スサ
2025-03-22 14:16:19
5000文字
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【鬼水】月光事件(3/30新刊の一部)

出来上がってる鬼水に善意の(迷惑な)茶々が入る話ですが、ちゃんといちゃいちゃします。

 まだ梅がようやく咲くかどうかという、ある朝のこと。
 すでにして春のような陽気が突然に訪れ、最初、今日はあったかいな、なんて、ネクタイを締めながら水木は考えていた。コートは暑いかもしれんな、などとのんきに。
 しかし、シャンシャンと微かな鈴のような音がし始めるに至り、あ、これ、まずいかもしれんな、という気持ちになった。そして気付いた。壁掛けの振り子時計も、長年愛用している腕時計も、どちらも秒針がぴくりとも動いていないことに。
 ただならぬ事態が起こっていることはわかった。
 だが同時に、なぜかひとつも恐怖や不安が浮かばず、むしろ春爛漫の頃の心地よさを感じていた。不安など何もないような
 そうして、いくばくかの後。時計が止まっているので時間はわからないが、そんなに間があったようには思えない。
 もし、と玄関から声がした。
 美しい声だ。美しく穏やかな、若くも年老いてもいない女の声。
 はい、と水木は答えていた。人ならざるものと言葉を交わすのは良くないと、あれほど普段から言われているのに。今はそんなこと思いつきもしなかった。
 水木は迷いなく玄関の戸を開けた。
 ──桜吹雪。
 最初は、はらはらと上から散る薄紅の花弁だけが目に飛び込んできた。
 まだ桜には少し早い。雪のようにちらちらと舞い落ちる花弁に、水木の目は釘付けになった。
 しかし、肝心の声の主が見当たらない。キョロキョロあたりを見回した水木だったが、次は足元から声がして慌てて下を見た。
う、さぎ……?」
 水木は目を丸くした。
 そこにいたのは真っ白な兎が一羽。赤い目が水木を見上げると、兎は恭しく頭を垂れた。これには驚いてしゃがみ込んだ男に、兎が声を発する。発したのだろう、と思われた。
「お迎えに上がりました」
え?」
 水木は膝に手を突いて背中を丸め、まじまじと兎を見つめた。もしかして夢でも見ているのだろうか。
……家か人を間違えていないか?」
 とりあえず穏当に聞いてみる。妖怪のたぐいは人間を見た目で区別しているわけではないらしい、と感じる時がある。今回もそうなのではないか、と思って。
「いいえ。水木さま。あなたをお迎えに参りました」
…………
 水木は困ってしまって、突っかけサンダルのまましゃがみこんだ。膝を抱えるようにしてまじまじ兎を見つめる。これも良くないと普段から注意されているのだが、やはり相手の目を見ないのもとついやってしまう。
「だが、おまえさんにも、迎えとやらにも心当たりがないよ」
 兎は長い耳を震わせ、二本足で立った。これには水木も驚いた。
ピョン太でございます!」
「え?」
 前肢を両手のように広げて声を上げる様は人間のようで、水木はぽかんとしてしまう。なんだかそういう戯画のようなものを見ているような
……、あ、え? おまえ、ピョン太なのか?」
 困惑していた水木だったが、考えに考え、昔の思い出をひとつ掘り当てた。それは水木が尋常小学校の頃の話。家では兎を飼っていた。今にして思えば愛玩だったのか食料だったのか微妙なところだが、幼い水木少年は兎を可愛がり、ピョン太と呼んでいた。
でも、兎の寿命、それに喋ってる。どういうことだ」
 やっぱり夢か、と起き上がろうとしかけた水木だったが、兎の前肢がちょこんと触れてきて、それがふわっとしていたので何となく止まってしまった。
 そして固まっている間に、ぶわっと桜吹雪の量がまして思わず目をすがめる。そして再び水木が目を開いた時、兎の後ろには輿のようなものがあり、その担ぎ手らしき兎たちが恭しく頭を垂れていた。こりゃ一体、とますます人間はぽかんとする。神輿の上の部分を取り払ったような簡易な作りだが、分類としては輿だろう。浮世絵などでたまに見られる、人を乗せて大きな河を渡る時のそれにも似ていた。
……俺をどこかに招待してくれるってことか? 竜宮城みたいな
 水木は一応聞いてみた。兎、ピョン太は目を輝かせ(たぶん)「はい!」と答える。
「しかし、俺は今日は仕事が……
「月の宮です!」
「月の、……なんだって?」
 ぽかんとして繰り返すことしかできなかったが、兎はそんなことにはかまわず、ささ、と水木の手を取る。
「あちらに輿を用意いたしました。どうぞ、どうぞ」
「いや、どうぞって言われても、いや、困る、俺はだから、仕事が
「お仕事というのはそんなに大事なものなのですか?」
「え? そりゃまあ
 仕事をしないと金が入らないから家賃も出せないし、何より鬼太郎が来た時にうまいものを食べさせてやりたいし。というようなことを考える水木に、兎のピョン太は首を傾げるばかり。
「しかし水木さま、人間達が四角い動く箱に乗って四角い大きな石の中に集まって、あくせくとああでもないこうでもないとやっているのが、そんなに大事なこととはわたくしにはとうてい思えません」 
 反論しようとした水木だったが、ピョン太が続ける方が早かった。出鼻をくじかれ、水木はぐっと詰まる。
「わたくし水木さまをここ数日見ておりましたが」
「え?」
 見てた? 俺を? と水木が目を丸くする。そんなこと全く気づいていなかった。鬼太郎はどうだったのだろう。鬼太郎はどうも、水木の周囲の鳥や虫達に自分の動向を見守らせているようなのだが。
 ──なお鬼太郎のこの見守りについて、旧知のネズミ男はそれってストーカーと何が違うんですかニイさん、と苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。それに対する水木の回答は、失礼な、あの子は俺を心配してくれてるんだ、というものだったので、ネズミ男が盛大にため息をついたのは言うまでもない。
「水木さまを軽んじる扱いをする者の多さにわたくしわたくしはとてもあの無礼者どもの首をはねてやりたい!」
「えっ」
 そこまで行くと鬼太郎より過激だ。水木はぽかんとしてしまった。そこで、つい、意識がそれた。あっと思った時には遅い。水木は手を引かれてそのままバランスを崩し、だが転ぶことはなく、たくさんの兎たちに担ぎ上げられ輿に乗せられていた。
「えっ
 呆気にとられている場合ではない。だがどうにも、相手が兎というか弱い生き物のせいで強く出られない。ふわふわとして、ちょっと力を込めたら怪我をさせてしまいそうで。
 いくら見かけがか弱い小動物だからといって、中身は時間を止めてまで水木家にやってきている得体の知れない生き物なのだから、そんなに油断してはいけないわけだが、水木はどうにも警戒心がそがれたまま、輿の上で呆然とするしかなかった。
「大丈夫です、何もご心配になることはありません」
「いや、しかし、き、息子がいる、その、俺が何も言わずに出かけるのは心配を
「ゲゲゲの鬼太郎どのですね」
 ずばっと返したピョン太に、水木は思わず黙った。数日間水木を見ていたというなら、確かに鬼太郎を知っていてもおかしくはない。ただでさえあちらは有名なのだ。
「大丈夫です、わがきみから鬼太郎どのには正式にお言葉がありますので」
……わがきみ?」
 誰だそれ、と思った水木だったが、ピョン太は答えなかった。そして輿が上がる。兎たちがわらわらと水木を乗せた輿を危なげなく持ち上げる。真っ白な兎たちがえっさと担ぐのを見ていると、何やら暴れてはいけないような気持ちになる。おかげで水木はろくな反論も拒否もできないまま、いずこへかと運ばれていくことになってしまったのだった。
 鬼太郎に知れたら口を酸っぱくして説教されるのは確実だ、と水木自身も思ったが、どうしようもなかった。


 水木が奇妙な兎達の来訪を受けていた頃、ゲゲゲの森にも貴顕の使者が訪れていた。
 恭しく頭を下げた兎は、しずしずと鬼太郎に手紙を差し出す。目玉の父は息子の広げた手紙を横からのぞきこみ、絶句した。
………
 鬼太郎は無言だ。だが恐ろしく機嫌が悪い。何なら森の天気も急激に下降線。明らかに鬼太郎の心理状態が影響している。
……こりゃどういうことかの」
 黙りこんだ息子にかわり、目玉が尋ねる。兎は顔を上げ、実に落ち着いた態度で答えた。
「わがきみは水木どのの献身にそれはお心を動かされまして」
「はあおぬしの仕える主が」
 月の宮殿から兎の使者が来る。
 いっそおとぎ話めいているが、鬼太郎達はどちらかといえばそちら側のおとぎ話側の存在だから、否定しようとは思わない。ただ、そう名乗っているだけの妖怪であるという可能性は当然ながら考えられた。あるいは、朽ちた神社の神が零落した、など。
「しかも、あなたがた幽霊族の末裔、鬼太郎どのをここまで立派に育て上げられて!」
「はあ」
 目玉は困惑気味に相づちを打った。息子は終始無言である。絶対に怒っている。あまり怒りをわかりやすく表に出す方ではないが、いや言葉にしないだけで態度には出ているかと父は思い直す。さておき。
「鬼太郎どのも無事、子孫を残せる体になられたと聞き及んでおります」
「聞き及んで?」
「ええ、はい。それに、水木さまを見れば、ねえ?」
 これについては目玉も何とも言えなかった。息子と相棒が懇ろな仲になってそれなりに経つのだが、確かに、人間にはわからずとも、水木のそばによれば鬼太郎の気配が染みついている。それだけ精を注がれたのだということがわかってしまう。だがそれはつまり、鬼太郎の体がそこまで成長しているとわかる、ということでもあった。
 ビリッ、と鬼太郎が両手に持っていた手紙を引きちぎった。紙だったものがはらはらと散って、桜の花びらに変わっていく。風雅だが、しかし重要なのはそこではない。
「あっ、何をなさいますか、わがきみの書簡を!」
 鬼太郎がぎょろりとした目で兎を見た。睨み据えた、といった方が良い。さすがの兎も口をきゅっと閉じた。
「僕の伴侶は水木だ。誰だか知らないが、嫁を世話してもらう必要はない」
 ──兎いわくの「わがきみ」とやらの書には、要約すると以下のようなことが書かれていた。
 水木の長年に渡る、貴種・幽霊族への貢献に報いたい。鬼太郎には立派な血筋の嫁を世話し、水木には浮世を離れ、苦しみも憂いもない天人の生活を与えてやりたい、大体そんな内容であった。神というのは人間側がどう思うかには頓着しないもの。神の御心に添わないものがいるなど、考えるわけもない。
「僕とあの人は愛し合っている。首を突っ込まれるいわれはない」
 きっぱり言い切った息子に、目玉の方が照れそうになった。なんと真心のある男に育ったことか。ここに水木がいても赤くなっただろうと思われる。
「そうさなあ、献身というのは嘘ではないが、しかしそんな義務的なものではない。あやつとわしらの間柄というのは」
 目玉は照れつつも言葉を継いだ。水木の、友の示してくれた好誼をそのように一方的に評されることは、目玉のおやじかつてのゲゲ郎にとっても不快に感じられることだった。
「しかし、納得して頂くほかはございません」
「なに?」
 兎はけろりとした顔で言い放った。
「それに、もう水木さまにも迎えが行っているところでございますれば」
 鬼太郎は目を丸くし、無言で飛び出した。ころんころんと転がった目玉のおやじは一瞬息子を呼び止めようとしたが思いとどまり、のう、使者どのよ、と呼びかける。
「あの子を止めることは、わしにも出来ぬよ」
「さようですか」
「せっかくのお申し出じゃが、丁重にお断りいたすとお伝え願いたい」
「そう仰られても、もう決まったことです」
 のれんに腕押しのような答えに、目玉は全身で息を吐いた。
「じゃから、断ると言った。帰って主にそう伝えよ」
 兎の表情のない顔が目玉をじいっと見る。だが目玉も目玉だから大して表情はない。身内は読み取ってくれるけれども。
「わがきみのお心がわからぬとは貴種といってもあやかしなのですな」
 挑発というほどにも洗練されていなかった。目玉はしかし、朗らかに笑い飛ばした。
「そうじゃ。わしらは連れ合いくらい自分で選べるんじゃ。幽霊族は誇り高きあやかしなんじゃ」

※続く