おひつじ
2022-02-17 05:15:31
3868文字
Public 【創作】うちよそ
 

テレカン

秋山医院の秋山先生(@gachi_nabe)をお借りしました。
虎馬病院 精神科医の猪熊先生との、ある朝のやり取りです。

「猪熊先生、猪熊先生」
朦朧とした意識の中で、ドア向こうでノックするナースの声が耳奥にキンキンこだまする。
何、今何時?当直中だったっけ、それとも日勤?
時間の感覚もよく掴めないまま、ぼんやりと目をこすり起き上がる。どうやら学会前、早朝を少し回った時刻。メールの送信履歴と、散らかった資料から察するに数時間前になんとか論文を一報、締め切りに間に合わせた様子だと気づきホッとする。どうも最近意識を失いがちで、寝起き直後少し健忘気味なのはまずい。そろそろ働き方を見直さないといけない。
「はいはい」
寝起き感丸出しの声でドア向こうに返事をすると、テキパキとした様子でナースが告げる。
「外線3番です」
「外線?」
ありがとう、と返事をしつつ外線か珍しい、最近受けてなかったなと思いながら受話器を取る。
「もしもし」
「あ、猪熊先生?朝早くにお忙しいところすみません秋山です」
電話の向こうで物腰低くおずおずとしつつも穏やかで聞き覚えのある声を聴く。都内某所にある、秋山医院の院長、秋山先生だ。
「秋山先生?お久しぶりです!お元気ですか?」
寝ぼけていた思考が吹き飛び、慌ててソファにきちんと座りなおす。
「実はこんなことでお電話していいか迷ったんですが」
「薬物中毒か、依存症ケースですかね?」
慌てて救急のベッド数を確認するため片手で資料をごそごそ探し回っていると、
「いえ、違うんです」
遠慮がちだ。
「お……では精神科?心療内科?」
「まで行っていいのか、どうか……
「ふむ」
どの程度までを専門に委託していいのか、思いあぐねているのだろうと瞬時に察する。
「どんな感じです?結構薬物治療も進んでる?」
「簡単な鎮静剤や睡眠薬は出してみたりもしましたが。何と言いますか、この領域って難しいですね。専門ではないので、中途半端に触れて良いものかと……
育ちの良い、ソフトな言い回しだが、この先生はいつも患者さんのことを心から思い遣る温かさがあって僕は好きだ。以前、若者の急性薬物中毒で秋山医院に担ぎ込まれた症例があり、胃洗浄の応急処置だけ済ませてくれ、後遺症が出ないかなどのフォローのためうちの病院へ搬送を受けて以来、領域的に悩むことがあればまた是非相談させてください、とやりとりをしていたことを思い出す。
「20代前半の男性、温厚快活な性格ですが、恒常的に残業が続き長時間勤務にあったようです。数ヶ月前から眠れなくなり仕事中に息が苦しくなったり、動悸や頭痛が止まなかったりでなんとか誤魔化しながら暮らしていたようです。私の知り合いの連れのようなものですが、たまたま直接会う機会があって様子が変だったので気になってしまい」
「なるほど」
医師としてプライベートで知り合った人の様子がおかしければ、知り合いという立場から患者へと見方が変わってしまうのは職業病だと思う。本人に自覚がないか、そのうち良くなるだろうと有耶無耶にすることで事態を悪化させることは多々あり、彼はそれを心配しているのだろう。なまじ、知り合いなだけに。
「私からもそれは心身に不調をきたし始めているので、十分に休息をとりつつ心身を落ち着けるよう説得しましたが、本人に自覚が無くて仕事上だけじゃ無くてプライベートでも悩んでいるみたいで」
「先生のとこ、お一人で診ておられますもんね。そこまで時間も割けないでしょう」
「そう、そこなんですよ」
秋山先生はため息をつく。今だって診療前の時間に慌ただしくも合間を縫って連絡しているのだろう。
「どうも、根深い気がするんですよね」
一般的な内科でも、ちょっとした不眠や不安症を、普段の高血圧やら胃潰瘍やらのついでに診ることはままあることだ。それくらい、ストレスからくる身体の不調は、広くあらゆる診療科の医師たちにとってありふれた世界でもある。
秋山先生は続ける。
「これが一時的なものなら良いんでしょうけどちょっとした眠剤や、鎮静剤を出してその場凌ぎは出来ても本人がまず、ゆっくり話を聞いてもらえる機会が無さそうで、そこも問題だなって。投げかけてゆくと、色々と溜まっていたり、整理しきれていないまま孤独に過ごしているようで」
「友人とか、家族構成とかは?」
「こちらでの知り合いなどは居るようですが、元々は北の方から上京しており、地元は遠く離れているようです。事情で今は関西に居るようなので猪熊先生に本当なら診てもらいたいのですが、時々私がフォローするしかなさそうで」
それは結構きつい話だな、と感じる。手の届くところ目の届くところだけでも、守りたい助けたいと思うその気持ちは同じ医師として共感する。僕が似た立場でも、同じように悩むだろう。
「お恥ずかしながら、専門でない以上、最近の眠剤や抗うつ薬もどんなものがあるのか、ちょっと疎くて
「わかりました。当院で類似ケースで出してる薬のリストとか、後ほどメールで送りましょうか?」
「本当ですか?!とても助かります。なんせ種類が多くてうちは院内処方ですから、ほぼ私が管理して確認しなければならず」
そりゃ仕事も何倍にもなって大変だ。それにこの領域の薬は高額だから、そんなにむやみやたら取り揃えるわけにもいかない。
「東京という地に限らず、都市部ってのは地方から身寄りもなく出てきた若者たちが想像以上に孤独で心を病みながら、自覚なく無理をしていることは多々あります……秋山先生に出会えたことはその方はきっと幸運ですね」
「猪熊先生が、そう言ってくれるとホッとします」
「関東近郊なら、うちで定期的に通院してもらえたらと思ったんですが……聞く限り、精神療法や、カウンセリングなどもご紹介できますし」
「ですよねえ」
私にそこまでの時間もなくと秋山先生は電話の向こうで力無く頭を抱えているのだろう。
「でもねえ、秋山先生」
「はい」
「僕らのやる精神療法は、確かにちょっと特殊ですが、秋山先生もその方と充分近いくらいの深さで対話なさってますよ。街の先生って、結構カウンセラーに近くて。何気ない会話の中から異変とか見抜くの、上手いなってよその領域ながら思います。かかりつけ医ならではってやつですね……秋山先生、その方に既にかなり信頼されてるんだと思います。それに、まだ所見としてそこまで重い状態じゃ無いのなら、本人がもっと自分から対話を求めたり、吐き出す場を作ろうと試みたり。きっかけさえあげれば、若者って柔軟なので、案外自分でも色々と打開しようとします。信じてさえ、見守ってさえ、あげれば」
「なるほどね……
せんせーい、まだ?電話の向こうで、若い男の少し気だるそうな声が聞こえてくる。
待って、今大事な電話してるから……と、秋山先生が押しとどめる声がして、僕は聞いてはならぬものを聴いてしまった気がしてちょっと受話器から数センチだけ耳を離す。
コホン、秋山先生の咳払いが少し遠く離れた音声として耳に届き、我にかえる。
「あっ、でも、西日本なら神戸に僕と同期だった奴が開業してるんで、あんまりに心配で手に負えないようならそちらに話通しておきますから。秋山先生も、どうか1人で抱えすぎないで」
ありがとうございます……とても心強いです、と秋山先生は安堵した様子だ。
「こんな、猪熊先生からしたら軽症?な人のことを相談なんかして、スミマセン。なかなか、この領域の専門家の先生が身近に居なくて」
恐縮しきりの秋山先生に、いえいえ、困った時は助け合いですから、と首を振る。
「軽症がいずれ重症になり、そして社会復帰できなくなるんです。僕らは一人でも鬱やそれにまつわる病気のせいで社会生活を送れなくなったり、孤立して自殺してしまうケースを減らしたいし、願わくばゼロにしたい。全員が本来あるべき、重荷のない世界で本人らしく生活することを助けたいのは、僕も同意ですから」
「ありがとうございます。猪熊先生は、……開業しちゃ、ダメですよ」
笑いながら言われ、思わず笑ってしまう。
「え、なんでですか?」
「私みたいになります」
「それってどういう……
「何でも屋みたいになって、手が回らなくなる」
あはは、と笑ってしまう。意外と似たもの同士かも知れない。
「お節介で、心配性ですから」
「確かに」
お互い、お疲れ様です、と受話器越しに頭を下げる。一度搬送の付き添い時に見かけた、痩身の体躯に大きめの白衣を纏い、無機質なメガネをかけた細面の眼光はそれなりに鋭かったので、最初はちょっと怖い先生かなと思ったが、意外と冗談も言うし温厚なので患者さんに信頼されるのだろう。若くして個人医院を継がれたことで心労も多そうだが、疲れた顔をしながらもてきぱきと引き継ぐ姿には安心感すらあったのを思い出す。先生、よかったら酒でも今度なんて誘い文句を言おうとして、先生?そろそろ時間だよ、ねぇ?と先刻の男のちょっと鼻にかかった甘みのある声が存外受話器のすぐ耳そばまで聞こえてきて思わずヒュッと飲み込む。
「あ、すいません……そろそろ」
「ええ、じゃあメールだけ送っときます」
「感謝します」
「じゃ、また」
僕はそっと受話器を置く。
顔は見えないが、温厚ながら何としても知り合いを助けたい、と強い信念を持つ秋山先生の奮闘に、同業ながら励まされる。
よし、と気を引き締めると、彼に送るメールの準備に早速取りかかったのだった。


〈テレカン:teleconference/了〉