おひつじ
2024-02-04 21:49:05
11186文字
Public 【創作】小説
 

桜襲に花宴

赤軍の歳の近い青年らの花見回。

※Dキス表現あり
※CP要素は薄め
※鰆ヱイスケ視点

〜Special thanks〜
稲生六都くん…都(@ec_N)さん
藤白舞緒くん、寿々見忍くん…りに(@hinatikuwa)さんからお借りしました!

狐憑き…稲生六都くんのこと。狐の面を被っている。
酒呑み…藤白舞緒くんのこと。無類の酒好き。
仏頂面…寿々見忍くんのこと。クールで物静か、あまり表情を変えない。
死に損ない…ヤマザキツトムのこと。何故そうなのかは此処で語られる。

 その日、おれは独りだった。

 大方、狭い四畳半ばかりのねぐらに出入りするのはいつだって1人なことに慣れきった日々だけど、たまたまその日だけは日中キセルのヤニ落としを頼みに行った古道具屋の爺が、こそっと「舶来の酒の造り方を真似て出来た赤い酒が仕入れてあるぞ」と耳打ちしてくれたのだった。

 おれはそこまで酒に興味はない。ましてや密造酒など、どんな毒かも気が知れぬ。しかしそこの古道具屋の爺の目利きは確かなものなので、信じて良さそうな筋ではあった。

 もうひとつ、おれが赤い酒を気にした理由がある。この前狐憑きと世間話をしていた時に、奴がぽろっと「赤い酒を飲みたいと友達が言っていたなぁ」とこぼしたのだ。
「友達ってあいつか?酒呑みの」
「酒呑み?誰それ」
「あいつだ。エートあの、白い毛皮の、赤い着流しの」
「ああ、あの子ね」
 互いに名前をきちんと覚えようとしないもんだからタチが悪い。おそらくお互いの脳裏に浮かんだ人物は合致していたので、実はそう大した問題でもない。

 おれはその日、独りの寝ぐらに帰るのがきっと、つまらなかった。だから爺に「じゃあ、ひとつ」とその赤い酒が入ったガラスの瓶を買い取ることにしたのだ。
 さて誰を誘おう。酒呑みを探そうにも探す当てがない。それに酒呑み1人だけ声をかけたとて、おれとそこまで面識があるわけじゃない。狐憑きに頼もうにも、奴は割と住所不定なので探すのに手間がかかる。と……なれば。

 おれは当たりをつけて、とある川を見下ろす格好の小高い丘に向かった。今は春。春先の桜が咲き始めるころにあすこへゆくと、結構な打率で奴が其処に居るのだ。

 山桜が咲きごろで、沈丁花の香りが少しずつ濃ゆくなってゆく。春だなぁと思う。そうして、丘の上に近くなると案の定、煙たくなる。これはおそらく奴の煙草の匂い。それと、少し混ざる焦げたのは焼いた魚の匂い。七輪をどこかから持ってきて、イモリや干物を焼いたりしてぼんやり過ごしているから、近くまで行くと居るかどうか、だいたいわかるのだ。

 夕刻時、群がる桜たちの隙間から差し込む陽が眩しい。歩みを止め目を細めていると、一等大きな桜の木の足元からの、聴き慣れた声。

……よぉ。どうした?こんな時間に」
「ここに居たか、死に損ない」
「相変わらずのご挨拶だな。今日は獅子舞は無し、か」
「左様。貴様に用があってな」
「なになに、こわ」
「警戒するな、これを見てくれ」
「ワッ……酒?にしては、血みたいな色だな……
 さすが同じく暗部のムジナ。お互いに嗅覚は引けをとらぬ。
「これは舶来の酒の造り方を真似たものだ」
「へえ」
「貴様、知り合いだろう?酒呑みと」
「酒呑み……ってああ、マオのことか」
 そうそう、藤白舞緒と言ったっけか。ようやく名前が一致した。
「酒呑みが赤い酒を飲みたがっていたと狐憑きが言っていた。それで……
「なるほど、密造酒で酒盛りをしようって算段だな」
「人聞きの悪い。だが、取り次いでやってくれよ。貴様にもおこぼれをやる」
「よしきた」
 死に損ない、ことヤマザキツトムはこうと決まるとすぐに動く男だ。せっかくだから六都も呼んでやれよ、俺はマオを連れてくるから。そう言い残して彼は颯爽と立ち去っていった。
 やれやれ困った、おれは稲生六都、もとい、狐憑きを探すのが苦手なのだ。まぁしかし、そう言われたなら探してみるしかない。
 ところがこの日はどんな巡り合わせか、丘のすぐ下りた所の川べりの土手で煤だらけになっている仏頂面を見つけたのだ。仏頂面は仏頂面らしく、煙がかかるのもお構い無しに淡々と薪に火をくべ、なにやら燻しているのを話しかけてみる。
「おい、どうしたんだ。顔が真っ暗だぞ」
……おう。燻製を作っておったんじゃよ」
「相変わらず手の込んだことを。それより、貴様がいるってことは」
「あ!さーらくん!」
 横からひょっこり、同じくあちこち煤だらけにしていた狐憑きが顔を出す。
「よう、探す手間が省けたぞ。これ」
「あっ、赤い酒!」

 かくして、半刻ほどで桜の木の下に酒呑み、死に損ない、狐憑き、仏頂面、そしておれという珍妙な面子が揃った。お互いに見知ってはいるものの、全員とそこまで面識が深いわけではない。おれは狐憑きや死に損ないとはちょくちょく話をしていたが、酒呑みや仏頂面とはそこまで長話をしたことはなかった。
 好奇心旺盛な狐憑きが息せき切って尋ねる。
「さーらくん、それ、どこで手に入れたの?」
「古道具屋の爺からな」
 彼らは一様にへぇー!と感心し、それぞれくんくん、と瓶の口に鼻を近づけて香りを嗅いだり、しげしげと赤黒い色を月明かりに透かし眺めている。
 いつもは死線を彷徨う彼らが、この時ばかりは18、9の青年たちだった。
「ねぇ、鰆……くんは、飲んでみたの?その、お酒」
 酒に目がない酒呑みは、俺とガラスの瓶を交互に見やりながらそわそわ、落ち着かない。
「いや、まだだ。貴様が一番に飲め」
「えっ、いいの……?」
「おっ、マオやったじゃん」
 酒飲みが持ってきた盃に注いでやる間、死に損ないは少し黄ばんだゴザを広げていた。がらくた市で見つけてあったらしい。
 傍らで仏頂面がてきぱきと、そのあたりで摘んできた大きめの葉っぱを皿代わりに、出来立ての猪肉の燻製を並べている。狐憑きは甘夏と木苺をどこからか仕入れてきたらしく、同じくそれらを並べていく。
「じ、じゃあ……いただきます」
 おそるおそる、酒呑みはひとくち、赤い液体を口に流し込む。瞳をギュッと閉じ、静かに息を止め、鼻と喉奥で何かを確かめるようにむぐむぐ、口を動かしていたようだ。
「ぐっ」
 ゆらり、酒呑みが膝の前に手をつく。
……!」
「どうした」
「マオ、」
「だ、大丈夫?」
 その場にいた全員が慌てて駆け寄る。やはり、密造酒は危険なものなのか?
「うぅ、うぅぅ〜〜〜」
「「「…………!」」」
 じいっと様子を眺めていた仏頂面だけが目線をちら、とこちらにやり、ふん、と鼻先を鳴らした。
「うンまい!!!」
 酒呑みが見た目に違わず力強くそんな事を言うものだから滑稽で、どっと笑いが巻き起こる。真顔に見えた仏頂面も、よくよく見ると口の端で笑っているようだった。
「どんな、どんなだったの」
「なんか、こう、ふわぁって。葡萄だけじゃなくて、花や果物の香りとか、少し渋めの舌触りとか、飲んだ後のお腹にずしんとくる感じとか」
「えっ、えっぜんぜんわかんない」
「甘いのか?辛いのか?苦いのか?酸っぱいのか?」
「ぜんぶ」
「ええ〜〜?」
「ぜんっぜんわかんねえ!」
「なんかね、でも、日本酒ともまた違う香り。とにかく、香り」
「わ〜でもそれって美味いやつジャン」
「さっきからそれは言っている」
 ワハハ、とまた笑いに包まれつつ、花見酒が始まった。
 狐憑きは酒が飲めないわけでは無さそうだが強い訳でもないようだ。ひとくち口に含んでは目を白黒とさせ、それを見た仏頂面が珍しくふふっ、と声を出して笑っていた。ただ、仏頂面とて流石にこの手の酒は初めてだったらしく、神妙な顔をしながら並んであぐらをかき、静かに味わっている。
 死に損ないも酒は好きなようだが、酒呑みほどの酒豪ではない模様で、割とすぐ笑い上戸になっていた。おれも酒は強いほうだが、そういえば他人と酒盛りなんてことはしたことが無かったかもしれぬ、と思う。ほんのり頬を染めた酒呑みが、くだんの酒を杯に注いでおれに寄越してきた。
「鰆くんも、飲んでみてよ」
「ん、いただきます」
 そっと口に含む。これは葡萄なのだろうか、芳醇な香りと度数の高い自然発酵のアルコオルの刺激が、酸味と渋みのある風味と合わさって舌の根を覆い尽くす。
「これはこれは……なんだか目の前がくらくらする」
「なんか、初めてキスした時の衝撃に似てるかもな」
 と、横から死に損ないが口を挟む。
「口吸い?下世話なことを」
「えー、山﨑くんの初めてのキスがこんな大人っぽい味なのー?」
 さらに横から狐憑きが茶々を入れる。
「シツレーだな?六都、お前はどうなんだよ、コラ」
 酒が入った死に損ないは、やや血気盛んでもあるようだ。もちゃもちゃと2人が掴み合うのを尻目に、仏頂面が猪肉の燻製を丁寧に切り分けてやっていた。酒飲みはそれを旨そうに頬張っては酒の風味と交互に楽しんでいる。
「やめんか」
「でもなんか言いたいことは、わかる気もする」
と、六都は唐突に納得し始める。
……エ?ほんとか?」
「うん。なんかさ、なんか。他人の肌の感覚って、思ったより気持ち悪かったり、独特な感じ、するじゃない?」
「おう」
「続けられよ」
……なのに、粘膜って擦り合うと敏感だから、色んな感覚が急に混ざるじゃない。舌先なんて尚更。気持ち悪いと気持ちいいが一緒に混ざっていて、これは美味しいのか、美味しく無いのか、」
「好きな人間のだからウマイんだよな。楽しいから、気持ちイイ」
「あっ、そうなのかも」
「初めてのキスと酒はァ、複数条件が重なり合って善し悪しがキマるって訳だよ、な?粋でイナセなムツくんヨ」
「そう!それ!」
「唐突に言語化を放棄すな」
 冷静に仏頂面がツッコミを入れる。
「いいじゃ〜ん。伝わってるんだから」
すると、あ!と狐憑きが閃いたように膝を打つ。
「つまり、つまりよ?僕たちは今この瞬間同じ酒を初めて一緒に飲んだんだから、みんなで一緒にちゅーしたようなもんなんだよ!」
「めちゃくちゃ理論だな」
「ワハハハハ」
「酔っ払いどもめ」
 なんにも説明になっていないこのやりとりを、酒呑みと仏頂面はげらげらと笑いながら眺めていた。会話にいても居なくても、観測し合うこの間合いが心地よい。

 もしおれが独りでこの謎の密造酒を飲んだとして、そんなに新鮮さも驚きも、感じなかっただろう。
 せいぜい、ふぅん、こんなものかと思う程度だろうか。面白おかしく飲める知人が居るとその趣が興に乗ってくるのだろう。箸が転がっても笑うような高揚とした場の空気を感じたのは、果たしていつ振りの事だろう。
芳醇な香りへの感動も、舌の根の痺れるような感覚も、喉奥を火照らせ腹にのしかかる熱も、果たして狐憑きや死に損ないが言うように、口吸いと同等なのだろうか。 おれにはわからない。わからないが、この空気がそれを美味しいと感じさせて居る事だけは確かだった。

 だんだんと手元が薄暗くなり、それを見越していた誰かがカンテラに火を灯していたので、ついでに煙管に火を貰い、ふうとひと息入れる。煙通りの良くなった其れは、不意打ちのように肺の奥まで染み込んでゆき、こんなに紫煙って重たいものだったっけ、とやや面食らう。

 寂しいとすぐに猥談か共寝の誘いに傾きかける死に損ないだが、酒呑みと居る時の奴はそういう所在なさが随分と落ち着いているように見えた。2人が並んで歩いている所を遠目で見たことはあったが、間近で実際眺めたのは初めてだ。たまたまかも知れないが、死に損ないも酒呑みもそれぞれ他の男と居る所を見かけたことがある。それぞれとの間柄は良く知らないが、この前駄菓子屋の軒先で、死に損ないと酒呑みは洒落た仲だなと揶揄したら反論されなかった。
 それはつまり、懇ろな仲ということなのだろうか。

 酒呑みはというと、線の細い見た目でありながらも決して儚いという感じではなく、まるで他人なぞ意に介さぬという素振りでその実、いつも警戒心強く全身の神経を抜け目なく研ぎ澄ましている様子はさながら夜道の路地裏で出会う猫みたいだと思ったものだ。他者を拒まなさそうに見えて無遠慮に撫でれば、虫の居所が悪ければ鋭い爪で引っ掻かれる。たとい、一晩寝た男だとて気に入らなければ斬り捨てる。そういう類いの男なのだろう。少なくとも、おれが夜戦で見かけた時はそうであった。
 それがどうだろう、大好物の酒を前にすると朗らかに年相応のあどけなさを見せながら談笑している。脇差に据えた根付けまでが笑っているかのように、左右にゆらゆらと揺れていた。

 酒呑みと仏頂面は、系統は違えど根ざすところに近いものを感じる。酒呑みが気まぐれな猫ならば、仏頂面は寡黙な狼と言ったところか。決して感情的に振る舞いはしないが、それは理性というよりも野生の嗅覚や本能の強さというものを感じる。余計なものを持たない、合理さの裏側に、不用意に何かを得ることに対して感覚的に畏怖の気持ちがあるというか、意図的に避けているようにすら感じる。
 それは一度だけ、仏頂面が魚釣りをしていたところに出くわし、随分と年季の入った釣り道具を使っていたので色々と話をした時に感じたことだ。
「随分と古い道具だな。古道具屋のか?」
「そおや」
「ここは手前で修理したのか。手先が器用なのだな」
「そんなことはない。似たようなもんじゃろ」
「おれはこんなにしなる竹はうまく扱えぬ」
「そうじゃな。ここまで年季が入るといつ折れるかどうか」
このしなり具合が良いんじゃよ、とヒュンッと音を立て、彼は川へ擬似餌を投げ込む。
「おれも古い竹の筒を持っているが、後生大切にしているつもりでも不意に割れていたりすることがあって、丸薬がからくりの中で暴発したりしかねなくてヒヤリとする」
あぁ、ともウンともつかない声を出して頷くと、やや真剣な顔をして仏頂面はおれの方へ居直って言葉を続けた。
「釣り竿もタモも手入れして使えるうちは使う。ただ壊れそうだと思ったら使えそうだと取っておくようなことはせん。手放して、新しく作り直すなりした方がええ。本当に必要な時に、手元にガラクタだらけなのは、いざという時正確な判断を鈍らせるのと同じじゃから」
 おれはその言葉にいたく感心し、獅子舞に仕込んでいる矢筒やからくり仕掛けに不調があったらすかさず作り替え、古い部品を無理して取っておくよりは、新しい部品を集める努力をしておこうと心に誓ったのだった。
 ただ、その場にいた狐憑きはその意見をやんわりと反対した。
「新しくは作れなかったり、代わりの利かないものだって、あるじゃない」
「お前の場合は、何でもかんでも、手元に残しておきすぎなんじゃよ」
「そんなことないよう」
「袂ひっくり返してみろ」
 袂の中から、小さすぎて削れない鉛筆、ビー玉、ゴムが伸びているパチンコ、玉のないけん玉等々……
 ぞろりと出てきてこの上に「まだあるよう」とにこにこ言われたのには思わず笑ってしまった。
「じゃから……少しは整理せぇと言うとるのに」
 負けじと狐憑きは反論した。
「この前しーちゃんだって、翌朝に狩りに行くというのに古い三八(歩兵銃のこと)の小さいネジが一個ナイナイって前の日から大騒ぎしてたじゃん。たまたま僕が取っておいたやつがあったから……
「ああもう。すまんて」
 おれは2人を宥めるつもりで、言葉をかけた。
「まぁ、意外と助けられたりするものな、路傍の一円玉とかに」
「たかが一円、されど一円だよう」
 そう言いながら首から下げた豆巾着から一円玉や五円玉がぞろぞろとでてきたので、さらに笑ってしまったのだった。

 意外に思うのは、こうして正反対にすら感じられる狐憑きが時々仏頂面の家を出入りしているということくらいだ。なお、狐憑きは決まった寝ぐらを持たないようなので、仏頂面の家以外にもウロウロと出入りしているようだった。そのために、意外と顔が広かったりもする。狐憑きこそ一番正体不明な所があって、任務に就いているところを奴だけ見たことが無かった。ナニガシかの部隊に所属しているのかすら定かではない。ただ、仏頂面と同じように感情的になるということはほとんどなく、へらりへらり、にこにことしているのでこういう輩が意外とすんなり他軍とかの諜報をこなせてしまったりするのかも知れん、と思うのだった。

 普段同じ空間に揃うことがない各面子のことをぼんやり考えていたら、いよいよとっぷり日も暮れて薄明かりの中、照り返す白い山桜の花びらが風も吹かないのにはらはらと舞い落ち始めた。人里でよく見かける染井吉野よりひと足早く旬を迎え、そうして人知れず散ることを繰り返す。おれたちみたいだなとすら思えてきて、手元の盃をぐい、と煽る。
「?」
 先刻までの赤い酒ではなく、日本酒だった。
「どう?おいし?」
 ふわんと微笑む酒呑みが、もう一つ大きな酒瓶を傍に携えていた。
「いつのまに持ち込んだのか」
「来た時に、どうせ足りないだろうからって僕の秘蔵っ子をね」
「かたじけない」
「赤い酒のお礼」
「うん。うまいうまい」
「そりゃそうだよ、山田錦の純米大吟醸だから」
「ほ〜このご時世に」
 どこのヤマダの誰だって?とおれは知ったようなふうを装い、秘蔵っ子とのたまう酒をちびりちびりと舐める。傍で「酒の味よくわかってないだろ、お前」とケラケラ笑いながら死に損ないがオイルライターであたりめを炙っている。
「ね、ちゅーしようよ」
 酔うと口吸い魔になるのか、狐憑きがその場に居た者たちに手当たり次第迫っては、やんわりと断られていた。仏頂面に至っては、差し出された唇の中にズボッと酒のアテを突っ込んでいた。
 それを眺めてげらげら笑っていると、今度はやおら立ち上がった狐憑きがよろよろ、千鳥足でもつれ転んできて、おれの額にしたたか狐面がぶつかった。
「────あ」
「「「あ」」」
 気づくと、おれの身体の上に狐憑きが被さる形で、ほぼ不可抗力みたいな成り行きで二つの唇が重なっていた。んっ、ふ、くちゅ……と生暖かい、酒の味が混ざった舌先がおれの口腔をまさぐる。おれは幾分アルコオルの回った頭でジュンマイダイギンジョウとやらのヤマダの誰かのことばかり考えていたから、ワンテンポ遅れてそれに気づくまでそこそこの時間がかかってしまった。
 他の面子もぼうっとした様子でこちらを見やり、軒先の猫たちが急に睦み合っておるなぁ、と春先の風物詩を眺めるかのようなゆったりした雰囲気が数刻ほど流れた。くちゅ、ちゅぷ、ぴちょ……と静かな水音だけが響き、おれは何が起こっているのかもわからず呆然とされるがまま仰向けになっていた。
「おい、エースケお前唇吸われてんぞ」とおもむろに仏頂面に狐憑きを引き剥がしてもらい、酒呑みに助け起こしてもらってようやく、理解が追いついた。
「あっはっは、とんだ災難だったねぇ」
 オワア、と怒った猫みたいな声を上げて首根っこを掴まれた狐憑きと、呆けた顔でそれを見上げるおれを一瞥すると、「で、どうだった?」と死に損ないが下衆な質問を投げて寄越し、おれの顔を覗き込む。おれは口の中に転がり込んできた舌先の感触に気を取られていたが、ふと何か異物がある……と口をモゴモゴ動かすと幾つかものがころころと転がり出てきた。さっき仏頂面が狐憑きの口に押し込んだものに違いない。暗がりでよく見えなかったがえい、とひとつ口の中で噛み潰すと甘酸っぱい、木苺の果汁が溢れた。
 不意打ちが続いて心の臓がどきどきと脈打っているのを気取られまいと、ふるふると頭を振る。
「赤い酒の衝撃と比べたら、そこまでは」
「ワハハハハ」
 一同が嘘つけえ、顔真っ赤だぞ、と冷やかすのを「これは酒の為いだ」と誤魔化すと、今度はヒュウと野次が飛び交った。
「なんだよぉ」
 なぜか狐憑きだけが口惜しそうに仰向けにごろんと横たわり、ムードが足りねえんだ、ムードが、と周囲に揶揄されていた。
「でも、他人の舌触りって結構独特でしょう?」
「まだ尋ねるか。せいぜい、犬に噛まれ猫に引っ掻かれたような感想しか出てこぬ」
「なぁんだ。つまんないのん」
 否、蹂躙される口腔の中でうっかりでも相手の舌の先を己の舌で捕らえて迎え入れようものならば。見知った顔の男の宴席の戯れですらこのザマだから、好いたひとの其れ、と想像するとなるほど確かに脳が痺れ腹の上がずしんと熱くなる。これが口吸いか、と内心恐れ慄いたのはここだけの話。

 宴も酣、追加の日本酒で酩酊し「あつい……暑いんじゃ」と脱ぎ出した仏頂面を全員で止め、狐憑きはすうすうと寝始め、酒呑みは死に損ないといかがわしい雰囲気を醸し出し始めた。
 おれは少しばかり静かに夜風に当たりたくて、そっとマッチ箱と煙管を片手に丘のはずれまで歩く。さわさわと風が髪を撫で、先刻まで桜が覆い隠していた月がこんなにも大きく明るかったかと気付かされる。

「良い夜だな」
 ぽつり、誰にもとなく呟き、傍の古そうな枝垂れ桜の古木に寄りかかる。山桜に混じって一本だけ、柳みたいな枝向きで、静かに桃色の花弁が月の光を反射してこれまた面妖だ。
「夜になればなるほど、ここいらは明るくなるような気がしてくるものだな」
 煙管に火をつけようとマッチを擦る。夜風が嫌がらせのように、そのたびびゅうと吹き消してくる。2、3本そのやり取りをして諦め、そっと目を閉じて酒盛りを思い返す。どの顔も、よく知った顔になった。だけど、どの顔も、見たことのない表情ばかりだった。おれは、よく知った顔たちの、戦い方や身のこなしだとか、世間話だとかから、どれだけの情報を拾って居たのだろう。旅芸人一座に居た時から、他人の挙動や好みは把握するよう振る舞ってはいたが、それは処世術でしかなくて、「こいつが喜ぶなら」という気持ちで動いたことなんて露ほども無かったように思う。任務以外での他人様の情報を極力吸い込まないようにしてきたのは、「情」が生まれるのが怖かったからで、それでも通り雨が幾度も降れば服に染み付いて匂い立つように、あいつを知っているだとか、何処にいて何をしてるだとか、嫌でも付加されていくのだ、おれの生活の一部に。

 一度死に損ないと話して居た時に、「斬り殺されてもイイから寝ているんだ」と酒呑みとの間の話を聞いた時、まるで理解ができぬと思った。本音を知らずに肌を重ねるのは恐ろしくないのだろうか。ただ、どうしてか羨ましいと思った。それは語られない行間に漂う、彼らの間の何かがあるのだろう。

 おれは誰かを好いたことも、それこそ手を握ったこともない。生まれた時からみなしごで、親の顔は知らぬ。芸人一座の女役者が、おれを拾ってくれ、親代わりに面倒を見てくれた。そのひとはおれが七つのころ、一座もろとも白と黒のくだらぬ戦いに巻き込まれて殺されてしまった。生きていくための知恵はつけてくれたが、どうやって他人を愛せばいいのかまでは追い付かないくらいのところでおれは此処の暗部に転がり込んだ。好む好まざるの前に、黙って任務に忠実に従って、殺れと言われた標的を暗殺する仕事でひとごろしを覚えた。自分からいつも返り血の匂いがして、どんなに拭っても拭っても消えぬ。

 この阿呆らしい戦争とやらを終わらせたいと願えば願うほど、要人を殺める依頼が増えた。
 友達のようなものの作り方もよくわからず、銭湯や市場や任務で、少しずつ似たような血の匂いのする若者を見かけるようになっても交わす言葉を見つけられなかった。同じ匂いのする若者の入れ替わりは若ければ若いほど激しく、すぐに新顔が来るが、すぐに居なくなってしまった。そんな調子だから、おれは話しかけ関わり合うことを諦めていたのかもしれぬ。
 特に年頃の近い知り合いなぞは長らく身の回りに居なかったから、彼らとは腹の探り合いのような格好で話をしていた。ただ、今日のことで狐憑きは面白い奴だなと思ったし、仏頂面は意外と笑うし、酒呑みは酒好きでほがらかな青年だった。そして……死に損ないには死んで欲しくない、と心から願っているおれがいた。


「なに、探したよ」
……おう、死に損ない」
 そう思っている心中を察したのか、木陰から金灰色の頭が顔を出す。
「睦事かと思い席を外した」
「シツレーな、」
 他のメンツも居るところでやるかよ、マオもそれは流石に嫌がるし、と彼は一笑しながら、オイルライターで煙草に火をつける。マッチより火力がグッと強いのは、さながら奴の生命力みたいだなと感じる。
「おれにも火をくれ」
「ほい」
 ふう、と息をつきキレイだなあと枝垂れ桜を見やり死に損ないは言った。
「前から聴きたかったんだけど」
「うん」
「なんで俺、『死に損ない』なの?」
「自覚を持て」

 一度任務の一部が重なっていたので情報交換し共闘したことがある。死に損ないは白軍の要人の警護任務で、おれはその要人の敵対する黒軍の要人の暗殺任務だった。任務自体はうまく行ったが、おれが要人を暗殺している時、死に損ないの警護する白軍の要人を狙う黒軍暗部が奇襲をかけ、彼が代わりに凶弾を浴びた。おれはその時ヤマザキツトムという友人が死んだと思った。いつの間にか友人だと思ってしまっていた自分が居たのだろう。
「急所は外れていたからな」と、彼は笑ったが、数日意識は戻ってこなかった。その任務の後にも、白軍の諜報支援で黒軍の研究施設に潜り込んで毒ガスを吸わされ、数日やはり生死を彷徨ったという。この話はのちに酒呑みから聞かされた。やはり死に損なっている。

「貴様はおれと同じ暗部の中でも、難しくて危険な任務が多すぎる」
「割と長期拘束されるしな」
「そう。おれのように標的を暗殺して終わり、じゃないことが多いだろう」
 マァ確かに、と伸びをしながら彼は応じる。
「最近、上層の考えてることが俺にはよー分からんよ。白寄りかと思えば黒寄りの依頼も受けている。それぞれが報酬に高額を出すようになってきたから、節操が無くなってきている」
「ああ」
 それは同感であった。
「この前はたまたま目的が同じ任務だったから良かったものの……。今後あり得るかも知れんよな、嫌なパターン」
「『同士討ち』とならざるを得ないやつか」
 流石にそんな愚かなことは、と言いかけ、金で自軍の上層が動くキナ臭い流れには憂慮せざるを得ない。
「おれも貴様とだけは戦いとうない」
「俺だってそうさ、お前だけじゃない、マオも、六都も、寿々見も」
 皆、ともだちじゃないか、と彼は呟く。彼の背負う月明かりが強すぎて、表情はよく見えなかったが、ハラハラと周りに舞い落ちる桜が代わりに穏やかな美しさを代弁していた。その美しさがげに儚いことも。
「マ、俺も鰆も、野生の勘が鋭いほうだから、いざとなったらなんとかなるだろ!」
……だな」
 なに、笑ってんの?と突っ込まれて初めて自分が微笑んでいることに気付いて「こういう顔だ」と誤魔化しては照れ臭い。
「さて、そろそろ仕舞いだとよ、片付けねぇと」
と、死に損ないは宴の終いを言い残すと先に戻って行った。

 この日、おれは独りだとばかり思っていたが、ぜんぜん独りじゃなかったな、と思い返す。

 ただただ、名残惜しくその時間と場所と、彼らとのやり取りとを、掴み損ねた泡飛沫のように抱えながら、その場を後にした。

 

〈桜襲に花宴/了〉
 

title tips :さくらかさねにはなのえん
桜襲(さくらかさね):十二単に代表される、着物の重ねの色使いの一つ。裏地に赤い布を使い、表地は白い生地を使うことで透かして見ると淡い桜のような色を表現していたという。

尚、赤軍の彼らがこの時、白軍に扮して任務をこなすことが多かったこととも重ねていたりする。

花宴:元ネタ/源氏物語から。