが──」
得意げに胸を張ったマウイの腕を、三本の腕がガッと掴んだ。枯れた腕、娘の腕、青年の腕。
「……悪いことは言わない、やめておけ。モアナと酒を飲んで、最後まで倒れなかった奴はいない……」
ケレが呻いた。その歯の根は合わず、ガタガタと震えている。
「モアナと飲むぐらいならナロと一対一で対決するほうがずっとマシって、失敗して落ちて学んだんだ……」
ロトが震えながら囁いた。彼女にしては珍しく、青い顔でうつむいている。
「……マウイはイケてるけど、いくら君でも酒ではモアナに敵わないと思う……」
モニが沈鬱な面持ちで首を左右に振った。
胸元でミニマウイがガタガタと歯を鳴らし始めた。
「な、なんだよ、大げさだな……」
言いながらも、決して誇張ではないだろうと察していた。常に命がけの戦いに身を投じ、数多の戦禍を潜り抜けてきた優秀な戦士の勘が告げている。忠告にしたがって、今すぐ退散するべきだと。
「だがまぁ確かに、酒は無理に飲ませるものじゃないからな。俺は気が長いから、巻き毛ちゃんの舌が育つまで待ってやってもいい──」
「へぇ。逃げるんだ、マウイ」
だが、プライドが邪魔をした。きびすを返しかけていた足がぴたりと止まる。
モアナは腰に手を当て、挑戦的に片眉を上げてマウイを見上げた。妙に表情が似てきたものだ。
「そうよねぇ。皆の英雄、風と海の半神半人マウイが、たかだか小娘一人にお酒で負けた……なんてことになったら、恥ずかしくって仕方がないもんねぇ」
「……ほぉ?」
胸元の相棒が「やめろ」と言うように激しく飛び跳ねる。それを胸筋をひと跳ねさせて黙らせると、マウイは不敵に笑った。
「良いだろう。やんちゃな弟子には、師匠の偉大さを思い出させてやらないとな」
かくして、戦いの火ぶたは切って落とされた!!
~・~・~・~・~・~・~・
「……で、この有様か。酒に強いも何も、めちゃくちゃ下戸じゃねえか」
一杯目の半分までは、モアナはまだまともだったと思う。やはり酒の味はまだ好きになれないらしく、しかめ面をからかえば可愛い反応が返ってきた。なんだやっぱりあいつらが大げさだっただけか、と、軽口の応酬を楽しみながら、マウイは平然と二杯目、三杯目と飲み干してみせたのだが。
そこからが長かった。一杯目も終わらぬうちに早々に酔っぱらったモアナだが、まったく潰れる気配がない。ただひたすら据わった目でくどくどと同じことを繰り返し、三年間会いに来なかった恨みつらみをたれながしてはマウイに絡んでくる。
「酒に強いとは言ってないよ」
モニが食材を運んできた。モアナに見られぬよう、こそこそとマウイの影に隠れている。
「ただ、体力があるから寝てもくれなくて……いつまでもこの調子が続くんだ」
「……つまり、どうしようもなく酒癖が悪いわけだ」
「あら、モニ、そこにいたの? いっしょのむ?」
ひょこっとマウイの影から身を乗り出したモアナだが、モニは苦笑いしながらそそくさと退散した。いつもはマウイにまとわりついてくるくせに、やけに離れるのが早い。それだけ酔ったモアナに近づきたくないのだろう。
モニが置いていったのは、肉や魚や果物やウルなどの様々な食材だ。どれも生の状態で、通常ならこれを葉で包んで焼いてから食べる。が、モアナは構わず原材料をぱくぱくとつまみ始めた。
「……まだ焼いてないぞ」
「今食べたいんだもん」
航海中は生食が多くなる。舟の上で火を使うのは難しいからだ。おそらくは頻繁に海に出るうちにモアナも生食に慣れたのだろうが、陸地にいる時ぐらい火の通ったものを食べればいいのにと思う。とはいえ止めるほどでもないので
「肉はやめとけよ……聞いてるか?」
とだけ忠告した。
聞いているのかいないのか、モアナはゆらゆらとたてに揺れながら、じっと自分の杯を眺めていたが
「……おさけ……」
言うと、まだまだ中身の残るタノアから次の一杯をすくおうとする。
「…………」
マウイはタノアを取り上げると、数人分を一気にあおった。
「あーあーあーあー」
モアナは緊迫感のない声を出しながら片手をマウイの膝に乗せて身を乗り出し、もう片方の手を伸ばしてくる。が、届かない。ぐびぐびとあっという間に飲み干し、唇を舐めるマウイにむぅと頬を膨らませた。
「なにするのよ。まだ飲み足りないのに」
「どうせ好きでもない味なんだろ。いいからこっちでも飲んでろよ」
ココナッツミルクを器に注いでやると、モアナは不服そうに真っ青なケラグエンと見比べた。
「味が被るんだもん」
「…………」
それだけ辛くしていればココナッツの味など消えているだろう。とは思ったものの、反論しても意味が無さそうなので黙殺した。
かわりに手ごろな焼け石を取り上げると、モアナの器の中に一つ入れてやった。じゅうッという音と共に、ほのかに甘い湯気が立ち昇る。ココナッツミルクが温まったところで石を取り出して、サービスに蜂蜜をひとたらし。
「ほらよ」
「……あ。これおいし」
両手で器を包み込むようにして、モアナがちびちびと飲み始める。やはりまだホットミルクの方がお似合いだ。
「そりゃあ良かった」
マウイは仏頂面のまま、ファファルを一つまみ口の中に放り込んだ。ぶつ切りにしたマグロの刺身を、淡水エビの頭を塩水で発酵させた調味料で漬け込んだ料理で、ツンとくる刺激臭が酒のあてに最高なのだが、肝心の酒はもう飲み干してしまった。マウイに言わせればファファル単品で食べるなど邪道なのだが、モアナがこの有様では新しいアヴァ酒を作る気にもならない。
酒も飲みほしたことだし、勝負はとっくについている。もう帰ってしまおうか。
と思った瞬間、モアナが服のすそを引っ張ってぱたぱたと空気を入れ始めた。
「なんかこれ、身体がぽかぽかしてくるねぇ」
「……腹が見えてるぞ」
胸元でミニマウイが著しく動転し、さっと目を覆った。紳士である。
「何を今さら、おなかぐらいで……最初から出てる服もあるじゃない」
最初から見えているのと、隠れているのが見えてしまうのでは全く違うだろう。と思ったが、口に出すのはやめておいた。なんか、変態っぽいし。
マウイは先に帰る作戦を諦めた。いつ脱ぎだすかもしれないモアナを放置していくわけにはいかない。家に放り込んで帰る、という手も考えたが、体力のあり余ったモアナのこと、どうせ家まで送り届けたところで大人しく寝てはくれないだろう。
(まぁ、巻き毛ちゃんは内臓も強そうだし、しばらく飲ませなければ酔いもさめるだろ)
そう検討をつけて、もうしばらく見張る、失礼、付き合ってやることにする。
「私はね、マウイ。三年間いつも舟の練習をしてたのよ」
「……それはもう聞いた」
「なのにマウイは全然会いに来てくれないし……マタンギに捕まった時、私は関係ないって言ったんですって? 釣り針を手に入れるために利用しただけだって?」
「……あのコウモリ女、余計なことを……」
思いっきり呻いた。それにしてもこの酔っぱらい、頭もろくに回ってないくせに、どうしてそんなことは覚えているのだろう。
「あー……あれには事情があってだな……」
「あなたは、ひとりで抱えこみすぎるのよ」
静かな湖畔に落ちる一粒の涙のような、さみしそうな声だった。
「……モアナ……」
彼女はココナッツミルクの器にじっと目線を落としている。
「そりゃあ、三年前は、私は舟の扱いも知らない小娘だったし、あなたみたいに力持ちでもないし、変身もできないけど。それでも三年間、あなたに恥ずかしくないように一生懸命腕を磨いてきたのよ。それなのに……マウイはまだ私をお姫さま扱いする。そんなに、私は頼りないのかな……」
「…………」
モアナは今、”自分は無力である”というやるせなさに囚われているようだった。
(お前は、自分で思うほど無力じゃない)
口に出して言うべきか、マウイは迷った。彼女は十分にマウイを助けてくれている。それは例えば釣り針を取り戻すのに協力してくれたとか、マウイの偉業を人間に話してくれたとか、そういう単純な話ではない。
親に捨てられてから、何千年も逃れることのできなかった孤独感。何を手に入れても満たされなくて、次こそは本当に求めているものが手に入るはずともがき戦いながら、結局のところこの世界はどこまでいってもさびしいのではないかと心の底では怯えていた。その精神的重圧から救ってくれたのがモアナだ。
この三年間、モアナの刺青を見るだけで心が満たされた。世界中のどこに行っても、もう一人ではないのだと思い出させてくれた。見返りを求めて戦うのは消耗するばかりだったが、モアナが笑っていられる世界を創るための戦いであれば、いくらでも力が湧いてきた。
彼女を励ましてやりたかった。自分を果ての無い孤独から引き上げてくれたように。
彼女が一番満足するのは、これから先もマウイの戦いに同行することだろう。実際、一緒に戦ってくれればどれだけ心強いだろうか。彼女が隣にいるだけで勇気が湧いてくるのを、短い旅の間に何度も感じていた。
(だが……)
モアナを頼れば、彼女を再び危険にさらすことになる。
海の底で冷たくなったモアナを思い出す。もう二度と、あんな恐ろしい思いはしたくない。人間の命が儚いことは知っていたが、それは今日であってほしくなかった。”今日”になる日が永遠に来なければいいと、そう願っていたのだ。
それでも、いつも前向きで快活な彼女が、無力感に苛まれている姿を見るのは辛かった。
「……お前は……」
自分で思っているほど無力じゃない。そう口にしかけた……が、モアナがマウイの髪で遊び始めたのでやめた。
「……お前はいったい、何をしているんだ」
「先におひめさまって言った方が、おひめさまなのよ」
「俺が……プリンセス……?」
そんな馬鹿な。
(そうだった……こいつは、桁違いに前向きだった……)
心配した自分があほらしい。よく考えれば、三年前に舟に置き去りにした時だって勝手に立ち直っていた。
先程までの健気さはどこへやら、シメアにもよくやってあげるのよーだの、マウイの髪サラサラすぎてうまく編めないーだの、能天気な言葉を並べながら上機嫌で編んでいく。大小様々な編み込みを後ろに流して一つにまとめ、鼻歌なども歌いながら花まで挿し始めた。
「花は〜きらめ〜く〜、魔法の〜花〜」
「……それはお前の歌じゃないだろ」
モアナはひと段落つけると、立ち上がってマウイを前後左右からじろじろと見つめた。そして満面の笑みで
「うん、可愛いね!」
どんな悲惨な姿になっているのか知らないが、自分には見えないのが幸いか……と思ったら、胸元のミニマウイと目が合った。いつのまにか同じ髪型になっている。劇的ビフォーアフターを遂げた相棒は、まじまじとマウイの髪を見上げた後に、モアナに向かって自分の髪を見せびらかし、腰蓑のすそをつまんで優雅に会釈した。その仕草はどこからどうみてもプリンセス(半裸)だ。
「よせよ」
胸筋をひと跳ねさせてミニマウイを転ばせると、挿した花がパッと散った。
色鮮やかな花々で飾られたマウイは、頬杖をついてモアナを観察した。
「……まだ酔いが覚めないのか」
アヴァ酒を取り上げてからしばらくたつのに、一向にモアナが正気に戻らない。
「ええー、まだまだ酔っぱらってないよー?」
モアナは真っ赤な顔でケタケタ笑いながら、生の食材をつまんでいる。
ふと、モアナのつまみが気になった。バナナばかりをつまんでいるようだが、やけに色が濃く、香り高い。
「……なんかそのバナナ、もう腐ってないか?」
「これぐらい熟しているほうが美味しいのよぅ」
試しに一つつまんでみると、舌の上でとろけるほどに柔らかく、濃厚な甘みと酸味が口中に広がった。わずかに発泡していることに気づいて、合点がいく。
「ああ、そうか……お前、さっきから酒を"食って"たのか」
モトゥヌイでは、アヴァ酒が唯一の酒だ。その他の酒が入ってくるのはもっと遠い未来、海の道が大陸までつながった後のことである。だからアヴァ酒さえ取り上げてしまえば問題ないと思っていた。
しかし酒など、人間が持ち込もまなくても、糖と酵母さえあればかってにできてしまうのだ……というメカニズムが判明するのはこれまた一千年以上歴史が下ってからなのだが、数千年を生きるマウイは何となくそのことを知っていた。甘いものは放っておくと酒になる。
「没収」
「あーあーあーあー……食後のデザートにちょうどいいのにぃ……」
「デザートなら、もっと良いのを作ってやるから……」
マウイはそのバナナをすり鉢でペースト状にして、挽いたキャッサバを混ぜ込んだ。ココナッツミルクと干したバニラの種を加えてバナナの葉で包み、地炉に乗せる。こうすれば問題ないだろう。酒は火を通せば抜ける。一面に漂い始めた甘い香りの中、マウイは一つうなずく。
「これでよし」
「生で食べれば早いのに……」
「焼いた方が甘くなるだろ」
「そうだけど……」
モアナはなおもぶつぶつ言いながら、マウイの花を一つ取り、花びらを一枚ずつむしり始めた。視界の端にひらひらと舞う花びらを溜息で追い払った。一刻も早く彼女の酔いを覚ましたい。これ以上状況が悪くなることも無いだろうが。
と、その時軽い足音が駆け寄ってきて、モアナの背中に飛びついた。
「お姉ちゃーん! 何してるの?」
「おチビちゃん! 今ね、マウイにひどいわって話をしてたのよ」
「……もっと悪くなったな」
姦しい娘が増えた。シメアは、早速モアナの膝の上を陣取っている。
「あー……シメア。お前の姉ちゃんは今、いつもの姉ちゃんじゃない。だから早く逃げてねんねしてた方が……」
「シメア、マウイったらね、親友なのにずーっと会いに来てくれなかったのよ。ひどいとおもわない?」
「ほんと? ずーっとってどれぐらい?」
「そうね……三年ぐらいかな?」
「三年も!? ずーっとより長いより長いよ!」
「そうよねぇ、ずーっとより長いより長いわよねぇ、ひどいわよねぇ」
「ああ、くそ……シメア、甘いもん食べたくないか?」
先程作った葉包みをといてやれば、「バナナポエだぁー!」「ちょっと、おやつで釣るのはずるいわ!」歓声と文句が同時に上がる。
口の周りをべたべたにしたシメアが、姉の口におすそ分けを突っ込むのを横目で見守りながら、マウイは頬杖をついてひとりごちた。
「……これも幸せ、なのかねぇ……」
実感はわかないが、確かにさみしくはなかった。
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