_harunohana696
2025-03-22 12:42:43
16316文字
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愛を知る

『Hey』のモアナ視点です。

文章がくどいし長いし纏まりも良くない気がするんですが…これが限界でした🫠

マウモア

マウイに心が惹かれ始めたのがいつだったか、はっきりとは覚えていない。でも、彼と出会ってわりとすぐに特別な人という思いはあった。

おばあちゃんから散々聞かされた、伝説の半神半人の英雄。たしかに伝承通りの厄介者で、捻くれていて、思い通りにならなくて、出会ったばかりの私は彼の扱いに困った。
でも私も村の人達も知らないことを知っていたり、出来ないことをそつなくこなせる歴とした英雄だった。

初めて越えた珊瑚礁のその先の海に待っていたのは、厄介で捻くれて思い通りにならない、しかし雄大な存在である、まさしく"海"のような彼だった。
故に、彼に最初に抱いた感情は"憧れ"だったように思う。

彼を知れば知るほど、海のことが分かった。
あんなにも舟を進ませるのに苦労した海が、彼の教えにより思い通りに進むようになった。
彼を知ることが、海への理解となった。
海に憧れた自分が、彼に憧れるのも至極当然の流れだった。

*****

あの憧れの年から4年ほどの月日が流れた。

ナロの嵐を乗り越えて、マウイと同じ半神半人としてモトゥヌイに戻ってもうすぐ1年が経とうとしていた。

モアナは20歳となり、マウイへの気持ちの変化に気付かざるを得ない年頃となった。
憧れだと思っていた感情が、少しずつ変化していっていることに気付くのにさほど時間はかからなかった。
彼の他者を魅了する低い声。見慣れているはずなのに、彼の偉大なタトゥーは彼の強さを証明しているようで、つい見惚れてしまうようになった。筋肉を纏った大きな体も、ふわふわの長い髪も、自信に満ちた表情も、村の男達とは一線を画すことに気付いてしまった。

最初はモトゥヌイでの滞在に困らないようにと、心を砕いたつもりだった。意識してマウイと接触する機会を多く持った。
モアナが気軽に声をかけるようにすれば、村の民達も同じように彼へ接触するようになった。
彼が島での生活に慣れた頃合いには、彼の体調を気遣うようになった。無理をしていないか心配になった。
彼にも村の宴に参加してほしくて、無理矢理にでも引っ張り出すようにした。充分に村に溶け込んだ彼にも、モアナが感じる楽しさを味わって欲しかった。

あまりにもモアナがマウイを構うのを彼自身が後ろめたく思ったのか、一度だけ「無理しなくていいぞ」と言われたことがある。
村のリーダーとしてマウイに気を遣っている、と彼が感じたのだと分かり、「私がしたいのよ」と咄嗟に反論していた。

あの時の、嬉しそうなマウイの表情がきっかけだった。あの時からモアナの心はマウイに囚われた。自分の言動でここまで喜んでもらえること、それは確かに嬉しいものだと知っていたのに、マウイが相手だとそれ以外の感情が顔を出す。
もっと喜んで欲しい、もっと色んな顔がみたい、その顔を見るのは自分だけがいいーー

そこまで考え始めた自分に驚いて、モアナはやっとマウイへの恋心を自覚した。
未知の感覚に戸惑った。雲の上にいるかのような、地に足がつかない浮ついた感覚が離れなかった。

そしてマウイからどう見られているのか、それが異様に気になった。今までなら口元に食べカスをつけていても、寝癖のひどい髪を見られても何も気にならなかったのに、自分の見た目や臭いがとても気になるようになった。
故に2人で赴く舟旅はとても苦労した。こまめに体を清めたり、髪の手入れも念入りに行うようになった。マウイはそんなモアナの様子を不思議そうに見ていたが、どうしても気になって仕方なかった。

何度も半神半人の2人として海を渡り、互いの理解が深まったと互いに感じ始めた頃合いで、モアナからマウイに想いを伝えた。
マウイの前でモアナが女らしくいようとしていることに、彼自身も薄々気付いているだろうと確信があった。そんな彼女を前にして、マウイの態度が明らかに遠慮がちになったからだ。今までは遠慮なく為されていた接触を、彼が一瞬躊躇うようになったのをモアナは見逃さなかった。
このままそれが常態化されるのが嫌だった。
だから想いを伝える決心がついた。

「あなたの全てが欲しい。私にはあなたが必要なの、マウイ」

我ながら大胆な告白をしたものだと思う。しかし、このくらい言わなければ目の前の大男は動かない。いや動けない。
神としての偉業、強さ、自信や余裕を内包したマウイのその更に奥には、重暗い過去が眠っている。海の底のような、光も中々届かない闇を抱えていることをモアナは知っている。
そして、その暗闇に足を踏み入れることが出来るのは自分だけであると、モアナは自負していた。

それは、冗談で言ってるんじゃないよな?」

休息のために舟を寄せた無人島で、焚き火を囲みながらの会話。爆ぜる炎を見つめながら、マウイにそう問いかけられた。
そして、その瞳が期待を込めてこちらに向けられる。寂しさを抱えた子供の縋るような瞳だと感じた。
モアナは、3000歳の“子供“に優しく微笑んだ。

「マウイがいいのよ」

*****

あの時の幸せな時間が、泡沫のように思い出されては弾けて消える。

あんなにも熱烈にマウイを求めたというのに、彼が自分の元を去ってはや一月が経とうとしていた。
マウイが去ったモトゥヌイは変わらない。彼が来る前のモトゥヌイに戻っただけである。
しかし、どうしてもモアナの心がそう割り切れなかった。
(どうかしているわ。私がマウイを追い出したのに、何をこんな
思い返しても、相当に残酷な言葉を投げつけた自覚はあった。しかし、シメアのことを想うとどうしても彼を許せなかったのも事実。現にその後のシメアは高熱にうなされ、数日を寝床に臥せることになってしまったのだから。

軽々しくあんな言葉は言わない。本心からの言葉であった。
だというのに、どうしてこんなにもマウイのことを考えてしまうのかーー


お姉ちゃん」

浜辺に湾曲して生えたヤシの木に腰掛けていたら、後方から愛おしい声がかかった。モアナにとって大切な存在で、たったひとりの妹であるシメアがすぐそこまで来ていた。
先ほどまでの澱んだ感情はどこかへ飛んでいき、モアナは膝までやってきたシメアのことを抱き上げながら声をかけた。

「どうしたのシメア?今日はモニが歴史を教えてくれるはずでしょう?」
「それはもう終わったよ。お姉ちゃんこそ、こんなところで何をしてるの?」

大切な学びの時間をさぼっている妹に言い聞かせるつもりが、まさかの己の間抜け具合が晒されただけであった。確かにすでに太陽が西へ傾き、数刻もしないうちに海にその姿を隠すだろうことが見てとれた。
確かに自分のほうがどうかしていた。時間も読めなくなっているのだから。

そうね、少し考え事をしていたの」

シメアが相手では素直に話す訳にもいかず、言葉を濁すことしか出来ない。
しかし、珍しく膝の上で大人しく座っているこの子が、自分の妹であることを失念していた。

マウイのこと?」
「っ違うわ」

齢4歳の子供に、図星を当てられるのは中々に堪える。強がってつい否定の言葉を紡いでいたが、言葉を覚えて段々と口が立つようになってきた妹に更に畳み掛けられる。

「違う、本当はマウイのことだよね?マウイが中々帰って来ないから、お姉ちゃんはずっと心配してるの?」

ーーシメアには、マウイはしばらく島を離れることになったと伝えている。あの時に真実を言うのは憚られて咄嗟に嘘をついていた。
だからシメアからしたら、中々戻らないマウイにやきもきしている姉に映っているのだろう。
ここが潮時と腹を決めて、モアナはシメアを抱え直して目を合わせた。

「シメア、聞いて。マウイはもうここへ戻って来ないの」
「え……どうして?」

明らかに困惑しているシメアの表情を見ると、それが棘となって胸に刺さるような気持ちになった。
しかしそれに目を背けて、慎重に言葉の続きを選んだ。

「私が彼を追い出したから。シメアに最後の別れの時間を取らなかったのは申し訳なかったわ。でもね、あの時はーー」
「どうしてそんなことをしたのっ!?」

胸をバンッと押された衝撃に、危うく後ろへ倒れそうになった。下半身と腹筋に力を入れて何とか堪えられたが、その代わりにシメアの言葉で脳内を激しく揺さぶられた。
胸がチクチクするどころの痛みじゃない。頭を思い切り殴られるような衝撃と、胸を抉られるような強い痛みに同時に襲われた。
なぜ自分がここまで傷ついているのか分からず余計に混乱した。あの時の自分の行動、言動に後悔などないのに、これではまるでーー

「やっぱり、あの時に聞こえたお姉ちゃんの言葉、夢じゃなかったんだね
「え?」
「お姉ちゃん、マウイにすごく怒ってたそれで、マウイに『二度と私の前に姿を見せないで』って

驚愕のあまり硬直した。まさか、あの時のやり取りを聞かれていたとは思いもよらなかった。
シメアを救出後、住居へと運び込んで医者を呼んで一通りの治療を施してもらった後に、住居の外でマウイに言い放った言葉だった。あの時はシメアが寝ているものと思っていたが、まさか意識があったとは露ほども思わなかった。

あまりの自分の不甲斐無さに頭を抱えたくなった。こんな小さな妹にマウイとのみっともない喧嘩を……いや、一方的に彼を詰る最低な自分の姿を知られてしまった。

ごめんねシメア。あんなことを聞かせてしまって熱を出しているシメアのそばでする話じゃなかったわね、本当にごめ
「ちがう!ちがうよ!!」

シメアは再度モアナの胸を両手のバンッと叩く。首を横に何度もブンブンと振って、目に涙を蓄えて必死の形相でモアナを見上げた。

「マウイに謝って!マウイ、お姉ちゃんのことが大好きだから絶対に傷ついてる。謝るのはマウイにだよ!」

シメアの必死の訴えに、心臓がギュッと掴まれるような痛みを感じた。正論というのは、こうも胸にくるものがあるのか。
この幼い妹に、正直な気持ちを話してしまってもいいのだろうか。これは自分とマウイの話であって、子供のシメアを巻き込んでしまっていいものかと思案した。が、すでに巻き込まれているようなものであったと思い直して、情け無い自分を曝け出すことにする。

「そうだね、謝る相手はマウイだね分かってるんだよ、私も。でもね、私はマウイにとても酷いことを言ってしまった。それは到底謝ったところで許してもらえるものじゃないの。だからね、このまま彼とは会わない方がいいと思うの」

今度は最後までモアナの言葉を聞いてくれた。
しかし目の前のシメアは、その大きな目から真珠のように大きい玉の涙をポロポロと溢した。

「そんなのダメだよ
「ダメじゃないわ。だって私は
「だってお姉ちゃん、マウイが居なくなってからずっと苦しそうだよ!」

叫ぶように放たれた妹の言葉に、頭の中が真っ白になった。
私が、苦しそう?
そんなわけない。酷いことを言ってしまったという罪悪感が残っているのだから、少しくらい苦い思いだってある。しかしそれはシメアに指摘されるほどのことじゃない。

「シメアには、私が苦しそうに見えるの?」
「うん。だってお姉ちゃん

ーーマウイのことが大好きでしょ?

頭を金槌で殴られたかのような衝撃だった。
その衝撃で、胸の内に幾重にも蓋をして隠し続けた気持ちが溢れてくる。
頭の中では分かっていたのだ。あの時の自分を正当化するために、シメアを助けなかったマウイに対する想いはもう無いと思い込んだ。だから酷い言葉を言ったが、それはもう少し言い方を変えれば良かったという罪悪感に置き換えた。
本当は違う。シメアの言う通り、モアナは今も彼のことを好いているのだからーー

頬を涙が伝っていく。泣く資格などないのに、今まで封じ込めてきた想いが堰を切って溢れ出した。
腕の中の妹を力いっぱい抱きしめていた。苦しいだろうに、何も言わずにされるがままの小さな存在にモアナは心から感謝した。

大好き。今もマウイのことが大好きでもあんな酷いことを言ってしまったから、きっと彼だってもう私のことなんか好きじゃないって思って、私ももう彼のことは好きじゃないって思い込もうとしたの!」

こんな小さな妹の前で、子供のように声を上げて泣く姉をこの子はどう思うだろうか。そんなことも思うが止められなかった。
抱きしめられたままのシメアが、「大丈夫だよ」と囁く。

「マウイは、今もお姉ちゃんのこと大好きだよ」
「本当にそう思う?」
「思うよ。マウイ、あんなにお姉ちゃんのことが大好きだもん。嫌いになんてならないよ」

くすくすと笑うシメアの声を聞いて、不思議とモアナも笑っていた。4歳の子供ですらそう感じるのなら間違いないだろうと、なんの根拠もないが勇気が湧いてくる。

「私、マウイを探しに行くわ。彼にちゃんと謝って、この島へ一緒に戻ってくるわね」
「うん!それからマウイに伝えて!私も、他の子もみ〜〜んなマウイの帰りを待ってるって!」

腕の中で目を輝かせて太陽のように笑うシメアに、モアナはひとつ頷いた。

*****

すでに陽が沈んだ夜の中、モアナは舟を漕ぎ出した。
あの後はシメアを家に連れ帰り、両親にマウイを探しに行くと伝えた。父のトゥイには反対されるかと思われたが存外にも肯定的で、『いつ言い出すのかと思っていたところだ』と穏やかに笑われた。
両親の反応を見るに、モアナがマウイを想って常に思い悩んでいるのは見抜かれていたのだろう。それに蓋をして、その想いをどうにか誤魔化そうとしていただけの自分が滑稽に思えた。
最初からこうしていれば良かったのだと思う。が、シメアのことを想って許せない思いは確かにあって、それを上回る彼への恋慕を受け入れる器が自分に無かった。今回のことでそんな小さな自分に気付けて良かったと思う。

しかし、そんなことはマウイにとって何の関係もない。理不尽な怒りをぶつけていい理由にはならない。彼を見つけたら、誠心誠意の謝罪をしなければ。

舟を操るロープを握りながら、祖母のタラから受け継いだペンダントの中身を取り出した。そこにはシメアから預かった、マウイへのプレゼントが入っている。
釣り針のような形をした白い珊瑚。石との自然な摩擦で滑らかな手触りになっているそれを、海から見つけたらしい。

『これ、マウイに渡して。私もマウイのことが大好きって、ちゃんと伝えてね』

シメアに言われた言葉が脳裏に思い出された。
あんな小さな子にまで寂しい思いをさせる原因を作った自分の不甲斐なさ。この小さな釣り針を見ると、絶対に彼を見つけなければと固く思えた。

「ーー待っててね、マウイ」

4年前の舟出とは違い目指すべき星座は無いが、代わりのそれを再び胸のペンダントへ仕舞った。

*****

あれから2月は経っただろうか。モアナは一向にマウイの足取りすら掴めなかった。
誇張ではなく、寝る間も惜しんで休まずにあちこちの海域を探して回ったが、彼がどこにもいない。辿り着いた島の中を歩き回って探しても、どこにもその形跡すらない。
そんな島々で、途中で体力の限界を迎えて泥のように眠って体力を回復させた。起きたらすぐに舟に飛び乗って次の島へと舟を進めても、結果は同じであった。

彼に何かあったのだろうか。モトゥヌイを出た頃はマウイへの謝罪の言葉をずっと考えていたが、今はそれすら出来ない可能性が頭にチラついて、モアナは不安に押し潰されそうになった。

諦めちゃダメよ。彼は神様なんだから、きっと無事にどこかにいるわ」

2ヶ月も1人で海の上にいるのもあって、あえて声に出して己を鼓舞した。自業自得とはいえ、今回の旅はあまりにも孤独すぎる。たまには独り言も言わなければやってられない。ましてやこんな暗い夜の海を走っているのだから、孤独を紛らわせるためには必要なことである。

それにこの2ヶ月、いつものように舟を進ませることが出来ていない。未知の島を探すのとは違って、たったひとりの大切な存在を見つけるための航海は勝手が違った。
進めれば進めるほど、迷いが生まれた。最初の頃は迷ってみることも出来たが、マウイの痕跡を一切掴めない状況が続くと、本当にこれでいいのかと不安が募った。この海をどう進めば彼に辿りつけるのか、全く見えないーー

4年前の舟出の時よりも今の方が怖かった。
こんなにも海のことが分からない自分に、どんどんと自信が喪失していくのが分かる。
ーーそんな時。

ドンッ!!

突然、船首に水の塊が押し寄せた。
あまりの衝撃に、揺れに慣れているモアナですらかなり揺さぶられた。
帆を操るロープをグッと握りながら何とか耐え切った後、顔を上げて視界に飛び込んできたものにモアナの思考は真っ白になった。

「どうして?」

ーーマウイの象徴である、釣り針がそこにあった。
ロープの固定もままならず、モアナはフラフラの足取りで船首まで近寄ってそれに触れる。
間違いなく、マウイのものであった。

「ねぇ海!これはどういうこと?!マウイは無事なの!?」

ほぼ叫ぶように夜空と同化した海を問いただした。
ぽちゃりと音を立てて、丸みのある頭を覗かせた海はコクリと頷く。が、たったそれだけで後はひたすらに、静かにこちらを見つめていた。

マウイが無事なのは確認できた。
この2ヶ月、モアナは海に頼らずにマウイを探すことに拘った。こんなことになったのは自分の責任なのだから、海に助けてもらうのは虫が良すぎると思ったのだ。が、もう今はそんなことを言ってられる状況ではない。

「海、教えてマウイが何処にいるのか」

横に、首が振られた。再びの沈黙が訪れて、ひたすらに海はこちらを見つめている。
先ほどの釣り針を叩きつけるような荒々しい仕草といい、この沈黙といい、恐らく海は怒っている。かなりご立腹であると推察できた。

怒る気持ちも分かる。いつまでも彼を見つけ出せず、あまつさえ彼の居場所を聞き出そうとしたモアナに呆れているのだ。
しかし、こちらとて逸る気持ちを抑えられなかった。こんなところにマウイの釣り針があるのだから、心配しない方が無理である。

「お願いよ本当に彼が心配なの。釣り針も無く今どこにいるのか、考えただけでーー

ーー釣り針が無い。
以前にも似たような状況が、彼にはなかったか。

「待って、まさか!」

一度、その可能性に気付いてしまうとそれ以外考えられなくなった。しかしその可能性はモアナにとって、到底受け入れられるものでは無い。頭では否定したい可能性である。
が、目の前の海はそんなモアナの様子に何を思ったのか、そのまま海の中へと帰っていった。ただひとつ、彼女の中に浮かんだ可能性を否定しなかったという事実だけが残された。

確かめに行かないと」

彼はそんな場所にはいない。それを証明するために、モアナはそこへ赴く覚悟をした。

*****

真夜中の海をただ静かに走った。
恐らく夜明け前には到着できる算段で、モアナは舟を走らせていた。
一度しか行ったことのない、その島の星の位置をモアナは覚えている。大きな目印は消えてしまったがそれでも頼りになる星は残っていた。

逸る気持ちと、彼がいるのか、いやいる訳がないという思考が脳内を交錯して混沌を極めていた。
マウイはそんな場所にいない、いてはいけないのだ。もしそこにいたらどんな顔をして彼に会えばいいのか、どう償えばいいのか分からなくなる。

舟出したばかりの頃に、一瞬だけその島にいる可能性を考えたことはあった。しかしそんなはずは無いとその可能性を胸中で打ち消したのだ。そこに、いて欲しくなかった。

モアナの計算通り、夜明け前に目的の場所へと到着した。静かに上陸して、舟の上に釣り針を置いたままで地上に降り立つ。
ゴツゴツとした岩だらけの殺風景な景色の島はまだ闇に覆われている。が、朝日が昇ればその岩に無数に刻まれたカウントの跡が分かるだろう。数多のそれが、釣り針の形を成していることもーー

静かに行動を開始した。ゆっくりと島を見て回ろうとして、少し歩を進めた先で岩とは違う黒い影の塊を視界に捉える。
海を見渡せる、比較的平坦な岩の上にその塊は鎮座していた。遠くからでも、それがモアナが探していたその人であると瞬時に分かった。それと同時に、胸の内をどす黒い絶望が埋め尽くした。

どうしてッ!)

ーーなんで、こんなところに彼がいるのだ。
ここは、彼にとっては思い出したくもない、ただただ苦い記憶しか残っていない牢獄のような場所である。釣り針を無くし、この島から脱出する手立ても立てられず無意な1000年を過ごすこととなった、マウイにとっては近づきたくもない島のはずなのだ。

(それだけ、私が与えた傷は大きかった?)

こんな寂しい場所に閉じ籠りたいと思えるほど、自分の詰る言葉は彼の心に傷を作ってしまったか。事実そうなのだろう。
彼の手元に釣り針がないことが、それを証明していた。

マウイは、釣り針を海に捨てたのね)

姿を変えてここまで移動し、その後に海へ釣り針を投げ入れたのだろう。
それだけ、彼の心の傷は深かった。そんな傷をモアナが与えてしまった。もうずっとここにいよう、他に行くあても無い、そんなことを考えながらここへやって来たのか。
しかし、釣り針を手放すなど生半可な気持ちで出来ることではない。でもそれをやってしまうきっかけになったのは、間違いなくモアナだった。

ごめんなさい)

声に出せなかった。今のマウイの姿はこの夜の闇の中へと消えてしまいそうなくらい朧げで、大きな背中のはずなのにとても小さく見える。今声を掛けてしまったら本当に消えてしまいそうなくらい、その後ろ姿は蜃気楼のように不安定だった。
地に膝をついて、髪の毛を思い切り引き抜くくらいの力をこめて頭を抱えた。自分のしでかしたことの重大さが、ここへ来てやっと理解できた。
海が怒るのも無理はない。否定してはいけない相手を否定してしまったのだから。力ある半神をこんなところへ押しやってしまった己の言葉に、モアナは本当の意味で心から後悔した。

何故、モトゥヌイを出発して真っ先にここに向かわなかったのか。何故あの時にその可能性を否定してしまったのか。
マウイがここへ来るきっかけを作ったのも、ここへ来るのに時間がかかり彼を孤独の闇の中に放置し続けたのも、全てモアナ自身の弱さが原因だ。
海の渡り方が分からなくなって当然だった。マウイを否定し拒み、少しの可能性があったのにそこへ向かわず彼を孤独へ追いやった。彼から目を逸らし続けたせいで彼への理解が無くなり、海のことが分からなくなったのだ。

胸を詰め尽くす謝罪の言葉を何度も胸の内で反芻していた。それしか出来なかった。無心でマウイへの謝罪を心の中で何度も何度も何度も行った。

ーー気がつけば、周りが少し明るくなっていた。陽が昇ろうとしているのだ。
陽の光は偉大だ。あんなにも絶望しか感じなかったのに、暁の空のおかげで少しだけ心に希望を見出せる。
マウイの様子を確認すると彼も夜明けに気付いた様子だった。背中が小さく見えることに変わりはないが、しかしもう闇へ溶けていく心配はしなくて良さそうだ。
行くなら今しかない。そう思った。

朝日の力に後押しされてモアナは立ち上がり、ゆっくりとマウイが居座る岩の上まで静かに登った。同じ場所まで辿り着き、少し歩を進めたところで岩のように固まっていた彼の巨躯が俊敏に動いた。
一瞬にして臨戦態勢になってこちらに体を向けていた。そして、マウイと視線が重なった時、彼の険しい目元が途端に大きく見開かれた。モアナがいることに驚いている様子が見て取れる。

マウイ」

久方ぶりに、本人の前でその名前を呼んだ。
こんなにも彼の名前を呼べることが嬉しいことだったと、今になってやっと気付く。
そして、そんな大切な存在を傷つけたことに対する後悔の念が、本人を前にしたら抑えられなくなった。
体が勝手にその場に跪いていた。そうするのが自然であった。地面に上体を伏せて、命乞いをするかのように必死になって彼に謝罪した。

ごめんなさいっ」

ずっと胸中に渦巻いていた数々の後悔、罪悪感、その全てを出すつもりで謝罪の言葉を口にした。
本当に必死だった。許してもらいたい訳じゃ無いが、どうしても自分が犯したことを彼に誠心誠意謝りたかった。そして、出来ればモトゥヌイへ一緒に戻って欲しいーー
しかしそれは過ぎた願いであると既に諦めている、が。

気がつけばマウイが目の前にいた。伏せていた体が彼の手で持ち上げられたようだった。マウイがこちらを心配するかのような表情を見せていて、突然のことにモアナの心臓が跳ねる。
(まだ、そんな表情をしてくれるのね
こんな時なのに、その事実に喜んでしまう浅ましい自分がいた。

マウイの手が、いつの間にかモアナの手を掴んでいることに気付いた。そこでようやく己の爪から血が流れていることを知った。

「なんてことをするんだ」

モアナの剥がれている爪を痛ましく見つめながらマウイに言われた。しかしその程度の怪我、彼女に取っては瑣末事である。むしろこの程度で許されていいものではない。

その後のやり取りは実に不毛だった。互いが自身を責めて、いかに自分の方が悪かったと主張するだけのやり取り。
その拍子に、マウイが釣り針を捨てたことについて触れてモアナは咽び泣いた。先ほどの夜明け前までのことを思い出し、マウイの心痛を思ってとめどなく涙が溢れた。

いかにモアナが間違っていたか、マウイに伝えたい一心で必死に謝罪を繰り返した。
しかし、彼はそのことには触れずにモアナの手当てを提案してきた。
(あぁ、まだまだ伝わらないのね
もっと言葉を尽くさないといけない。もしくは行動。そのどちらも必要かもしれない。
それとも、彼は既に自分の言葉を聞いてはくれないのかーー

意固地になって、その場に踏み止まった。ここから動いてしまっては、もう彼に言葉を尽くすチャンスを失ってしまうと感じたのだ。
マウイから困惑の空気を感じた時、やってしまったと思った。そんなつもりじゃ無かったのに、自分の行動は彼を困らせているだけだと理解したら急に自己嫌悪に陥った。
しかし、それでもマウイは優しい。

なら、ここにいてくれ。薬草を摘んでくるから」

でも、その優しさも今は辛い。こちらの怪我を見て見ぬふりは出来ないが、以前のように抱き抱えて運んではくれないことが胸にかすかな痛みを与えた。
彼の手をギュッと握った。離れたくなくて、またマウイを困らせてしまう行動を取った。
さすがのマウイも呆れてしまっただろうか、マウイはもう一度モアナと目線を合わせるために屈んだ。

「モアナ、一緒に薬草を取りに行くのかここに残るのか、どっちか選んでくれないか?」

いかに、自分が幼稚なことをしているのか彼の言葉でまざまざと思い知らされた。

ごめんなさい」
「謝って欲しいわけじゃないんだ。俺はお前のことを心配しているだけで、責めてるわけじゃない。分かってくれるか?」

幼い子供に言い聞かせるように諭された。これ以上マウイを困らせてはいけないとようやっと踏ん切りがついた。
マウイの言葉に従って、モアナは重い腰を持ち上げて彼について行く。彼の手がずっと繋がっていることに早鐘を打つ都合のいい心臓に、モアナは己の浅ましさに自己嫌悪した。

*****

マウイがモアナの指の手当てをしてくれた。
モアナの手よりずっと大きな手で、剥がれかけの爪を器用に固定してくれる。大雑把なように見えてかなり繊細な動きも得意なマウイの指が、葉っぱの繊維を引き千切らないようにと絶妙な力加減で扱う様を、モアナは食い入るように見入っていた。

全ての指の手当てが終わりモアナは素直に感謝した。関係が変わってもいつまでも優しい彼に、確かにモアナは救われている。期待してはいけないと理性は警鐘を鳴らすが、心はマウイの優しさを糧に再び彼への気持ちを大きくしようとしていた。

しかしその前に、けじめはつけないといけない。

マウイ、さっきの話だけど

おそる恐る、先ほどの会話をもう一度しようと試みた。
途端に曇るマウイの表情。それを見て彼はもう触れたくない話題だと悟ったが、このまま引っ込めるほどモアナは柔軟な性格ではない。ことマウイに関しては簡単に引き下がれるものじゃないのだ。

しかし、マウイは変わらず固く口を閉ざしていた。だがモアナの諦めの悪さに観念したのか、渋々ではあったが重たそうに口を開く。

……お前は何も悪くない」

ーーが、モアナが想像した答えではなかった。
あくまでもマウイは自分が悪者の立場を取ろうとしているのだろう。それだけ、モアナの彼を詰った言葉の傷は深いのだ。
それにこれはマウイの優しさなのだと思った。モアナを責めるようなことを言いたくない、マウイの不器用な愛情なのだ。そして、それを言わせてしまったのは紛れもなくモアナの所為である。
あまりの不甲斐なさに、モアナの目から止まっていた涙が再び溢れ始めた。

ごめんなさい

回りくどい言い方をせず、もう一度真っ直ぐマウイに謝れば良かったのだ。さっきのような不毛なやり取りになることを恐れず、ただ謝罪だけすれば良かったとまたもや後悔した。
(私、ここへ何しに来たんだろう)
マウイに謝りたかっただけなのに、彼と一緒に島へ帰りたかっただけなのに、そのどれも果たせそうにない。謝ることは出来ているが、彼にちゃんと伝わっている気がしないのだ。
謝罪を受け入れてもらえないことが、こんなにも辛いことだったのだと初めて知った。

「それよりも、お前はなんでこんなところまで来たんだ?航海の途中だったのか?」

おもむろにマウイが問いかけてきた。話を逸らされたのだろう。
しかしこれはチャンスである。あるが、果たしてどう伝えるべきなのか。
頭が思うように働かない。俯いて考えてみたが最適解が思い浮かばず、結局モアナは正直な理由を話した。

あなたに、モトゥヌイへ戻ってきて欲しくて探していたの」

口に出してみたものの、果たしてこの願いは叶えられるのか。今のモアナはその未来を思い描けず、マウイにこれ以上呆れられるのが嫌で顔を覆い隠して涙した。
ここへ来てから感じたことを素直に吐露する。こんな寂しい場所にマウイにいて欲しくない、その一心でありったけの想いを伝えた。
だが、マウイの意思も固かった。やっと彼が思っていたことを語ってくれたが、その内容はやはり彼の優しさからくるものだった。
自分ではまたモアナやその大切な人を傷つけてしまう、だから島にいてはいけない、ということらしい。
ーーだからといって、ここへ彼を独りにするのはモアナが耐えられないのだ。

ちがう。マウイは私のことを助けようとしてくれた、傷つけようとしてない」

どうにか彼のその認識を変えたいと思った。マウイは決してそんな存在ではない。マウイがいるから傷つく訳じゃないのだ。
しかし、彼の口から放たれたのは強い否定の言葉だった。



「そのつもりが無くても傷つけたッ!」

ーーあぁ。それを恐れているのね。
モアナは怒鳴っているマウイを前にしても、不思議と落ち着いて彼の言葉を聞いていた。そして腑に落ちた。
きっと今まで、これほどまでに人間と交流を持ったことが無かったのだ。だからマウイはモアナを傷つけることをとても恐れている。
そしてそれがマウイの気掛かりなら、それを取っ払えるのもモアナだけである。

「俺ではお前も、お前の大事なものも護ってやれなーー」

気がつけば、モアナはマウイの無防備なその胸元に頬を寄せていた。そして抱えきれない大きな体に腕を回して彼を抱擁する。
最初は強張っていた彼の体から、次第に力が抜けていくのが伝わってきた。この抱擁を受け入れてもらえている、そう思ってモアナは顔を上げる。

「ーーマウイ。もう私にこんなことを言える資格はないって分かってるけど分かってるんだけど、聞いてくれる?」

彼の瞳が涙で濡れていた。幼い少年のような曇りのない眼(まなこ)を食い入るように見つめた。なんて、美しい色なのだろう。心からそう思った。
時には百戦錬磨の英雄としての自信、神としての慈愛、蓄積された見聞故の知性、鬼神の如き激しい闘志、人々を楽しませるエンターテイナーの輝きを宿す、マウイの瞳。そして子供のような怖さや寂しさの色を見せるのは、モアナにだけである。
彼は時間や環境によって色を変える、海そのものなのだ。だからこれほどまでに彼に惹かれるのであろう。
モアナは確かにこの半神半人の英雄を愛していると、胸を張って言える。

「わたし、今もマウイのことが大好きあなたのことを愛しているわ。わたしには、あなたが必要なの」

何も憚るものがなかった。当初はこんなことを言うつもりも無かったのに、マウイを前にしたら彼への想いが想像以上のスピードで膨らんだ。
マウイがもうモアナへの気持ちが無くとも、正直構わない。いややっぱり彼も同じ気持ちでいて欲しいとは思う。だがそれ以上にモアナは、彼を大切に想う気持ちを持ち続けたいのだ。

気がつけば思いの丈を伝えて再び彼の胸へ頬を寄せていた。頑張って抱きしめようとしたが、やはり彼の体を包み込めない。それが無性に悔しかった。
そんな時、マウイの聞きなれない声が聞こえた。不思議に思って顔を上げると、そこには左手で顔を隠して滂沱の涙を流す彼がいた。聞こえたのはマウイの嗚咽だったのであろう。

彼の顔が見たくて、その顔(かんばせ)を覆い隠す左手をゆっくり剥がした。涙で濡れてキラキラと輝く瞳が、不安の色を宿してこちらを見つめる。迷子の犬のようなその表情に、モアナは心臓がギュッと掴まれるような心地を覚えた。
そんな表情になってしまう理由は分かっている。だからその不安を拭ってあげたい、そう思った。

マウイは不完全な存在なんかじゃないわ。みんな少しずつ、足りないところがあるものよ。私にもあるわ。だから、その足りないところを補い合いたいの、あなたと」

モアナがマウイを必要としていること。今はそれさえ伝わればいい。

……俺なんかで、本当にいいのか?」

あの時の、モアナが最初にマウイへ想いを伝えた時と同じ表情だった。こちらに縋るかのような彼の瞳を受け止めながら、モアナはあの時と同じ言葉を紡いだ。

「マウイがいいの」

ーー段々と歓喜が滲み始めたマウイのその表情に、心が温かくなるのを感じた。
もう彼を孤独の闇の中へ追いやることは決してしない。そのために、これがある。

「マウイ、これ、受け取ってくれる?シメアから預かってきたの」

祖母から受け継いだペンダントの中身を取り出して彼に手渡した。
小さな小さな、珊瑚で出来た白い釣り針。マウイの掌に乗るとより一層小さく見えるそれを、彼は驚きの表情で見つめる。

「シメアがね、あなたの帰りをずっと待ってるの。シメアだけじゃなくて、島の子供たちみんながね」
そうかそうか」

噛み締めるように、マウイが感慨深く呟く。掌のそれを握り込んで慈愛に満ちた瞳を一旦下ろす。次に目を開いた時には、テ・フィティに負けないくらいの優しい色を帯びていた。
その表情からマウイがシメアをはじめ、島の子供たちを大切に想っていることが伝わってくる。

「こんなカッコいいプレゼントを貰っちまったら、とびきりのお礼を用意しなくちゃな」
「ええ、そうね。シメアのお眼鏡に適うもの、ここにあるの?」
「無いな。探すの手伝ってくれるか?」
「もちろんよ」

先にモアナが立ち上がる。続いてマウイも腰を上げるとそのまま彼女を見下ろした。
あまりにも優しい彼の視線に、自然とモアナも口角が上がっていた。

「どうしたの?」
モアナ。俺のことを迎えに来てくれて、ありがとうな」

ーー何を突然。そんなの、感謝されるほどのことじゃない。当たり前のことをやったまで。
そうは思ったが、きっとこれは言うべき言葉じゃ無い。真剣な話し合いはすでに終えたのだから、もっと前向きな会話であるべきなのだ。

ユアウェルカム」

モアナの言葉に、ニヤリと不敵に笑うマウイ。
その表情に吹き出すようにモアナも笑い、そのまま互いが自然と手を伸ばしていた。そのまま
手を繋いで、薬草の群生地をあとにする。
足はモアナが乗ってきた舟を繋げている岩場へ向かっていた。この寂しい島ともこれっきりでお別れである。
もうここには訪れない。いや、訪れさせない。
もう彼にこの地を踏ませるようなことは決してしないと、彼女は密かに心に固く誓う。

アンバランスな大きさのふたつの手が、もう離れないと言わんばかりに固く繋がれていた。

**********














『おまけ』という名の、没になったところ。
どっちに転んでも良かったんですけど、どこまでも健全にいきたかったので

*****

モアナの気持ちがマウイに伝わると、彼は驚くくらいにその態度が軟化した。彼の大きな手がモアナの背中に回ると優しく抱擁を返してくれる。モアナのつむじに鼻先を埋めながら抱きしめるマウイの行動に、彼女は急に今の自分の有り様を思い出した。

最後に体と髪をいつ洗ったのか思い出せない。思い出せないくらい前であることは間違いなく、その答えに行きつくと冷たいものが背中を伝うような感覚を覚えた。今の有り様を考えるだけで恐ろしい。
モアナは慌てて顔を上げてマウイの行動を遮った。

「マウイっ!あのね、私そのかなり汚れてるから一旦あなたから離れてもいいかしら?」

マウイを否定する訳じゃなく、あくまで自身の問題であることを伝えて彼から離れようと試みた。が、

「今更だな」

と、鼻で笑われて更に抱擁が強くなった。これ見よがしにモアナのつむじだけじゃなく、耳の付け根や首筋までも彼の鼻が犬のようにスンスンと嗅ぎ回る。

「ひぃッ!!」

恐ろしい。どうしよう。彼に幻滅されたらどうしよう。そんな思考で脳内を埋め尽くされて自力で逃れようとしたが、さすがに彼の腕力には勝てずびくともしない。堅牢な檻に囚われてどうしようも無かった。

「ほんとにやめてマウイに嫌われたくない

半分泣きべそをかきながらのモアナの主張に、未だ彼女の髪の臭いを嗅いでいるマウイがそのままの状態で言う。

「嫌いになるもんか。こんなモアナを見るのは初めてだからな、堪能したいだけだ」
「でも汚いから
「汚くなんかないさ。必死になって俺を探してくれた証だろう?嬉しいんだよ、俺は」

モアナの心配事を軽く一蹴して、マウイは触れるだけのキスを首筋に施す。
突然の甘い刺激にモアナの体が跳ねた。その反応にケラケラとマウイが笑い、ひとしきり堪能して満足したのかモアナの体から顔を離した。
モアナの視界に映ったのは、すでに元来の余裕を取り戻したマウイの見慣れた顔。そして、モアナだけに向けられる恋慕の色が滲むつぶらな瞳に、彼女の顔が映っている。

「まぁ、そのままだと折角の美人が台無しだからな。巻き毛ちゃんは手を怪我してることだし、清めるの手伝うよ」

なんだかんだ、モアナの希望をこうして叶えようとしてくれる。
この優しさを今度は手放さないと、心に固く誓いながらモアナは彼に感謝の言葉を伝えた。

ありがとう、マウイ」
ユアウェルカム」

ーーマウイの腕に抱えられて、モアナは彼と共に海へ向かった。