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しちろ
2025-03-22 22:18:27
2676文字
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翠雨
ワンライ、エメロードとヌヌザック。
時は無情だ。人の心など知らず無為に過ぎ、秒針は機械的に音を刻む。
恐る恐る時計を確認したエメロードは、暗澹たる気分になった。無理だ。絶望だ。不可能だ。
迫る期限、広げっぱなしの教科書と参考書。そして、いっそ神聖さを感じるレベルに真っ白なレポート用紙。予定通りなら、そろそろ仕上げに入らねばならないのだが。
「
……
わからん」
一行、どころか、一文字も書けていない。
エメロードはわーっと喚き声をあげ、とうとう机に突っ伏した。
「先生~! ヌヌザック先生! 無理、無理よう! 難しすぎる!」
難しいし、無理だし、絶対間に合わない。
補習の監督を務めていたヌヌザックの顔面に、怒りマークがふつふつと浮かんだ。
「バカ言っとんじゃないわい! お前が休んでいた間に、授業はどんどん進んどるんじゃ! 元から落ちこぼれなのに、これ以上ついていけなくなったら落第確定じゃぞ!」
「そんなご無体な~。じゃあ、せめて課題の量減らすとか、ね? 可愛い弟子に免じて♡」
「甘ったれるんじゃないわ。泣こうが喚こうが、提出期限は一七時じゃ。前々から言っておいたはずじゃ」
「だったら、せめてご褒美ぃ! 課題をがんばる可愛い弟子に、やる気の出るご褒美ー! 目抜き通りのレストランのタルトとか、フルーツパーラーのパフェとか!」
「バカ者! そういうことはせめて終わってから言わんかい!」
「
……
えっ? 先生、レポート終わったら、奢ってくれるんですか!? やった、うれしい~!」
「奢らんわい! くっちゃべってないで、さっさとやらんかい! あと二時間!」
「
……
チッ」
舌打ちするエメロードを見て、ヌヌザックがジト目になる。この弟子、しばらくぶりに会ったが全く変わらない。
しぶしぶ課題に向き直ったエメロードだが、またしても無駄口をたたく。
「先生って、自分にご褒美とかしないの? 仕事終わりに一杯とか、綺麗なオネーチャンと遊ぶとか!
……
キャラじゃないか」
「褒美が欲しくて教師やっとるわけじゃないわい。
……
ま、糖分でも摂らんと頭働かんじゃろ。これでも喰っとれ」
ぞんざいにそう言い放ったヌヌザックは、なにやら弟子に投げて寄越した。
「先生、お盆のくせに器用よね
……
まんまるドロップ?」
「それで脳みそ回復させてとっとと書かんか。締め切りは待ってはくれんぞ」
「まんまるドロップって脳みそ回復したっけ?」などと言いつつ、エメロードは包み紙を開いて飴を口に放り込んだ。せっかちなところのあるエメロード、飴を食べるにも同様らしく、口の中でコロコロ転がしていたのが、途中からがりがり音が鳴りはじめる。
ヌヌザックはため息をついた。
「まったく、変わらんのう。クズ石くん」
「ん? なんですって?」
「
……
と呼ぶ必要は、なくなったわけじゃが」
耳ざとく聞き返されて、ヌヌザックは言いなおした。そう、翠玉を蔑称で呼ぶ必要はもうない。
だが、エメロードは師の方を向いて屈託なく笑ってみせた。
「あたしはそう呼ばれるの、嫌いじゃないわ。もちろん、先生だけねっ!」
からりと言う。ヌヌザックは酢をのんだような顔になった。
エメロードが魔法学園に復学したのは、つい先日のことである。
『ただいま、先生! えーと
……
帰ってきちゃった!』
騎士役を務めた若者に連れられて、エメロードは最初、気恥ずかしそうに後ろに隠れていた。
『その、ごめんなさい。言いつけ、守らなくて』
しおらしいエメロードは珍しかった。というより、ヌヌザックは初めて見た。
外は危険だ、学園の外では必ず騎士といろと、常日頃口酸っぱく言い聞かせてきたのが、ヌヌザックである。念願の騎士を得て、学園の外に出たエメロードは、宝石泥棒の手にかかって命を落とした。騎士から離れ、一人で行動したのが、仇になった。
まったくじゃ! と帰還した弟子を怒鳴りつけたヌヌザックは、『
……
よく帰ってきたな』とだけ告げてそっぽを向いた。
ごめんなさいと、エメロードが深く頭を下げる。
……
と、殊勝な態度のエメロードであったが、実は当初、いきなり戻ってヌヌザックを驚かせようと企んでいたらしい。この事実を後から知ったヌヌザックは血管がぶち切れそうになった。気を利かせた若者が、あらかじめヌヌザックに一報くれていて本当に助かった。
ちなみに届いた報の内容は、次のとおりである。
◆
ヌヌザック先生
先だってはお世話になりました。
連絡が遅くなって申し訳ありません。宝石泥棒事件が解決したことをまずはお伝えします。
詳細は、今は省きますが、珠魅一族は涙を流す力を取り戻し、核から甦ることができました。もちろん、エメロードも。戻ってきたエメロードは以前と変わらず
……
いや、前にも増して元気にしています。
実は、エメロードから相談を受けました。魔法学園に戻りたいと。先生のもとで改めて魔法を学び、魔法剣士を目指したいそうです。都市の族長からすでに許可はもらっており、騎士長はじめ、彼女の姉たちも応援してくれているようです。
後日、エメロードを学園に連れて行きます。その時はどうぞよろしく。
追伸
『珠魅のために涙する者、すべて石と化す』
言い伝えは本当でした。
ヌヌザック先生、見た目はさておき、本当は人間でしょう? 弟子と再会した時は、くれぐれもお気をつけて。
◆
「まったく、若いもんが、余計な気を回しおって」
ヌヌザックは一人、苦虫をかみつぶしたような顔をした。最後の一文を、あの若者はどんな顔をして書いたのやら。それに自分は、エメロードを改めて受け入れるとは一言も言っていない。
腹立たしい限りだが、追伸部分に関しては若者の言う通りで、再会したあの日エメロードの顔などまともに見ることはできなかった。実を言えば今だって気を抜くとそうだ。
もっとも聞くべき時に自分の言うことを聞かなかった、どうしようもない弟子。
永遠に失ったと思った、一番の愛弟子。
エメロードはかみ砕いた飴を飲み下して、再度レポートと格闘しはじめている。
相変わらずてんで役立たずの、困り者のクズ石くん。その姿を見るにつけ、うっかりすると目頭にこみ上げるものがあるなど、ヌヌザックは死んでも言いたくない。
──先生って、自分にご褒美♡とかしないの?
馬鹿なことを訊ねる弟子である。
褒美など要らぬ。すでにもらったからだ。
はにかんだ笑顔ともに帰ってきた大事な弟子。
ただいま、先生!
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